Friday, September 30, 2011

日本人らしい生き方

今日、私の父の長期にわたる仕事仲間でもあり友人でもあるお爺さんの義理の息子さんのMさんのお葬式があった。このお爺さんはUさんと言って今年90才になるのだが、今でも皆の世話役として色んな人の相談に乗っている。私も大好きなお爺さんである。数日前に我が家を訪ね、義理の息子さんが、もう長くはないと父に話にきたらしいのだが、それから2日後に本当に亡くなってしまった。まだ62才だったそうだ。今日お葬式が教会で行われ両親が参加し、両親からとても興味深い話しを聞いた。息子さんは亡くなる5日前、意識を失う直前に洗礼を受けたのだそうだ。どこが興味深いかというと、彼ら一家全員は、わが家も檀家となっている近所の禅寺の隣に住んでいて、何十年にもわたりお寺のありとあらゆる仕事、お寺のお庭の掃除から、お寺で行われる様々な年中行事の受付やらお茶出し、お坊さんの旅行のお伴、といった絶対に必要だけれど目立たない仕事を黙々と引き受けてきた人達なのだ。今日のお葬式の当日まで、家族の方以外殆どの人達が、Uさんの娘さん、つまり亡くなった義理の息子さんのお嫁さんが熱心なキリスト者であることを知らなかったのである。先にも書いたが、彼女も小さい時から、ありとあらゆるお寺の行事を影で支えてきた人なのだ。この話を聞いた私の反応は、不思議なことに、なんだか少し嬉しく感じた。自分の中で宗教の違いをとっくに乗り越え、隣のお寺の仕事を影で長年支え、皆と仲良く協力的だというのが、なんだかんだ言っても隣近所や世間を大切だと感じる典型的な良き日本人という感じがしたのかも知れない。宗教の話題を持ち出すことは一般論で言えば好ましくないかもしれない。でも、今日の話しは宗教の話しではない。多分書きたかったことは、心の中で自分が何を信じるか、どの神様を信仰するかということと同時に、自分が生きる社会の中で、現実的に良き隣人であることを選択して、その二つを同時にうまくこなしていた彼女達の有り方が、何だか実はとてもバランスがとれて、丸く収まればそれが一番、と考える日本人の生き方そのもののように思えるのだ。そしてこのような話を聞いて何となく嬉しく感じる自分は、根っから日本人だなぁ、と思うのである。

Tuesday, September 27, 2011

世界各国の給食

こんなサイトを見つけました。

世界二十カ国の給食の写真です。

日本、私の時代に比べると随分美味しそうになりましたね。

イギリスの、ちょっとかわいそう過ぎ。

アフリカの子供達の笑顔が可愛すぎる、まぶしすぎる!

フランス、アーティチョークが給食に出ちゃうの、食べるのに、ちょっと時間かかりすぎではないでしょうか。Mais bon、うちの子猿達、給食美味しいっていってます。私も食べてみたいな。
 そうそう、先日、うちのちび猿、小児科より、体重増えていなさ過ぎの警告を受けてしまいまして、給食もっと食べるように指導して、と学校に頼めって。言ったらやってくれるのかしら。

ま、興味ある方、是非観てみてください、このサイト。ちょっとした文化比較になりますよ。

大江健三郎と若かりし日の私

先日の友人との会話のトピックは大江健三郎でした。

丁度、日本で原発反対デモを主導し、6万人も参加した、というニュースの後だったこともありますが、私、今この作家に興味津々なのです。(そうそう、この原発デモ、NHKの7時のニュースでは報道されなかったそうです。怖いですね、日本の報道規制。気持が悪いです)

発端は、氏が書いた沖縄集団自決について軍の(=国)の指導があった、というのにた対して旧軍の人が控訴していたらしいのですが、今年3月に、最高裁で勝訴した、というニュースでした。ちょうど沖縄について書かれた山崎豊子の「運命の人」を読んだところで沖縄問題をもっと知りたいと思っていた頃でもありました。

山崎豊子は80代後半、大江氏は70代後半です。この二方が、共に沖縄にこだわるということは、戦後の日米関係のわだかまりの焦点なのでしょうね。

Anyway、大江健三郎氏。
友人は、「もうおじいちゃんでしょう。生きている間に、講演とか、行きたいわ。」私も「本当ですね~。」

・・・この会話に、何か引っかかるものがありました。

そして、氏の著書を何冊か読んでいて、引っかかりのわけがわかりました!
なんと大江氏、私が在学中に母校にて講義をされていたのです。それも「信仰を持たないものの祈り」という、とても興味あるトピックについて。

あ~あ、悔しい!
何がって、アッパラパーの大学生のだったことがですよ。何にも考えていなくて、横柄に、傲慢に若さに胡坐掻いて座っていた自分。こんな出会いのチャンスを見逃していたなんて!
悔しいから、この講義が元と成っている本を読むことにします。

「信仰を持たないものの祈り」って、実は一番純度が高いような、そんな気がしませんか?地震の後、うっすらとそんなことを思っていました。

♪夢にも寄り添う 愛しい人の面影もう一度逢えたら 在るがままの姿で涙の川 溢る思い♪ 
桑田ケイスケ「明日へのマーチ」より

今涙の川にたたずんでいる方々が笑顔を取り戻す日が早く来ますように、願わずにはいられない、この頃の日本ですね。

Monday, September 26, 2011

秋晴れの週末

我がままなタルト。大人はフランボワーズ、子猿らはショコラ味

この週末も何だか忙しく過ごしました。
はて、何をしたんだっけ?

とにかく、お天気がよくって気持良かったこと。半そででもOKな暖かさで、サンフランシスコから来ている姪っ子は、「カリフォルニアみたい!」と喜んでいました。
先週は、「もう寒くなってきたから」、と諦めていたベランダでの食事も復活。床がどんなに汚れて、水で洗い流せばよいので、母猿楽チンです。


土曜日の午後は、お気に入りの庭園、ブローニュの森の中の、バガテルに出かけました。
姪っ子は孔雀と写真撮って!というので、撮りました。フランスの庭園は何かと孔雀を散らばせることが多いので、無感動でしたが、姪は珍しいらしく喜んでいました。(その割りには黒猫ピューマのニュースには「へぇ」と流していましたが)

観てください、この笑顔。少女とYoung Ladyの狭間の瞬間!嫌がる姪っ子をかぼちゃと撮ります。オバサンだと遠慮なくオバ馬鹿できて嬉しいワ。

日曜日もこのリピート的な、忙しくしているようでのんびりの一日を過ごしました。

今日も秋晴れ。パリにお出かけなら今ですよ。

皆さん、どうぞ良い一週間を!

Thursday, September 22, 2011

大きな猫


サンフランシスコの対岸の自然の豊かな町に住む私の自慢は、野生の動物。鹿や狐、狸に鷹、オウムやスカンクなどなどたくさんいるのが、都会育ちの私の自慢。ところが、なんと我が家から徒歩5分の丘に巨大な黒猫が出没したのである。先週末バーベキューをしている夫が最初に見つけた。そして、長女が犬の散歩をしていると、丘への入り口に横たわり、じっと彼女らを見ていたという。一応、警報メールをご近所にだすと、「そうそう、この辺にはPumaがいるのよ。」という。黒いピューマが近所にいるのは自慢を通り越して恐ろしい。しばらく丘を歩かないことにした。

Tuesday, September 20, 2011

おやつパーティ

昨日の午後は70歳になる義父のためのティーパーティならぬ、おやつ+シャンパン・パーティでした。

 親戚など、20人近く集まり、お菓子をつまみます。このマカロンの黄色いのはレモン味とかで、兄猿が5,6個食べ、チビ猿はショコラ・モカ味など濃い目のを多分10個くらい食べたと思う。
13歳の姪っ子は知らない人に囲まれ居心地悪いのか、「お腹すいていない」といいながらも、見かけると何かつまんでいて可愛かったです。そうそう、コーラを薦められて、多分普段は飲む機会が少ないのでしょう、「Mais, OUI!」と嬉しそうでした。

 プティ・フールも美しく、他に、ミニ・パン・オ・ショコラや、パン・オ・レザン、ミ二エクレアなども沢山。そして皿と皿の間には、ロリポップが散りばめられ、子供天国です。

 ということで、シュガーハイな子供達。走れ走れ!
 走る走る!
 花冷えな気温のパリ。近くの庭園の花はそれでも美しく。

冬はどのような草花が植えられるのでしょう。そうそう、ここは柿の樹もあるので、もう少ししたら観に行こう。
柿色は、秋色ですよね。

どうぞ、皆さん良い一週間を!

Sunday, September 18, 2011

ロールケーキ

子猿たちの新しい私立の学校、給食費が高いのが難点。
内 容を見ると、「BIO(有機)食品を優先的に遣い、パンも大量生産のではなく、パン職人が作っているパンを出し、前菜は3種類、主菜も3種類、デザート は、乳製品を中心に何種類から、生徒各自が選べる」ようなことが書いてあったのですが、チョイスの部分は、私の理解の仕方が違っていたようで、そんなに豪 華ではなさそう。

とにかく、美味しく食べているようなので、家計へのしわ寄せは我慢しようかと。

そんな金曜日、「きょう、給食で、ぐるぐる巻きのケーキを食べた!」「きょう、スッゴク美味しいケーキがあった」と兄・弟が共に開口一番に報告してきたロールケーキ。
どうも、市販の個装されているような、ミニロールケーキのようなのです。
「ちょっと、それは詐欺じゃないの?あの給食費で!」
とも感じるけれど、嬉しかったらしいから、よし、とします。

で、昨日、子猿2匹+13歳の姪のリクエストから、ロールケーキを作りました。

み んなそれぞれに好みが違うので、シフォンケーキを薄く焼き、下のように、それぞれの希望の塗り物を塗ります。左から、栗のクリーム(母猿)、 Confiture de Laitというキャラメル・ソース(姪)、ヌッテラ(チョコクリーム、ちび猿)、ブラックベリーのジャム(兄猿)、また栗クリーム(夫)

これを巻いて、それぞれ、好きな部分を食べました。


上の写真は私部分。餡子物が食べたくなると買う、この栗クリーム(Confiture de Châtaine)。
こうして私の味覚はガイジンになっていくのでしょう。
栗の味が濃くってメチャ美味です。

皆さん、良い日曜日、良い一週間を!

Friday, September 16, 2011

緑の通学路


この秋から子猿達は転校しました。

理由は色々。

一つには、新しい学校はカトリック系なので、カテシズム(宗教教育)があること。日曜ミサもさぼりがちな父親は、とても自分にはできない(もちろん私も)と他力本願なのです。

もう一つには今までの学校より近いこと。5分くらいの差だけど、朝の5分は貴重です。

そのほかにも、今までの学校の小学部の評判が、「いいわよ~」という人と「う~ん、ちょっと気になるところがある」という人がいたことなど等。今度の学校はビシバシ系というから、うちの子猿達にはいい薬になることでしょう。

でも、本当の理由は、この通学路が好きだから、だということに昨日気づきましました。

今度の学校は、植物園の脇を通っていくので、緑の回廊みたいな通学路なのです。
学校の先を真っ直ぐ行くと、ブローニュの森に続くらしく、朝・夕、ジョギングする人々とすれ違います。
秋晴れの最近などは、街路樹のマロニエが山吹色に輝き、植物園の方を見れば常緑樹のもみや杉の大木が、爽やかに乾いている青い空に映っていて絵になること!歩くと、枯葉がサクサク言って、おもわず、アラフォーおばさんの母猿まで走り出したくなるような通学路なのです。

通学路へのこだわりはトラウマから来ているだと思う。
確か中学の頃ですが、事情があって、我が家は環八沿いのマンションに引っ越しました。
今 やベットタウンとして整備されたことでしょうが、当時の千葉寄りの東京は、駅前こそパチンコや場末のスナックなどでがやがやしているけれど、それを抜ける と、あまり人の気配もなく、3,4階建の四角い建物が続く道。引っ越した当時、それも冬の夕暮れ時など暗くなってしまうと、「あれ、迷子になっちゃったか な」と心配になるほど、歩いていも歩いても同じような人工的な風景が続くのでした。
ようやく、巨大なコンクリートの直方体見え、「あれがうちだ」とホッとするや否や、そこは環八。大型トラックがビュンビュン通っていて、時折、暴走するバイクが爆音立てて走りすぎたりもする。信号待ちの時は、その音が怖くて、耳を塞いで立ってたっけな。
こんな暗いイメージがあるのも、当時は高校受験のため、私なりに神経がとがっていた頃だったからなのでしょう。

今までの子猿達の学校の通学路は、大通り沿いだったし、マンモス高校が並んでいたり、使われていない老人ホームがあるだけの殺風景さで、学校事体にも何か明るくないもの感じていたのは、この中学高校を過ごした環八沿いとイメージを繋げてしまっていたからかもしれません。

でも、学校を変えた理由が通学路っていうんじゃ、はぁ?ってなるでしょうから、人から聞かれたら、今までどおり、「いや夫がね、近くってね…」ってもっともらしい答えをしておこう、と思うのです。

Thursday, September 15, 2011

プレゼント

水曜日、パリは学校が休み、うちは午後に子猿らを日本語補修校に連れて行く日です。
「To do list」が沢山あったので朝から張り切っていました。To do といっても主婦のそれです、「洗濯をする、子供を風呂に入れる、夜ご飯の仕込みをする」といった小さなやるべきことばかり。

この「やるべきこと」リストの中の一つに、「メゾン・ラブ二コル」という、マレ地区にあるチョコレート屋さんで義父への贈り物を買うことがありました。このチョコ屋さん、義父のお気に入りなのですが、彼はまだ、パリに店があることを知らないはず。サプライズになると思ってのチョイスなのです。
そして、もう一つ、買わなくてはいけないものに、兄猿が学校で使うとってもシンプルなノートで、どうしても近所の文房具屋で見つからないのがあ り、それもこのチョコ屋さんの近くのデパートにあると聞いてたので、「よしよし、子猿達が日本語補修校の授業に出ている1時間半の間に買いに行ってこよ う」と計画していたのでした。

ところが、日本語補修校、夏休み明け初日でしたので、ママさんたちとも久々なる再会。コーヒー飲みながら積もる話で盛り上がっているうちに、子猿達の授業も終わってしまったのです!!!

どうしようかと思いましたが、週末の義父の誕生日までにこちらに出てくる時間もないしナ、よし、行くか!
東京でいう原宿のような繁華街を子猿二匹引き連れ、地下鉄二駅分の距離を歩いて、いざ、チョコ屋さんへ向かいます。途中、ノートを買いにデパートにも寄るという、午後5時の4歳児には過酷な旅路です。

途中、飴玉で釣ったりするシーンもありましたが、無事チョコ屋に到着。
そこは、大人にも夢のような世界で、様々な人形の形をしたチョコなどもあり、子猿達は目を輝かせます。
「ボンパパ(おじいちゃん)きっとコレが好きだよ。」と言って、ボンパパ興味ないこと100%のホワイトチョコの金魚などを選んだり、
「ボンパパ喜ぶねぇ。もっと買ってあげようよ」
とか、彼らなりに、ボンパパのプレゼントを選びます。

プレゼントを選び終わって、彼らにも5センチ正方のホワイトチョコを買ってあげたら、それはそれは嬉しそうに、美味しそうに食べていました。

ついつい、「面倒だし」「子供なしの方が早いし」「子供には良くない場所だし」と、自分だけで用事を済まし勝ちですが、たまにはこうして、社会科見学させるのも良いものですね。
そして、こういうミニ旅が母猿にとっては珠玉の思い出となるのでしょう。十年もしたら、この猿達も声変わりして、母猿と並んで買い物なんてしてくれないに違いないですし。

義父へのプレゼントでしたが、私にとっても楽しい子猿達とのプレゼント選びの旅になり、その後帰宅してから子猿らを風呂に入れ、晩御飯も作り、寝かせ、To do listを無事完了した一日だったのでした。

Tuesday, September 13, 2011

一期一会、セパージュにて

立体感ある盛り付けがキー
先日、「セパージュ」という、ワインとおもてなしを学び楽しむ会に参加させていただきました。



普段のリエットも一工夫でおもてなし前菜②になる

パリでは様々なお教室を催されている方々がいらっしゃいます。
フランス料理教室、フラワーアレンジメントの教室、漢方料理の教室、カルトナージュと呼ばれるきれいな布張りの箱を作る教室、ワインの教室、チーズの教室、もちろん、語学の教室もあります。

こういうお教室を主宰される方を総称して「サロネーぜ(サロンを開く人)」とも呼ばれています。

前菜勢ぞろい。「高さがあるものは奥に置くとバランスが宜しい」と。本当にそうですね。

サロンの意味、あらためてWikiでみてみると、「サロン:フランス語で宮廷や貴族の邸宅を舞台にした社交界をサロンと呼んだ。主人(女主人である場合も多い)が、文化人、学者、作家らを招いて、知的な会話を楽しむ場であった。」と。

さて、セパージュの会は、まさに、このWikiの定義通りのサロンでした。

この日のテーマは発砲酒。其々選ばれた理由があり、勉強になりました。

主人のミホさんの魅力に吸い寄せられた、知的好奇心旺盛な女性が集まって、ワインとおもてなしを学びながら、この日の出会いを楽しみ、会話を弾ませる、そういう会だったのです。

私の動機は、みほさんの才能溢れるブログに惹かれての参加でして、もっとこの方を知りたい!と思ったからでした。正直、ワインもおもてなしもそんなに興味はなかったのです(ミホさん、不純な動機でごめんなさい)。
でも参加すると、みほさん、そして生徒さん方のワイン熱、おもてなし熱が移って、そういや、私もソムリエだったっけ、と、にわかに真面目になり、ワインの味わいを捕らえようという気にもなり。

何が素晴らしいって、ワインは冷え冷えで、料理は熱々でサーブされること。



それにしても、主人のみほさん、
ワインに対する造詣の深いこと。何でも知ってらっしゃる。
ご自身、「私、いい加減だけど、実はまじめだったりもするの」とおっしゃいますが、いやいや、真面目さんでらっしゃること、間違いなしです。
こんなに知識がしっかりしている先生だと、学ぶ側も安心して先生の引導に身を任せることができます。 

味付けにもメリハリがあるし、ホント、ブラボー!

そしておもてなし料理。
先にも白状しましたが、私、おもてなしとは縁も興味もない生活を送っていまして、美味しいものをいただけるのなら、他の方が作ってくださったものをいただけるのなら、それで御の字、と思っている怠けモノでございます。
それでも、みほさんの説得力あるおもてなし論(「おもてなしなんだから、それくらいしてください。」「どうやって美しく見せるか、考えながら盛り付けして ください」)を伺っていると、ほんとほんと、お客様見えたときなど、私も少し頑張るべきだわ、と思い直されてくるのです。

セパージュのおもてなし料理、ご自身は「みほの簡単料理」と呼ばれていますが、アイデアが素晴らしいし、ちょっとしたコツが沢山あるからこそ、簡単で美味 しいおもてなし料理になっているわけで、そのアイデア、コツを余すことなく共有してくださる気前の良さも格好いいな、と思いました。

雑な感じが私流?人参のムースと、胡瓜とサーモンの冷製

ということで、すっかり忘れていた結婚記念日を一週間遅れで祝った週末。
ミホさんのアイデアを冷蔵庫にあるものでするとこんな感じに……。
夫は「素晴らしい!」と喜んでくれたし、普段の週末ランチも少し特別なものに。
ちょっとした工夫で生活にメリハリが付くものですね。

初めてのサロン体験でしたが、しっかり勉強するし、それが良い緊張感となって、皆さんと一体感も生まれるし、会話も弾むという何層もの相乗効果ありのセパージュでした。

セパージュは大人気でして、参加されたい方は、是非、セパージュ・ブログを通してピノミホさんにお問い合わせ下さい。

ミホさん、そして同席させていただいた生徒さん方、どうもありがとうございました!

Monday, September 12, 2011

ママはチアリーダー

パリでは先週から新学期が始まりました。

学校始まる前から、持ち物の長~く、不明瞭、不正確なリストを片手に、母猿は文房具店、本屋を駆け回っておりました。なぜ、学校は存在しない教科書をリストに載せるのでしょう?まぁいいや。

そしていよいよ先週月曜日は本番。登校でした。

弟猿は幼稚園、兄猿は小学校、そして今学期は、アメリカ育ちの13歳の姪っ子も預かっているので、中学にも行きます。

この一週間、弟猿はいつも泣きそうな顔を一所懸命こらえながら、無理に作った「Happy Faceスマイル」で手を振り、兄猿はムッとした顔のまま「ママ、キスとハグ(抱擁)は?」と要求し、従順に従う母猿に、濡れた唇を押し付けて、「じゃ、 行っていいよっ」とこれまたムッとしたまま旅立つ。彼なりに不安で一杯なのでしょうが、泣き顔にならないように、ムッとしてごまかしているんだと思いま す。

そういえば、夫は会社で今壁にぶつかっている時期で、ちょっと辛そう。そんな彼、今朝も、「行くか。行くしかない」と自分に言い聞かせながら出勤して行ったっけ。

姪っ子は、多分不安も一杯あるんだろうけど、持ち前の自立心と好奇心を奮い立たせて、「大丈夫、行ってくる!」と異国の学校に向かう。

皆偉いなぁ。
いやなんだけど、しょうがない、といって頑張って社会に飛び込んでいく。
先日読んだ、大江健三郎の、「仕方ない、やるか!」という話を思い出します。これは、障害者の親はきっと誰もが、ある時点において、「仕方ない、やるか!」と立ち上がり、子育てをしている、という話だったかと。

母猿の役目は家族を、この「仕方ない、やるか!」という気持にさせること、「仕方なく」頑張ったその先には、「充足した気持」という最高のご褒美が待っているよ、ということを匂わせること、かな。

皆、フレーフレー!頑張れ~!
今週も泣かずに頑張って欲しいです。どうなることやら。

Sunday, September 11, 2011

夏太り

夏ばてでやせることはあっても、夏太りは世界広しといえど、私一人に違いないと思っていた。ところが、反省を込めて泳ぎに行ったプールでばったりの友人も必ず夏は太ると言っていた。それはなぜかというと、アルコールとおつまみ、そして旅行や子供の面倒で不規則な生活になるからだと、彼女は言う。対処法のしては、やせるまで体重計に乗らない(彼女)と、体重計に乗ってショックを受ける(私)と、対極的だが、子供たちも学校に戻り、生活が通常に戻ったので、私らもパワー・ウォーク(という名の散歩おしゃべり会)を再開して体重を落とそうと約束した。

さて、馬肥ゆる秋に、どうやって臨めば良いのか、思案しているが、今日もご近所の友人に招かれておいしいディナーが待っている。当面はあまり成果が上がらないかもしれない。

Friday, September 9, 2011

9・11を目前にしておもうこと

早くも10年がたとうとしている。9・11が、西海岸移住のきっかけだと自分では思っている。2005年の移住なので、反応が遅いことは確実だが、毎日テロ予防策を考えながら通勤するのに疲れ果てたのと、キャリアをめぐるポリティックスに燃え尽きたのがちょうど時期的に重なったのだ。NYに住む人々の反応はさまざまで、記念日には家族で毎年NYを離れる友人もいれば、何事もなかったように過ごす人もいる。今週末は、友人が久しぶりにNYから遊びにくるので楽しみなのだが、一方でSoraさんなどはちょうどNYに出張で行っているようだ。 9・11関連の記事を読むと未だに胸がつまる。たまたま出張当日で自宅にいたため、TVでビルが崩壊するのをリアルタイムでみて、あわてて子供の学校に走っていって無事を確認したことや、夫が何を思ったか歯医者に行ってしばらく行方不明になっていたこと、空港まで送ってくれるためにきたリムジンの運転手さんの動揺ぶり、などなど、まるで昨日のことのように思い出す。10月にはいると、連日のように聖パトリック・カトデアルでバグパイプの演奏を背景に消防士さんの葬式を通り抜け、通勤したこと、その当時勤務していた銀行の予防訓練の誤発に驚き、ごみ箱を飛び越え、一目散に非常階段を駆け下りていった巨大なイタリア人のおじさんのことなど面白悲しく思い浮かぶ。

Wednesday, September 7, 2011

パリで頑張る日本人

昨日は沢山の日本の方々に逢う機会がありました。

まず、朝。
子猿達を学校に送った帰り道、ご近所の顔見知りさんがジョギングウエアに身を包まれ軽快に走っておられるのに遭遇。
「おはようございます!」と挨拶を交わしながら彼女はブローニュの森に吸い込まれていきました。すれ違ったあと、私も何故か小走りになったりして。
走ることに夢中になられているとのことですが、大人で「夢中なこと」があるのって少数派ではないのでしょうか。
いや~、爽やかでした。

そのあと、マレ地区に足を延ばし、友人のシェフ・ミサトさんの職場にお邪魔してみました。
 ほっそりとした身をシェフズ・ジャケットに包んで、美味しい食べ物を精力的に生み出す彼女。三人の幼児を育てつつ、起業され、グルメの街パリで料理人と してやってく決意をされたミサトさん、勇敢です、かっこいいです。 それでいて謙虚で自然体で。
もう素晴らしいったらないです。

お昼は日本語教育に関する懇親会があり、出席者皆様は日本人、初めてお目にかかる方が殆どでしたが、そんな皆様の個人的な体験を伺う機会を頂きました。人の数ほどドラマがあると言いますが、本当にそうなんだな、と実感して帰宅。

そしてお迎えの時間はあっという間に来るのです。
子猿達の新しい学校、始まって二日目にして既にお二人ほど日本人のお母様とお会いしました。このどっぷりと「おフランス」している学校にも日本人の方がいらっしゃる。
先のお昼の懇親会でも、日本人の海外在住者の数が倍速で増えている、と伺いましたが、本当にまぁ、と実感する今日この頃です。

果たして、この現象は日本が住みにくくなっているからなのでしょうか。

一方で、先日のエコノミストに、若い日本人は海外志向が低くなっており、海外留学生の数が80年、90年代に比べると軒並み酸くなっているとありました。英語力もかなりまずいという。

この二つの相反するデータは何を意味しているの?

そして、ふと気づくのは、私の周りで元気に海外生活を謳歌している方、海外で活躍している日本人の殆どが女性であることです。ただ単に、私(女)の行動範 囲な為 せる業かもしれませんが、日本は女性には生きにくい国であり、一方で大和撫子は勇敢なので、海外に飛び出し、幸せを求めていることが多い、という自分本位 な仮説を立ててみたり。

会社の留学制度があてがわれるのは得てして総合職=男性だから、エコノミスト誌が言うように、留学希望生が少なくなっている、というデータも生まれたのではないでしょうか。

男性にも公平にしなくてはですね。女性は男性よりも社会的足かせが少なく、自由が許されると言うところもあるのでしょう。(男性も自由になって欲しいな。我慢しすぎるは危険です。

夕方は、子猿達のピアノの先生とのお別れがありました。
フランスに音楽留学をされてましたが、ご家族の介護のために日本帰国されることになったのです。こういうときに頼られてしまうのもやはり女性であるわけで。

とにかく頑張れ、大和なでしこ!日本でも海外でもいいから幸あれ!と強く願うのであります。

Monday, September 5, 2011

テレビっ子のサーティワン

長いこと海外に住んでいると、日本の芸能情報についていけなくなります。嵐もAKBもわかりません。テレビドラマのストーリー紹介読んでも、こんな のが受けるの?って感じです。ただ単に私が年取ったのかもしれないけれど、やはり、私がテレビっ子だった70、80年代はテレビの成熟期だったのではない か、と勘ぐっています。

というのも、先日、テレビドラマについて思い出す機会がありました。
私のお気に入りは「ムー一族」。ご存知ですか。
樹樹キリンと郷ひろみの「林檎殺人事件」が売れたお笑いドラマです。大好きな伊藤四郎が足袋屋の親父で、郷ヒロミは三浪中の次男で、トイレに行くと近田春夫が出てくるという、かなりシュールでふざけたストーリー。

その他にも、「ちょっとマイウェイ」とか、向田邦子モノとか、「傷だらけの天使」とか、「俺達は天使だ」、とか、「俺達の旅」でしたっけ、思い起こせば切がないほど、秀作のドラマが沢山ありました。
バラエティーも、なんといってももドリフターズがいて、あとザ・ベストテンとか、ベストヒットUSAとか、夜のヒットスタジオとか、もうその日は楽しみにして夜を待っていたものでした。

テレビを観なくなったのは、90年代です。あのショッキングピンクの字幕テロップがでて、お笑いの人のセリフを強調するように出すようになったあの頃から、テレビを観ると疲れるようになったのです。仕事初めて精神的にも疲れていたのでしょう。

こんな風に昔を懐かしむアラフォーオバサンのつぶやきを続けさせていただくとすると、もう一つ、わが青春の思い出に欠かせないものとして、サーティワンのアイスがあります。

あ る年の誕生日ケーキ、母が用意してくれたのは、たしかサーティワンのアイスをはさんだアイスケーキで、本当においしかったですし、中学の頃駅裏のサーティ ワンに、さやかちゃんと一緒に寄って食べたわ食べた。夏はオレンジ・シャーベット、冬はロッキーロードにベリーベリーストロベリー。ダイキリの涼しげなペ パーミント・ブルーにうっとりし、ジャマイカなんとかでコーヒーの美味しさに目覚めた・・・。何よりも、当時はビリージョエルの「オーネスティ」が流行っ ていて、竹内まりやもまだ不倫の歌を歌っていなく、「私、アメリカ留学帰りよ」的な歌を歌っていたし、私の中ではアメリカ文化への憧れが積乱雲以上にモク モクしていたころでして、アメリカから来たサーティーワン・アイスは「This is America!」って感じだったのですよ。ミントチョコアイスを食べてはアメリカの西海岸あたりのハイスクールガールになった気分を味わっていたので す。

その後、ビリージョエルはアップタウンガールと離婚し、日米関係の暗い歴史を知って無邪気に大好きと言えなくなり、サーティワンよりハーゲンダッツが売れ、と時代は変わりました。テレビもケーブルやインターネットとか、メディアの多様化で複雑らしいし。

良い時代に青春を送ることができた、とまとめることもできるけれど、やっぱり、今をもっと良い時代にして欲しいな、と思います。どうなんでしょ、そこら 辺。日本に住んでいると、今のテレビもアイドルも、きらめいているのかしら。今、このグローバルな世の中、何かに対する強烈な憧れとかって存在しているの かしら。

ところで、同世代の友人との会話で、「やはりサーティワンはイケてるね」という結論です。ハーゲンダッツ、美味しいけれど甘すぎるし、高すぎる。Ben &Jerryも別にへぇーって感じだし、ジェラートは私の中では別枠ですし。
パリにあるのでしょうか、サーティワン。ご存知の方教えてください。

Friday, September 2, 2011

ワインめぐり


珍しく優雅なランチを頂いたのは、赤ワインのおいしいポイヤックPauillacというボルドー地方のChateau Cordeillan-Bagesというホテル・レストラン。これはガンバスとアスパラガス三昧の一皿。おいしいワインと頂くと幸せこの上ない。隣のテーブルではマナー教室を兼ねてランチを楽しむ中国人4人。そして、びっくりなのは、北海道出身のソムリエさんが日本代表として頑張っているのを発見したこと。日本人は本当にどこに行っても必ず会う。ガラパゴス化現象というけれど、好奇心旺盛な日本人は世界の隅々まで進出しているというのも事実である。頼もしい。




Thursday, September 1, 2011

自然の成り行き


 些細なことなのですが、なるほどねぇ、と思うことが。

一昨日の夜、子供にせがまれて、ドラえもん全集を読む羽目に。この夏休み用に、日本語補修校から借りた分厚い漫画本です。
この二ヶ月、彼らの日本語力、日本文化力に合う、そして静香ちゃんの入浴シーンを覗いて、「へへっ」という、痴漢養成的な展開のないエピソードを 拾い選んで読み聞かせしてきましたが、ふと気づくと、最後のエピソードでした。「返却日の前に読み終わってよかったわぁ」と思っただけの出来事。

昨夜は、別の本を持ってきて、「読んで!」という。海賊ポケットね、はいはい。これも夏くらいから読み出した本。文字数が多い本なので、まだまだ続くと思っていたら、あれ?これも最終章でした。

そして、気づくと長かった夏休みも明日でお仕舞い。私も子猿達も、この本達、別に暦を意識して読んでいなかったけど、夏の初めに読み始め、夏の終わりに読み終えました。

そうそう、昨日は、兄猿は幼稚園のマブ達とお遊びデーでした。時折預かりあっていたので、私の中では「じゃ、来週は私が・・」というノリでしたが、そうか、もう新学期始まるから、そうは行かない。じゃ、学童で逢うし、と思っていたら、スケジュール的に合わないよう。
来週からは小学校、兄猿とマブ達君は別の学校へ行きます。
「もう逢えないのね。」
「いや、私達は逢いましょう!」
でもそれが現実的に難しいことも知っている。毎朝のように「ボンジュール!」と声を掛け合い、先生の愚痴を言ったりしていた彼女とも、そんな気安い付き合いはお仕舞い。お母さん同士はハグ&ビズ(キス)の涙の別れです。当の子供達はまだ別れが何か知らない。

気づかないところで、色々なことが夏の終わりに向けて終結していた、そんな気がしました。

で、思ったのが、世の中って、こんな風に、始まりと終わりが来るんだなぁってこと。よく言う、「自然にそうなった」というヤツ。
でも、実は、この「自然」って、単なる自然ではないと思うのです。だって、そうだとしたら色々なことが偶然過ぎると思うのです。この手の自然は、実は色々な人々の「気」(含む祈り)が、集まったとき、同じベクトルを向いたときに、「自然とそうなる」的な事象が発生するんだと思うのです。ドラえもんも、きっと潜在化で、「夏によく読んだな、この漫画。そろそろ終わりにしようか」という子猿達の潜在的な思いがあったりしたのではないか。海賊ポケットもそう、昨日のお遊びデーをセッティングした背景もそう。誰もがうっすら夏の終わりを感じていたから、「じゃ、そろそろ、これも終わりにしましょうか」とい無意識の認識があったのではないか。

わかりにくいですよね。

とにかく、夏休みも終わりです。
無事に無事故で平和に、そして沢山の笑顔を見て終えたことに感謝するばかりです。