Thursday, September 30, 2010

ベトナム麺、ガーブン



ベトナム料理屋、中華アジア屋に行くと必ずメニューに探すのが、この麺もの。良くあるのは、ボーブン・パット、この言葉を分解すると、「ボー」が牛肉、ブンは不明、「パット」というのが、フランス語で麺の意味。豚肉だとホエブン・パット、鶏肉だとガーブン・パットとなる。何回もチャレンジしたけど、どこもこの店のガーブンにはかなわない。

この店、初めて行った時からもう十年近く経つ。・・・そう書きながら、時の経つのの速さに胸が詰まされる。昨日のことのようなのに。

この店、といっても実は名前も覚えていない。Courcell駅の近くにある、どこにでもあるような地味~なアジア屋なのだ。中華風カレーもあれば、ベトナムもある、タイ風サテーもある、そんな主義主張がない店。おばちゃんは北京語を話す。忙しいときに、水など頼むと目線を合わせないようにして聞こえない振りする、そんな、パリにはよくいるおばちゃん、よくあるアジア屋。

この近くには日本大使館もあるし、日本企業も何社かあるよう。近所の日本人にとって、ここはちょっとした社食の代わりとなっているみたい。もちろんフランス人も沢山。日本人の食べているのを覗くと、大抵ガーブンを選んでいるから、私たちの口に合う味付けなのかな。

さてMちゃん。彼女は「あのさ」、とさばさばと話す、性格もさばさばっとした、実にカッコいい女性(ひと)。でも、一方で九州出身の女性に共通する、南の太陽よりも暖かい優しさも持っているのを知っている。
十年近く前に、当時不案内な新地パリで職探していた私に、友人の友人であるMちゃんは、何か手伝えることがないか、と短いランチの時間を割いて相談に乗ってくれるべく、この店に連れてきてくれたのだった。これがMちゃんとの付き合いの始まり。そしてこのガーブンとも。

あの時も出だしっからMちゃん節で、
「ここね、このガーブン以外は美味しくないから、これ注文するよ。牛も豚もあるけど、鶏肉のが美味しいから、それでいい?飲み物はキャラフドー(水道水、これはタダ)?」
とタッタと頼んでくれて、早速モノが来ると、
「これに、この甘酢をかけるんだけど、おばちゃん、気が利かないな、一つじゃ足りないっていつも言っているのに」
とおばちゃんを呼んで、小皿でくる甘酢ももう二皿要求し、
「そして、この唐辛子ペーストを多目に掛けて、しっかり混ぜる」
・・・私はただただ真似を。

お・い・し・い!!! もう、これを食べているときを表現するには、ガッガッと頬ばる、というしかない。いつも一気に食べ尽くしちゃう。

写真を説明すると、ビーフンをゆでた(温)のに、レタスの千切り、ミント、コリアンダー(野菜類は冷)、ベトナム揚げ春巻きのぶつ切り(温)、鶏肉の炒めたの(温)、ニンジンの千切り、砕いたピーナッツ、この温・冷混ざったのをMちゃん式に食べる。

ここには、今まで何回来たことか。
ある時は、結婚前の夫をMちゃんに紹介しに、そして後には長男を抱っこ紐でおなかに巻きつけて来て、そのままの姿でガーブンをすすったり、更にそのあとには、寝ている次男をプセットに入れたのをテーブルに横付けして食べたこともある。おばちゃんは子供の姿を見るたびに、その成長を喜んでくれ、自分も孫が出来た、と同じ話を繰り返した。Mちゃんは、そんなとき、「はいはい、無駄話はそれ位にして。それよりガーブン!」とそっけなく、それがまた可笑しくって・・・。
時は経ち、そんな赤ん坊だった子猿らが、二人とも幼稚園に入ったので、私はまた気軽な一人者となって出かけた。すると、おばちゃん、過去の対応と異なり、見事に無関心な態度!10年来の客でも、子連れでないとこうも冷たいのか。この白黒はっきりしているのが可笑しい!!

ちょっとした私の十年史が、このアジア屋のおばちゃんに記録されている、と甘えたことを思ってはいけない。多分移民だものね、おばちゃんの人生全部覚えていたらつぶされるくらい色んなことがあったのだろう。このおばちゃんの中では、人は流水のごとく、右から来て、左へと消える。
あぁ、なんだか小気味良いわ、そういうのも。

この麺、ご家庭でも真似事はできます。お勧めですよ~。

Saturday, September 25, 2010

醜悪と美と・・・

先週末、パリでは、普段は一般にはドアを閉ざしている重要建築物が無料で公開される、Journees du patrimoine というフェアが催されました。Hotel particulierと呼ばれるお城みたいな古い家や、政治関連の建物なども公開されるという、文化度高いフェア。
怠け象一家の我が家も、のっそりと腰をあげ、行った先は、歩いて5分の旧区民プール跡。


ここは1996年までは、プールとして使われていたのが閉鎖され、あと数年の間には改築されて、また区民プールとして営業再開することになっているらしいですが、何故、20年も間を置かなくてはならないのか、よくわからない。今使いたいんですけど、プール。パリに長く住むと、色々「何でかわからない」ことがあって、そのうち疑問に思わなくなってきます。よくないですね~。

これ、グラフティーアートってヤツですか。ここまでこういうポップアートで埋め尽くされると圧巻です。





夫は、「こんなのアートじゃない。だって、美しくないじゃないか」と。
私は、どう思って良いのか、わかりませんでした。圧巻であることは存在意義があるということなのか、この美しくないのが今の時代の象徴なのか。でも、希望やメッセージを感じないものはアートなのだろうか。う~ん、わからない。

そんな中、昨日はアート研究者である友人とランチをしました。このプール跡について話すと、「グラフティーってさ、スラムや、本来描いては駄目なところに描かれるから、メッセージがあるっていうか、見手は描き手の怒りやフラストレーションを感じるもので、『さぁ、どうぞ。こちらで描いてください』ってなると、意味無くない?」と明快なるご意見。
うん、確かにそう。
グラフティーって、あの落書き部分だけがアートなんじゃなくって、その壁、街全てと一体化して初めて、人の胸を打つものになる。プール跡、圧巻だったし、驚いたけど、それだけじゃ、アートじゃない・・・・、とりあえず、私の中ではそういう結論となりすっきりしました。


皆さんはどう思われますか?
グラフティーアート、ポップアート、現代アート。まだ心に残るような感動するものに出会ったことがありません。こんな感性鈍い私にも届くようなアート、ご存知の方、ぜひ教えてください。

Thursday, September 23, 2010

漫画「大奥」

漫画「大奥」を借りてきました。まだ第一巻。これ、面白い!

大奥といっても、何と男女逆転の設定です。
男人口が激減してしまった江戸中期、将軍職も女です。世間では男は珍重され、女はお金を払って寝てもらう、力仕事、いや労働力は女が担い、男はイコール子種だから、って大切にされている、そんな世の中です。そして将軍なるオンナ上様は、男性800人ほどの大奥を持っている。そこで蠢く人間模様、そんな話です。

他の価値観は変えずに、男女だけ入れ替わった江戸時代は大奥。一見、ひどい話に思えるけれど、実際、この時代の女は子孫を残すための通過点であり、男に頼らざる負えない、運命の翻弄されざる負えない生き物とみなされていたわけで、現実は漫画より奇なり。

漫画冒頭に、「貧しい女は夫をもらえないから、「男」郎屋に買いに行って子種を植えてもらう。お金を払ってまででも、子供が、生き甲斐が欲しいから」とありました。

ふと先日読んだ、野田聖子さんのご懐妊ニュースを思い出します。

今の世の中、江戸時代より人生哲学も進化(?)しているから、「子供イコール生き甲斐」とは言えない、言っちゃいけない風潮がある。それでも野田さんは卵子をもらって人工懐妊した。

この件については賛否両論でしょう。子供って何だろ、子孫ってなんだろ。何で欲しいのだろう。
私も分からない。自分が其の立場にいたら同じことをしたでしょうか。

・・・Back to 漫画、大奥。
男が女と入れ替わっても、大奥は、暗く、じめじめとするという仮定が、「絶対そう!」と思いました。女だからじめじめしているわけではなく、人間じめじめした環境におかれると、じめじめっとクラ~くなるだけ。
悔しいかな現在も引き継がれている、「女はじめじめ」という認識が、女の性質的なものではなく、環境的なものというのが肯定されて、すっきり、すがすがしい「まんが大奥」です。

最後に、漫画版ではなく、本当の大奥は女の悲しみということで、久々にサザンを付けます。

Wednesday, September 22, 2010

漫画喫茶 in Paris!



秋晴れの続くパリ。冬将軍が到来するまでアウトドアを楽しめば良いのに、どうしても「20世紀少年」の続きが読みたくって、ついつい、行ってしまいました、漫画喫茶「裏バス」。

漫画喫茶、行ったことありますか?私は、ジャズ喫茶、インベーダーゲームが流行った頃のゲーム喫茶すら経験したことがなかったのですが、この歳で、ここパリで、漫画喫茶デビューをするとは思いませんでした。

裏バス、その昔はバスティーユ駅の裏にあったことから名づけられたこの漫画喫茶は、インターネット喫茶も兼ねていて、パリはど真ん中、ピラミッド駅の近くにあります。テュルリー庭園も、ヴァンドームも近いこのシックなアドレスに、よもやジャパン・サブカルチャー、漫画喫茶があるとは、パリのマダム達もつゆ知らずでしょうね。

一時間5・5ユーロでコーヒー、ボンボン等は自由に頂いてよろしく、漫画の数は星の数ほど。静かでどことなくレトロな雰囲気が懐かしくって、少フレ、週マの発売日が待ち遠しかった少女時代にタイムスリップしたような小一時間でした。

パリって、色んなカルチャーを許容してくれるところがあると思います。そういうところは大好きです。

Monday, September 20, 2010

パリのPTA

金曜日の夕方、子ザル達の幼稚園の父母会に出席しました。

パリの幼稚園は、Ecole(学校)Maternelleと呼ばれるので、幼稚園というよりは、英語でいうプレ・スクールという方が近いようなところで、例えば5歳児は読み書きも習います。また小学校が併設されているところも少なくなく、場所によっては、給食や校庭を小学生と一緒にするところもあり、日本の幼稚園と比べるともうちょっと大人(?)な場所です。公立、私立あまり大差ないカリキュラムかと認識しています。

さて、父母会。拙宅は年長組と年少組がいるのですが、そんな親への気配りなく、同時間帯に会が催されました。年少組の先生はよく知っている方なので、欠席させてもらって、年長組に出席。親御さんの出席率は1/2くらいでしょうか。開始時間が17時というのは、やはり無理があったようです。せめて18時くらいでないと働いている人は無理でしょう。
息子のクラス、初めて見ます。普段の送迎は中庭で行われ、そこから先は親は入ってはいけないことになっているのです。そういえば、給食を食べる食堂も見たことない。図書室もあるらしいけれど、ここも見たことない。昨年一年、長男猿が年中組で通いましたが、一度も、親の学校見学の機会はなかったなぁ。
そして、ミーティング。ベテラン先生が良くしゃべります。親御さんたちは黙って聞く。
「質問ありませんか」
「し・・・・ん」。
日本的でしょう?フランスの教育についてある記事を読みましたが、ここフランスは日本同様、人前で自分の意見を言うという訓練をされていないようで、この父母会でもそれを確認しました。で、申し訳ないんだけど、先生も、よくしゃべるんだけど、的を得てなくって、それでも、最後にまとめて、ポイントは教えてくれるのかと待っていたけれどそのまま終わってしまいました。結局、この一年のゴールは何とか、病気の時はどういう処置まではしてくれるのかとか、一年のプログラムのマイルストーンとか、何もわからずじまいでした。聞けばよかったのかなぁ、それともかき乱さなくて正解だったのか。別に機会に聞けばいいか、ってそんな機会はあるのだろうか。
「皆さん、お子さん達よりお静かね。まぁ、質問等あったら、パリ市が配る小冊子に色々書いてあるから、大丈夫ね」、と先生は明るく〆め、やんわりと親達を遠ざけたけど、そんなパリ市長さんが表紙の小冊子通りに、そんな画一的なプランで、千差万別の子供達を一括りできるものなの?

とにかく、園児の学校生活、あまりわからない。
二年目に入って、何となく感じる日仏の違いは、フランスにおいては先生と生徒間には距離があって然るべきもの、先生はあくまでも目上の方で、親近感を持つべき対象ではない、もちろん皆がみんなそうではないと思うけれど、其の傾向が強いように思われます。よって、子供目線で話してくれる、とか、期待してはいけないような・・・。実際、先生によってはあまり人懐っこくされるのを敬遠される方もいらっしゃるようだし。そして、親の参加を好まないところがあるような。昨年一年、親の参加を求められたのは、クリスマスと学年最後のお遊戯大会の見学(どちらも5分で終わる)だけでした。そして、先ほど書いたように、子供の学園生活を見せてもくれない。親御さんたち、皆働いているからそんな時間は取れないでしょう、という前提がゆえかも知れないけれど、子供の日常をもうちょっと知るのは親の義務という気がします。

日本だと、先生は威厳を見せるよりは、子供のような話し方してでも、子供の信頼感を得て、時には母(父)親のような温かみを見せて、親近感が大切、というところがあると思うのですが。また、手作りバッグ、お弁当、父母参観、運動会、エトセトラ、親の参加を過剰なまでに要求している昨今では。どうでしょうか。

フランスは先進国の中で稀な、多子化している国で、その理由の一つに、母親(あえて母親と言わせてもらいます)への負担が少ないインフラが整っていることがあげられます。出産したら3ヶ月から保育所に入れられるし、ヌヌと呼ばれる乳母さんも比較的簡単に見つかるし、其のあとは、幼稚園時から学童があって8時過ぎから18時過ぎまで預けられる。働いているお母さんには有難い仕組みです。実際、休みのときの学童とか、キャンプ(林間・臨海学園みたいな)のとか、よくコーディネートできていると感心しています。

でも!!と敢えて、ヒステリックおばさんになって言いたい。
本当にこのシステムを信頼していいのでしょうか。不透明な学校生活なのに、何を根拠に信頼したら良いのでしょうか。まるで、インフォームド・コンセント以前の医療のような、何もわからないうちに手術されるような不安感があります。いい先生がいれば悪い先生もいるでしょうし、3人子供が寄ればいじめもあるだろうし、いじめも、目に見えるいじめと、そうでないレベルだけど、或る子供には深く傷つくことだったりするだろうし、それをこの自己犠牲という四字述語を知らなさそうな、クールな先生方はどう対処されるのでしょう。
パリでよく聞くセリフ、「セ・パ・マ・フォートゥ(私のせいじゃないから)」、もし先生方もこういうメンタリティーを持っていたらどうしよう・・・・。

子供を24時間見守ってあげられないのはわかっているけれど、過干渉したくないけれど。でも私の感覚ではフランス式子育てはちょっとリスクが多すぎるような気がする今日この頃です。

Sunday, September 19, 2010

田舎シリーズ ④



そして、パリに戻ってきました。もちろん、収穫物を抱えて。
これをベランダに放置して、食べる分だけ取り込んでいたのですが、葡萄を取ったときに、其の中に潜んでいたらしいゲップと呼ばれる、ななんと、スズメバチの一種に小指の先をかまれました。このゲップは蜂の振りして蚊のように噛むんです。そして毒素を残す。
そこで大急ぎで、噛まれたところを吸出し(苦い味がしました)たところ、ちょっと痛かったけど、大事に至らずにすみました。

パリはハエよりもゲップが多いくらい。あぁ、むかつく。



・・・と、ののしりで終わるのは良くないですね。田舎で撮った、朝顔(それともインゲンの花?いっしょに巻きついていました)で〆ます。

田舎シリーズ ③





そして、夜、星を見に行った夫が見つけてきたのは、ふくろうの死体。車に当たったのでしょうか。きれいでしょう。






あと、面白いところといえば、酒蔵でしょうか。
入り口、内部、そして今夜の一本の3連写。

ブーゴイュはボルドーやブルゴーニュと比べると格が下とされるワインで保存も何十年とはいきませんが、モノによってはもう素晴らしい出来です。これなんて1996年ものだけど、今が旬って感じでした。主にカベルネフランというぶどう種で作られ、青ピーマンを切ったときのような爽やかなタンニン感がご馳走のワインです。

田舎シリーズ ②








次は、プラム。これはQueche(クエッチュ)と呼ばれるもので生食だといまいち。
これ、日本でいうところのプルーンですよね。
これをジャムにします。

確か新婚旅行もジャム作りをしたような。
お互い晩婚で、且つ、色々なところに行く機会があった二人だったので、新婚旅行はとにかく休めるところが良い、と義理の両親を追い出して、この田舎の家に滞在したのでした。年寄りくさいですね~。そしてひたすら二人で、プルーンの種を取り除いてはジャムを作ったという、かなりロマンティックでないハネムーンでした。
うーん、これは何時か、ちゃんとやり直さないといけませんね。今の調子だと、あと5年くらいはお預けだと思いますが。

最後の写真は、カーヴの中にある、プリザーブ棚。
赤いのが真空加工したトマト達(義母担当)、其の横は現在のところのジャム類。いつフランスが攻撃されても、ここにいる限り飢え死にしないわよ、という義母は戦中派、そうですね、と答える私は20世紀少年読みすぎの漫画っ子。

田舎にやって来ました




週末に、Sarthe(サート?)発音ができませんが、パリから西に250キロ程走ったところに行きました。24時間耐久レースのル・マンの近くといったら少しイメージが沸くでしょうか。

此処に、義理の両親のメゾン・ド・カンパーニュ、田舎の別荘があり、時折訪れます。秋は最高の季節です。なぜなら、庭の果物や、義母のポタジェ(菜園)の野菜の収穫の季節だから。この地方のワイン、シノンやブーゴイュも、秋風が良く似合う、フレッシュ感あふれる味わいなのです。

このサイト、写真の添付時間が掛かるので、マラソン形式で日記、行きますね。

まずはポタジェより、トマト。大きいアップはクール・ド・ブフ、牛のハートと名づけられた巨大トマト。来週くらいに食べごろでしょうか。

Thursday, September 16, 2010

乱読日記 其の二

第一回目はいつだったのか、何について書いたのかも覚えていませんが、行きます。

この一週間はフランス的雑事に追われ、ちょっと疲れた~。
ま、それでも、木曜日の夕方現在、電気はついたし、水漏れは直ったし、滞在許可証は取れたし、家族皆健康に過ごしているので、よしとしています。

さてさて、私のストレス解消法は何といっても読書。最近読んだのは・・・・

20世紀少年、現在16巻まで。柔ちゃんを書いた浦沢直樹の漫画です。日本に帰ったときに、某Biscoさんに勧めていただきました。これ、滅茶苦茶面白い。ストレスも疲れもぶっ飛びます。
腕白坊主だった頃、秘密基地で悪友らと書いた「予言の書」、世界滅亡とそれを救うメシアという筋書きなのですが、それが現実に起きて、いまやコンビ二の店長をしているケンヂが立ち上がる、という、大人の子供心をくすぐる、センチメンタルながら本格サスペンスという盛り沢山な内容です。こういう、スピード感がキーのストーリーには、漫画ってぴったりですね~。
あぁ、早く続きが読みたい。

レディー・ジョーカー
久々に読んだ高村薫。何かと公安と左翼、右翼が背景に書かれる彼女の本、今回も絡んできます。一言、ブラボーです。いやいや、読み応えあります。プロットも複雑ながら良く書けている。こういう作家がいる、ということに希望を感じます。
そして映画化もされたのですね。こういう秀作が映画化という形などで、評価されているのが嬉しいです。

筋は「BOOK」データベースより借ります。
人質は350万キロリットルのビールだ―業界のガリバー・日之出麦酒を狙った未曾有の企業テロは、なぜ起こったか。男たちを呑み込む闇社会の凄絶な営みと暴力を描いて、いま、人間存在の深淵を覗く、前人未到の物語が始まる。
・・・と上手にまとめること。
この高村さん、お会いする機会などないでしょうが、例えあったとしても、ちょっとこわい。厳しそうな人、という印象を受けます。甘ちゃんの私など、ばっさりと斬り捨てられそう。そして彼女に何か聞いてみたいこと、思い浮かびません。それくらい、彼女の思想、価値観が本に現れている。
長いお休みが取れたときなどに読まれることをお勧めします。照り柿の続編的小説ですから、計何文字か、広辞苑よりは少ないと思いますが大作です。

西の魔女が死んだ
筋はまたまた、「BOOK」データベースより
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。

梨木香歩さんという、初めて読む作家です。可愛い話だけれど、どうしてこれが135万部のベストセラーなのか。そういった意味で勉強になります。今夜は同作家の「裏庭」を読み始める予定。

「パリの女は産んでいる」
中島さおりという方のエッセー/ルポルタージュです。
最初はタイトルに引いてしまったのですが、読み出したら止まりませんでした。筆力があるって、こういうことなのでしょうね。少子化が進む先進国の中で、唯一多産化傾向にあるフランスについて、主婦的視線から分析されています。少子化ということを抜きにしても、「フランスの毎日を覗く」的な面白みもあるかと。
よくおしゃべりするオーストラリア人の友人は、フランス式子育てに批判的です。「そりゃ産むわよ、だって産んだ後は他人任せ、政府の引いたシステム任せだもの。そしてバカンスには子供を置いて、大人だけで、でしょ。あれじゃ、孤児と変わらないと思うこともあるわ。本人は産む事で存在意識を持てるしね。」と辛辣です。
まぁ、それでも子は育つわけで、現代日本でよく聞く、下手に成長し切れていない親に洗脳されて育てられるよりいいのかな、とも思うし。ともかく、そんなことを考えさせられる本でした。

後は何読んだっけなぁ。もっとあったのですが、とりあえず。
先ほどの高村薫氏は、デジタル化、ビジュアル化、ゲーム化、この行く先には本はない、消えるであろう、と予言されています。
本当かなぁ、本を読む喜びって、一度知ったら止められないものじゃないのかしら。自分の想像力次第で、幾らでも登場人物、設定をカスタマイズできるわけだし。
買う買わない、とまだ電子ブック体験していない拙宅。これも賛否両論あるようで。でも紙か、電子か、チョイスがあるのはいいですよね。

進化する時代に、流されることなく、しなやかに対応してきたいものです。

Wednesday, September 8, 2010

ワインは生命の水!

子供たちの新学期始まってから初めての水曜日。そう、水曜日、パリでは殆どの幼稚園がお休みです。

5歳と3歳、可愛い盛りです、子猿達。でも、やはり一日中、それも雨降りで外出ももたもた。夕方になるとついにキレそうになることも・・・

そんな午後六時過ぎ。ちょっと早いかなと思いつつ、キレル代わりに赤ワインをグラスに一杯。
この小腹すいた身体に、赤ワインは血液がごとく染み渡っていきます。そしてブラックチョコレートを一かけ。舌の上でとろけ、う~ん、濃厚。糖分が、カフェインが脳に染み込みます。

身体中が温まり、てっぺんからつま先まで、酸素が、水分がごくごくと循環し始めました。(本当は逆の効果なのでしょうが・・・)

折角神様に頂いた、母として(女としても?!)黄金の時期。眉間に皺寄せるより、笑顔で過ごしたい。

ワインとチョコレートに救われるアラフォーでした。

Sunday, September 5, 2010

ブック・クラブのお勧め

本や漫画を読んだ後、備忘録かのようにその感想を当ブログやエトランゼに書いていますが、すると、他の方から、同じ本について別の反応があったり、「じゃ、この本もお好きかもしれませんね」と知らない本を教えてもらえたり。
このやり取りがとても面白い。人の感じ方、観点がこんなにも違うのか、とか、自分が見落としていたことを気づかせてもらえたりとか。

さて、ちょっと前に生物と無生物の間という本について書いたことがあります。

生物学者の福岡伸一さんの本です。内容をアマゾンから引きます。

「内容(「BOOK」データベースより)
生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。
・・・とのこと。

先日、この本を読んだ友人と、感想を述べ合いました。
彼女は本、漫画の師匠で、若いのに本当によく読んでいる。そして意見がウニョウニョとした曲線のように、私と接点があったり、異なっていたりで、いつも、お互いの感想のピンポン・ゲームで盛り上がります。

さてこの本、ワタクシ、読んだ直後は感動したのですが、生物という、一番苦手な分野だったこともあり、今やかなりぼやけた記憶しか残っていません。
確か、すい臓の遺伝子を取り除いたネズミを作り、すい臓のファンクションを確認するというのをやったら、な、なんと生まれてきたネズミは健常なネズミと同じであった、と。ということは、生物は身体の欠けた部分を補正する、他の内臓が欠けている内臓の役目を兼任することが可能?ということ。
それと細胞が常に変化している話とか。
神秘的な話でした。

さて、友人の感想はというと、この細胞の話について、もっと深く哲学的な受け取り方をしています。
福岡氏は、細胞について、どう説明していたかいうと、要約できるか自信がありませんが、やってみます。

人の細胞というのは、常に新陳代謝をしている。この瞬間の細胞と、次の瞬間の細胞は、外見が一緒でも、中身が別のモノである。今の私と一秒後の私は、同じ人間のようでいて、細胞ベースで考えると別の人間。

友人は、この部分が、「目から鱗」だったと。

彼女はこの事実を知り、人間って、じつは実体がないもので、或るエネルギーのようなものが中心にあって、何万、何億という細胞を集めている、(私は話を聞いて、磁力が蹉跌を呼び寄せホールドしている状態をイメージしたのですが)そんなことを思ったと。そうなると、人間の存在と宇宙の関連性が見えてくるような気がした、と。

宇宙の星も惑星も或るパワーが浮遊物を呼び寄せている状態なのか、これは彼女の話を聞いていた私の連想。

実は、最近まで、星の住む闇の世界が怖かった私ですが、このところ、急に親しみを感じるようになりました。そして、もっと星の世界を知りたいなぁって。
折りしも、彼女との会話が宇宙に及んで、人間の、生命の神秘と絡まる。

生と死の理由を誰も明確に説明できないといいます。
「それでいいじゃない」、と怠け象の私、普段は思っているのですが、時々、やっぱり知りたい、と思ったり。
そんなときは、星の世界にトリップしてごまかしちゃおう、と企んでいるのです。
(プラネタリウム、大人に人気なんですってね。皆考えることは一緒?)

ちょっとした話から、色々イマジネーションが広がる。
読書感想交換会、お勧めですよ!

Thursday, September 2, 2010

ジャパン・アズ・ナンバー3!

先週のエコノミストに「Japan as number Three」という記事がありました。長いので勝手に気に入ったところを載せますと・・・

中国経済が思いのほか急速に伸び、四半期決算の結果、GDP(国内総生産)が日本を抜き、世界第二位(一位はアメリカ)となったことに発して、日本の現状、その脆弱さを見事にピンポイントしているレポートです。

世界レベルで立ち向かえる企業もまだまだあるが、その傘の下には、「しょうもない」日本が見え隠れしている、と。

まず、人。世界でも稀な高水準な「頭」を持ちながらも、いまだに若い人は「年寄り」に遠慮して意見が言えない。出る釘は撃たれるってやつでしょうか。

また、その昔、ニッポンのサラリーマンと言えばサムライと言われたものでしたが、いまや「草食男子」と呼ばれ、起業家を志す男子や2003年と比較すると半減(14%!)し、反対に終身雇用に憧れる二とは2倍に膨れ上がり57%!!!ちなみに外交官ですら日本を出たくない、というのが多いとか。

そして若いのほど、「グローバル」化を恐れており、日本人の米国留学生の数は2000年比で1/3ですって!日本人の英語力に至ると、先進国の中ではビリ!ねぇ、どうするの?

はい、締めは女性の社会進出率。
びっくりしないでくださいよ。管理職に就いている女性の率、日本8%、アメリカ40%、中国20%。この数字イスラム国のクウェート以下らしい。日本の女性のお給料は同レベルの仕事をしている男性の60~70%。或る大企業に於いては、女性の志願率は70%なのに採用は新入社員の10%。理由は、「仕事大変だから(とは言ってませんが、要はそういうこと)」
あの~、女の強さ、ご家庭でいやって言うほど見てません?

日本の3位転落も時間の問題という結論でした。

パチパチ!そのとおりです、エコノミスト誌。よ~くご存知で。
さて、どうしたらいいのでしょうね、わが祖国。
GDP、別に2位でも3位でも100位でもいいけど、生活の質、幸福度、ストレス・フリー度、上げたいと思いませんか?

Wednesday, September 1, 2010

大きな願いごと

今日は趣向を変えて、先日旧友からもらった本から、詩(?言葉)を引用します。


生涯の使命、これをいつも眼前におきなさい。
人生を歩むあなたの星として。それは生涯の理想・あなたの存在理由・
この生が終わるときに問われること、あなたがそのために存在し、考え、
働いていることです。あなたはそこにこそ、あなた自身を見いだし、
勇気と力とやり遂げる忍耐を得ることができるでしょう。

・・・ヤコブ・アリべりオーネという司祭の、「大きな願いごと」という本の中にある言葉です。

今日夏休みを終え、パリに帰ってきました。
すっかり秋晴れのパリ。
帰途、MBA時代の友人より、或るクラスメートが亡くなったと連絡が入りました。
以前パリに住み、パリが大好きだった彼女。「いつもブログ、みているよ。パリの天候がわかって嬉しい」と言ってくれていた人です。

彼女と出会えた喜びが、ふと気づくと今の悲しみとすげ替わっている、その時が待ち遠しいです。