Thursday, April 24, 2014

Carpool

サンフランシスコ郊外に住む私の周りには公共の交通手段があまりない。金融街(といってもニューヨーク、ロンドン、東京に比べれば豆粒ほどの威力のもの)に通勤する人のための
フェリーと、近所の学生や貧乏人のためのバスのみ。貧乏人なんていうと、なんて失礼?!としかられそうだけど、実際にそうなのだ。家政婦さんや、レストランの従業員やスーパーで働く人くらいしか利用しない。あとは、み~んな自家用車。
そんなわけで、放課後にクラブ活動をする子供たちのお迎えは、カープールなのだ。同じ活動をする子供で、尚且つ近所の子供たちの父母が交代制でお迎え当番をする。うちの末っ子は水球と水泳をしているので、お迎えは何時もカルキ臭い。子供たちの会話を聴きながら、ふむふむほほ~そういうことだったのか。。。とか、この子の親はこんなことを言ったのかとか、大抵は子供の発言から推測できる。親の影響力ってすごいなあと、恐ろしくなったりする。フランスには「子供のお蔭で首吊りの目にあう。」ということわざがあるらしいけど、大人同士無難なことを言い合っていても、ひとたびカープール・ママをすれば親の本音はすぐばれる。
怖いこわい。

Monday, April 21, 2014

大学受験米国編

日本で大学を受験した私は、その後母になり、長男は東大、次男はスタンフォード、そして長女はケンブリッジと、三大陸で勉学に勤しんでいる。日本では、学校の成績と入試の成果で合格・不合格が決まる。米国は、学校の成績、SATという共通テストの結果、エッセイの内容、そして学業以外のExtracurricularの内容で合格・不合格が決まる。その心は、勉強だけでなく人間的にも面白い学生を集めたいというものだ。でも、そんなスーパーマンのような子供は滅多に自然発生しない。日本の塾通いみたいな集団学習はあまりないものの、SATの家庭教師やら、エッセイの家庭教師がたくさんいるよう。学業以外では、地域貢献、スポーツ、芸術等々で個性的で有能な姿をアピールするのだが。。。。高校生だった自分を振り返ると、「私はこれ!」というパッションや才能を持ち合わせていたように思えない。そんなことを考えることすらしなかった。と、言うことは米国版受験は、自己発見を促すという意味では悪くないような気もする。でも、年々個性発揮及びパッションのアピールはエスカレートし、何だか行き過ぎ感がある。これから受験をする次女と三男を見ていると、ちょっと気の毒になる。