Saturday, March 28, 2009

サラーム!カタールの自然、超自然について

   
昨日は素晴らしい一日であった。

日中は夫とドーハからサウジアラビアに向け南下すること40分。あと2、30キロでサウジ、と言うところにあるDune,砂丘に行った。
ここまでの道程、助手席でのんびりと窓の外を見ていた。そして、途中にあるセメント採掘エリアに向かうトラックが何十台と繋らっているのをみては、カタールは未だに油ガスラッシュの渦中にいるんだな、思ったり、そのトラックらが消えると、他の車が見えないほどガラガラで、立派な片側4車線道路なのにカタールとサウジ間のトラフィックはこれ程までにないのか、とカタール国策の肩透かしが気の毒になったり・・・。あと、道中、米軍ベースが二箇所もあった。うち一つには巨大な皿(電波受信用)がいくつもあり、実に異様な雰囲気であった。一体、何を受信しているのだろう。
やがて荒野にでる。砂丘が近づくと、人一人、動物一匹もいない。執拗なハエのみ、久しぶりに獲物を見つけたとばかりに夫にまとわり付く。(何故か彼だけ)そうそう、この荒野にて夫は未使用の銃弾を拾った。何故落ちているのか?
そんな荒野の中、砂丘は突如現れる。なぜ、ここに砂が溜って丘を築くに至ったのか。砂の粒子は細かく素足にとても気持ちよい。
そして砂丘の上から見渡す光景は、地球だと言われればそうだし、火星だと言われたらと、そうかもしれない、と思えるほど乾いて殺伐としていた。
自然への畏怖を感じたひと時であった。

夜は久々(一年ぶり?)の雷雨のなか、カタール・フィルのコンサートに出かけた。カタール・フィルは昨年、首長の奥さん(四人のうちの一人)が張切って世界から音楽家を募り結成したオーケストラで、日本人演奏家も見かける。音楽通は皆そのクォリティーの高さに感心しているからそうなのであろう。
昨夜の演目はリムスキー・コルサコフという作曲家のSheherazadeというのであった。これは千一夜物語をイメージしているらしいが、私には大空とか、海原とか、森海とか、星の世界、そして神の世界といった、自然、そして超自然的なものを感じた。指揮者も、オーケストラも、目に見えぬ手によって動かされているのではないか、と思うほど素晴らしかった。昼間の砂丘とは反対に、人の力、超自然への驚異を感じた夕べであった。

Friday, March 20, 2009

もうすぐ14歳

もうすぐ14歳の娘が、友達3人をsleepoverに誘った。礼儀作法に厳しい厳しい母親の噂を娘がばら撒いたせいか、少女たちは少し緊張の面持ちで夕食に挑んだ。子供が7人並んだ食卓は面白い。もうすぐ15歳になる息子はクールに装い、幼い妹弟はおちゃらけでがんばる。人生にすれた母は、年輪を感じる。とてもみんなかわいい。こんなに純粋な子供たちがいずれ直面する世界が平和なことを祈る。

Wednesday, March 18, 2009

国民性

アメリカ人は、一般的に白い洗いざらしのTシャツというイメージがあると思うけど、個人差は激しくまさにピンからキリまでいると思う。どこの国もそうだとおもうけど、もしかすると偏差値としてはブレの幅が広いのかもしれない。隣人が、がん治療を大学病院でしている。その友人が毎日経過報告を入れてくれる。同じ病棟に隣人のように優秀なホワイトカラーの弁護士もいれば、重刑の刑務所の服役囚もいるらしい。何が原因で、こんなに違う経路をたどって同じ運命にたどりついたのか、考えさせられる。
アメリカには、社会福祉のネットワークがないので、自助努力が必要となるが、この自助と努力の表現の仕方がピンからキリを生み出すような気がする。これがまた、みんなをオープンにさせるのかもしれない。日本やフランスには、社会福祉のネットワークが相対的に充実しているので、本性を露見させるほどの場面がないので、格好をつける余裕をもたらすのかもしれない。
柄にもなく、国民心理追究をしてみた。

Monday, March 16, 2009

豊かなるアメリカ人

今日、友人と話していていて、以前伺ったアメリカ人のホームパーティについて思い出した。

カタールはエクソン・モービル国と呼んでもいいくらい、アメリカの影響が大きい国だが、何故か私の周囲はイギリス人、デンマーク人、フランス人と、西ヨーロッパの人が多い。それぞれ皆ホームパーティをするのが好きで、カジュアルながら心尽くしの(酒尽くしの)おもてなしをしてくれる。
傾向としては主催者が「ハロー」とやってきてくれて「何飲む?」ってドリンクをくれて、知らない人が多いと一人二人紹介してくれて「あとは御自由に」というパターンが多い。夫の内気が移ってきた私は、あたりさわりのない話をして長居せずお暇することが多い。
パリのパーティはもっとあっさりしていて「ボンジュール」のあとは「御自由にね。」とされ、気の利かない夫は見知らぬ人と自分の世界の話(仕事、家紋等)をしており、一人でいても格好つかないから誰かと話そうとしても、皆がっちりグループになっていて割り込める雰囲気ではない。ある時はそんな私を気の毒に思ってくれたのか、単なる気紛れか、ある年配の方に声かけられ救われたわ良いが、先方の耳が遠いのと私の下手なフランス語での会話は大変だった。アフリカの話をしているのに、「ああ、あそこはバラの庭園が有名なのよね。」とか・・・。とにかく、チンプンカンプンだった。今日の友人もフランス人と結婚しているオーストラリアの人で、「そうそう、パリは冷たいよね」と盛り上がってしまった。

前置きが長くなってしまったが、そんな中、うちの前に住むアメリカ人のパーティに招待されたことがある。うちのレジデンスには三タイプの家があり、彼女の家はVillaと呼ぶのにふさわしい、個人プール付きの一番豪華なタイプである(うちは一番小さいタイプ)。御主人はオイルメージャーにお勤めである。プールの各コーナーにはミロのヴィーナスのミニ・バージョンがあり、ろうそくが焚かれ、室内もDJがいて、お客様も皆おめかししていて実に華やいでいる。夫と私には、次から次へと「飲み物、足りている?」と声を掛けてくれる人がいるし、一人、そして、また一人と誰かが現れては話掛けてくれる。「どちらに住んでいるの?」「何処からいらしたの」「私、東京大好きなのよ」という、たわいない出だしから、自分の仕事、何故ここにきたか、「離婚してね」とか「借金抱えちゃったので今、出稼ぎ中なの」とか、皆オープンに、そしてユーモア混じりにマイ・ストーリーを語ってくれる。そして長すぎず、短すぎずというタイミングで話をまとめ、自然に離れていく。

帰り道(三メートルだが)夫に「パリとは違うね。みんな心憎い気遣いしてくれるし、オープンだし、面白い人に沢山出会えたね。」というと、彼も「アメリカは素晴らしい!本当に楽しいパーティーだった。ふところ広くって素晴らしい!フランス人みたいに人にケチつけたり、妬んだりしないし。」と大絶賛。
そして、ふとその時、自分が、戦後チョコレートを沢山配るアメリカ兵を憧憬の目で見る子供のように思えたのだった。戦争に負けたとか、勝ったとか、そういうことではなくってただ単に「僕、チョコレート沢山持っているから君にもあげるよ」っていう、豊かさ、寛容さ、シンプルさに憧れるのである。

Sunday, March 15, 2009

ケータイ小説、その他

インターネットで色んな商売が形態を変えている中、出版だけは相変わらず紙ベースなのは不思議且つ残念なことである。そんなに難しい技術が必要とも思えないし・・・。カタールという、郵便配達制度がない辺鄙な海外に住んでいる私には海外、日本の本を入手するのが難しい。eBookで新刊でもなんでも購入できればなんてありがたいことか。

色々なブログを読んでいて、また、こうして書く側になってみて、書いて発信することの楽しさ、そして読んでいただける喜びを、また、他の方のブログにて色々な才能に出会える楽しみを知った。インターネットのおかげである。こういう時代、どんな形態の書籍が生まれてくるのだろう。楽しみにしている。

そんな中、日本では携帯で読める小説があるとか。どういうジャンルの小説なのだろう。ケータイ小説を愛読している方、または、インターネットで面白い小説(日本語、英語でも)が読めるサイト、新形態で小説なり、アートでも、なんでも発信しているサイトを知っている方、是非教えてください。

Wednesday, March 11, 2009

満月

満月には、奇妙なことが起こるという。出産や殺人が多発するらしい。苛立ちが高まるような気がする。人間も進化しているようで、根は動物なので、なんとなく満月にはざわつく。

Monday, March 9, 2009

Staging

ニューヨークでは見かけなかったけど、カリフォルニアでは頻繁に見られる商売にStagingというものがある。家を売りに出す時に、プロに依頼し、インテリアを雑誌に出てくる家のように素敵に舞台化粧してくれる。家の大道具係りというもの。これをすることにより、掃除や洗濯などの日常生活の臭いを一蹴し、あたかもスーパースターのような華麗なライフスタイルを彷彿とさせるメリットがある。そして家に、より高価な売値がつくという皮算用である。ハリウッドの影響だろうか?

すし食いねぇ、カタール編

今夜は近くのレジデンスに出張し、お寿司のクッキングレッスンをしに行く。
昨年、チャリティーマラソンをする友人にカンパするため、ミニ・募金活動の名のもと、近所の人を招いてお寿司の作り方を披露した。これが思いのほか、評判がよく、いつの間にか、私は知る人ぞ知る、カタールの寿司職人になっていたようだ。

今回もその口伝で頼まれた。本人はもう、やる気ゼロなのだが、その発起人の切実な眼差しについ、引き受けてしまった。カタールは中東の教育センターを目指しており、色んな有名校を招いている。その中の一つ、Georgetown Universityの職員、家族が今日の参加者である。発起人は人事部の人で、役目はRetentionという。何のことやら、と聞くと、
「教員、職員みんなアメリカから来るが、すぐに辞めたい、帰りたいという。多くのケースが家族がもう、カタールは嫌だ、というのが原因でね。だから私は何ていうの、『カタール生活、盛り上げ役』なの。だから、お願い、お寿司教室、やって!」
これは確かに難しい。何しろ近年、世界で一番つまらない国と定義づけられたことさえあるカタール。盛り上げるにもネタはすぐ尽きる。ということで私のお寿司が駆りだされたのだ。

それにしてもGeorgetown Univ.のアメリカ人、贅沢ではないか。日本、ヨーロッパから来た人々はカタール生活、文句はあるが、でも仕事で来たのだし、本国より大きい家に住めるし、プールがあるし、暖かいし(デンマーク人の意見)、慣れない言葉(英語)だけど頑張って楽しんでいる。しかし、ミドルクラスのアメリカ人なら自分の国にも大きな家もプールもあるし、カタールに来るメリットが少ないのだろう。海外赴任手当てよりも家族の幸せなのだろう。そう思うと、やはりアメリカは豊かな国だなぁ、と再確認してしまう。

Friday, March 6, 2009

近頃のワカモノ

中間管理職をしていると、ワカモノという動物を間近に観察することが多い。今、私の部下のワカモノは面白い。会社組織で頭の良くない上司に媚を売ったり、同僚に働き者をアピールする造作なぞまったくしない。やれと言われたことは効率的にしてくれるが、それ以外のことはまったく興味がない。動物にたとえると、良く肥えたペルシア猫という感じだ。もうすぐクビになるよ、次の仕事探しな、と口をすっぱくして言っているが、全く気にせず、仕事探しもしていない。それどころか、頭の中の音楽にあわせて時折席で上半身をくねらせ踊ったりするのでびっくりする。最近お金持ちのボーイフレンドを見つけたからいいのかもしれないが、端で見ていてハラハラする。小心者の中間管理職は損な役回りである。

Wednesday, March 4, 2009

引越しのエピソード

引越しをした。引越しは「家を建てる」と並ぶ三大苦行らしい。残る三つ目はなんだろう?
大所帯を15年程経験しているが、ものを溜めないつもりでいても結構溜まる。今回は、工事現場で見かけるゴミ入れ(トラックの後ろの部分と同じ大きさ)に、山のようにゴミを捨てた。いつか使うだろうと思ってとっておいたものは、決して使わないのが常だと悟り、捨てることにした。
引越しを生き抜いたので、前回ニューヨークからフランスを経由してサンフランシスコ近郊に引っ越したときの話をしたい。子供と犬を連れて、計20時間余り飛行機を乗り継いでようやくSF空港に着いたのが午後4時ごろ。ミニバンを2台借りて、空港から北上すること45分。疲労困憊の極みでたどり着いた新居は、びっくりするほど汚く、老朽化していた。地元大学の同窓をたどってインターネットを使って探し当てた借家の家主は、好みの色にキッチンを塗り替えてくれるというので、まあ親切と、感謝していた。そのキッチンは、ネオン・カラーで、刷毛の跡がついた恐ろしい部屋だった。テラスがあると言っていたが、板があちこち腐って穴がぽっかり開いていた。プールもあると言っていたと思い、庭に出てみると、なんとヤギがいるではないか?(このヤギは後で知ったが、家主と仲の悪い姉のペットらしく、実はその家の一部屋に姉も住んでいたらしい。)びっくりする間もなく、子供たちが家の探検から戻り、言うには、水槽が地下室にあって中に蛇がとぐろを巻いているという。これは参った!と、ホテル探しをしたが、その日はちょうどSFで大きなイベントがあり、どこをあたっても空室がなく、隣の家から出てきた親切なおじさんが教えてくれたMOTEL 600というところを拝み倒して、6人でクイーン・サイズベッド一つの部屋で雑魚ねした。翌日契約を破棄したのは言うまでもない。
こんな話を書くと、作り話と思われるだろうが、事実は小説より奇なり、である。したがって先週末の引越しは滞りなく運んだと思うことにした。

Monday, March 2, 2009

ストレス其のニ

今日、半年勤めた幼稚園を辞めた。もうじきカタールを引き上げること、そして、ちょっとしたストレスが原因。
元々、将来、フランスで教育関係の仕事を立ち上げるというアイデアが浮かんだのが発端で、「では一つ、教えると言うのを経験してみよう」、と、このBritish Kindergartenに就職したのだった。日本の保母さん同様、低賃金で、先生陣は素朴な人々、園児らは元気で言うこと聞かない。これは予想通りだったし、初めの三ヶ月位までは、「こんな、ストレスフリーな仕事、バイトでもしたことないかも」と呑気に楽しく働いていた。それがクリスマス休暇明けくらいから色々な雑音が聞こえ、今まで「良い人」だったのがそうでなくなったり、教育方針について、納得いかないことを要求されるようになり、軽-いストレスを感じるようになった。

そこで思ったのは、どんなに素朴な人も、どんな仕事でも、人間が二人以上集まり、時間が半年以上経つとストレスは生まれるものなのだなぁ、ということ。読者の方は、「そんなの、当たり前じゃない」と言われるかもしれないが、私は「なるほどねぇ」と言う感じの発見である。

そしてストレスを溜めない、というのは、言うは易し、行うは難し。今回の私みたいに逃げるように辞めることは通常難しいだろうし・・・。
ストレス発散、私の良く使う手は
1. 一杯、引っ掛ける。(一杯では終わらない。)
2.バカ笑いする。(お薦めの映画、本、なんでも教えてください。)
3.書く (メール、このブログ、その他何でも)
4.ギターを弾く (実はまだ弾けない)
5.熱い風呂に浸る
6.寝る(一番効果が高い)

ちなみに内気な我が夫の使う手、というか傾向は
1.無口に閉じ篭る。
2.いつもはビールなのがウィスキーを飲む(わかり易くって助かる)
3.モーツァルトを聴く (レクイエムではない)
4.自分勝手になる
5.家紋編纂が趣味なのだが、それに没頭する
・・・とやや地味目。

ストレス発散方、お薦めがあったら教えてくださいね。