Tuesday, May 31, 2011

DSKの話

扇動的メディアのフランス、人の心も移ろいやすく、震災→ガタフィー→カーラ(ファーストレディ)妊娠?→DSK、というのが、夫の会社の社食でのトピックだったようなので、これが代表的なフランス的話題だったのでしょう。

DSKこと、Dominique Strauss-Kahn元IMF理事の暴行事件は酷い話でした。
私見ですが、私は有罪だと思います。(いいんですよね、好きなこと書いて。ブログだし、言論の自由、守られていますものね?)前例ありすぎる人だし、今回の現場の状況を読んでいてもDSKがシロとは思えない。

今回の事件で驚いた事をいくつか。
・何故、多くの人が「これは作為的なものだ。DSKをはめようとしている」という策謀説に飛びついているのか。メディア、警察に対する不信感の高さにびっくり。

・仏野党の社会党が「アメリカの司法システムを信頼できない」と堂々と述べたこと。法体制が、民主主義が一番発達しているのはやはりアメリカではないのでしょうか。そのアメリカの司法システムを信頼できないって、政治団体である社会党が述べるっていうことは、アメリカを、アメリカの民主主義を信頼していない≒民主主義を否定している、って取れないこともない。何だか非常識な発言だと思いました。

・DSKの頃、シュワルツネッがーも隠し子が発覚。パワー・アニマルとは、本当にアニマル?Below Human? 

・DSK奥さんは日本の安藤優子的な人と聞いています。今回が初めてではないでしょうに、何故DSKを庇う?

それにしても、DSKをはじめ、恐らく多くいるセクハラ親父(もちろんババァも)にセクハラ・暴行がどういうことなのか、理解させるのは無理なのでしょうか。
以前観たレイプされた人のドキュメンタリー映画で、「レイプとは、個人の尊厳への侵入であり、侵されたものは尊厳を取り戻すのが非常に難しい。尊厳を損うということは、自分を失うこと、『死』と同じなのだ」
というようなことを言っていました。セクハラ・痴漢も基本的に同じだと思います。日本に住む女性なら、痴漢・変態など遭遇してしまったこと、あるかもしれません。あの時の記憶、恐怖、嫌悪感、怒り(その通りですね、Nemoさん)など拭っても拭い切れないものだったりしませんか?

昔、合コンした弁護士さん達が、レイプ事件に対して、軽視しているような意見を述べているのを聞いて、認識の違いにびっくりしたことがあります。あの人達が少数派であって欲しい。

脱線してしまいましたね。
DSK、事の顛末はどうなることか。どきどきするあたり、私も司法を信頼しきれていないのでしょう。
OJシンプソン的結末だけは避けて欲しいです。

Monday, May 30, 2011

健康診断

最近の医学の発達は本当にすばらしいですよね。私も45歳を過ぎたころから定期的に健康診断を受けるようになりました。今回また受けてきましたが、なんと左の胸に2つ気になる影が映っている言う事で(詳しく説明すると長くなるので省きますが)、先週生検の手術を受けてきました。手術とはいっても当日の夜には帰宅できるものですが、結果がでるまでの数日間が結構大変でした。やはり癌だったらどうしようという人並みの心配で、なんでそんなに心配なのだろうと自分でも解らないくらい不安な毎日を過ごしていました。でもやはり生きたいのです。結果は癌ではなく、繊維嚢胞性変化ということでした。ほっとしましたが、”高度に発達した医学の犠牲”で一昔であれば解らずに(というのもメモグラムのみでの発覚なので)、何もしないで済んだのみたいなコメントを知り合いに言われ、何か不必要なことをしてしまったような妙な感じを否定できないでいます。でも正直なところはやっぱり”なんでもなくて良かった!”

Saturday, May 28, 2011

筋の通った生き方


山崎豊子の「運命の人」を読み終えました。

彼女の作品は「沈まぬ太陽」以来。今回のテーマは戦後から今までの沖縄の歴史です。悲しすぎる歴史です。沖縄返還のカラクリ、真実を追究した新聞記者が社 会とメディア両方からつぶされていく過程、そしてその犠牲になっていく家族・・・。今だったらウィキリークで流せばよかったのよ、といいたくなる。そし て、やはりウィキリークは罰せられるべきではない、と再確認したり。

・・・脱線してはいけませんね。

山崎豊子が書きたかったのは、多分、4巻目の沖縄の近代史だと思います。ひめゆりの塔など、薄っすら知っている歴史をあらためて、沖縄の人の言葉で語られ ると、涙がとまらず、なるほど、沖縄の人が「涙(なだ)そうそう(涙をポロポロ流す様子)」という言葉を作ったのには、こういう悲しい歴史も理由の一つな のかな、と思いました。

そして、悲しみの涙だけではなく、怒りとか、悔しさの涙もじわじわ沸きます。佐藤栄作の小ささ、利己主義さに(怒り)、何故こんなヤツを内閣に選んだのだ(悔しさ)、とか、アメリカの誠意のなさとか。なぜ佐藤栄作がノーベル平和賞だったのでしょう。超意味ないです。

山崎豊子さんはなんと大正生まれ、86歳です。
この本を書き始めたのが約十年前。取材や資料探し、大変な量だと思われますが、なんというバイタリティー。素晴らしいです。同じ女性として、人間として、彼女のように、使命感を持って活動し続ける姿勢に尊敬せずには居られません。
まだ二作しか読んでいませんが、どちらも「筋が通った人」が主人公でした。その奥様も昭和の女性らしく、文句言わずに、けなげに影で支えるタイプで、その 受身的且つ献身的な生き方に美しさを感じます。いやぁ、私にはできないわ~。そしてこの奥さんの生き方にも「筋」がある。夫の運命に翻弄されているよう で、しっかり自分で選択している。そして、主人公(+家族)が相対する社会は、ねじれていて、歪みに歪んでいる。そういう話です。うぅ、やり切れないで しょ?むかつくでしょ?
終わり方も決して水戸黄門的ではないのが、戦中派、そしてその後の日本を長く生きてこられた方の厳しさなのでしょう。一方で、救われない話ではない。筋通 して生きる人だけが持ちえる、内面的な充足感、達成感が書かれていて、「正しく生きるって、大変だな、でも、こうありたいな」と思わせられます。

「文庫化を急いでもらったのは、一人でも多くの人に読んでもらいたかったから。本当の沖縄のことを一人でも多くの人に知ってもらいたい」
とあとがきにありました。是非読んでください。暗い話ではあるのですが、スピード感ある展開、語り口に、落ち込んでいる暇ない、ページめくらなきゃ、って感じです。エンターティメントとしても一級です。

奇しくも、沖縄普天間基地の移動問題がまた先送りされそうとメディアは言っています。
これ以上、この島の人たちを犠牲にすることは許されない。
日本の政治に絶望しないようにしているんですが、菅さんじゃあねぇ・・・。
直接オバマ大領領に手紙でも書こうかと思う今日この頃です。宛先はFacebookのアカウントでいいのかな?

Friday, May 27, 2011

最近の感動のまとめ

金曜お馴染みの備忘録。最近感動したこと、書き留めておこうと思います。

  • 太田光氏 「振り返ったときに『あの時代に生きることが出来てよかった』と思える今にしたい」
  • 太田光氏の奥さん「人は死ぬと時間になるのかな」(引用など、記憶を頼っていますので正確性に欠けるかと思いますが、悪しからず)
  • 桑田さんの新アルバムの一曲、「傷だらけの天使」の歌詞。「勝たなくていい、負けなきゃいいんだろ」、本当にそうよね。そう思えばいいのよね。このドラマも好きだったなぁ。
  • ビデオクリップ、奇跡の地球  これいい歌ですね。知りませんでした。
  • ビデオクリップ Pray for Japan ツィッターに寄せられた地震のメッセージをまとめて音楽に載せて配信しています。
  • マルタ・アルゲリッチと酒井茜さんの震災チャリティーコンサートでの連弾。彼女達、ピアノと一体化していました。楽しそうだったこと!
  • SNSエトランゼの日記達、お気に入りブロガーさん達のエントリー
  • ドラえもん感動編という再編集されたマンガ本。私が感動してウルウルして手が止まると、子猿が「早く、次ぎ読んで!」と全く感動していない。
    • ドラえもんって70年代に始まった漫画なんですね。あの頃は敗戦が現実感ある記憶として残っていたようで、平和に関するエピソードが結構あり、子猿に説明する良い機会となってます。それにしても私の世代はこうして古い漫画を通してしか戦争と平和について子供に語れないとすると、かなりメッセージ力弱いなぁ、と反省です。
皆さんの感動もおすそ分けください。
良い週末を!

Wednesday, May 25, 2011

10周年同窓会

日曜日は、パリから60キロほど南下したところにある城下町、フォンテーヌブローに行って参りました。
フォンテーヌブローといえば森、その森の中にある、ビジネス・スクールINSEAD(欧州経営学院)で、卒業10周年行事が催されたのでした。

前回は5周年記念があったのですが、たった5年だと、薄情は私としては、あまり懐かしさもなくすっぽかし。10年経った今回も、学生時代はまるで昨日のことのようなので、そんなに盛り上がっていなかったのですが、ま、世界から皆が集まるのに、パリに住む私達が行かないのはねぇ、と、どうでもいい義理を感じて行ったのです。

行ってよかったと思いました。
懐かしい顔を見て、心では「年取ったね」と言い合いながら、表立っては、「変わらないねぇ」なんて肩叩いちゃったりして。時は思ったより残酷ではなく、歳とって美しくなった人も多かったし、お腹が出てきたり髪が薄くなったことで、より人間味増した感もあったし。
「どうしている?」「元気そうね」と、決してそれ以上の会話にはならないんだけど、それでも「また会えてよかった」って心底感じ合える、こんな同窓生という関係はいいなって、こんな機会をもてたことに感謝の気持ちが湧き上がり。

大金持ちから失職中など、色々な立場の人々が、アメリカから、ブラジルから、香港から、インドから、と集まりました。日本からは誰も来なかったのが残念。「絶対行くわ」と頑張っていた陽子さんは、天国から参加していたに違いない。
意外だったのは、現在専業ママさんしている女性が多かったこと。男性も子煩悩ぶりを見せまくっていたし、昔はあんなにキャリア!って張り切っていた人達なのに。そういう人生のフェーズなのでしょう。10年経って、皆より自然体になった感じがして和みました。
 
次回は20周年同窓会。今回以上に、見栄を張る気もないでしょうし、もう見た目云々というのも通り越しているだろうから、より打解けた会合になることでしょう。
そしてその時には、Soraさんの白髪のお友達の「9年会」 のように金でも共同購入しょうと提案してみます。それとも金に変わる、値上がりしそうな手堅いコモディティーはあるでしょうか。

Tuesday, May 24, 2011

9年会

 御年77歳になられるビジネスマンであるOさん(ゼロさんではなく、オーさんと読んでください。)と昨年知り合いになり、時々彼のオフィスに近いニューオータニでケーキとお茶を飲みながら色んな話を聞かせて頂く。彼は大学院を卒業した後司法試験に失敗し、司法書士として社会人をスタート。以後、不動産、建設、家具販売など様々な事業を日本と欧州で展開しグループの売り上げ1000億円の大企業まで育て、その後1000億円の負債で和議を申請したものの、またまた復活を遂げて、現在も中国で環境都市開発事業を展開したり、上場企業の顧問を引き受けたりして活躍しておられる。容貌は美しく豊かな白髪に一目でわかる仕立ての良いスーツを身につけ、笑顔を絶やさず背筋を伸ばし颯爽としておられる。Oさんと私の共通点はインドシナ好きということ。彼は数年前から安息香の木をラオスに植え続けている。安息香は化粧品や香水の香料として古くからヨーロッパで珍重されており、安息香の樹液は1キロ3万円で売れるのだそうだ。1キロ3万円ってことは1トンで3000万!樹液がとれるまで7年かかるが、毎年1万本ずつ増やしておられ、あと数年で待ちに待った収穫が始まり何億円という収穫が始まるのであれば考えただけでウキウキして、髪も抜けなければ、免疫も上がるだろうと思う。ところで、Oさんは、「9年会」という会をやっているらしく、この会は昭和9年生まれの人の会で、40年前に全員で1億円の「金」を購入し、「9年会」で最後まで生きた延びた人がこの「金」を貰うという競争らしい。当初500人でスタートしたが今は半分位まで減ったそうだ。かつて1億円で購入した金も、今や3倍ぐらいに値上がりし3億円也。Oさんは当然この3億円を狙っているが、3億円を手にしたらもっと安息香の木を植えるらしい。樹液が取れるまで7年かかるのに、いつまで生きる気??? 9年会の生残り者の人数が毎年発表されるらしいが、人数が減るのは嬉しいけどやっぱり淋しいらしい。年を重ねた今も、虎視眈眈とさまざまな機会を狙うOさんとのお喋りは飽きるはずもなく、今日もニューオータニの喫茶店で3時間も話し込んでしまった。

Monday, May 23, 2011

中島さおりさんの講演

今夜は「パリの女は産んでいる」の著者、中島さおりさんの講演に行ってきました。
会場はSciences po(パリ政治学院(Institut d'études politiques de Paris)の俗称)。場所はサンジェルマン・デ・プレの近くです。聴衆はフランス人が大半で、フランス人視点の質疑応答や、在仏長い邦人からの意見など、素晴らしかった。

「日本の女性は赤ちゃんを産むと、もうオンナではなく、お母さんというカテゴリーに移されてしまう。一方、フランスの女性は、いつまででもオンナという認識が持たれるし、女性自身もやる気満々である。」・・・なるほどなるほど、なんて聞いているけれど、同時に、斜め前にいらっしゃる邦人の女性、素敵だな、50歳位かしら、と薄っすら気になっている。すると、その方が後のご質問の際、なんともう直ぐ70歳だとおっしゃるではないですか。「フランスに住んでいるから、オンナでいないとでしょ、努力してきました」って。今日は夫も居ないしィ、なんて、ぼさぼさ頭に、色気ないパンタロン姿の自分を大いに反省。「日々努力」と呪文を唱える。

質疑応答では地震の話も出ました。
3月11日以前と以後の日本は変わっていくのではないか。実際、結婚率が少し上がった、と。
死を見せ付けられて、生を考え、その最初の行動が結婚というは良い話だな。そしてこの結婚は愛ある結婚なんだろうな。(たとえ衝動だったとしても、頑張って愛、燃やし続けてくださいね~)

日本、変わっていって欲しいです。もっと希望を持てる場所になって欲しい。日々、愛を感じる生活が送れる場所であって欲しい。
日本のメディアを見ていると、放射能のニュースや被災地のニュースが少なくなっているし、レベル7やメルトダウンなんて、恐ろしい言葉にも反応が鈍くなっている自分にも気づき。こういう風に風化してしまうのでしょうか。折角変わろうとしているのに。
メディアが騒がないと現実感が湧かなくなっている。

3月11日を忘れずに、自分ができること、すべきことを考える勤勉さを身に付けたいと思った今日の怠け象です。
ということで、皆様もホスピタリティー募金のクリックお願いいたします。

Friday, May 20, 2011

出会い週間②

今週の出会い週間の続き。
おっ、いきなりカタール時代の写真が混ざったのか。


それとも、モロッコに小旅行?

いやいや、これはパリ5区にある、モスクなんです。もう素晴らしいったら。
まず、レストラン
クスクスが美味しかった!
そしてハマムと呼ばれるサウナ
でもあかすりは痛いらしい。

もう、ここに来れるなら、海外旅行しなくっても好いか、って思わされるほどの異国情緒。
こちらは、モスクも見学させてもらえました。思えば、カタールでもオマーンでも異教徒ということで、モスクの中を見たことなど殆どありませんでした。モスクは小中学生が社会科見学で訪れています。これはドンピシャリの意義高いお勉強ではありませんか。
「どうぞ君達の時代には、戦争やいさかいなどしないでね」と心の中で祈ります。

外のテラスでは、ミント・ティーや水タバコもいただけるようです。
いやいや、こんな場所があるなんて、パリは奥が深い。




そして、昨日は、ビジネススクール時代の友、パウラとプティ・パレでランチ。パリのベーグル・サンド、初めてだけど、美味しいです。

パウラは、絵に描いた陽気でガッツのあるブラジル人、リオから来ました。
もう、楽しい楽しい、しゃべるしゃべる。気づくと、もう子猿達のお迎えの時間になっちゃって、折角のプティパレなのに、絵一枚観る時間なく帰ってきましたよ。
それにしても、なんだろ、パウラの善意には、生涯裏切られることはないだろう、という確信があります。とにかく圧倒されるほどに善人なのです。信頼しきれる友がいるって恵まれたこと+


別れの時には、涙を流し、「Saudade(サウダ-ジ)」とつぶやきながら熱き抱擁。
「Saudageは、ポルトガル語以外の言語にはない言葉で、ノスタルジーよりももっと切なく、やるせない、憧憬、懐かしい気持ちを表す言葉なの。ミキと会う度に出会った頃からの二人の友情の軌跡がワーッときちゃうのよ」と説明しながらまたポロポロ。

明後日また会うんだけど、パウラったら大げさ。
・・・と、思いつつ、帰りのバスに揺られ、5分も経つとパウラが隣に居ないのがさびしくなり。

出会いがあれば別れがある。
Saudage・・・、つぶやくと胸が苦しくなる言葉だわ。

Alors、今夜はGirls night out、明日はビジネススクール10周年同窓会、出会いはまだまだ続く。
感動の量と人生の重みは正比例ですからね、別れを恐れず出会いまくろうと思います。

皆様良い週末を!

出会い週間①

今週は沢山の出会いがありました。のんびりモードに馴れている怠け象、お会いした方々の輝きに目がチカチカしています。

まず、月曜日は、憧れのこの方と!

セパージュ・ブログにも書いていただいたように、最初の出会いはピノミホさんのブログでした。みほさんは、文章も写真も素晴らしくって、ほろリときたり、元気を戴いたり、疲れを癒して頂いたり。
「星の数ほど或るブログの中で、私は縁あって、みほさんのブログと出会ったけど、こういう癒し・インスピレーションのブログを色々な方と共有できたら・・・。」
これが、拙SNS、エトランゼを思いついたきっかけでした。

それにしても、私の周りには三つ上の方が多く、みほさんもそうです。たった三つの違いなのに、皆さん、しっかり大人の女性していて、美しい。なんというのでしょう、甘えがない感じがめちゃくちゃかっこいい。
「よし、ってことは、これからの三年が肝心なのね、大人のオンナを目指して頑張ろう、私。」と思った、感激の出会いでした。

(私信;みほさん、お忙しいのにお時間作っていただいてありがとうございます。今度、是非ワインとおもてなしのサロン、セパージュを取材させてください。)

翌日火曜日は、高校時代からの友達、Aちゃんと、10年前パリで初めて出来た友人、Sちゃんといつものしょうもないアジアでベトナム麺をすすりました。このしょうもない店とも10年来の付き合いかと思うと、マダムの髪が黒々しているのが不自然で当たり前か、なんてどうでもいいことなんですが。
高校時代からの友人って、もう友人の域を超えて半家族なんですよね。その「近さ」の心地よいこと。
Sちゃんはであった頃よりも若がえっている?潔く生きるというのの模範生のようなSちゃん、かっこいいんです。そうそう、Sちゃんも三つ上です。

・・・・水曜日以降も出会いは続き、長くなりそうなので、明日にします。

Monday, May 16, 2011

イケメン、シータラさん

今日はイケメンラオス人のシータラさんとミーティングをした。彼はラオスの若手事業家で、お爺さんは在日ラオス大使、お父さんが元農業大臣、多くの親戚が政府高官を務める家柄で、その人脈を生かしてラオスでホテルやレストラン、建築業、アドバイザリーなどを行っている。大の日本好きで、お爺さんが日本大使を辞め帰国した時も日本に留まり、日本の学校を卒業し、おかげでとても上手な美しい日本語を話される。で、ポイントは若くてルックスがいいということだ。実際に会うまでは、名前が面白いので、友達とスーダラ節とかいって笑っていたのだが、一目会ってから、シータラ様と呼びたい気持ちになった。今、シータラさんと一緒にラオスでコーヒー事業を始める計画を立てている。シータラ様の目標ったら素晴らしくて、2015年にイタリアで開催される食の博覧会で、ラオスコーヒーをラオスの名産品として出展することだそうです。もう、すっかり私の目標もシータラ様と一緒になりました。2015年、ラオスのパビリオンでお揃いのTシャツを着て、コーヒーをお盆に沢山載せて、シータラ様と一緒に「どうぞ飲んでみてくださ~い」なんて言いながらコーヒーを配っているのが目標です。プロジェクトにはイケメンクンがいると楽しくなりそうです。なんだか、自分がオヤジっぽい事を言ってしまった感じでちょっと反省です。。

Sunday, May 15, 2011

大学生

最近不思議なことに忙しくなった。ひょんなことから、スタートアップの会社の雇われパートのCFO(財務部長)をすることになったのだが、不思議なことに一社引き受けると芋づる式に何社からかお声がかかり、お断りするのがもったいなくて、全部お引き受けしている。まるで、国語、社会、算数、理科と言う感じで頭の切り替えが大変である。そんなわけで、今週末はエクセルを前に20時間ほどすごした。今日も気がつけば5時というのに、シャワーも浴びず、ヨガにも水泳にも行かず。。。これじゃあ、いけないと遅ればせながらシャワーを浴び、夫と高校2年生の息子と一緒にサンフランシスコにいってみた。夕方の7時半から9時半まで、スタンフォード、ハーバード、デューク、その他2校の説明会なのだが、最前列に座ってみた。特に熱心なわけではなく、早くついたからなのだが、超満員の会場のプレッシャーを感じないには結構得策だった。うちの次男は、優等生なのだが、小心者なので、後ろをチラッとみて、「うわ~、すごい競争だ」という。こんなのは、日本の受検を経験してきた私には全然たいしたことないのだが、田舎育ちの息子は人波にびっくりのようである。話を聴きながら、いいなあ!これから大学に進み、好きなことを何でも探求できるのは、と思った。大昔大学受験をした時はそんなことを思う余裕はまったくなかったけど、本当に大海が目の前に広がっていたことに気がつかなかった。

そして、家に帰り、三人で簡単なご飯をすませ、「もう一回大学に行けたら何を専攻する?」と夫に問いかける。「そうだな、応用科学系のバイオ医療とか面白いかな。」という。確かにふむふむ、面白いけど一体どこから手を付けたらよいものかと答えると、「じゃ、君は?」ときかれる。「う~ん。」と考えてから、「園芸とか。。。」と答えてみる。そんなものでは大学に行かないらしい。でも、庭の花の名前を全部言えたら結構すばらしい気がする。夫は、弾みがついたようで、海洋学とかもダイビングできて面白そうだと言う。とっさに寒そうと考えていると、次男もLandloverを自称し、それは嫌だと意見を表明するので、母もまったく持って同感である!と、強く合意してみたりする。

医学部で勉学に励む長男は先月誕生日を迎えたが、プレゼントに昔理科室に会ったような骸骨を珍しくねだられ贈ってみた。将来をになう大学生は本人は大変だろうけど、いったんそこを通り抜けてきた者からみると、本当に楽しそうである。

昔ながらのカラオケ

先日、転職をする女友達と銀座のイタリアンで食事をした。彼女とは仕事上のお付き合いが始まりだが、同年代ということもあり、普段から政治の話、美味しいレストランの話、最近観た映画の話など、身の周りで起きていることについて、いろいろお互いの意見や感想を話すことが多い。今回は、彼女が転職のあいさつということで誘ってもらった形だ。

食事をしたイタリアンのお店はこじんまりしてなかなかいい雰囲気だったが、結局客は僕らを含めて2組4人だけだった。アラカルトで頼んだ料理はそこそこ美味しくて、メインの子羊のステーキもかなりの大盛り!ワインを何杯か飲んで、最後にグラッパという強い食後酒を飲んで精算をした。料金はちょっと高めで、空席が多い理由もなんとなく納得。帰りにシェフが見送ってくれたたものの、よく考えてみると、お店の人はホール担当の男性とそのシェフの2人だけだったような気がする。この店は、このままでいいのか?

前置きが長くなったが、今回の本題はこれからだ。お店を出た後、なんとなく物足りない気がして、結局彼女の知り合いがマスターをしているカラオケに行くことになった。その店のセールスポイントは2つある。1つは8年くらい前に脱サラしたという個性的なマスターだ。『俺が好きでやっている店だから、嫌な客は来てくれなくてもいい』という雰囲気を醸し出しているのだが、話をしている時の目の奥がとても優しい。言葉ではうまく言えないけれども、簡単に言うと僕の好きなタイプの人間だ。

2つめの売りは、ステージに客やマスターが勝手に演奏してもいいように楽器が置いてあり、お店にいるいくつかのグループが、音楽を通して心を通じ合わせることができることだ。例えば、あるグループの誰かのカラオケ曲が流れると、別のグループの誰かが、おもむろにドラムでリズムを取り始めたり、キーボードで演奏してくれたりする。もちろん、お互いのグループのムードを壊さないように...そうすることで、自然と『今日は楽しくやりましょう!』という雰囲気が共有され、純粋にカラオケというか音楽が楽しめるという訳だ。

実際に、僕がクイーンの「ボヘミアン ラプソティ」を入れると、ドラムとキーボードにサポートされ、おまけにコーラスまでつけてくれて、とても楽しい気分になった。その後も、井上陽水の「氷の世界」、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」などを熱唱させてもらった(ちなみに、選曲が昔なつかしの曲ばかりだが、最近の曲も結構歌えることを付け加えておく!)。最後に、みんなで「We are the World」をマイクを回しながら歌ったのだが、曲の中で最も盛り上がるブルース スプリングスティーンのパートになると、マスターと常連客がマイクを取り合いながら歌っていた。なんとも微笑ましい光景だった。

最近の若者は(こういう言い方はアテネの時代からあるらしいが^^)、カラオケボックスで自分の仲間うちだけでのカラオケには慣れているかもしれないが、このカラオケ店のような経験はあまりないはずだ。これって、今の日本に通じるところがあるのではないかと感じながら、古き良きニッポンを思い出し小さな幸せに浸った夜であった。

Saturday, May 14, 2011

Jubiさん、お誕生日おめでとう

昨年のお誕生日の時には日本に居てお祝いしましたね。あれから一年実際には会っていないのに、テクノロジーの力を借りて様々な形でコミュニケーションが取れるために、会えないけれど近くにいる感じがしています。Jubiさんとlazyさんが始めたこの日記が、色んな人が参加して脈々と今日も続いていることが面白く感じます。最初に、「試し」に書き始めてくれたお陰です。これからも色んなことを試して下さい。地球のどこかで誰かが「試し」てくれることが私達の生活を変えるかもしれません。昨日友人に聞きました。ホンダの創業者の本田宗一郎氏は小学校しか出ていないそうですが、彼が母校の小学生に送った言葉が、「試す人であれ」ということだそうです。これからも色々と試して皆を巻き込んでください。楽しみにしています。お誕生日おめでとう。

昼寝

今日は5月晴れの素晴らしい天気に恵まれた土曜日で、女友達と「イブ・サンローラン」の映画を見に有楽町に行った。あまり期待せずに見に行ったのだが、イブ・サンローランを仕事・生活全ての面で支え続けた、ピエール・ベルジュが語る形式のドキュメント映画で、イブが彗星の如くデビューした時からファッション界を引退し亡くなるまで、いや、亡くなった後に2人で収拾した美術品を処分するまでの話である。映像も言葉も本当に面白くて、久しぶりに最後まで全く眠気に襲われないで見られた映画だった。ピエール・ベルジュとイブ・サンローランは同性愛なわけだけれど、下手な男女の話より興味深い。映画を見た後に遅めのランチを食べながら当然の如く同性愛談義に花が咲き、それはそれは楽しい女友達と過ごした土曜の午後であった。家に帰ってきて、眠気が襲い、ほんの30分と思って横になったら、ぐっすり眠ってしまった。暑くも寒くもなく日本では珍しく乾いた気持ちのいい週末の午後、外がまだ明るい時間から、アラームもかけずにお昼寝をする気持ち良さといったらない。夜は不眠に陥るのに、どうして昼寝はこんなに気持ち良く眠りに落ちれるのだろう??大人というのは誰でもそれなりに、やらなきゃいけない雑務や責任みたいなものが多少はあるわけだけど、そんなことも全て放っぽりだして、無責任に昼から寝る。寒くもないから重い布団も要らないし、だからと言って寝汗もかかない。夕方友達からの電話で起こされ、「何やってたの?」と聞かれ「お昼寝してた」と答えたら、友人から「かなり幸せな時間の使い方だね」と言われたが、本当にその通りであった。

Thursday, May 12, 2011

地球のおへそ、宮古島

沖縄県宮古島へいってきました。那覇から250㎞はなれた、それは美しい白い砂浜のある小さな島です。しかし、ここは、地球のおへそでもあるとても大切な場所でした。
この島の新城定吉さんの石庭は、いまではパワースポットとして毎日人が訪れます。ジャングルのような入り口から入ると、古代のパワー溢れる大きな植物に圧倒されます。少し中に入ると、穴の空いた火山岩のような石でできたサークルがあり、靴をぬいでその中に入ります。何トンもありそうな石達に囲まれて、瞑想します。人によっては石からメッセージを受け取ったり、不治の病が治ったり、その場所の力や石たちの力で不思議なことが起こります。
 この石庭を作った新城さんは、夢でこの場所(彼の実家)に来るようお告げがあり、その後は全く理由もわからないまま、10年以上ただただ石を堀続けていたそうです。そのうちに、彼の直観や霊感が鋭くなり、出てくる石や珊瑚の化石から溢れるばかりの力が出ていることに気づき、また、さまざまなメッセージが聞こえるようになり、この石庭の場所が地球にとって、エネルギーを放出する場所であることが分かってきたそうです。(因みにエネルギーの吸い込み口はバミューダの三角地帯)
 彼は、この庭の大切さと、エネルギーの大きさ知り、人々のためにと無料で解放し、いつでも訪ねれば入れるようにしてくださっています。この庭から受けたメッセージを本にして、宇宙の仕組み、この宮古島の持つ意味、人間の使命などを書かれたり、地球の平和を祈ったりしながら生活しておられます。塀も壊れかけたような小さな家に住みながら、大学の教授でもない1人の老人が、これからのエネルギーの問題を解決しようと、今はピタゴラスの原理と、ユークリット幾何学がキーであるとのメッセージをうけ原稿を書いていらっしゃるとのことでした。その見た目と、やっておられることが宇宙規模であるギャップに価値観がひっくりかえるような体験でした。
 今回、この旅で感じたことは、「自然の意志」と対話しなければならないことです。普段ベランダで見ている植物達ではわからなかった、植物達の持つ意志、その圧倒されるような存在感は、本来あるべき姿なのだなぁと感じ、私たちはその意志を無視してはいけないことを実感しました。植物だけでなく、鉱物なども含めた大自然を含めて、これからの日本の舵取りをしていく人たちが、どうぞ自然と対話できる人であって欲しいと望みます。そして、自分にできる小さなことから、自然と自分にとって良いことを選択していきたいと思いました。
私たちが、祈りのサークルに入ったとき、しとしとと降っていた雨が止み、雲間から真夏の太陽がさんさんと輝き始めました。天と自分は離れてはいない、繋がっている存在であることを教えてくれているような暖かさでした。
みなさんも機会があったらぜひ地球のおへそ、宮古島を訪れてみて下さいね。

Monday, May 9, 2011

点と点

SoraさんやAtlasさんの寄稿を拝見して思いました。具体的な計画にはいろいろあるように思う。昔、まじめな従業員をしていた時には、自分に与えられた職務と社内政治に負けないことに注力し、行動範囲と思考回路は非常に狭く深く焦点を定めていた。自営・起業をするようになり、ようやく昔の癖を脱却し、もっと世界を丸く見るようになった気がする。どうビジネスにつながるのかわからなくても関心があれば、とにかく会ってみる、研究してみるという点をたくさん作ってみた。これが不思議なことに線になり、やがて面になっていく気がする。そういう意味では具体的な計画というよりは、あえて無秩序を探求してみる。これも、ゆくゆくは商売につながるかなあという計画の一環なのだ。急がば回れだろうか?

ところで、久しぶりのDC・NYはビンラデン殺害の直後で、一体何故こんなタイミング?DCからNYへは電車で上る。こんな警戒体制だったら電車を標的にしたらいちころだねと、旅仲間とはなした翌日にAl Quedaの電車爆弾計画が発表された。NYのホテルはタイムズ・スクェアなんていうNYに10年住んだときは避けて通ったところに予約を入れられ、最終日はこれまた行かないグランド・ゼロに新しく建てられた7WTCの会社を訪問した。これでもかというくらい危険なところに行ったが、何事もなく戻ってきた。

週末をかけてようやく整理して多少過ごしやすくなった家のなか。ごみの収集日なので、最後のごみをだしがてら、したの子供たちが自転車に乗って登校するのを見送るまもなく、末っ子が”OH NO!!”といいながら猛スピードで坂をおりきり凄い音で何かに衝突。心臓が破れるかと思ったが、スリッパで走っていくと、道端の藪に頭から突入して大泣きしている。よこで、姉も恐怖に満ちた顔で立ちすくんでいる。泣いているのはいい印。意識があるということ、ととっさに考えながら、藪から支えて家に戻る。脳震盪もなく、頬と唇が大きく腫れただけですんだ。ブレーキが外れたというのを週末聞いていたのに、忙しいからと私も夫もあとで、といったのを全員が忘れた結果の事故である。大事に至らなくて良かったが、そんな時末っ子は”I’m sorry.”という。腰の手術をして痛かった時も、心配をかけてごめんと言っていたのを思い出した。母の日にご飯作ってもらわなくてもいいから、もうこういう恐ろしい事故が起こらないでもらいたい。そんな彼もおいわさんのような顔を引きつらせて”I Love Lucy”のDVDをみて笑っている、笑うと痛いと言いながら。。。。そして子供のリクエストはあとで、と言わずにすぐに対応しようと反省したりする。

春の味

山形から採ったばかりの山菜と春の野菜が送られてきた。こし油の葉、こごみ、アスパラ、ニラ。早速、これらの野菜と山菜をてんぷらにして頂いた。こし油の葉やこごみは深い山からわざわざ採ってきてくれたものだ。少しほろ苦い味と独特の香りが何ともいえず、これこそ短い東北の春の味覚である。あー、おいしい。ほろ苦いのに美味しいのだ。今年の東北の冬は例年にない大雪に苦しめられ、春先は地震でさんざんな目にあった東北の人達が、美味しい山菜を送ってくれたのだ。送ってくれた人達の姿を想像しながら頂いた天ぷらは、ほろ苦いけれど格別であった。

『具体的な行動計画』について感じたこと

先日 sora さんが投稿されたコメントを読んで感じたことを話します。 sora さんが言うように、震災の後、多くの人が無力感と不安に苛まれながら毎日を過ごしていると思います。特に、被災された方々の気持ちは、僕らがどんなに想像しても推し量ることができないものでしょう。ただ、不思議なことに、実際に被災された方々の中には、笑顔を絶やさず前向きに力強く生きている方もいらっしゃるということです。人間は運命に翻弄されてしまうと同時に、その運命を受け容れて、それを乗り越えるていける人もいるのではないかと感じています。

作家の村上龍氏が、震災後にニューヨーク・タイムズ紙に『危機的状況の中の希望』というエッセイを寄稿しました。村上龍氏独特の物事の本質をズバッと言い当てたエッセイで、読んだ後に心の中の無力感や不安が少し和らいだような感覚を持ちました。最後に彼はこう言って締めくくっています。
「だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富と心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。」

うまく言えないのですが、こんな時だからこそ、自分の人生の目標を再確認する必要があるんだと思います。村上龍氏によれば、目標というものは、「持つべきもの」とか「持ったようがいい」ものではなく、人生のあらゆる局面の「前提」(『無趣味のすすめ 拡大決定版』の中で指摘されています)だそうですが...

実は、この文章を書こうと思ったのは、 sora さんの指摘された「具体的な行動計画」という言葉がちょっと引っかかったからです。僕は典型的な三日坊主なので、あまり具体的に行動計画をたてるとなかなかうまくいかないのです。ただ、目標(大きなものでも小さなものでも)がはっきりしていれば、目標達成のためにやるべきことの優先順位が決まって、自然と正しい選択や行動をしているような気がします。

ありふれた日常生活はとても大切です。ただ、それだけでは生きていけません。達成することによって心から幸福を感じられる目標を持つこと、そして、それと同時に1日に1つ、1週間に3つとか、自分自身に小さな楽しみを見つけてあげることも大切かと思います。

う~ん?やはり sora さんの言わんとしていることと同じなのかもしれませんね。失礼しました!!
ただ、いくら「具体的な行動計画」が大切だからといって、GWに3日もテニスの予約をするのはどうかと思いますが...^^

ひよこ、田舎、太田光


週末はまたサルト地方の田舎に行ってきました。
前回、春休み休暇のときには卵だったのがひよこに孵ったというのを見に行くというのが目的。
誕生というは文句なしに喜ばしいものですね。(害虫とかを除く)

見えますか?青く光るトンボ。


野生の胡蝶蘭らしい。

一面、マーガレット。




この週末は、太田光著のトリックスターから、空へというエッセーにはまりました。

太田光、海外在住の方はご存じないかもしれませんが、彼は爆笑問題という売れっ子漫才師です。私も彼らの漫才は知らないので すが、桑田さんファンというので、それで興味を持った次第で、そんなに多大な期待なく本を開いたのですが、もう凄く良かった。

「人は死ぬと、時間になるのかな」なんていう話から、藤村、太宰、そして平和・戦争、また政治まで、きれいな日本語で彼の思うところが書かれています。
特に対アメリカについては、みんなレベルで感じていることを見事ドンピシャリに言葉にしていて、「うん、そうそう」なんてうなづきながら読みました。平和 についても、深く考えてなかったけど、子猿達の喧嘩を止めるにも有効なロジックがあったりするし、あらためて平和とか、民主主義とか、それがある時代に生まれた有り難味を感じたり。

「ふりかえったときに、『あの時代に生きて良かった!』と思えるような今にしたい」と前書きにありましたが、これは多くの人が思うところではありませんか?
いつか、東北震災を経て彼の考えるところを文章にしたのを読んでみたい。

さて、Jubiさんの愛犬、チャーリーの写真上のホスピタリティークリックというの、クリックするだけで、一日一円、被災者の義援金に募金されるものです。どうぞよろしく!

Sunday, May 8, 2011

コンピューターのない生活と母の日

ここしばらく音信普通で申し訳ない限りである。皆さんのすばらしい寄稿をいまさらながら読んでいるのも、ラップトップがぶっ壊れたからであり、しかも、ひどい修理屋に出したもんだから一週間で戻るはずが一ヶ月もかかったからである。
修理屋との交渉で思ったことは、日本のサービスの質の良さと、アメリカの自助努力の必要性の大変さである。何事も交渉しないと泣き寝入りになってしまうこの国は、強い者のための社会である。やっと取り戻したPCは充電しないという問題があり、これも苦情の電話でとうとうとひどいサービスの物語を30分かけて説明する。ちゃんとノートとってね、また説明するの嫌だからと、言わなければいけない状況、しかもこんなにはっきりリクエストしているにもかかわらず、きっと明日マネージャーに話す時には一から説明しなおさなきゃいけないんだろうなあという確信が、アメリカである。何事も自分でやらないと始まらない生活は結構めんどくさい。

ところで、先週はワシントンDCとニューヨークに行ってきた。DCには人間がいないという発見と、NYには人間が多すぎると感じる自分の田舎者ぶりへの発見をした。日本人がたくさんいるSFなのに、日本食のおいしいところが少ないので、NYに久しぶりに行ったのを機会におすしを連続2回と居酒屋にもいってきた。

そして、5日ぶりに戻った自宅。食べ物に困らないようにと、出発前日に買い込んだものは大方腐って冷蔵庫に入っている。怒髪天をついてしまう。連日同じカレーとマーボー豆腐、しかも冷凍の野菜をつかったらしいを食べたと言う。新鮮なアーテイチョークもほうれん草も青梗菜も鳥2羽も、鞘インゲンもみーんな腐ってしまった。あんたらは、一体Quality of Lifeってえもんを考慮しないのかと怒鳴ってみる。誰も反省をしていない。母の日なので、ちょっと期待をしたが、誰も食事を作ってくれない。仕方ないので自分で作ってみた。みんなおいしいおいしいといって食べるので、あんたたちね、と前置きをして、来年の母の日にはお願いだからまともな食事を作ってくれない?と頼む。残り364日は私が作るんだからさ、と掛け合うが、暖簾に腕押しとはこれ然りである。

Friday, May 6, 2011

具体的な行動計画

最近は会う人の多くが、これから日本はどうなって行くのだろう?と答えることが出来ない不安な気持ちをあらわにする。それぞれの人が置かれている場面で、今迄経験したことのないことが起こっていて、自分は運命に翻弄されていて、自分で決められることなど殆どない無力感と不安に苛まれている。多分人間は、このちっとも予測のつかない状態にひどく弱いのだと思う。本当はどんな時でも、一瞬先などわからないのだけれど、こういう事態になると、そのわからない度合いが急に増した感じがして、より一層不安な気持ちになるのだ。みんな頑張ろうと言うけれど、何を頑張ったらいいのか判らないし、頑張ったらどんな世界があるのか判らないのだ。でも中には、生きる力にみなぎっている人もいる。私が思うに、そういう人達に共通することは、彼らには具体的な計画があることだ。これをやって、次にあれをやって、いつまでに、あそこまで到達する・・・みたいな具体的な計画を持っている。自分の作った計画に自分を律して従うことで、自分が生活をコントロールできている感覚を取り戻すことができ自信につながるのだと思う。だから、こういう時には、あえて、小さな行動計画を立てて、それに沿って行動するのが良いと思う。崇高な目標を立てられなくても、生活の中の小さなことについて具体的な計画を達成することで、長い先が見通せなくても、そこそこの充実感を持って生きることができるように思う。

気づくと金曜日

またあっという間に過ぎてしまった一週間。備忘録にお付き合いください。

月曜日 
まったりと家で過ごし、子猿用の児童書書きにいそしむ。

火曜日 
月曜日とほぼ同じ。朝はマルシェが家の前に出る日だったけど、マルシェの小父さんと会話するのが億劫に感じられて、スーパーに行きました。「引き篭り気分なのかな、私」と思っていたら、夕方は近くのママ友と思いっきりおしゃべりして呑みすぎた。この方とは本について語れる、ということは付随的に、結構ディープな話も通じるので本当楽しいです。大江健三郎からPerfumeまで、幅広く語りました。

水曜日
子猿達を街中の日本語補修校に連れて行く日。この日の事件は、チビ猿がトイレに自らロックインしてしまったこと。関係各位に鍵開錠道具を探していただいている間、中学生くらいの少年達が、入れ替わり立ち替わり、鍵を開けてみようとか、「泣かなくて大丈夫だよ」とトイレの個室にいるチビ猿を慰めてくれたり。とても可愛いくってオバサンは感動しました。
この日、このサンダルを購入。



木曜日 
11区の中川でママ友ら4人で会食。ここは安いし、広いし、空いているし、気軽だし。パリ西端の拙宅から、ほぼ東端まで来た甲斐ありました。長居すること3時間30分。夜、夫に、「何をそんなに話すの」と訊かれても答えられないほど徒然で。
そういう夫とも徒然に、福島の原発のこと、ビンラデン、日米・日中、ウィきりークス、為替、チベット、教育、健康のことを話したのですが、その度に「これも昼に話題にでたんだけどさ」って前振りしてたら「凄い徒然なんだね、女性達の会合って」と彼も感心していました。
この日の事件:チビ猿の手を握ったまま、激しく転び、ちび猿も道連れにしてしまって、責められました。

金曜日
まず、ちび猿、エレベータに指を挟んで朝がはじまりました。大事に至らずによかったです。これで三回痛い目にあったから、もう大丈夫だといいのですが。
さて、今日は先の写真のサンダルを履いて一日行動。
このサンダル、ちょっと凄すぎるかな、でもこういうスタイルはとても楽なんだよな、でもちょっと竹馬(底上げ)しすぎなところが英語でいうタッキーってやつかしら、とは思っていました。そして試着しているときに、怪しげな黒人のおばちゃんから「ステキ!」とほめられたのもちょっと気になっていました。
そして今日、これで歩いた!すると、色々なオヤジ(気持ち悪いタイプ)から声がかかること、かかること。変な視線も感じます。そして、ついには、うちは大通りに面していて、そこに春を売っているひとが立っているのですが、そのご婦人から、「そのサンダル、どこで買ったの?とてもステキ」と訊かれてしまった。
サンダル一つで女の印象とは、こうも変わるものなのか。面白いなぁ、と思いました。

さて週末は田舎です。春休みのときに鶏が卵を温めていたのがひよこになったそうなので、そんな写真をアップできるといいな。
皆様よい週末を!
Bon Weekend!

Tuesday, May 3, 2011

筋肉痛

私の友人は、水泳、ゴルフ、マラソン、ヨガ、ママさんサッカー、ダンスなど何かしら習慣的に運動をしている人が殆どで、「運動はしていない」と言う私は明らかに軽蔑して見られていることに気がついたので、運動をしようという気になっている。丁度家の近くのテニスコートが借りられたので、ゴールデンウィーク中に3日も予約してしまった。テニスなんて久しぶりで、ラケットもウェアもとうの昔に捨ててしまっていたので、ラケットを新調し、スコートは恥ずかしいのでテニス好きの姉のテニス用のズボンを借りた。今日は2日目。前日にやったテニスのせいで、既に体中が筋肉痛だったのに今日も無理してやったら、筋肉痛に加え、足の付け根や腕の付け根のスジなども痛くなり、もう身体がボロボロである。トイレに行くのもお風呂に入るのも苦痛の連続だ。しかしながら、考えてみると休日を休日らしく過ごし筋肉痛がつらい、と言って呑気に生きていられることは幸せだ。昨日は放射性物質が栃木の農産物からも検出された。休日に外で運動して筋肉痛になることが、贅沢なんてことにならないよう祈るばかりである。福島では多くの人が、もはやこんな日常を楽しむことはできないのだ。

Monday, May 2, 2011

週末の徒然



この写真はパリの西隣にあるブローニュ市のアルベール・カーン美術館で撮りました。ちょっとこの→リンクを見てください、すごい写真の量でしょう。20世紀初めにこんな旅行家・親日家がいたなんて、嬉しい驚きでした。カーンさん、ユダヤ系フランス人の銀行家で大恐慌までは大金持ちでした。ナチ占領下のパリで亡くなったとのこと。



それにしても、素晴らしい完成度です、この美術館+日本庭園。
庭園は、まるでミニ浜離宮。お茶室や古くて美しい日本家屋もあって、子猿達が「あ、日本のおうちだ」って縁側から上がろうとしちゃったくらい、日本人には懐かしく、親しみ深い光景。
写真展も1926・27年の東京、福井など。その時代を生きてないのに、とてもノスタルジックな気持ちになったのは、先日読んだ中島京子の「小さなおうち」の影響でしょうか。
こういう写真やお庭をみていて、ふと、もし自分が日本人でなかったとしても、外国人だったとしても、日本が好きなタイプだったろう、って、希望的に思ってみたり。また家族で日本を旅してみたくなりました。


この日曜日、近くのエベイユ幼稚園では震災チャリティーバザーがありました。関係者殿お疲れ様でした~。

家に帰ると、ネットではガタフィの子供と孫を空爆したというニュース。こういうとき、果たして兵士は「やったー!」と喜ぶのでしょうか、それとも・・・。そして今朝はビンラデン殺害のニュース。これで遺族の方は少し救われるものなのだろうか、と思っていたら必ずしもそうではなく、9・11の犠牲者だった住山さんのお父様へのインタビューでは、遺族には喜びはなく、「真実」を知る機会を失った困惑が広がった、とありました。
スミさんは高校の同級生で、彼がNYに赴任した当時にもグランドセントラル駅のオイスターバーで一緒に飲みました。ちょっと私の初甥っ子を思わせるような、少年臭さを残した爽やかな青年でした。9・11も、もうすぐ10年前なのですね。スミさん、そして犠牲者のご冥福を祈るばかりです。

さて、この週末より初めての大江健三郎を読んでいます。この小説家はびっくりするほど父にそっくりだし、難解そうなので敬遠していましたが、ようやく読んで見る気になりました。So far so good.
入門編と思って、「静かな生活」という中編集を読んでいますが、静かなユーモア、愛情、そして、心の内を丁寧に説明されているのとか、中々良いです。色々批判も多い作家のようではありますが、普通の悩み多き人なのではないか、と今のところ好意的に感じています。
今は「なんでもない人」として生きる、ということにこだわった部分を読んでいます。自分なんてなんでもないと思って生きるとは、どういうことなのか。以前、「うちの子は普通の、なんでもない子なんだなぁ」って思ったことが、目からうろこ的な発見だったことがあります。もちろん、まじめにモーツアルトになる、とかも思っていませんでしたが、なんだろ、どこか期待していたところがあったのでしょう。ちょうど最近興味持っていたことだったので、時折難解なのですが、頑張って読んでます。
彼は現在ほぼ書き終えていた新作を、東北地震を受けて大幅に書き直しているというのをどこかで読みました。この震災で、価値観など変わるんだろうなぁ。良い方向に変わりたいですね。

そうそう、忘れないうちに。私のお気に入りブログのピノミホさんが、ご親戚のいらっしゃる石巻市にお見舞いに行かれたレポートがアップされています。姪っ子さんのタンポポの黄色さがフランスのタンポポと同じ鮮やかさなのを見てほっとしました。

そんなところかな。
皆さん、良い一週間を!