Tuesday, March 30, 2010

アメリカン・ライブラリーin Paris

こんなものがあるとは知らなかった。アメリカの、とある町の、とある図書館のようなのがパリにもあるのだ。
昨夜はここで催されたいじめに関するセミナーに行ってみた。

講演が始まるまで、図書館内を見る。雑誌コーナー。果てしなくある雑誌のタイトル、見出しをみているとアメリカに来ているような気持ちになる。Seventeen誌から主婦向け、男性向け、映画雑誌など、星の数ほど沢山。何故か「アメリカって大きい」と思ってしまう。雑誌の数なら日本もフランスも負けていないだろうにね。
参加費無料の講演なのに、ワインやおつまみがオファーされて、ここでもまたアメリカって大きい、と思う。

さて講演、いじめ問題。幸い我が子猿達は幼すぎて当該者となっていないが、将来の予防策として聴いてもいいかな、と、友人に誘われるがまま参加してみたのだが、勉強になりました。
今の時代、いじめの一種に、Cyber Bullyingというのがあって、どういうことかというと、SNS(Facebookなど)を使って、無視したり、醜聞を流したりするらしい。ふんふん、それは知らなかった。
フランス特有の環境として、子供達の間にライバル意識、嫉妬が強く、よって仲間意識が低いと思われる、孤独である、と。大人と一緒?
学校にどこまで期待していいか、親が介入すべきか、などなど。
いじめには「これ」という特効薬はないのだけど、子供の様子を注視して守っていく、と。

話し手はハラスメントの専門家のアメリカ人女性。アメリカ人って、どうしてこうも話し上手、プレゼン上手なのだろう。ユーモアを混じえながら、質問に答えながら、聴衆を引き込みながら、脱線せず、時間配分もばっちり。シャッポーです。
そして、いじめ。日本の方がもっと深刻な問題かもしれない。私自身も、今のいじめとは比較にもならない軽度なものだったが、被害者として、恥ずかしながら加害者としても経験している。我が子猿達がこのDNAを持っているかと思うと、まぁ、お母さん、しっかりしなくっちゃよね。

Monday, March 29, 2010

ドリーム・ジョブ (パリ便り)

昨夜はInsead(フランスにあるビジネス・スクール)の同窓生ネットワークが企画するイベントに行ってみた。その名も「Vivez la carrière dont vous rêvez!(ドリーム・ジョブを現実にしよう、かな?)」。講師はこういうキャリア・カウンセリングのプロだったので、内容はまぁまぁだったが、他の出席者が・・・。

ドリーム・ジョブ系のトピックだから、そう硬くも無いだろうとジーンズのジャケットを羽織っていったが、他の10名は皆背広・・・。物静かに、至って物静かに2時間の講義が終わっていった。ふと、Insead時代を思い起こすと、確かにフランス人の発言は少なく、また、教授陣にもフランス人はいなかった。こういう、「さぁ、皆盛り上がってBrain stormingしましょう!」というのが向いていないお国柄なのかもしれない。
一方、お国柄得意の批判、厭味、愚痴は出なかったので良かった。こういうお題はポジティブじゃないとね。そうそう、女性は私一人だった。

一番印象に残ったのは、講義の中で引用されたスティーブ・ジョブスの、スタンフォードにおけるスピーチだったかな。

You don't have to do anything!

親愛なる夫がこの文章を口にするたびに警報がワ~ン!!!となる。
そんなわけで昨日は100人弱が家にきた。地元のMarin Symphonyのファンド・レージング・イベントで、エミー賞を取ったフラメンコ・ギターの人と、そのダンサー及びシンガーを呼んで、一人100ドルを払って約半分が運転資金に回るようだ。何もしなくていいのは私ではなく夫であることは言うまでもない。100個ある折りたたみ椅子を下ろしたり、来客に愛想を振りまいたり、キッチンで働くシェフたちと話したり、翌日の掃除の担当は何もしなくていいはずの私に他ならない。赤の他人が家に来て、好き放題にするので、子供たちには良い経験になった。歯に詰まって野菜を指ではじいて床に落とすきれいな女性、家の案内をしてと命令しては引き出しを荒らす母娘、フラメンコ・ダンサーの絵画を売ろうとするばあさんが我が物顔で写真を撮らせる図々しさ等々、腹の立つことは子供たちもしっかり観察したよう。そんな話で翌日盛り上がる食卓で一人盛り上がらないのは夫である。"Face it. You enjoyed the evening!"などという。確かに後のちまで語り草にできるネタを仕入れたという点では、楽しかった。悦に入って踊るフラメンコ・ダンサーの背後の窓の外で犬のチャーリーが力走する後ろを次女が追う姿や三男がニヤニヤして徘徊し、イベントの企画をするいばりんぼおばはんが眼を飛ばす風景は面白かった。それをみて笑う私をたしなめる夫のあわてぶりも面白かった。この次、You don't have to do anything!と言われたら、言い返してやろう。"You mean, YOU don't have to do anything."と。

Saturday, March 27, 2010

あさきゆめみし 〔パリ便り〕

このところ、不安定な空模様のパリ。フランスでは、「5月までは糸一本、脱いではだめ(春が来たと思っても5月までは薄着は禁物。いつ寒くなるかわからないゾ)」と言う様なことわざがある。三寒四温って奴でしょうか。5月までというのが、とことん気まぐれなフランス気質を表しているような気がする。

とはいえ、気まぐれで光源氏にかなうものはいないだろう。
源氏物語の漫画版、「あさきゆめみし」を読んだ。受験勉強以来である。あの頃は漫画でも読むのがつらいほど詰まらなく思えたが、あらためて読んでみて、これは高校生には無理な内容だろう、と。白馬の王子と結ばれたらそれがハッピーエンド、というイリュージョンを抱いている高校生に、光源氏の移り気さと、当時の乱暴な結婚観は理解のキャパ越えではないだろうか。それとも高校生の柔軟さを信じて、文部省はこの物語を教材として推奨しているのだろうか。今、婚活を、子作りを国挙げて推しているのに、若い人にこういう愛、家族の原型を教えるのってどう?ぶつぶつ・・・。

Anyway, 大人になって読むと、まぁなんと面白い!光源氏、美しすぎる!女性陣、はかな過ぎる!雅と無常、あぁ、日本!ねじれた性愛観も然り。不倫や変態嗜好(ロリコン、夜這い〈≒強姦?〉)など、この時代から始まったのでは。
戦争もなく、恵まれた階級に育った人々の人生観の行き着くところは無常だったというのは、なんとなくわかる。この時代で一番人生を楽しんだのは、この物語を創った紫式部だと確信した「あさきゆめみし」アゲインでした。

Thursday, March 25, 2010

ふるさと

夫が出張で留守にしている。普段は起床が家族で一番遅い私も、意識しない緊張があるのか、早く起きてしまった。こういう時には、自分が小心者なのが良くわかる。普段だって、お互い仕事や雑用が忙しくてそんなに時間を共有しないのに、かなり精神的に依存しているんだなあと感じる。

さて、夫は今ニューヨークである。サンフランシスコに移り住む前の10年住んだ街なのだが、空港から都心に向かう灰色のハイウェイをYellow Cabに揺さぶられながら走る途中に電話をもらった。「全然変わらない。」「汚い。魅力を感じない。」と話すのを耳にしながら、同じ光景が脳裏にくっきり浮かぶ。それでも良い季節なのだ、今のニューヨークは。春爛漫だと友人が先日も話してくれた。夫も私もすっかりカリフォルニアの人になってしまったのだろう。人間大サイズの町と緑が多く、空が青々としてすがすがしい田舎が好きなのだ。

私もたまに東京や他の街にいくと、その場所の人となって行動しながらもつねにカリフォルニアでは今。。。と潜在意識が思っているような気がする。こういう場所がきっとふるさとなのかなあと考えてみたりする。

Wednesday, March 24, 2010

書く喜び、読む喜び (パリ便り)

今日のパリは高曇り。午前11時現在、気温は18℃。昨日は国鉄、メトロはスト、一部学校もストでお休みでしたが、今日は一部国鉄以外は正常化していると聞いています。折角春なんだから、ストなんて人をいらだたせること、しないで欲しいですよね。

昨日、火曜日は子猿たちの学校がストでクローズしてしまったので、午前中は、子猿→レゴ大会、母猿→インターネットという、毎週水曜日のパターンを一日早く、そして今朝はPart 2ということで、同じ時間割りをリピートしています。そう、パリの公立幼稚園は週末と水曜日がお休みなのです。

最近、友人からあるブログサイトを教えてもらって、そこにあるリンクからまた別のブログサイトを見つけて、と、一気に10サイト位、「お気に入り」リストに加わっています。それにしても、皆さん、写真といい、文章といい、もちろん、内容といい、クォリティーの高いこと!ふと、雑誌の売り上げはどうなのだろうか、こんなに皆が皆、一流ジャーナリスト級だと、雑誌の存在意義が薄れるのでは、とお節介オバサンしてしまいます。

ブログを始めてどのくらい経つのでしょうか。最近読み始めてくださった方は二重人格者のブログと思われることでしょうが、当ブログはサンフランシスコに住むJubilancerさん、東京のMadam Butterflyさん、そしてパリの私、怠け象の三人が書き込んでいます。確か、リーダー、Jubilacerさんは他の方にも参加してもらいたかったかと。興味ある方はご連絡ください。

私にとってはブログを書くのは、自分の気持ちを整理したり、また小さな発見を皆さんと共有する喜びとか、また書きながら気づくこともあったりで、心の健康管理にすこぶる効果的なツールです。また、それを読んでいただける、感想をいただける、これがなんと申しましょうか、心の深いところから湧き上がる喜びでして、この場をお借りして御礼申し上げます。
読む方も同様。見も知らぬ方の真摯なるエントリーを読んで、「人生捨てたものじゃないな」と思ったり、違う視点でものをみることを教わったり。あぁ、ありがたやインターネット!

さて、グーグルは中国を撤退するとか。中国の人は私のように自由、効率的にネットサーフできなくなるのかと思うと、お気の毒で。内田樹さんの書き込み、グーグルのない世界というのを読んで、なるほどねぇ、と思ったところで、さて、今日のTo do list、ペンキ塗りを始めるとしますか。

Tuesday, March 23, 2010

技術の年齢差 (サンフランシスコ便り)

サンフランシスコは先々週すでに夏時間に入っている。我が家のあたりはすっかり春満開である。桜なんぞは二月に散り、今はDogwoodの白い花が散り始めている。屋外プールに行くのもちっとも苦にならなくなった。午前中働き、お昼を食べ、ちょっと消化したところでプールに行く。良い肩こり対策になる。子供をあちこちで拾い上げては家に戻り、Skypeで日本の友人たちと話をする。夏時間になったので、プールとSkypeの間に30分ほど夕食の下準備にかけられるのは都合が良い。そして、Skypeも半ば、携帯電話で娘にテキストを送る。「ワインお願い」「ご飯炊いて」。技術はうれしい。先日は、こげたにおいにあわて夫に「ラタトゥユみて」とうってみたが、中年はテキストを見ない。おかげで思いっきりこげた。

簡単レシピ (パリ便り)

昨夜はDavid Lebovitzさんの簡単レシピ、「鶏肉のロースト、エシャロット・ソースのキャラメル風添え」というのにチャレンジしました。大成功だったので、ご紹介。
Roast Chicken with Caramelized Shallots

ぶつ切りにした一羽分の鶏を加熱してもよい器に入れ、オリーブ油、ワイン・ビネガー(無ければお酢でOKなのでは)を大匙3杯、醤油を大匙一杯、エシャロットを4個みじん切り(無ければ玉ねぎでOKなのでは)、塩一振り。
これを鶏肉に絡め、オーブンで45分~、220℃だそうです。
私は鶏半分でエシャロット二個で、あとはソース好きの我が家人らのため、一羽分の分量で、一時間位焼いたら、本当、皮カリカリで、美味しい!
一緒にジャガイモをオーブンに突っ込んでおけば、一食完了の簡単さですよ。その上、洗い物も加熱した器だけの優れものでした。

一緒にはなで肩のワイン(ブルゴーニュ(バーガンディー)、ローヌ、ブーゴイュなど)が合いそうです。
といいながら、我が家はビールでした。日が長いこの頃、春の夕陽はやっぱりビール日和なのです。

追伸、今週末に夏時間になりますよ~。

Sunday, March 21, 2010

花が咲く (パリ便り)

週末は義両親のメゾン・ド・カンパーニュに押しかけた。雨混じりの気候だったが、気温は15度前後で湿った空気は春の匂い。子猿たちは泥んこになって畑仕事の「お手伝い」をし、義母は新しいシーズンに向け草を刈り、義父は葡萄のツタが上手に絡むようにとワイヤーを引く。秋には沢山の房を重そうに支えてくれるだろう。夫はこの葡萄を食べる度に「葡萄はフランスの味だ」とつぶやく。ほんにそうで。

近くの森に散歩に行ったら、途中で雷雨にあい、頭からバケツで水を被ったような濡れ鼠4匹になってしまった。子猿たちはそんな体験も可笑しいようで、タオルで頭を拭こうとすると、「だめだめ、ベルマモン(義母)に見せてから」と逃げ回る。

パリに帰ると、ベランダで寒椿が一輪開いていた。この鉢を買ったのは12月前、それから酷寒の冬、春の嵐があり、日差しも植木屋さんから聞いたのと反対向きだったので、駄目かな、と半分諦めていたが、いやいや、生命の底力!今朝も一輪加わって、まだまだ続くようだ。
三色すみれも、冬の間に雑草状態になっていたので、もう抜いちゃおうか、と話していたのが先週だったっけ。それが、今や数え切れない程のつぼみを膨らませている。
シクラメンも何回も凍傷状態に陥ったが、今は瑞々しい花を楽しそうにゆらゆらさせている。

あぁ、春って、生命って素晴らしい!これで花粉さえ飛ばなければいいのにね。

Saturday, March 20, 2010

いま十年経って・・・(パリ便り)

INSEADという、パリ近郊にあるビジネス・スクールで学んでから10年経つ。来年は卒業10周年。INSEADではサマー・ボールという、シャトー貸切、ブラックタイの盛大なパーティーをするのがトラディションで、在学時にも参加するが、卒業5周年、10周年、15周年・・・etcと、5年区切りで同窓会がオーガナイズされる。

5周年のときはパリにいたのだが、夫と、「なんだか行く気にならないねぇ」と、サボった。夫は元クラスメートである。あの時は過去5年があまりにもあっという間だったので、あまり懐かしさもなかったのだと思う。

さて、来年は・・・。行くと思う。
最近は在学中のちょっとしたことが懐かしく、思い出として琥珀化していることに気づく。

日本人の女友達の車に同乗した際、日本とは反対通行のフランスで、キツキツの縦列駐車に四苦八苦していた彼女の一所懸命な表情、私は運転できなかったので、そのチャレンジ精神に天晴れと思ったこと。普段発言が少ないクラスメートが、アンフィシアター式の教室で緊張でどもりながらも自分が目撃したアフリカ(だった思う)の貧しさについてエモーショナルな意見を述べたときのこと、卒業ちょっと前、パノラマの図書室からみた虹がきれいだったけど、就活が思うようにいっていないこともあり、なんだか空虚な美しさに見えたこと・・・。

授業のことは、あまり覚えていなのは私らしいことで。ミクロ経済がどうしても理解できなかったことと、会計の先生が素晴らしくショーアップした授業をしてくれたのだが、その陰には、先生が会計という詰まらない学問を楽しんでもらうために、夜間劇団に入って演技と演出法を学んだたという苦労があるのだ、という逸話、そのくらいだろうか。とにかく勉学と怠け象の私は接点が少なかったのだ。そうだな、ストラティジーというものの考え方もあの時に学んだように思えるのだが、一方でどうも自分の人生はストラテジィックには行っていないしなぁ。

Quels que soit、あれは自分にとって最後の学生時代、愚かさ丸出しが許された最後の機会だったと思う。
♪いま十年経って、若すぎた時が妬ましい 
サザンオールスターズ Young Love(青春の終わりに)

Friday, March 19, 2010

あぁ、金曜日!(パリ便り)

今週のパリはすっかり春めいた陽気であった。ベランダのポットには、エストラゴンが芽吹いている。長い冬ですっかり枯れたと思っていたが、生命とは力強いものである。シクラメンも椿もあの寒さを生き延び、つぼみが開いた。

今週も、新しいビジネス・プランが天から舞い降りてきたり、懐かしい旧友とメールのやり取りをしたり、新しい人々と出会ったり、と素晴らしい5日間であった。今日は金曜日ということで、とりあえず今週の失敗、失言も、勝手に水に流してしまおう。
週末は田舎で過ごすので、子猿らを放し飼いにし、一人ビジネス・プランなどを見つめ直してみたい。

皆さんもBon weekend!

Thursday, March 18, 2010

都会でありながら田舎

私の住むサンフランシスコ近辺はパリ・東京・ニューヨークと違い、都会でありながら田舎なのである。ニューヨークから10年ぶりに戻り、夫とともにびっくりしたのはスーパーでの買い物。店員さんが「こんにちは。お探しのものが見つかりましたか?何かお手伝いできますか?」と聞いてきた時。ニューヨークでは人と目を合わせない、知らない人には語りかけないのが原則だったので、二人して護身の構えに入ったりした。
ところが、最近はカリフォルニア人になったのだろう。誰からも話しかけられ、話しかけるようになった。
昨日は聖パトリックの日。アメリカではアイルランドの守護人(?)として、アイルランド系の子孫の間ではとても聖なる日で、誰しもが緑色の服を身にまとう。久しぶりにダウンタウンに行く用事のあった私も、末っ子に言われ、緑のスーツを着てみた。エレベーターで乗り合わせたインド系の兄ちゃんに、「僕らアイルランド系は結束しないとね。」と言われ、「そうよそうよ。」と返す。今日は、15歳前後の男の子を6人詰め込んでラグビーの練習場へと運ぶ。近くに駐車していたおばちゃんが、近寄ってくる。「友人のおばあちゃんと携帯で話していたんだけど、目を疑う光景っていったのよ。あんたそんなにちっちゃい体で運転しているのに、ごっつい男の子が次から次へと車から出てくる出てくる。一体何人運んできたの?」と、話しかけてきてくれる。これがNYであれば、近寄ってくるのをみるや、窓をしめ、ロックもかけるところを、ここでは、窓を全開、身を乗り出し、何を言ってきてくれるんだろうと、好奇心一杯なのである。シリコン・バレーが大都会になく、田舎のサンノゼにあるのはこの好奇心と何でもありの風土なのではないのかなあと考えたりする。

Wednesday, March 17, 2010

ネルダ (パリ便り)

カタールにいたときは、フィリピン人の住み込みのお手伝いさんを雇っていた。彼女の名前はネルダ。50歳ちょっとだなんて信じられない元気さと、マザー・テレサのようなやさしい目を持った人であった。フィリピン人は色んな顔のタイプがあって、所謂南方系ポリネシアン風、中国(日本)風、インド風といった感じである。ネルダはこの、インド風だった。

先日バスに乗ると、ネルダ似の、すなわちインド人寄りのフィリピン人女性がいた。すると彼女はまるで顔見知りのように私に話しかけてくる。こんなところもネルダそっくり。フィリピンでは年上の女性は「姉御」扱いされ、頼られることが多いようで、その分、姉御達は自分より若い人に気軽に声を掛ける。我がネルダは、我がカタール時代の集合レジデンス、グリーン・ビレッジ(緑なんて殆どなかった)のお手伝いさん達の最年長であった。一週間もしないうちにグリーンビレッジの100戸に住む、すべてお手伝いさんとお友達になっていた。子猿たちを連れて4人でレジデンス内を散歩していると、皆に「風邪治ったの?」「ほら、さぼってんじゃないよ」と声を掛け、その度に私に「あの子はこれこういう事情の子で」「あいつは愚痴ばっかりで仕事がいい加減で」と色々教えてくれたものだ。

Alors, パリではしょっちゅうフィリピン人に「Are you Japanese?」と話しかけられる。取り立てて何か質問があるわけではない。多分、言葉も通じない国で、階級意識も残る国で、お手伝いさんとして仕く毎日、同じアジア人の女性というだけで親近感が沸き、話しかけてくるのだろう。フィリピン人というのは人懐っこくコミュニケーション好きの国民だと思う。そんな人にパリは住みづらいだろうな。

さて、バスの中。子猿が、「ママの友達なの?」と聞いてくる。「知らない人と口利くのはいけないこと」といつも言われているから、母猿が見も知らぬ人と会話が始めたことを怪訝に思っているようだ。夫は機転を聞かせ「ネルダの友達なんだって」と答えてくれる。やはり彼もネルダに似ていると思ったようだ。

あぁ、ネルダ。三年間、家族の一員であった。子猿に愛情を注いでくれて、私の良きパートナーになってくれて、彼女との生活を思い出す度、有難い気持ちで一杯になる。
子供達の写真を現像して、フィリピンに送るぞ、と決意する今朝なのである。

Tuesday, March 16, 2010

娘ばばあ

昔大学の体育の先生にあだ名が娘ばばあという人がいた。体育の先生だけあって、おなかのたるみ。。。。:ここで英語のレッスンです。ベルトの上にぽこんとのったおなかとたるみを"Muffin Top"という。カップケーキの紙の型の上にのった感じをさして言う。Anyway, その先生はおなかのたるみゼロのすばらしいフィットさで、後姿はまさに少女。ところが振り向くと顔はしわしわ。そういうわけであだ名が娘ばばあなのである。急に思い出したが小学校6年生のときの蓮田先生も娘ばばあだった。二人に共通なのは、肉体美と顔面しわしわ+おかっぱ頭である。つい最近までショートがかわいくて粋と思っていた私も、子供たちに説得されて髪を伸ばし始めた。年を取ると、おばさんは髪の毛をショートにすると、若者は言うではないか?美容院に行く度に子供たちは髪を切らず、白髪も染めるなという。夫はショートが似合う、白髪は嫌だと言う。最近はショートではなく、おかっぱではなく、しかも白髪のない状態を目指そうと思うようになった。統計を取るべきかと思う。20代の時は髪の毛が長く白髪を染めている人は、『必死』と言う印象を受けたけど、これは今も変わらないのだろうか?Skypeで息子と私の声が同じというコメントをいただいて、見かけはばばあだけど、声だけ娘という状態の娘ばばあではないかと、急に不安になった。土曜日に美容院に行くので、ぜひアドバイスをください。

フランス発のお気に入りブログ (パリ便り)

今日、友人が教えてくれたブログ・サイトがやたら美味しそうなので教えます。

http://www.davidlebovitz.com/ 
アメリカ人のお菓子シェフのサイトだけあって、美味しそうだし、結構笑えるところもあり。アメリカからの料理レシピはヘルシー嗜好なので、腹のたるみが気になるこの頃には有難く。

http://hipparis.com/
まだ全部見ていないけど、数人が書き込みしているところが当ブログに似ているようで。

その他最近のお気に入りより。

http://blog.livedoor.jp/esprit_cocon/
これは日本語です。シニア・ブログに妙にフィットしてしまうのは何故?

http://paritto.blogspot.com/
こちらは最近、コメントをいただいているメノンさんのブログ。クォリティー高いです。

早速、Davidさんのバナナケーキを焼いてみました。美味しいでしょうか、バター大匙二杯だけで。ご報告は後ほど。

18度のパリ、午後4時でした。

Monday, March 15, 2010

パリの春 (パリ便り)

今日はお天気のパリです。ベランダの温度計は13度まで上がってきました。
昨日植え換えたオリーブの木が風にそよいでいます。オリーブの銀色がかった葉の色どことなく人工的で、建物だらけのパリに意外と合うようです。さぁ、この日差しの少なさに負けずに、頑張れ光合成!

春を感じ出したのは先月終わりくらいだったでしょうか。How?それは、鳩がやたらにやってくるようになってからです。
このつがいの山鳩風カップル、なんと、私がこのアパートに住み付いた頃からいます。というと、5年くらいでしょうか。年々肥えてくるようで、落し物が多く、来ると家族総出で追い払っています。山鳩夫婦、子猿達に見つかろうものならやんややんやの大騒ぎです。

でも、心の底では、元気でいてね、と思っているのです。君たちは春のメッセンジャーだものね。そう、話しかける自分が、往年の義祖母のようで笑っちゃいます。彼女がテラスにパン屑を撒いているのを見る度に、家族らは目配せで「ほらほら、ボケてるだろ?」と心配そうに確認しあっていたものです。

パリでは鳩に餌をあげるのは禁じられていると聞いています。気持ちはわかりますが、私の山鳩達にお恵みを!

Sunday, March 14, 2010

そして普通の日曜日(パリ便り)

Jubilancerさんのモーニング・コーヒーの文章を読んで、私も朝のコーヒーをこよなく愛するものとして写真まで撮ってみました。

旅行から帰ってくるときの車中思うのは、「明日は自分で淹れたコーヒーが飲める!」ということです。
もう二十年近く、この古式ゆかしいイタリア式エスプレッソ用コーヒーメーカーを使っています。写真のは3代目くらいでしょうか。近くのスーパーで15ユーロくらいだったと思います。そして、IKEAで一ユーロの牛乳泡だけ器でフォームを立て、熱々のカフェオレです。週末はまた味が格別です。
皆さん、良い日曜日を!


Saturday, March 13, 2010

ごく普通な土曜日

8時に起きてみた。快晴のサンフランシスコほど美しいものはない。コーヒーを飲みながら、田村正和宜しく『朝のコーヒー』とつぶやく。繊細なピアニスト・バイオリニスト転じてごっついラグビー選手と化した次男のラグビー試合会場へと本人の運転(免許前の試運転50時間は親同伴なので、命を懸けて同伴する)でたどり着く。その脚で娘と一緒に大量買出しにCostcoへ行く。ジャスミンの鉢植えをミニバンに詰め込み、息子を迎えに行く。13ヶ月違いで生まれた妹はすかさず脚を引きずる兄をみつける。野蛮なスポーツを再認識するが、既にあとの祭りである。1ヶ月前に脳震盪になった息子は夕方には松葉杖をついている(自慢ではないが、我が家は松葉杖がごろごろしている。)夕食は、上の娘の友人が泊まりこみに襲来し、こども9人がピーチクパーチクにぎやかこの上ない。10時になったら静かにしないと、天罰がくだるよと、脅してみるが、効果はないと確信する。耳栓を用意し、図書館で借りた推理小説を手に寝室へと避難する。今日もごく普通な土曜日である。明日は夏時間にスリップバック。

Friday, March 12, 2010

You Raise Me Up

http://www.youtube.com/watch?v=6VqRlO3wa1A&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=faKFcfytlxU

4年ほど前に、上の娘とアカペラの教室に通った。平均年齢70歳のグループで、相当平均を下げた気がした。そこで学んだ歌はとても英語で言うUpliftingなのである。

金曜の夜のディナーは我が家で盛り上がりがちだが、今夜も例に漏れずである。多少お酒の入った母を先頭にこの歌を歌う子供らはまさにYou Raise Me Upである。

サラーム!(パリ便り)

先ほど、道で出会ったマグレブ風(アラブ語圏のアフリカ諸国から来た移民)二人のオジサンが、「サラーム アリコム!」「アリコム サラーム」と挨拶をしているのを聞いて、妙に懐かしい気持ちになった私です。
これはアラブ語の挨拶で、カタールでは日常的に聞いていた文句です。

これって、多分英語のPeace be with youと同じことだと思います。サラームは「平安」。キリスト教のミサでも似た台詞を使います。("Que la paix(平安) du Seigneur soit toujours avec vous" )

9/11以来、イスラム=攻撃的というイメージがありますが、彼らも平安を何よりも大切にしているのでしょうね、毎日の挨拶にそう言うくらいですから。

さて、先日の「幸運な人生、不運な人生」というエントリーで 心の平安が状態が幸せだと思う、と書きましたが、今朝のオジサン達の挨拶を聞きながら、「平安」を問う時間すら持っていない自分に気づきました。考える時間がないことは幸せだからなのか、それともとっても不幸なことなのか。うーん、多分両方なのでしょう。

Anyway(とサンノゼのジャパニーズばあちゃん風に)、 色んな宗教、哲学、詩人らが、皆「平安を!」と願っていることにちょっと胸が打たれたりします。

Wednesday, March 10, 2010

日本版サマー・キャンプの提案 (パリ便り)

この夏、一ヶ月程日本に帰省して、子猿達に日本の夏体験をさせたいと思っていることは以前にもここに書き込んだ。張り切っていたのだが、な、なんと、まだ何も進んでいない。
大変な体力と大枚叩いての帰省なのだがら、親としては、だらだらするだけではなく、日本語も上達させたい、と欲張ってしまうのは、海外に出ている日本人親の多くが思うところではないか。
そんなこんなで、日程、場所、内容、全て決まらずにいる、優柔不断な母猿なのである。

子供たちが日本の夏を味わいながら日本語を上達させるには、同年代の日本人と遊ぶに限ると思うが、そう簡単に友達を見つけられない。ということで、新ビジネス、「日本版サマー・キャンプ」、どうでしょう、ベネッセさん。

キャンプと言えど、場所は別に街中で構わないと思う。10歳以上であれば、どこかの山にでも行って林間学園風にしても良いと思うし、そうでなければ幼稚園、学校のように通学型も良い。カリキュラムとしては、創造的なこと中心 - 写生、音楽、水泳、公園遊びから、社会見学(森永の工場見学は楽しい思い出である)、美術館めぐり等。唯、一時間位は英語、フランス語、ドイツ語など、その海外参加者の言葉の授業をして、海外参加者にスピーチでもさせ、日本から参加している日本人に生の発音、話し方を紹介すると双方のメリットになると思う。短い映画や音楽を原語で紹介するのもいいかもしれない。お受験なこの頃なら、算数とか、ちょっとだけならやってもいいかもしれない(と、益々欲張りな母猿)

脳が柔軟なうちのカルチャー・エクスチェンジ、いいと思うんだけどなぁ。

サンノゼの豆腐

昨日はサンフランシスコの日本町で友人とランチをした。うちからここに来るのにFillmoreという道をLombard (世界一くねくねした坂道を誇る)から右折して、ひたすらのぼり、車がもうだめ!と悲鳴を上げるころに緩やかに下山してたどりつくジャパンタウンへの道はとてもほのぼのとしたSFの風景で素敵。陽射しの優しい中を市民が思い思いに穏やかに生活していて、NYや東京、ロンドンのような斜に構えたところがなく、自然体で生活しているという雰囲気なのだ。そしてジャパンタウン。あと、30年すると、ああいうおばあちゃんになるんだろうなあというおばあちゃんが一杯いる。顔は日本人なのにしぐさや日英ちゃんぽんな言葉がアメリカ人な人。そして、お互いにxxちゃんと呼び合う面白さ。「夕子ちゃん、Look at this おいしそうなお饅頭。Don't you want some?」と言う感じがとてもかわいい。ここの虹やマーケットで友人に薦められたサンノゼのお豆腐が美味しい!木綿豆腐でクリーミーなのだ。梅干を刻んで美味しい胚芽米で炊いたご飯でいただいた。ああ、日本人で良かったと思う。これをスペインの白ワインと一緒にしてディナーなのだ。一応毎晩ご飯を工夫する母さんをどう思うか、電子レンジディナーの同級生に比べて幸せだと思わないのかと、詰問すると、夫子供犬までが危険を察知し、神妙にコクンコクンとクビをたてに振る。食べ物をえさに脅迫すると効果絶大なことが判明した。

図書館

今日読んだ記事に、人を雇う時にソーシャル・ネットワーキングのサイトでチェックしてプライベートの素行を見て雇わないことにしたというケースが米国では実に70%もあると聞いて、少しギクとしたものの、所詮は普通の生活しかしていないので普通なことしか書けない。これで採用を逃すことはないだろうとほっとしたりする。確かに、若い同僚のFacebookのエントリーをみると、ハラハラしたりすることが多いけど、幸か不幸かわが身に振り返って見ると大したことは書いていないあっさりのほほんな人間なのがわかる。

さて図書館に今日も行った。図書館は本を読むところと思うのは私だけで、おばあちゃんは『静かルーム』で時折おならを発しながらいびきをかき、若者はスターバックス気分でMacにイヤホンをつなげ起業活動、中学生は勉強と称してうわさ話等々様々な利用方法で、わが町人口5000人の図書館は毎日社交の場と化している。ここに30分もいれば5~6人は知人に出くわし、情報交換ができてしまう。江戸でいう井戸端会議がここで行われる。居眠りばあちゃんにそのうちなる私は自分の安楽椅子を生前に寄贈してみようかななどと考える。長生きの家系なので、今寄贈すれば死ぬ頃には、もうぼろぼろで、それまでは自分で占領できるかもしれない。

Monday, March 8, 2010

日射病

今週末は快晴で、しばしこの世の苦悩を忘れ、パティオでランチを楽しみ、ワインも2杯飲んでみた。ああ、満足と立ち上がると、娘がプールサイドにクッションを敷いて、ここで昼寝すると気持ちいいよ、というので勧めるままに、ガーと、ねむりこけてしまった。どのくらいたったのかわからないけど、起きると頭ががんがんしている。2時間もすると、めまいと吐き気が襲ってきて、そのまま2日ベッドで過ごす羽目になった。ああ、この年になってこんなおろかなことを何故したのかと反省するも、すでに脳みそは茹で上がり、取り返しがつかない。ようやく今朝からふらふらと日常生活に復帰し、夕食も家族と一緒にした。後片付けは子供たちに任せるのが我が家の決まりなので、『ほら、ワイングラスもってお部屋に上がって。』と促す娘たちが、ワイン飲まなかったの?とびっくり。まだ、病み上がりだからと説明しても、びっくりが消えない。ああ、ワインを考えただけでめまいがする。タンタンの漫画のなかでキャピタン・ハドックが薬を内緒で飲まされて突然ウィスキーが大嫌いになる巻きがあるが、まさにそんな感じなのだ。15年来欠かすことなく飲み続けたワインが日射病を機に止まるとなると、かなりの荒療法ではあるが、利くかも知れない。

レッド・クリフを観て (パリ便り)

昨夜は子猿らが早く寝付いたので、DVDで「レッド・クリフ(仏題はLes trois royaumes)」を観た。

ご存知、三国志の赤壁の戦いに基づいたストーリーである。結構良かった。戦いのシーンはちょっとやりすぎかもしれないが、その他、娯楽性有り。
それにしても、金城武演じる孔明が良かった!この役者は薄っすらと興味を持っていたが、これを機にウィキペディアを見てみると、日本人と台湾人のハーフで台湾で育ったらしい。今はアジア全般で活躍しているようで、これも昭和の私には嬉しい発見であった。
私が子供、若かりし乙女でアイドルに夢中だった頃の芸能界は、日本かアメリカ・イギリスの二手しか存在しなかった。あの頃の台湾、香港、中国は西欧より遠い文化圏であったように思われる。これは西欧にて育った帰国子女の頭の中の話かもしれないが。

ちなみに仏訳を読んだ夫いわく、孔明は諸葛亮という名(チュングリアンと発音)で知られているらしい。映画ではクンミンと呼ばれているように聞こえた。世界各地の地名、氏名を結構正確にカタカナにしている日本だが、中国に関しては和読みしていることが多いのは、どう解釈すべきなのか。
Anyway,金城武はしばしマイ・ブームになりそうである。

Sunday, March 7, 2010

栄華の日々(パリ便り)

夫の家族は元伯爵家だけあって、年配の方の思い出話はスケールが違う。特に義父側は義祖父(もう他界して長い)の代まではかなり裕福だったようだ。パリの一等地にシャトーのような居を構え、イタリアとの国境辺りには大きなシャトーがあり、そこで大晦日には舞踏会をしたのよ、と大伯母が夢見るような眼差しで話してくれる。
彼女は今は70代前半。昔はさぞかし美しかっただろう、今も片鱗を覗かせる。着道楽で、お金がなくなってからも、シャネルスーツを新調する度に親に金の無心をしていた、と他の人から聞いているが、当時のファッションについて語るとき、子供のコートを買いにロンドンに行った時の話をするときなど、目がキラキラしている。

もっと遠縁の方々からもこの手の話を良く聞く。異色(外国人で彼らのクラスとは関係ない外部者)の親戚ということで、皆私に対してはガードが弱いようだ。
この高貴な方々、自立するまで、というか、自立することなく親の資産に守られ育った人々である。健康、そして美貌にも恵まれ、子宝にも恵まれ、戦争は免れ、その後の高度成長期を生き、と、タイミング的にも運が良かったと思う。そして今も結構なプチ・ブルジョワだし、文句ない人生じゃないか。
それでも、今を語るときは「あぁ、嘆かわしい」、といったトーンになる。その歳になって、住むところもあって、年金ももらって、貯蓄もあるのだから、もう良いのではないか。私なんて、彼らより狭いアパートに家族四人でひしめき合って暮らし、収入さえもないのよ、と言いたくもなるが、彼らはまだまだそうは思っていないようだ。
そして、お金の話をするとき、人はなんでああも虚ろな表情になってしまうのだろう。いつも頭の中で銭勘定している自分に反省する瞬間である。

あぁ、それにしても本当、こわい。人間、一度栄華を味わってしまうと、後はモノクロに見えてしまうのだろうか。
虚栄心が強い自分に、この「こわさ」を忘れないように、くだらない価値観に目隠しされないように、と言い聞かせるが、他人の経験は実にならないことはよーく知っている。多分、この先も、この教訓を思いっきり忘れて、バカを丸出しにする瞬間が何回も訪れるのだろうな。トホホ。

「持たざるものは幸せ」というゴスペルを心に刻みつつ、引き続きイノセントな聞き手役を演じる小生なのである。

Thursday, March 4, 2010

山は白銀♪ (パリ便り)

十二年ぶりのスキー、終えました。気持ちよかったけど、あぁ、疲れた!

初めて滑ったのは高一のとき。スキー狂の悪友に引きづられて一行5人、新潟の岩原高原というところへ行ったのも遠い昔の話なのでしょうか。スキー狂の二人は高校生らしく無責任に初心者なる残り三人をいろんなゲレンデに連れて行っては、これまた無責任に置いてけぼりにしました。残りの二人はそれがトラウマになったとか何とか。私は生き残ったことに変な自信を持ってしまって、スキーをハの字にしているくせに風を切って飛ばしていました。

それにしても、あの頃は朝スキー、カップヌードル、午後スキー、夜ご飯、そしてナイター・スキー。信じられない体力でしたね。今回は半日でへとへとです。


そうそう、いい遅れましたがスイスはVerbier、モンブランが背後に見えるようなところに来ています。見事なパウダースノーです。風が吹くと粉雪が水しぶきのように岩肌から吹き零れ、ぼーっと見とれていたら転びそうになりました。私のスキーはスリル満点なのでした。
そして、ゲレンデからの景色は昔見たのとそっくりです。「コム オー ジャポン」とつぶやく私を皆、優しく放っておいてくれました。