Tuesday, September 29, 2009

羽田国際空港

先ほど、ニュースで羽田の新滑走路が2010年、来年10月に開通されるとあった。そうなると、国際線も羽田から離発着するらしい。

この秋に家族で日本に旅行を、と色々旅程を考えていたが、飛行機恐怖症の夫、サルもびっくりの野性を発揮する幼い愚息らを引導して、成田から更に二時間近くかけて都内のホテルに移動する自信がなく、日本行きを見送る理由の一つとなった。成田は東京でも、新東京でもない。

私が子供の頃はまだ成田が開港されておらず、我が家が海外赴任先から帰ってきたのは羽田であった。飛行機から階段を降りて、夜の東京湾からの冷んやりした風に吹かれたのを覚えている。私にとって羽田イコール東京、日本であった。日航の子供航空教室も羽田であった。兄が操縦席に座らせてもらって喜んでいたのを思い出す。

そんな思い出の羽田。昨年カタールに帰るときに寄ったが、今や素晴らしく改装、拡張されていた。それでもやっぱりノスタルジックなものを感じたのは、夜だったからだろうか。
以前このニュースを読んだときは、2010年なんて遠い先のことと思ったが、一年なんてあっという間だろう。よし、来年こそは!

パリも秋晴れ

パリは8月の終わりから早速日が短くなっている。今は、朝7時過ぎから朝焼けが始まり、夕方7時頃はオレンジ・ピンクの大きな夕焼け空である。日本でよく見た、真っ赤で、まるで燃えているような夕焼け空は余り見た覚えがないが、何故だろう?

先日、雑用を片付けるため朝8時頃から2時間程歩き回った。初秋の朝、凛とした空気の中、カフェからは淹れたてのコーヒーの香りが、そして向こうからはクロワッサンを焼くバターの匂いが流れていて、絵に描いたようなパリ。そしてパン屋の角を曲がると、目の前は並木道。枯葉一杯の枝から朝日が透けてその陰影が素晴らしかった。神々しい朝とはこのこと!一人「わーっ」と小声を上げる。

秋がないカタールでも、こういう、「秋晴れ」の朝を迎えたことがある。実際には二月頃だったと思う。空気が、英語でいうところのCrispで、朝日が天から降りてきました、って感じで。
そんな朝は何故か、感謝とか、祈りとか、そういう気持ちが湧き上がって胸一杯な朝の光、秋である。

PS、そう、秋はお腹もすきます。今夜は豚のローストとブルゴーニュのワインです。カタールの皆さん、羨ましいでしょう。

天高く馬肥ゆる秋という句を10年ぶりに思い出させる空模様だ。先週末までは、まさに盛夏という天候だったのが、急に秋めいてきた。食欲もわいてくるころではないかと思うが、たまたま見たサイトによれば、秋高馬肥は漢語ではまったく意味が違うらしい。秋になると、敵が馬に乗ってやってくるぞという警告らしい。これを食欲の秋という風に変える日本人は、結構能天気な気がする。さて、日本人は日本人らしく、ランチ何食べようかなあ?と考えることにする。

Monday, September 28, 2009

母親は、人間にものすごく影響を及ぼす、いやがおうでも。
そう思うと、うちの子供たちはどう思うのか多少気になる。毎晩ワインを飲んでは、陽気に鼻歌歌う母を恥ずかしく思うのか、アイドル不存を身をもって痛感するのか。。。
能天気な母をもつと、子供は責任感が芽生えるような気がするのは、勝手な想像だろうか?

Saturday, September 26, 2009

パリの子育て

パリの共働き家庭の子育て方は色んな人に仕事を分担させるのが特徴と言える。

生後6ヶ月頃から保育園に預けるか、ヌヌと呼ばれる乳母さん(多くの場合、アフリカ諸国の外国人等)か、お祖母ちゃんが駆り出され、お母さんが働いている間、幼児の面倒を見る。
お母さんはキャリア志向の人なら、サバイバルするために夜9時、10時まで残業、休日出勤もする。働かないフランス人、という一般的な印象は当てはまらない。
でも働いてばかりではない。多くのカップルは「たまには子供抜きで・・・」と結構頻繁に夜お出かけする。バカンス中も一週間位は子供を両親のメゾンドカンパーニュに預け、夫婦だけで小旅行する知り合いも多い。
言うまでもないが、添い寝など、始めからしない。母乳も日本ほど浸透していない気がする。お風呂も一緒に入らない。ご飯も一緒に食べないことが多い。子供はマナーが身に付くまで台所で、大人はダイニングで、というのを良く聞く。

余談だが、道端で見かけるフランス人お母さんは砂糖菓子のように甘い言葉(「私の宝物ちゃん」「私のハート君」etc.)で子供に話しかけているかと思うと、次の瞬間には宝物ちゃんのちょっとした悪さに、ヒステリックな声を張り上げて怒鳴りつけていることが多い。もし日本で、同様にお母さんが感情むき出しに子供に怒鳴っていたら、「あの人、大丈夫?」「恥ずかしいね」って思われるのではないだろうか。あれが僅かなる子供と一緒にいる時間だとしたら、何だかやるせない。

私は自分が放任主義の親の元で育ち、そんな環境だったからか、外部の方々から多くのものを学んだし、本にも食いついたので、子は親がなくても育つ、と思っている。周りを見ても、親べったりで育った人とそうでない人の差はあまりないような気がするし。よって安全な環境なら良いのではないか、心身ともに健康な子供ならば、パリ式も良いのではないか、と思っている。

しいて言えば、親はもっとスキンシップしたくないのかな、と思う。ほっぺにキス、というのは日本にはないスキンシップかもしれないけど、そんな瞬間のものより、あの湯水をはじく、きめ細やかな肌や、汗くさいけど何故か愛しいにおい、清水のような涙の味など、いつまでも味わっていたいものなのだ。

Wednesday, September 23, 2009

Homicide

I live in a pretty tame neighborhood. In tame neighborhoods, there are many hidden vices: drugs, alcoholism, abuse, etc. but murder is not one of those. This morning, I receive an email from the school - there has been a homicide in the neighborhood. I feel for the victim, but at the same time, wonder how our namby-pamby police force will solve the crime. Afterall, they are used to catching old ladies who run the stop signs, not ax murderers. This evening, I see a police car with sirens on full blast two cars behind me. As I give way to let it pass, I see it turning up the street that leads to my house. OOPS! I zoom up the hill to find paradise undisturbed. Maxime has passed his spelling bee first round, Julien is practicing his violin, and Charlie is on his tummy slurping up his food. As we dine, we exchange information about the day. Aya says she needs to go up and down the hill to the creek to perform an experiment. I protest violently on the grounds that a mass murderer is lurking in the grass. Julien and Charlie are summoned as her knights in shining armor. They trudge out the door in seething disharmony. I hope the murderer is caught quickly so that my kids' friends don't have to do their homeworks in the toilet out of fear of becoming the next victim.

Tuesday, September 22, 2009

桑田さん、エトセトラ

私は桑田佳祐の大ファンである。時折、Youtubeで桑田さんのビデオクリップを観ては幸せに浸っている。
桑田さん、昔はロックと日本語の相性が悪いからと、歌詞が英語だけのアルバムを出すなどしていた。以前書いたように、サザン、桑田さんは「私の日本」であって、海の歌であれば鎌倉湘南を思い出すし、夜の世界を歌ったものだと新宿、渋谷をイメージする。外国人が聞いたらどんなイメージを持つのだろう。(我が夫はクラシック以外は苦しそうな顔をするので参考にならず。)

逆方向だが、日本文学については、英訳本をいくつか読んだことがある。日本語の原本と比較すると、やっぱり落ちるな、と思った。夏目漱石のはんなりとした温泉宿の春の情景(記憶あやふや、私だけがそうイメージした可能性大)、川端康成のしんしんとした冬の静けさなど、伝わって来なかった。井上靖のしろばんばの出だしが大好きなのだが、まるで違う情景となっていた。村上春樹は英訳しても同じに感じた。

昔、カズオ・イシグロの「日の残り Remain of the day」を読み終わった時、何とも不思議なことに日本を感じたことがあった。イギリスの執事がナレーターとして話をしているので、超英語的な世界なのにである。あの本では情景的な部分がキーというか、こういう背景で、こういう時の流れの中に、こういう感情の動きがあって、という話だと、一人勝ってに受け取ったのだが、そういう表現の仕方が、全体から汲み取ってくれ、という日本的なもののように感じたのだろうか。

とにかく桑田さん、いつまでも元気に歌っていてほしい。

Friday, September 18, 2009

夢について

先日、多言語というトピックでJubilancerさんが、寝ているときの脳の動きについて書いていたのを興味深く読んだ。夢は実に奥が深いものだ。

私は病気になると見る夢がある。人に説明すると「何言ってんの?」といわれそうだが、こんな感じ。
夢の中の私は小指。ジャングルのような、ジュラシックパークのようなところを逃げ回っている。すると親指星人が追ってきて私を押しつぶす。これは子供の頃から発熱すると頭の中で上映される悪夢である。なにが怖いかというと、親指の威圧感が映画なんかよりもっとリアルで、夢の中の私は心臓が押しつぶされていくのだ。

あとは時折みた夢は、階段の上から下に向かって、うっかり跳躍してしまう夢。これも落下するときのセンセーションがリアル(の割にはバンッと落ちるのではなく、あくまでもオリンピック選手の幅跳び風)で、エクスタシーというか、冷や汗モノというか。ドラッグ・ハイってこんな感じなのではないだろうか。

寝ているときは、脳のある部分が持っている、豊かな想像力、感覚を、伸び伸びと発揮しているような気がする。そして起きているときは脳の別の部分がそれを制御しているのか。それは伸び伸びイマジネーションを制御しないと、つまんない現実生活に適応できないから、というある種の自己防衛的作用なのかもしれない。

Thursday, September 17, 2009

病気の異文化比較

久しぶりに風邪をひいた。人に会わずに一日過ごすことにした。ああ、仕事がはかどること、はかどること。。。大昔病気になると、母が作ってくれたメニューを作ってみた。ほうれん草とゆで卵を炊きたてのご飯に混ぜて食べる。昔はちりめんじゃこが乗っていた。しかも、決め手はセブン・アップ!我が屋はソーダがないので、仕方なく白ワインを昼間から薬代わりに飲んでみたりして、本を持って、静養のために寝室へと進む。Comfort Foodは千差万別なことを10年ほど前に知った。ミネソタ出身の友人は、病気になると、冷たいピザとコカコーラを食べたという。アイルランド人はきっとイモに違いない。ロシア人はボルシチかも。そう思うと、異文化比較も面白い。

Monday, September 14, 2009

親子関係について

わが夫には面倒くさい両親がいる。フランスの古臭い格式を重んじ、スタイルが大切で、思ったことを言わない天邪鬼(あまのじゃく)。特に長男である夫には軍人でもあるまいし、ちょっと時代錯誤なくらい、突き放し気味に育てたきらいがある。でも心根はとっても優しい人たちなのだ。これで嫌な人たちなら面倒ではないのだが本当に良い人なので困ったものだ。

夫とそんな彼の両親の関係は面倒くさい。お互い、愛情たっぷり持っているのは確実にそうなのだが、いいたいことを言わない、聞きたいことも聞かない、甘えたこともいわない。カタールから帰ってきてはじめての義両親との食事のシーンで、政治や天気について話しているのにはあきれた。もっと言いたいこと、言うべきことあるだろうに。
欧米の男性はこまめに母親にコンタクトを取る。夫もそうで、カタールでも週一回は連絡を取っていたが、お互い、話の内容はコアに触れず、「元気?」と聞かれれば「もちろん元気」と双方で言い合っていた。たとえ瀕死の重傷でもそう言っていることだろう。大人の関係といえばそうとも言える。

私自身は所謂(?)日本の都会の核家族、言いたい放題だし、遠慮などしないで、ずけずけ互いの境界線に踏み込む割には、肝心の部分は共有しない、そんな親子関係で、これはこれで良くないと思うのだが、夫のは見ていてじりじりすること多し。でもまぁ、お節介は野暮というもの。口は出さないようにしている。

二人の坊主の親の私として、幾ら口下手DNAの男の子だからといって、将来こういう儀礼的な関係だけは辞めてほしい。花を見ては「きれいだねぇ」と拙い日本語で話してくる次男、私に下手なダジャレを仕掛けては自分で大笑いする長男、こういう距離間を感じない親子でいたいんですけどねぇ、どうなることやら。

Tuesday, September 8, 2009

毎日かあさん、其の②

9月に入ってからは体力勝負の日々を過ごしている。4歳の長男が現地の幼稚園に通い始め、その送り迎えが主な理由である。

たかが1キロ弱の距離なのだが、朝8時半、昼は11時半と1時半(家で食事)、そして4時半、と一日の一番良い時間を四回にコマ切れにされる。次男を乳母車に乗せ、長男にはコーチさながら「後少し、ほらガンバレ!」と声を掛けながら、いつも小走り、遅刻寸前で駆け込む。

次男の託児所を見つけたが、託児所も上の子を幼稚園でのピックアップを意識した時間割りになっているし、公立の託児所(有料)は週一日しか預かってくれない。
どちらも、母親が働いている場合は、(たとえ父親が無職でも)もっと協力的らしい。すなわち、幼稚園は給食あり、延長保育あり、また入園に歳が満たない幼児は8時から18時過ぎまで預かってくれる保育園に優先的に入れるという。まぁ、働かざる母親は幼子に振り回されるべし、ということなのだろうか。

そんな生活だからだろう、私の食事は主食中心の体育会系。ご飯などに子供の残り物がおかずで、超早食いしてかばんを持っていざ幼稚園へ。パリの9月は晴れるとカラっとしていて、コマ切れな一日は短くって、あっという間にベッドタイム。本を読むも2,3ページで瞼が閉じてしまう。まるで高校時代のような、中身ない空っぽな充実感に満ちた日々である。
周囲の人に言われるように、子供が大きくなったらこの全力疾走の毎日を懐かしく思い出すのであろう。が、今はカタールでゆったりと小説を書いていたあの日々が懐かしい・・・。

多言語

最近、英語のブログも書くようになった。今までは日本語の方が書きやすいと思っていたが、英語もなれると結構面白い。時折、夢の中でフランス語をとても上手にしゃべる自分にめぐり合う。おきている時の私のフランス語は、とてもじゃないけど上手とはいえない。我が子にまでも、「昔は僕もその位下手だった」と、言わしめるほど下手なのに、夢はすばらしい。ESPという本を読んだ。実は右脳は言語や音楽がとても流暢らしい。ところが、左脳は謙遜して、そんなはずがないと牽制するらしい。夢は左脳が寝ているのをいいことに右脳が本領を発揮するようだ。起きているときも左脳をだまくらかすと、多言語が堪能な自分になれるかもしれない。

Tuesday, September 1, 2009

America the Beautiful

アメリカのいいところは、何でもありなところ。今朝も、ローラーブレードをはき、街中を滑走する60代のおばちゃんを見かけてそう思った。日本では、そんなことをするばあさんは、結構珍しい気がする。