Saturday, April 30, 2011

人生の扉

はじめまして atlas と申します。 sora さんの紹介でこのブログに参加させていただくことになりました。ご紹介していただいてから、投稿するまで少し時間がかかってしまいました。最初が肝心と力が入ってしまい、どんなことを書こうかと、あれこれ悩んでしまいました。ただ、やはり、自分が経験してきたことや感動したこと、またそれについて考えていることを書くしかないんですよね。

という訳で、今回はキャンディーズのスーちゃんのメッセージを聴いて感じたことを書くことにしました。正直言って、ちょっと感動しました。と言うより、心の奥の方がジーンと熱くなると同時に、単純にうらやましいとも感じました。皆さんはどう感じたでしょうか?自分の死を覚悟しながら、「幸せな、幸せな人生でした」、「天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」と言えますか?

大震災以降、一日一日をもっと大切に生きなければと感じながらも、現実の毎日を見つめ直すと、まだまだ自分は人生を大切に生きていないんじゃないかと思ってしまいます。人間の価値は、その人の葬式で判断できる、などとも言います。ただ、人には様々な人生があるので、その価値を決めることなんて誰にもできないと思います。とは言っても、やはり、自分が死を覚悟した段階では、スーちゃんのような気持ちになれたなら、と考えてしまうのが本音です。

ところで、竹内まりやの『人生の扉』という曲をご存知ですか?彼女は若い頃から、『毎日がスペシャル』など、ありふれた毎日を楽しく生きることが大切だと歌っています。彼女が50を過ぎてから書いたこの曲はまた、違った味わいがあります。

春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時が過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことでも 覚えていたいと 心が言ったよ


最近、ますます、どんな小さなことでも覚えていたいと思っている atlas でした。
皆さま、これからよろしくお願いします。

では、また!





 

Friday, April 29, 2011

震災孤児

先ほど、週末の買出しに近くのスーパーに行ったら皆同じ考えだったのか、やけに混んでいて疲れた!ってことを書こうと思ったのではないです。そこで2、3組の、お母さん白人、子供アジア/アフリカ系の母子を見かけて、最近思ったことを思い出したのです。

今回の震災孤児の数字は思いのほか少なくって、現在3県合わせて150人弱らしい。どうしてかと考えれば、幼い子など、親御さんと一緒に亡くなってしまった命が多いのかもしれない・・・。
どこかで読んだ記事では、国は当初、震災孤児を集めて施設を作る、という、恐ろしいほどずれている提案をしていたよう。それに対して、里親の専門家などは、心のケアが大切なので、施設で一括、というはよくない。できれば親族などが、地元で育てるのが良い、と言ってその方向で世話をしていると。
私は、これがどうも納得いかないのです。

地元に近いところで、という根拠は、親をなくし、故郷をなくす二重の喪失を防ぐため、らしいのですが、思春期後半のしっかりと意思ある子供が「私はこの地の復興を見届けたい!」とか言うのなら別だけど、【ここまで破壊されてしまった故郷に孤児となった子供達を引き止めることのメリット】と【新地でのチャンス-(マイナス)リスク要因】は同等もしくは後者の値の方が大きいのではないでしょうか。新地での再出発、最初はちょっとショックかも知れないけれど、子供の順応性は大人の想像を上回るものだし。
転勤家族、世界遊民状態で育ってきた私としては、故郷は大人になって想うもの、離れてしまって想うもの。どこにいても心は故郷に繋がっている。孤児達も、これも転機として、もっと違う世界に羽ばたいて育っても良いことのような気がします。

そしてオバサンは言いたい!
若人よ、君達にとっての世界は広くって、可能性も無限大なんだよ、その地に残らなくてもいいんだよ。それに違う形で被災地となった生まれの地を救うことができるかもしれないよ、って言いたい。今は辛くても踏ん張れ!って、そして心の準備ができたら踏み出せ!って。

欧米では里親制度・養子制度が日本より進んでいて、この点は素晴らしいと思います。先ほどのスーパーでのように、人種の違う親子なんてザラ。もちろん、不幸なケースもあるのでしょうが、幸せそうな子供・親の笑顔を見るたびに、里親・養子制度はもっと浸透させるべきだと確信します。誰もが(短大入れると60%近く)大学に行く現代日本において、孤児院で育つ子の大学進学率は一ケタ台、高校中退率も10%近いとか。折角日本という先進国に生れ落ちたのに、そのメリットを享受できないで育つ子の境遇を思うと胸が痛みます。
養子縁組の手続きは絶望的に困難と聞いています。不幸なケースを防ぐがため、身動き取れなくなっているのでしょうか。国に(期待できないけど)期待するしかないのでしょうか。

今回の震災で国内でも200件以上も里親になりたいと申し出があったり、海外からも問い合わせがあるそうです。現状の遺児たちは、多くの場合祖父母などに引き取られているようですが、失礼承知で言うと、祖父母はあくまで祖父母ですから、そうでなくて、里「親」という、新しい保護者を得て、親からの愛情も受けながら育ってもらいたいな。

勘違い・データ間違いもあるかもしれませんが、素人のつぶやきとして読み流してください。

Tuesday, April 26, 2011

鬱の効用

 今日、昔一緒の職場で働いていた女友達とお昼を食べた。彼女とは1年振りの再会だ。以前、よくメールのやり取りや食事をしていた頃は、彼女自身も言っているのだが、本当に鬱で苦しんでいた。毎日が辛く、周りで見ていても苦しんでいる様子がひしひしと伝わってきて、痛々しかった。そんな状態が2年ぐらいは続いていたように思う。ところが、去年の冬、引っ越しをして猫を飼い始めてから、すっかり鬱が治って、色々なことに挑戦し、生きていることを楽しんでいるとのことだった。
 鬱というのは、本当に不思議だ。私の父も、もう30年近く前の話になるが、病的な鬱になり、医者から鬱病と診断された。明らかに言動がおかしくなり、極度の心配性に陥り、一日中恐怖と闘っているという感じで、当然夜も眠れず、死ぬことばかりを考え、1人で外出できず、電話の音にうろたえ、涙をぽろぽろ流していた。薬を飲んではいたが一向に回復せず、仕事を辞め、母が子供を育てるように父と四六時中一緒に過ごし、3-4年ほど過ごしたある日、父の母、私の祖母が亡くなった。祖母の告別式の翌日に、何を思ったのか、父は自分の家に戻らず祖母の家から直接、母を連れて長距離運転をして温泉に行き、初七日もすっぽかし、1週間温泉で遊んでから家に帰ってきたのだ。帰ってきた時には鬱がけろっと治っていたのである。身体に乗り移っていた悪魔が抜けていった感じである。いや、ただ抜けていったというより、鬱前と全く別人になっていたのだ。明るく、大らかで、とっつき易い人になっていたのだ。だから昔の父に戻ったのではなく、全く知らない父が現れたのである。本当にどうしてなのかわからないのだが事実である。父が鬱の時、私も沢山鬱の本を読み漁ったのだが、その中で心理学者の河合隼雄が書いた本に、鬱状態を脱すると違う人格になるという事が書いてあったのだが、彼の説明によれば、鬱は病的症状を見せるが病気ではなく、人格を変えるためのプロセスで、今迄と違う自分を作る準備を心と身体が時間をかけて取り組んでいる状態なので、人格を変えるために、あえて鬱になっているのだそうだ。 更に、鬱の素晴らしい効用は、鬱を経て新たに獲得した人格は、例外なく以前より良い人格に変わる点であると書いてあった。だから、鬱は新しい自分を孵化させる繭のようなものなのだ。人が生きながらにして、生き返るための手段として人間に備わった機能が鬱なのだ。だから、皆さん、鬱になった時は、自らを再生するプロセスに入った証拠で、後退ではなく前進だと考えていいのだ。今日友人とランチをしながら、彼女の話を聞きながら、まさにこの説は正しいのだと確信をした。

フォトログ


春休み終了しました。今朝は久々の静けさに脳みそが深呼吸しています。
それなりに小さなドラマがあったけど、エネルギー充電できました。春の力、自然の力、時間の優しさを切に感じたこのバカンス、写真でもワークするでしょうか、「エネルギーの発電」。そうでありますように。


上の写真、霞みかかったように見えますが、アップにすると、実は新緑の中にこんなに可愛らしい小花が散らばっているのです。


鶏ものんびり虫を探し。すごい食い意地なんです、この子達。



子猿達は牛をながめ、



母猿は木陰で一休み、


暇なので、花でも愛でようかな。

遅咲きのりんごの花のほのかなピンクの色っぽいこと。



名前、忘れちゃったけど、とても良い香りを放つ此の花。「白い花は香りが強いのよ」と昔お花の先生に教わったことなのに、まるで私が発見したことのように子猿らに伝え、



子猿からは虫つきのタンポポを突き出され、「いらない」というと、「ママのためにつんだの。だから取れ!」と力強い愛の告白を受け。



日曜日の復活祭には教会のミサに。
・・・スーちゃんも旅立つ前に、「復活します」と残したとか。この春亡くなられた方々、亡くなった友人らが天上で安らかなる第二章を過ごされていますように。復活ってそういう風に理解していいのでしょうか?

何かとメソメソしたこの春。まぁこれからも時折そうしてしまうと思いますが、少しずつ元気が出てきたようで、泣き癖にさよならしようと思います。メソメソっとしそうなときは、どうやったら皆と元気に過ごせるか、ということを考えるぞ~。これが私の小さな復活。


ミサのあとは、「ウサギが隠した」チョコ卵探し。真剣です。



食い意地なら負けない、鶏も探します。



大収穫!




このほかにも、祖父母からも超高級チョコ玉をもらったのですが、そちらは親猿達がちょろまかしました。もうすぐパリ上陸予定のショコラティエ、Maison Larnicol、さくさく食べちゃって、危険です。




そのあと、午後には雷雨が・・・。田舎の天候は変わりやすいです。
雨上がりのアイリス。憂い顔の美女?何故か80年代のいしだあゆみを連想します。キャンディーズもそうだけど、あの頃の芸能人は魅力的な人が多かった。いいときにテレビっ子時代を過ごせたと思います。



そ・し・て! 雨上がりといえばカタツムリ。たっくさんいましたよ。



見たくないかもしれませんが、載せます。4,5キロは集めました。
子猿達は大喜びで「きのこ狩りみたいだね」
・・・でも動いてるよ、それは。
義母「あーた、都会育ちのへなちょこ呼ばわりされたくないなら、それ位しなさい!」
私「Oui, ma mere...」
それを近所のマダムのところに配達して、おしまい。そのあとどうするか知りたい?
まず、一週間ほど絶食させるそうです。身体を完全にデトックスさせる。
そのあと月桂樹、パセリなどの香草だけをたらふく食べさせ、それをにんにくとバターたっぶり塗って、オーブンに入れる。
あぁ、無情!


東京、シンガポール、サンフラン、湘南、パリ郊外、あとどこでしたっけ?どのような春をお迎えですか?
どうぞ健やかにお過ごしくださいませ。

Friday, April 22, 2011

スーちゃん、さようなら。

Lazyさんも書いていましたが、キャンディーズのス―ちゃんが亡くなったとのニュースがあり、とても驚きました。私は蘭ちゃん派でしたが、スーちゃんの貫録ぶり、落ち着きぶりには何となく子供ながら、凄さを感じていました。キャンディーズ解散後も、女優として多いに活躍していたようですが、私はアイドル時代のキャンディーズがやはり大好きです。丁度小学生の頃で、例にもれず、私も歌と踊りも覚え、姉とお風呂で長い時間真似をして遊んだりしました。キャンディーズの解散コンサートが後楽園で行われた時、自宅が近かったために、ファンの大きな歓声が家まで聞こえてきたことをよく覚えています。キャンディーズの最後のシングル、微笑みがえしは今聞いてもいい曲だと思います。皆様、どうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=wommkJBaMfU

晴耕雨読

先日、千葉県の旭町に行ってきた。旭町と言えば千葉で津波被害が最も大きかった地域であるが東京から車で1時間半程度で着いた。旭町に行った理由は、友人のRちゃんが、旭町で大松農場という大規模農場を経営している大松さんという面白いおっさんと最近知り合いになったから、遊びに行かないか?と誘ってもらったせいである。この農場は100年続く農場で日本では珍しく10ヘクタールを所有している。千葉で10ヘクタールと言えば何億円もの資産価値である。そう、大松さんは単なる農家ではなく、資産家なのだ。農場に着くまでは、大松さんはテレビに良く出てくるような気のいい農家のおっさんだろうと勝手に想像していたが、実際の大松さんは、農家のイメージを裏切るように、農場内に自分の書斎件事務所件秘密基地みたいな部屋を構えている、ちょっとした研究者という感じである。部屋の中は天井まである本棚にぎっしりと本が詰まっていて、しまい切れない本や書類が部屋の隅に山積みになっている。よく評論家の家がテレビに映ることがあるが、あんな感じである。大松さんは、私達がソファに座ると、その直後から、とうとうと話を始め約2時間話し続けていた。いや、こちらから話を止めなければずっと話していたに違いない。もちろん、話の中身は面白かったのだが、感動するのは、知らない相手に2時間も話を続けられることである。年を重ね70近くになってから、何時間も話し続ける気力、話題の豊富さ、ああ言えばこう言う理屈っぽさ、に圧倒された。老人を見ていると、こういう老人になりたい、というタイプの人と、こういう老人にはなりたくない、というタイプの人がいるが、大松さんはもちろん前者にはいる。理由は、自分で生産手段を持っていて食べることに事欠かないから依存心が低く、自分の興味のある分野の研究・読書に明け暮れ、若い人が来たら議論をしたり教えを垂れたり、ビジネスマインドも忘れないから世の中のことにも大いに興味を持ち続けている。まさに晴耕雨読を地で長年続けてきた結果出来あがった人格ではないか。年をとったら何もやることが無くなって寂しいなどというのとは真逆の人。どういう老人になるのが理想かは、まだわからないけれど、晴耕雨読を貫いている、という年の取り方は結構理想に近いような気がした。

田舎なう

イースター休暇二週目、フランスはパリ西部にあるサルト地方に来ています。

パリを出てしばらくすると、菜の花畑が続きます。「こんなにあったっけ?」と地元ィーの夫が驚くほど。植物油のほかになにに使われるのだろう。走行中の車窓より撮りました。



そうそう、出発前日に行った、パリの植物園で撮った紅白のサツキも載せます。大きくするとボケてますね。
ちょっと金平糖とか、星屑って言葉を連想しませんか?



菜の花の絨毯パッチワークを抜けると一面緑、緑、緑!


Bourgeuil畑も新緑が始まってました。



青々と茂る草むらの美しさに、踏ん張れ、とか、食いしばれ、とか、そんなメッセージを受け取り。
なんというのでしょう、ばーん!と背中を叩かれたような感じです。

そんな昨日、ネットサーフしていたら、キャンディーズのスーちゃんが亡くなったとの訃報を発見しました。
キャンディーズの解散コンサートはテレビで観てたくちです。三人の若いお姉さん達が涙流して手を振っていた。さらさらの涙、プチョプチョのほっぺを濡らしていて・・・。一緒になってブラウン管(死語になるんですね、これも!)の前で大泣きしたのが昨日のことのよう。
そのあと、パリでは広島の頃に繰り返し放映される「黒い雨」を観て、キャンディーズの頃、こんな天職が見つかるなんて、本人も思ってもいなかったのではないか、と思ったほどりっぱな女優さんになっていて驚いたことがあります。映画での儚いイメージと重なってしまって、とても悲しいです。

折りしも今日は、聖金曜日。被災して亡くなった方、若くして亡くなってしまった友人ら、そしてスーちゃんのご冥福を祈りつつ、緑を愛でて過ごそうと思います。

Saturday, April 16, 2011

東京らしさ

放射能の問題はちっとも解決されないけれど、関西や外国に避難していた友人達が少しずつ東京に戻って来たり、日本に来るのを延期していた外国人が恐る恐る来日し始めている。来週は関西、アジア、パリから友人が日本を訪ねてくる。地震前には色々な地域から多くの人が東京を訪れてくれるのが当たり前だったが、この一カ月日本を訪れる旅行者は消えてしまっていたから、再び日本に来てくれるという知らせはことさら嬉しく感じる。不思議だけれど、人が来てくれる、こんなことが本当に嬉しいのだ。東京はヨーロッパのように街並みが美しいわけでもなく、アメリカのように広く贅沢に暮らせるわけでもないし、アジアの他の国のように高度成長を謳歌できるわけでもない。東京の特徴が何なのかは住んでる私にもよくわからないのだが、多分、東京が東京らしくあるためには、うぞうむぞうの人達が入れ替わり立ち替わり出入りして、交通機関も過密なダイヤで多くの人を運んでいて、世界中の料理が楽しめる無数のレストランがあり、胡散臭いお店も多く、夜中まで眠らない、そんなことなのではないかと思う。まさに電気やその他のエネルギーを存分に使う生活ということだ。今は、当たり前のことだけれど、夜になると街は暗くなる。節電に努めながら、東京らしさを取り戻し、更に成長していくというのは、意外と難かしいシナリオのように思えてくる。今年の夏はどんな夏になるのだろう?

Friday, April 15, 2011

春休み

フランスの学校、この前冬休みだったと思ったらもう春休みです。

今回は地震の影響もあるのでしょうか、内職もないので、思いっきり子猿らに付き合って、花粉舞い散る公園に出かけています。
毎日違う公園に行くことに、兄猿は、「そんなに無駄使いしちゃうの?」と嬉々としています。これを正しく翻訳すると、「毎日違う公園に行くなんて、そんな贅沢いいの?」と言うことだと思います。
出不精、ケチ、同じルーティーンを繰り返す毎日だと、こんな些細なことで喜んでもらえる。しめしめ。

こういう体力勝負の日々を送っていると、語ることもなく・・・。
まぁ徒然なる写真を観て下さい。

これらは、Jardin des plantesという、パリ中西部、ソルボンヌ/カルティエラタンからそう遠くない場所にある植物園+動物園で撮りました。広々としていて素晴らしくきれい。
パリは、都会の雑踏の中にも所々にこんなスペースがある。憎たらしいほどリッチなフランスを感じます。














Tuesday, April 12, 2011

人間は拝み好き?

内田樹のブログで面白いことが書いてありました。
「人間が人間であるための神について」というエントリー。人間は拝むのが好きな特性があるから、街づくりをするときなどには、宗教的建造物を取り込むべきだ、と。それをしていない近代の街には変な新興宗教に走ったりする傾向がある、と。けっして、「神をおろそかにするから天罰が下る」という論理でいっているのではなく、タイトルにもある「人間が人間であるため」に信仰が必要なのではないか、という話と理解しました。

私は神がいる世界観というのに温かみを感じる派です。イエス様がいる世界に救いを感じるし、いてくれることが嬉しい。
がんと戦った友人は、西洋医学では説明しきれない生命の神秘を信じる、といって、まぁ結局亡くなってしまったのですが、でもその信仰にはやはり救われたのではないか。
見えないものを信じる、論理的にはありえないことを信じる、疑いながらも信じてしまう、こういうところに人間の奥行きの深さを感じるし、愛情も感じてしまう。

特に都会には、サンクチュアリー的場所が少ないから、宗教的建造物あるといいかもしれませんね。皆さんはどう思われますか?

Monday, April 11, 2011

色のある世界

カンボジアにいる大学時代の友人がカンボジアの美しい植物の写真を送ってくれた。
色は薄緑でハートの形をしていて、かわいいコブが幾つもついている。この1か月間震災関係の悲惨な映像を長い間見ていたせいか、美しい色と形のその写真を見た時に、心がパッと明るくなって、綺麗だなと思ったのだが、この綺麗だな、と感じる感覚が、とても懐かく思ったのだ。そう、ここの所色の無い世界、崩れた形、悲しい映像を見続けていて、綺麗な色、美しい形という世界から離れていたことに気がついた。食べること、住むことは基本中の基本だけれど、美しい色や形にが生活の中に取り込まれていることも生きて行く上ではとても大切なことだと思う。一日も早く色や形の綺麗な世界にみんなが戻れるといい。

新幹線

山形の友人と電話で話をしていたら突然揺れ出した。ようやく余震が収まったと思っていたのにこの数日また地震が増えている。と書いている最中にまた地震。電話の先でも、友人の家族が「地震!地震!」と騒いでいるのが聞こえる。この1か月間本当に日本は大揺れである。「地震だから切るね」と言って電話を切って、落ち着いてからかけ直すと、もう電話がつながらない。地震から1か月も経っているのにまた逆戻りした感じである。東京と山形を結ぶ山形新幹線は全線開通していない。5月まで駄目みたいだ。少しずつ復旧してるけれど、まだまだ時間がかかりそうだ。新幹線がないと日本では本当に移動に困る。こんな小さなことで文句は言えないのはわかっているが、実に不便である。

Sunday, April 10, 2011

染み入る音楽

昨夜は、信じられないような素晴らしいコンサートに行きました。
世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチの声かけで実現した震災復興チャリティーコンサートINパリ。収益全額義援金として贈られます。

音楽音痴の私ですが、彼女のCDで聴いたラフマニノフがあまりに感情的で、そしてそのスピーディーなテンポがまたはやる心って感じで「確かに素晴らしいピアニストなんだろう」と、いつかライブで聴いてみたいと思ってはいました。でも彼女がすさまじくビッグな人と知って以来、そんなの夢ね、とあっさり諦めていました。

それが、昨日パリ左岸のとっても小さな音楽ホールで実現したのです。
他の出演者達も著名な方ばかり。広島からいらした光井安子さんの短くも的確なスピーチにもあったように、今回の震災で、日本って世界から愛されているんだな、って知ることができたことに心慰められた方も多いのではないでしょうか。マルタさんは、震災に対してこんなメッセージを載せてらっしゃいますが、昨夜のコンサートでは一言も話さず、全ては演奏で表現する、そのスタイルもカッコいいと思いました。一方のギトリス氏はおじいさんらしく色々つぶやいていて場を和ませていましたが、時折真面目なことも・・。「この震災は、第三次世界大戦のようなもの。日本だけじゃない、世界が悲しんでいる」という言葉に、本当自然と放射能との大戦だなって。

演奏は・・・、素晴らしいの一言。
どのピースも素晴らしかった。能との和製オペラ「松風」も良かったし、89歳のギトリス氏のバイオリンもなんとなんとスムースで優しい音を奏でることか。マルタとの共演でピアノの横で立って弾く姿が、もうバイオリンと身体が一体化した楽器のようでした。そしてピアノ。連弾の曲目が沢山あって、その4つの手のすさまじい動き方に、感動、感動、感動。あんなに早く、正確に動くなんて、どんなに努力ししてらっしゃるのだろう、こんな音楽を書いた人も凄いし、弾く人も凄い。とにかく人間の無限大にも感じる可能性に、あぁ、私も頑張らなくちゃ、って思いました。
日本人の音楽家達も素晴らしかったこと。皆さんBravo!そしてありがとう!

コンサートは4時間近く。ライブハウスのような小さな空間で、演奏者も観客も一体となって、日本のことを想う、悲しむ、弔う、祈る、希望を探している、そんなチャリティーイベント。
被災者の方達に聴かせてあげたかった。ごめんなさいね、遠くで見ているだけの私達が慰められてしまって。
このコンサートは録音されて、配信による収益も義援金となるとのことです。4月15日より、Ituneなどでダウンロードできると。「Kokoro Martha Algerich Paris」でサーチすれば出てくると思います。

Friday, April 8, 2011

ドッグ・トレーナー

私の友人のKokozoさんは、こんなにさわやかな人いない、っていうくらいさわやかな考え方を持つ人です。

そんな彼女も三十半ばにしての再就職に悩んでいました。

それを機に、私も周りの友人らから、日本のパート事情について結構聞いてみましたが、かなり過酷なんですね。子育て中で、子供の就学時間中の勤務を望むと、場所によっては、ファーストフードや、ファミリーレストランしかなく、時給も暇な時間帯だからって高校生のバイトより低いとか。折角大学もでて、人生経験積んだのに、悔しい、納得いかないでしょうね。

Kokozoさんにしてあげられるアドバイス・・・
バイト時代から多種多様な業種をさまよった私が行き着いた結論が、「情熱を持ている仕事でないと続かないと思う」というのは、当たり前?それともナィーブ過ぎるでしょうか。
「情熱、好きなこと、興味あることって分かっているようで気づいていないことも多いから、色んなアングルから観るといい。」とも付け加えました。
例えば、ある人は、親の会社をついで建築内装の仕事で名を挙げた。住む人の要望などを上手に組み入れ、老人・そして介護する側にも配慮する設計が受けていた。が、あるとき、自分が本当にしたい・すべきことは、奉仕だと気づき、修道院に入った。実際、彼女を良く知っている人は、驚いたものの、これ以外に彼女のフィットする天職はなかったのかもしれない、と思ったらしい。
すごい話?そりゃそうです、だってこれは漫画のプロットですから。

でも、Kokozoさんの決断もこのプロットに負けない。
Kokozoさん、自分の好きなもの・・・、英語以外になんだろうと思ったときに、ふと犬を思い浮かべたんですって。そういや、動物好きだったかも。で、このたび、ドッグトレーナーの学校に通い始めたのです。それも、難関を突破して。

ドッグトレーナー。
少子化日本でペット人気は高いと聞いています。でも躾ができていないから、噛み付いたり吼えたりでクレームも多いとか。そんな理由でペットを手放すの、悲しいでしょうね。確かに需要が高くなる仕事でしょう。

そして、Kokozoさん。宅の子猿達と同じ歳のお子様を持つお母様でもありますが、そのしつけ・教育の仕方、いつも「あったま良いな、この人!」って感心していました。時には持ち上げ、時には厳しく、でも愛情たっぷりに接していて、子供心理をよ~く分かってらっしゃる、そしてご自身のセルフ・コントロールも良くできている。考えてみれば教育に向いている人だと思う。このKokozoさんがドッグトレーナーになるなんて、ぴったしかんかんです。(覚えてますか?久米宏がブレイクしたクイズ番組。)

このKokozoさんが、時々、こちらでも寄稿をしてくださるそうです。Jubiさん、犬談義ができてよかったですね
Kokozoさん、新しい門出、おめでとう!応援しています!

レイヤー

下の娘が傷んだ毛先処理をかねて、髪の毛にレイヤーを入れたいというので、さりげなくはさみを入れてみた。上手だと思ったが、物足りないと思ったのだろう。恐ろしいことに姉に修正を頼んだらしい。しばらくすると、「あや~!!!」という絶叫が聞こえてくる。そして、またしばらくすると、階段を下りながら”Mommy~!”という悲鳴。ああ、なんちゅうことか、狂人が斧で髪の毛をアタックしたような後姿。かわいそう。仕方ないので、ロングをボブに変えてみた。その横でさすがにまずいとおもったのか、姉は仕切りに「かわいい」を連発する。そこへ妹は上手を握ったと確信したらしく「お茶!」と命令してみたり、持ってきてもらったお茶を見て「やっぱり要らない」とはねてみたりする。ま、覆水は盆に返らないのである。かわいいボブでしばらく我慢してもらおう。明日の朝の姉のへアスタイルが見ものである。姉妹でけんかをした10年ほど前には、夜寝ているうちに妹に思い切り髪の毛を切られた悲しい事件を姉は経験している。

Thursday, April 7, 2011

例の新聞

例の地元新聞はきくきく!うちの夫は名刺大の広告をいれたら、うちの留守電にメッセージが入っていた。最近1500万ドル相続したんで、投資情報がほしいという爺さんの声。ほうじ茶でも飲んで寝ようかと思っていたのに、またワイン・グラスになみなみとついで見たりする。いや~びっくり、世の中の不公平。

Facebook

利用者が6億人というFacebookの面白さが突如わかった。高校の同窓生のグループができたので、毎日誰が加わったかわくわくしながら見てみる。東南アジアでは、Facebookのおかげで離婚率が上昇しているらしい。昔の恋愛の相手と再会し、一気に燃え上がるらしい。でも、これは燃え尽きてから間もない再燃としか思えない。30年もして再会すると、ただの茶飲み友達のような気がする。

地震ふたたび

つい一時間程まえ、4/7の夜11時半過ぎ、3/11に次ぐ規模の地震が東北中心にありました。宮城県で震度6強。東京も結構長い間揺れていた。最近余震も少なくなって少し安心していたところに不意を打たれた感じだ。テレビを見てみると、東北の海沿いの地域ではこんな夜中に、またもや津波警報が出て、急いで高台に逃げよ、立ち止まることなく逃げるように、と繰り返し言っている。直接被害にあっていない私も、もう疲れているのに、現地の人はたび重なる苦労・心労・疲労にまた地震、寒い夜中に怯えながら家を飛び出し、高台に逃げる。本当に心も体も疲れてしまっているだろうと思う。彼らがゆっくり安心して床に就くことができる生活はいつ来るのだろう。

小さいおうち

Soraさん、またとても面白い本を読みました。中島京子の「小さいおうち」、昨年度の直木賞受賞作品です。

戦前の古き良き東京を生きた女中さんの手記と言う形をとったフィクションです。今最後のページを読み終わったところですが、感無量。Jubiさんだったら、カズオ・イシグロの「Remain of the days」の日本版といったらイメージ付くかしら。

とかく今の地震後を戦後と重ねてしまうのは、本当の戦争を知らない平和ボケ世代のせいかもしれませんが、ここでもやはり重ねてしまって、時折、涙々。

その他、女中のタキさんのゆるがない良識が、一昔前の日本の心って感じで、いつ日本はこんなにゆがんでしまったのだろう、と懐かしくなったり、悲しくなったり。

私の場合は、こんなに美しい情景ではありませんでしたが、カタールで三年間お世話になった住み込みのスーパーナニー、ネルダを思い出してしまったのも懐かしいやら、つらいやら。カタールでの別れの日や、パリに帰ってからも夢で彼女がいる生活をみて、朝起きたときの、あの喪失感、いやだったなぁ・・・。
そして、「女中がいない家庭に幸せはない」といったようなくだりがありますが、確かに。
カタールでの夫は、日中戦場で戦って夜帰ってくる人、って感じだったので、ネルダがいてくれた生活は、私一人じゃない、タンデム組んで家庭を守っている、といったような連帯感があって、幸せでした。
元気かしら、ネルダ。子猿達はこんなに大きくなってますよ~。

何よりも切ないのが、十代から八十才くらいなのでしょうか、若き日に山形から上京したときから亡くなるまでの長い時間を、まるでタキさんと一緒に時を過ごしたような気持ちにさせる作家の力・才能はすごい!でも一方で、もう巻き戻しきかないという時の本質をまざまざと見せ付けられもし、なんだか、孤独に歳とってしまうことを経験しちゃったよ、どうしよ、ってな気持ちにもなり。

でも、幸い実際には2時間くらいしか時は経っておらず、私もまだまだやるべきこと、できることがある。
「よし、やろう!死ぬとき、悔いないぞう~」とむんずと立ち上がる、立ち上がってみせる、そんな底力を出す気になる本でもあります。

良い本に出会う喜び!あぁ、ありがとう神様!!心底そう思いました!

Wednesday, April 6, 2011

Claim to Fame



これが例の町内新聞の記事である。一面トップを期待したが、15面であった。ま、おかげでお忍びで町中を歩かなくてすみ、ありがたい。でも、Lazyさんのバザーの規模をみると、やはり大都会と田舎町の違いを痛感する。人口6000人にしては上出来と思うことにしよう。

爽快なる朝 (本編)

あぁ、イライラを書いたのですっきりしました。では本題に。
風邪は昨夜で終了しました。今はスポーツあとの爽快感です。

そしてバザーの集計も出ました。詳しくはサイトをご覧ください。こちらのサイトでは、被災者へのメッセージが動画で見られるようです。このサイトの構築といい、いやはや、関係各位の皆さんの才能・能力に感服です。

義援金、総計420万円相当(35,777ユーロ)だそうです。そうです、これは皆さんが私に託してくださった、素敵な服や、お菓子、おもちゃ、かばん、折鶴など等が義援金として生まれ変わったのが含まれています。
あらためて、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
人を信頼するって、このご時世難しいことなのに、今回の震災では、お会いしたこともない方から、「これが役に立つのならバザーに出してください」と沢山の物品を送って戴いて、その信頼にこたえなくちゃ、といつも以上の力が湧き出たように思います。

開催と同時に2時間待ちだった今回のバザー、特にお子様連れの方々はギブアップせざる負えなかったと聞いています。折角の善意を受け止められなくて申し訳ないです。次は何かお子様連れ向けのチャリティー・花見でもどうでしょう。ベークセール、お寿司セール、弁当セール、プラス、お子様用に紙芝居・マリオネットとかして、この売り上げは義援金とか。

まだまだ続く復興への長い道、微力でもしないよりまし、この精神でいきたいと思います。

爽快なる朝 (プレリュード)

日曜日のバザーで火事場のバカをやっていたら案の定風邪を引きました。

そもそもの感染元としては夫への疑惑大。タイトルとは裏腹に愚痴っていいですか。

まず、日曜、バザーでへとへとで夜帰ってきたら、家がすごい状態になっている。ワタクシ、あまりの怒りにコート着たまま靴下を拾い、食べかけのパンを拾い、食洗器をアンロードしました。昔、ANAの先輩が、「新婚生活どうですか?」という質問に、「昨日ワシントン(超ロング路線、時差からも一番疲れるフライト)から帰ってきたら、部屋がぐちょぐちょ。ありえない汚れ方。頭白くなって制服のまま、流しに立って洗い物始めたら夫がビビッてた。」と言うのを大笑いして聞いたものですが、今は笑えない。「お帰り~、どうだったバザー?」と聞く夫に、「子供達、お風呂入ったの?」と返す私。恐いですね~。

そして、風邪でダウン。「大丈夫かい、心配なんだ」と優しい気持ちを持っているのはわかるんだけど、家事能力がゼロなので、役に立たない!!例えば、食洗器回したよっていうから中見ると皿が3枚、コップが三つ。エコって言葉知らないのかい。しまいには「僕も調子悪いかも。薬どこか知ってる?」

みなさ~ん、フランスの男性は優しいとよく言われますが、一方でフランス人といえばエゴイスト。この両面がどう絡んでいるか、考えてから恋に落ちましょう。

あまりに爽快な話でないので、一旦きります。

Tuesday, April 5, 2011

ベーク・セールで2000ドル

ところで、例にガラージ・セールに続き、先週末はベーク・セールで2000ドルほど日本の被災者のために寄付金が集まった。

おかげで、町内会の新聞に載ったりしたので、にわか有名人の気になっているが、週に一回の発行で一面どころか、15面にちょこっと載っただけなのだ。これが人生の絶頂出ないことを祈る。

21歳

今日は長男の誕生日。水と油のような父母の間に生まれ、不思議な生物観察日記を実体験しながら立派に成長した彼は、なんと最近友人二人と一緒に家を借りて住んでいるという。確実に大人になっていっている。「親はなくても子は育つ」を体現する彼は偉いと、感動した。21歳の頃の自分を振り返ると、相当大人のつもりでいたけど、逆に今の中年の自分の方が冒険をしたりする意欲が出ていて若いような気がする。もちろん、これは精神面に限ったはなしで、体は着実に老いている。

Monday, April 4, 2011

ZEN!


なんだなんだ!これはどこだ?!

なんと、パリの拙宅の洋間ですよ~。畳も座布団も友人のみほさんが持ってきてくださり、我が家のまな板から、箱の蓋なども総動員して作り上げました、にわか茶室。中々ではありませんか?

侘びすけならぬ、セーヌ川沿いの花屋さんでみつけられたという、カメリア・ジャポニカも先生の手にかかれば、しっとりした趣の茶花です。


先生ご持参のお軸も掛けられて



お濃茶用の干菓子の美しさに、涙が滲んだのは、東北地震が起きてから日が浅かったせいでしょうか。このときはまだ被害の規模もわかっていませんでした。刻々と伝わってくる事の悲惨さに息苦しかった頃です。
(干菓子 京都北野 老松、お抹茶 大阪 石本川口軒)



薄茶用の生菓子の愛らしい丸さ!そして美味しかったこと!こういうときは和菓子のシンプルな甘みが身体に、心に染み入ることを知りました。中は黄身餡でしたよ~。
(主菓子 西王母  高輪 玉川屋惣八)



うちのうなぎの寝床みたいに狭いキッチンが水屋となり。「撮らないで、こういうところ」といわれましたが、先生の太陽のような笑顔、載せずにはいられません。



厳かにお茶を点てて下さったのは、中澤宗寿先生。日本から文化交流のために来仏されました。一週間の短い滞在中に、日本が大変なことになり、在仏邦人は大慌てしていました。そんな中、「ニュースを見ない時間を作ろう」と皆さんTV画面から身をはがすようにして、即席茶席に集まり、しばしZENの世界に同席しました。お茶を立てている間は、先生のご友人の佐藤真由さんがバス・フルートで幻想的な演奏をしてくださり、静寂なる音楽に、心の糸が少し緩められました。真由さん、本当に有難うございました!
そして中澤先生、今一度御礼を申し上げます。大変なご準備をしていただきまして有難うございました。


「こういう状況の中、静かなひと時の中で、静かな気持ちで日本を想うことができてよかった」
とは、この茶席に出席した友人、みおこさんの一言。


まさに、私の今朝の心境です。


昨日のパリ・オペラ座でのバザーは大・大・大盛況でした。詳しくは色々な集計が出たらまたこちらでも報告します。微力ながらも参画させていただいて、そして皆様よりご協力いただいて、感謝の気持ちで一杯です。

そんな昨日でしたので、今朝は、嵐の後の脱力感というか。

今日は、静かな気持ちで、被災者の方が、日本の皆様が一日も早く元気になられることを祈りながら過ごしたいと思います。

Sunday, April 3, 2011

Hero

http://www.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/03/japan.tsunami.captain/index.html?hpt=C2

更衣室

本日は晴天なりで、本日も晴天であった。今年は雨続きだったがここ5日ほど青空が見えてとてもうれしい。そんなわけで10時前に娘と一緒にプールに出かけたものの、一緒に飛び込んだはずなのに、もどってくると隣のレーンに誰もいない。「ったく、最近の若者は。」あったかいプールに行ったんだななんて暢気に考えながら20分泳いでロッカーに戻るとどろどろと両足から血を流しながら娘がバンソコないのかと聞いている。なにやらプールに飛び込んだらどこかに足をぶつけたという。この人は生まれた時からこんな調子でいつも足を怪我する。赤ちゃんの時にはおもちゃに足を突っ込み、病院で数針縫った。数年前は体育の時間に足をひねって骨折をし、やっと治ったかと思えばまた体育でホップ・ステップ・ジャンプで着陸と同時にかかとを骨折した。まったく不運な子である。

更衣室でぶちぶち文句を言う娘を無視しながら着替えていると、「ぎゃ!この体重計は間違っている」とおばちゃんがいう。「どれほんじゃ私が。」と乗っかった知り合いは、「この体重計はやや軽めに数字が出る」といい、おばちゃんはさらに興奮。そこへでしゃばった私は「その体重計は以前は軽めだったけど、最近修理したそうで、今は正確な数字だそうだ」と茶々を入れる。おばちゃんの晴天なりの一日はこうして雨もよう変わった。

最近またおなかがぽっこり出てきた私ははなから体重計を無視し、気にせず晴れやかに更衣室を去る、血まみれの娘とともに。。。

Saturday, April 2, 2011

農業

昨日、福島の郡山在住の友人から電話がかかってきた。郡山は原発から50キロ離れた街である。原発の影響で、郡山でも農地での耕作が禁止されたとのこと。農家の人達が今出来ている作物を廃棄するだけでなく、新たに耕作をすることもできないのだ。友人の言葉を借りれば、農民が土を触ることが禁止されたとのこと。避難勧告の出た地域は他の地域に行政の力を借りて移ることができるが、それ以外の人達は、その地から逃れることなく、生計を立てる手段までが閉ざされてしまっている。私に電話をしてきた理由は、去年から私はカンボジアやラオスに行っているけれど、向こうで農業をすることはできないのだろうか?という相談であった。暖かく冬のないインドシナの地で農業を展開するというのはとてもいいアイディアだと思う。多くの人達があらゆる助けを必要としている時期なのだと再確認をした。早速リサーチを始めよう。

福島とティブロンの関係

この町にはChina Cabinという歴史的な建物がある。Chinaという船の一等船室が保存されているのだが、先日久しぶりに晴れた青空をバックに日の丸が掲げられていた、星条旗の横に。この一等船室に1869年に徳川家のメンバーが乳母や家来を連れて新しい人生を求めてカリフォルニアに来たらしい。西部で金が発見されて20年もしない頃のカウボーイとインディアンの西部にきて、お茶と絹の生産を目指したものの2年目に天災にあい、ビジネスは破綻をしたらしい。この移民を若松コロニーと呼ぶらしい。その中でも、乳母の伊藤おけいという女性は19歳という若さで亡くなり、北米ではじめて埋葬された日本人として知られているということを、学んだ。会津若松の福島とティブロンの関係はこうも不思議な因縁があるもので、このChina Cabinの会津若松展示会のオープニングに招かれて被災者募金のガラージ・セールの成果を報告した。そんな折、被災で大変な福島から丁寧なメールを頂戴した。「カリフォルニア州の多くの方々が、福島県のために祈りを捧げていただいていますことに、心から感謝しております。もとの生活を取り戻すまでにどの程度の時間がかかるかわかりませんが、私たちは、地震・津波・原発のダメージを乗り越えて、力強く復興していきたいと思いますので、今後ともお力添えをいただければ幸いです。」と言うメッセージを頂き、福島がとても好きになった。

今日のBake Sale

今日は日本への寄付の第二弾で、教会のBake Saleです。シンガポール人と結婚している白人の友人シェリルのコメントは言い得て妙で、地元のアジア人がこぞってお出ましである。とはいっても、99%白人の町なのでそんなにはいない。一個$1.50とかのクッキーやらを買ってくださる人々は全人種あつまり、$1100以上集まったようだ。すばらしい。千羽鶴を折るという名目でテーブルも設けられ、自慢の鶴の折り方教室を開設。まあ、面白い間違いを直しては、笑い話を交わすこと4時間。バンドやアカペラ、そして息子のバイオリン演奏、そしてインドの太鼓のタブラをバックグランド・ミュージックに楽しんだ。この震災の思わぬ効果は、地元の日本人の方々と知り合いになれたということ。

Friday, April 1, 2011

宇宙酒

夕方から赤坂に居たのだが、本当にスーツが全く似合わない若者が街に溢れていた。そう、今日は4月1日、日本は入社式の日である。学生独特の雰囲気がまだまだ漂う社会人1年生の集団である。この集団をかき分け、友人と夕食を食べに赤坂の土佐料理のお店に入ったら、土佐宇宙酒という日本酒を勧められた。なぜ宇宙酒という名前なのかというと、2005年10月1日の「日本酒の日」にロシアのソユーズロケットが宇宙に打ち上げられた時、そのロケットの中に、高知県産の日本酒酵母が搭載されていたらしく、この酵母は宇宙ステーションに8日間滞在した後、無事に地球へ帰還したらしい。その後、この酵母は高知県で18社の蔵元に分けられ、純米吟醸酒が仕込まれたそうだ。ということで、今日は、外国帰り、いや、宇宙帰りの日本酒を頂いた。宇宙開発のことは全く知らないが、日本も結構面白い実験をやっているようだ。

無力感

地震から丸三週間経過した。あれ以来毎日被災地の映像とニュースが流れてくるのだが、今日は特に悲しい知らせがあった。それは、何気なくアナウンサーが伝えたのだが、被災直後はみな必至で生きぬいたこと、大切な人がもしかしたらどこかで生き抜いているかも知れない、という希望で、ある意味活気づいていた避難場所が、3週間経って嘘のように静まり返っているというのだ。避難場所には沢山の人が避難しているのに、3週間たって皆極度の疲労やストレスから、黙り込んでしまい立ち上がることができなくなってしまった人も多いとのことだった。今何が欲しいか?といういつもの質問に対し、何も欲しいものはありませんと答えたおばあさんを思い出すと、ただ涙ばかりがでる。震災以来多くの友人が、すぐ近くであんなに辛く悲しい思いをしている人が沢山いるのに、何もしてあげることができなくて、無力感に苛まれているということを聞く。本当にその通りで、私も似たような思いに苛まれている。

涙そうそう

最近は涙を自制することができず困っています。
昨日は涙もろい友人と会い、ついつい、震災のことや、その他の話をしていて、空を仰ぐようにしていると、「みきさんも私に負けない涙もろさだね」と。ばれたか。

歳のせいにしてきたけど、思い起こせば、20過ぎの一人暮らしの頃から始まったのだと思う。家族でも、周りに人がいるときは、気も散るし、なるべく泣きっ面をさらさないようにしていたのが、一人暮らしだと、辺り気にせず泣けるから、それはもう朝刊読みながら泣いたりしていました。

でもこういう恥ずかしい癖があってよかったな、と思う今日この頃。だってそうでもしければどう処理していいかわからない感情の量だったりしませんか。例によって気分転換にエンタメ・ニュースを見ると、Jubiさんも大好きな杉良太郎が、トラックなど12台で現地入りして炊き出しやら、寄付やらしているとか、色々な美談が満載です。またまた涙そうそう。

悲しい涙、感動の涙、花粉症の涙、しばらくはお岩さんのような顔をさらしていることでしょう。
4月3日は、パリ、オペラ座近くでチャリティー・バザーが開かれます。お近くにいらっしゃる方、是非お立ち寄りください。
お岩さん顔で一人四谷怪談やっている人を見かけたら、それが私です。お声かけくださいね。