Monday, November 30, 2009

二重人格

日本では大学と大学院の同窓会をしてもらって大感激。以前にもまして、はっきりわかるのは、人間は変わらないということ。それぞれの個性は年を経るごとに、おおげさに強調されていく。全く利害関係がなく、ともに人生を歩んできた友人というのは本当に一緒にいてたのしい。大学時代の友人が、このブログを読んで、色んな人格があると理解してくれたが、実のところ私は二重人格ではなく、このブログはLazy ElephantとJubilancerの二人の共著である。もっと他のかたがたにも是非参加して欲しい。特に、友人のだんなさんで、会社の上司に「今日はちょっとムラムラするのではや引きをさせて欲しい」と、報告したあの方には是非ご参加をお願いしたい(むかむかの勘違いらしい)。

明日から師走

この週末は待降節(Avent,アドベント)と言うことだったので、張り切ってクリスマス・ツリーを買い、Creche(これはキリスト降誕と言うらしい)という、イエス様が厩で生まれる様子を小さな模型で表すのを飾り(子猿らが誤解して、恐竜や亀のおもちゃを厩に入れてしまうので、見ていないときに取り除いた)Avent Calendrierという、明日からイブまで、扉を一つずつ開くと小さなお菓子が出てきたりする暦を飾ったり、普段サボり勝ちなミサに行ったり、これでもか、と言うくらいクリスマス尽くしの日曜日であった。
フランスは子供が多いし、キリスト教徒が多し、皆そうするのか、と思ったら、お祭り好きは我が家だけのようである。クリスマス・ツリーを乳母車に乗せて運んでいると、すれ違う人は「あら、もうツリー!」と驚いていて、それでまた、ちょっと得意になるオメデタイ私なのであった。

それにしても、明日からは12月なんて、誰が信じられるだろう。この一年は前半を蜃気楼の国、カタールで過ごし、後半は美しくも気だるいパリに移ったので、早かったような、でもカタールが遠い昔のことだったような、不思議な感覚なのである。

さて、漸く「細雪」を読み終わった。つくづくと思ったことは、谷崎潤一郎は人生を楽しんだ口だろうなぁ、ということ。Wikiを見ると、そこら辺、何ともいえない生涯だったようだが、女の本性をあんなに優しく表現できるということは、あんまり酷い目に会っていないから書けるような、そして、食べ物の描写の上手さは食いしん坊ならではだろうし。それら以外に関しても、最初から最後まで、彼の美への敬意を感じる本であった。
そして、この本を読んでのLazy ElephantとしてのTake awayは、怠けずに、貪欲に毎日を楽しもう、美を追うことを諦めないようにしよう、と言ったところです。

Saturday, November 28, 2009

太陽先生

昨日は子猿らの健診のため、小児科医のところに行った。先生とは兄猿が生まれたときからのお付き合いで、カタールに行っていた3年をはさみ、4年越しのお付き合いである。

この先生、明るくって、大好きなのだ。
ギリシア人とイタリア人のハーフの女医さんは、この両国の太陽のように暖かくって楽しい人。4年前、産後の疲れと体重が増えない新生児を抱えキリキリしていた時に出会ったのだが、この先生の大らかさに感染したのか、その後は肩の力を抜いて安心して子育てできた。普段は恥ずかしがり屋の夫も、この先生に会うのは好きみたいで、いつもいそいそと帰ってきて一緒に診療所に付いて来る。

診療所は近所のアパルトマンの一室に構えていらっしゃって、そのインテリアも暖かな灯りを使ったり、気の利いたおもちゃが沢山あったりで、親も子供もほっとできる空間になっている。大柄は先生はスポーティ且つシックな装いで白い上っ張りは着ていない。そして、いつもエンターティメントに徹して、子供を笑わせ、診察に恐怖感を感じさせないようにして下さる。

余談だが、カタールの医者で、注射前に必ず「痛くないからね、大丈夫よ、ママもいるからね~」と予告する人がいた。子供は序々にテンションが高まり、注射の針が近づく頃には「ギャー!」と泣き叫ぶ。わかるわかる、痛くないなら何故言うの?って私も思ったもの。

我が太陽先生はそんなこと言わないし、神業のごとき早技で、ぼーっとしている子猿は注射の痛さも気づかなかったこともあった程。もちろん、肝心の診療も的確だし、知識もアップデートされているし、プロフェッショナルとはこういうことか、と感心してしまう。そうそう、フランスは抗生物質の消費量が格段に高い国らしいが、今のところ処方されたことがない。

「また会えて嬉しいわ!」と、この先生に満面の笑顔で言われた時、光のシャワーを浴びたような気分になった。お互い、3年ぶりの再会を喜び、先生は子猿らの成長に喜んで下さり、彼らが私に日本語で話しかけるのを大げさに感心してくださったり、でもこっそりと子猿達の遊び方、戯れ方を観察され、「ふんふん」と頷いてらした。昨日は子猿らに関するちょっとした心配も「大丈夫、Zen!」と力づけられ、子猿達は「今度来るときはあの車で遊ぶんだ」と計画しているし。私も夫も先生のオーラにかかり、すっかり楽しい気分で帰った。

こういう風に、ポジティブなエネルギーを与えてくれるのって天性の強さ、明るさに、その人のたゆまぬ努力が加わってのことなのだろう。こういう人、疲れること多いと思うもの。
太陽先生の素晴らしさに感動の夕暮れでした。

Thursday, November 26, 2009

パリ冬景色♪

インフルエンザ疑惑はシロだったようだ。子猿二匹、パパ猿へと、凄まじいスピードでお腹風邪菌は移り、3日で一巡した。母猿はいつ来るか、とその日を恐れつつ、悔いがないよう、食べられるうちに食べよう、と家族が苦しんでいる横で、アジの干物や塩鮭など私にとってご馳走なものをたらふく食べた。ワインも飲んだ。なのに、バカと何とかは、ってやつなのか、ハラは出るが、痛くない。

昨日は子猿一匹連れ、街中に出かける機会があった。四時過ぎから薄暗いこの頃、バスから見るエッフェルタワーは燻し金色にライトアップされ、その渋さがTres chic!コンコルド広場には観覧車が雪の結晶を真似て白く光り、背景にある噴水も氷のよう。通行人は黒い影となり、モニュメントの美しさだけが浮かび上がっている。
「キレイね、キレイね!」と子猿に話しかけると、彼は窓に顔を貼り付けたまま居眠りしていた。他の乗客もぐったりして見える。外の美しさにエネルギーを吸い取られたのだろうか。

家に辿り着くと、会社を休んだ夫とチビ猿が、お腹が空いたから、と台所でトーストを食べていた。よしよし、ウィルスがへたばってきたか。
ふと、灯りが点いている家に帰ってくるの、久しぶりなことに気づく。トーストの焦げた匂いと共に小さな幸せを感じました。

Wednesday, November 25, 2009

日本

日本チャチャチャ!に10日ほど行って来た。東京は寒くて雨が降っていた。都会ぶりに感心した。田舎生活に慣れている私は平均2時間ほど睡眠を削って、友人やビジネス関係の人に会ってきた。都会に育った私はすぐに順応したものの、パラレル・ライフを常に認識した。よく歩いた。銀座では全然知らないおじさんから「東京はどこでも歩かにゃいかん。」と激励され、とにかくよく歩いた。でも、運動はそれ以外しなかったので、体調は今ひとつだ。友人にはたくさん会えた。楽しかった。友人たちのお子さんにもたくさん会えた。大学一年生の長男の文化祭に出向き、彼の友人にも会えた。彼らと精神的に同感、共有できる感情があることに感謝した。

飛行機にのり、バス・タクシーを乗り継ぎたどりついた我が家で、末っ子が「パラダイスへお帰りなさい。」と言ってくれた。

Monday, November 23, 2009

セップと松茸

週末に田舎に行って来た。義理の両親のプチ・シャトー、晩秋もまた美しい。家中、暖炉で薪が焼ける匂いがして、窓から見る風景は靄がかかっていて、いとおかし。鴨のコンフィとバターたっぷりのジャガイモのソテーという、アンチ・ダイエットな昼食後、森へと散策することにした。フランスっぽいでしょ。
さて、そこでフランスもへったくれもないほど、興奮してしまった。セップ茸がそこらかしこに顔を見せている!もう、ちょっとやそっとのナメクジにはへこたれない。そんなものはナイフでチョンとよけ、松の根元をうろうろ。夫が私のたくましさに驚いている。普段は蛾一匹で大騒ぎしているくせに、と目が責めている。ごめん、それどころではないの。
セップも何故か松の木付近に生えている。松茸もそうなんでしょ?松茸って言うくらいだから。何故、松には美味しいものが生えるかしら?
翌日、日曜日の朝は、遠くに聞こえるホルンの音で目が覚めた。狩りが始まったようだ。来週は雉にありつけるかな?

細雪を読んで

子猿の日本語教室にはちょっとした図書室がある。そこで先日、細雪を借り読んでいる。
谷崎といえば、海外では「ナオミ」という名で知られている「痴人の愛」が有名だが、細雪の方はもっといいと思う。こういう、はんなりとした、叙情的な、情景的なサガは翻訳するの、難しいことだろう。
兎に角、美しくって、可笑しくって、夢のようであって、超現実的な会話や時代が懐かしくって、せつなくって、いい、兎に角いい。
その昔読みかけて、全然ページが進まなかったのが、今はこんなに気持ちにフィットするなんて、私も成長したのでしょうか。歳を取るのもいいものです。

インフルエンザ

季節柄、インフルエンザが蔓延しているようで、我が家にも社会保障センターから、2歳の子猿へA型インフルのワクチンの招待状が来た。

何時行こうかなぁとのんきに考えていたら、先ほどからこの子猿、お腹は下すは、もどすはで大変。よりによって、親のベッド、それも私の寝る側、そしてオフホワイトがお気に入りのソファーなどで、噴水のごとく戻している。(食事中読んでいたならごめんなさい!)実は先日よりパリ16区立の託児所(保育所の短いバージョン)に通い始めたばかり。早速菌を拾ってきたのだろう。

当の本人は戻すたびに、ケロッとして「お腹すいた、水のみたい」と言っている。さて今夜、熱が出るか、そして、これはA型なのか、とサスペンスが続く。次は兄猿に、そしてパパ猿、そして母猿に移っていくのだろう、バイキン君。

皆様も、御身体、くれぐれもご自愛のほど・・・
また行きます!

Saturday, November 14, 2009

魚シンジケート

パリに来てから、日本食を良く食べるようになった。それも、かなり本格的なものが多い。

昨日はあんこう鍋-これは日本でも食べたことがなかったのに、パリで食べるなんて。アジの干物も新巻鮭も、秋刀魚だって何回も食べた。マグロの刺身も甘海老も食べた。
何故かと言うと、パリには「魚シンジケート」があるからなのだ。

魚、オランダにある日本の水産会社が日本風の魚を冷凍して、月一回パリまで配達してくれるのだ。ただ、注文量がある程度にならないと配達してもらえないので、3人~6人ぐらいでシンジケートを組んでオーダーする、その仲間に入れて頂いたのだ。魚シ、すこぶる楽で、美味しいのだ。

我が家の男子は幸い和食好きなので助かる。先日は秋刀魚、そしてアジの干物という、結構独特と思われるものを、夫はとても美味しいと言って平らげた。あんこうも感動していた。唯一、甘エビの頭のから揚げは「め、目が・・・」と恐れて食べられなかったかな。

私も、アジの干物は10年ぶり、いや、実家に住んでいた頃に食べたのが最後かもしれないから、20年ぶりくらいか。プルーストのマドレーヌのごとく、子供の頃に、母がほぐしてくれたアジの身を炊きたての御飯に乗せて、醤油かけて食べた食卓を思いだしたり。幸せでした!

Friday, November 13, 2009

日本語、フランス語、エトセトラ

我が家は日本人の小生とフランス人の夫と子猿が二匹の家族構成である。夫と小生は専ら英語で会話する。子猿達は夫とはフランス語、小生とは日本語、カタールに居たときは対ナニーさんと保育園では英語で会話していたが、今の幼稚園、保育園はフランス語である。偶にお願いするベビーシッターさんは日本語、そんな環境にいる。

さて、本日は張り切って、というよりは老体に鞭打って、巨人の星風に、4歳の子猿の自転車特訓をした。カタールでは乗り回していたのに、パリに来てからはご無沙汰していて、彼もバランス感覚を忘れかけていたようだ。日本で言う8階に住んでいるのだが、8階以上に住む子は肥満児が多い、というのが良くわかる。

自転車の特訓、過熱してくると何故か英語になる私。Come on!, You can do it! No, do it again!
・・・こういう青春語は英語の方が効果なのかもしれない。怒るときも、Stop it! Time out!等、英語が出てくることが多い。ストレートさが子供には効果的なのだろう。

途中、夕日が沈むのを見て、子猿は「みて、太陽、おしまいだって。きれいだね」という。そして、帰り道、すっかり暗くなっていて、心細くなったのか、「ママ、寂しいね」といった後、少し間を置いて「でも、きれい、夜」という。日本語能力がイマイチだからこういうダイレクトな表現になるのだろうが、そのシンプルさが美しく感じられた。

この感動を夫に伝えようとしたが、直球が当たり前の英語ではこの微妙なニュアンスが伝えられず、それではと、フランス語で再チャレンジしたが、皆が詩人のフランスではやっぱり当たり前すぎて、新鮮さが伝えられなかった。

というわけで、子猿とは逆に、どの言葉も上手に使えない母猿なのであった。そして、密かに子猿達をミュージシャンに育てたい、と思っている母猿、彼らが微妙な心のひだも伝えられるような人、自己表現ができる人になって欲しい、と願うばかり。

Wednesday, November 11, 2009

男の子、女の子

パリの街ですれ違う幼児をみると、男の子が圧倒的に多いような気がする。斯く言う我が家も同様、男子二児の家庭である。幼稚園、保育園も5対1の割合で男の子が多い。一人っ子対策の中国もこんな感じなのだろうか。世界の別の場所では女の子だらけあることを願うばかり。そうそう、カタールでは男の子が珍重されると聞いていたが、ショッピング・モールで見かけるアラブ人の女の子は、ちゃんと可愛がられている様でほっとしたものである。

さて、先ほど量販店のカールフールに行った際、つつましい日本人家族を見かけた。日本人には珍しく、ブランド物なしのこざっぱりした身なり。お兄ちゃん二人は年子であろうか、ひざに穴が開いているのは我が家の男子と一緒。
そして小さな女の子!ご両親にとっては大きな賭けではなかっただろうか。二人もきてるけど、三人男の子だったら家の中はゴミタメになるわ、汗くさいわ、お米もすごい消費量だろう。(三人男のお母様読者、心より同情申し上げます。掃除、洗濯、料理・・・確り仕込んで、こき使うべし。You deserve it!)
三人目、女の子で良かったね、可愛くって良かったね、と見知らぬ人に心の中で祝福する私。この女の子、靴からジャンパーまで全て男物。お兄ちゃんたちのお下がりであろう。何だかとっても微笑ましかった。

Tuesday, November 10, 2009

寂しさ

家庭が幸せな人ほど一人旅は嫌な気がする。私も久しぶりに東京に行けるのでそれは楽しみだが、家を離れるのは寂しい。日曜日に出るのに火曜日の今から寂しい。行ってしまえば楽しいのに、飛行機の中は特に寂しい。家族とはなれるのが寂しいのは、幸せなのだとつくづく思う。

その昔、出産と育児の真っ只中の頃は、結構出張が楽しみだった。自分のための時間が珍しくたっぷりあるし、時差ぼけとはいえ、いつもよりたくさん眠れるというのもうれしかった。自分の好きなものを食べられるというのも最高のご褒美のような気がしたりした。

そんなので、今旅に出る前にさびしい自分はだいぶお気楽な人生を歩んでいるんだなと思う。

Monday, November 9, 2009

旅たちの前

昨日の夕方は飛行機で出張に出る夫の「旅たち前症候群」に付き合わされた。

以前も書いたかもしれないが、彼は飛行機恐怖症気味で、ホテル嫌いなのだ。出発前に落ち込み方ったら、ちょっと気の毒なくらいである。症状は家を出る6時間前くらいから始まるのだが、あと30分で車がくる、という頃には涙を流さんばかり。そして昨日は日曜日だったのもいけなかった。彼は子供の頃から学校の寮に入れられ、週末だけは家に帰ってくる、という生活だった。そして、日曜日の夕方は、家族と別れ、ドナドナドーナ♪とスクール・バスに揺られて寮に戻る。そんな家なき子したトラウマが感傷的な状態を更に盛り上げてしまったのである。

斯く言う私も、以前スチュワーデスとして働いていた頃は似たような心情に陥っていた。当時は悩めるアラウンド25、未来が不透明なことに耐えられず、独りでいることとは絶望だと思い、一人飛行機に乗って外国に行くことが、宿命のように重く感じられ・・・と、兎に角、フライト前日は深ーく、暗ーく落ち込んだものだ。

今は、というと、一人シャンパンをすすりつつ、静かに本を読んだりする、そんなフライトは夢のまた夢なのだ。

Sunday, November 8, 2009

眠れぬ夜

久しぶりに夫が出張で留守である。楽できるような気がして喜んだ罰か、寝付けなかった。そんな夜は・・・
宮部みゆきの最新刊、「英雄の書」というのを明け方近くまで読みこんだ。

これは宮部みゆきのSFもの。彼女は時代物でも、もちろん現代ミステリーでも、人の孤独や、社会の歪みなどを、程々のユーモアを混ぜて上手く書くので大好きのなのだが、SFは小生のイメージ力不足のためか、イマイチ小慣れていないような気がしていた。プロットもシンプル過ぎるかな、なんて。でもこの「英雄の書」はいいような気がする。ネバーエンディングストーリーの大人版というか、怖い版というか。まだ半分過ぎたところだが、どこに連れて行かれるのか、楽しみだ。

週末にパリもぐっと冷え込んだ。歩道を歩くと一面枯葉の絨毯でサクサク音がする。これから春まで、街路樹も裸んぼです。
皆様も風邪など召しませぬよう、ご自愛くださいね。

Wednesday, November 4, 2009

面白サイト

www.mylifeisaverage.com と言うサイトを息子に教えてもらった。抱腹絶倒とは、これしかり。

Tuesday, November 3, 2009

ハチ公

うちの犬のチャーリーは最近忠犬ハチ公も真っ青と言う忠誠ぶりを発揮している。昨日は窓の修理に来たLord of the Rings のレゴロスを30年くらい年輩にして歯を2本抜いた感じのおじさんから飼い主(つまりは私)を守るため、半日ピットリ横について影のように行動。私の住むティブロンはサンフランシスコから15分の割には野生が多く、犬も大変である。たぬき、スカンク、鹿、野うさぎは序の口、時折コヨーテまで出没する。丘の上に住むチャーリーは高台から人間やその他もろもろの動物をみては、「ここはわしの領域だぞ~!」と吠える。最初はたしなめていたが、最近はほめることにした。すると、一度ほめられると、満足して家に戻ってくる。要は自分の仕事をしっかりやっていると言うことを認めてもらいたいために吠えてみているようだ。割とひたむきな犬だ。その忠犬も、周りに敵がいないと、安楽椅子で昼寝三昧。オンとオフがしっかりしている。

Sunday, November 1, 2009

海、海、海!

先週のフランス西海岸旅行では、モン・サンミッシェルのあとSaint Malo、そしてその足で塩の華で有名なゲランド地方に行きました。

サン・マロは古い港街。左手に海、右手には松並木の、何ともひなびた散歩道を、港を目指してゆっくり歩きました。崖の上から見る海は、ヨットが浮かんでいたり、小さな入り江があったりで、アガサ・クリスティーの殺人事件現場を思い起こさせられます。
ゲランド近くのMesquerとかいう所の広い砂浜は、アメリカのロング・アイランドと海続きだけあって、(と、ここまで書いて、自信が失せてしまう私は地理音痴)同じ色でした。子供達と七番目の波まで数えては逃げる、という、素朴な遊びに明け暮れたり、お決まりどおり、波につかまってびしょびしょになった次男子猿を引き上げたり、海三昧でした。

そうそう、「毎日かあさん」というお笑い漫画に、男と棒の関係というのがあって、棒一本(折れた枝でも何でも)を公園に落として観察すると、幼(男)児はただ持って喜んだり、虫をつついたり、他の子を叩いたりし、少年はバットにして野球に明け暮れ、そして、夕方にはオジサンがゴルフ・クラブ代わりにして振っていた、とあり、男と棒は切っても切れない仲らしいですが、同様なことが石っころでも言える事を知りました。我が子猿たち、その従兄弟の10歳児、我が夫、この四人と一緒に浜辺に行ったときは、ずっと、ずーっと、平たい石を探しては、水面にバウンスさせるというのをやっていました。同行した叔母はあきれて浜辺で昼寝。平和でしょ。

私は、というと、このフランスの海に、私の知っている海を見つけようと、忙しくしていたように思われます。高校時代に電車を乗り継いで行った鎌倉付近の由比ガ浜や江ノ島、あの辺りの、深緑と青の混ざったような海、あれです。松の木があるのが似てる、とか、砂の色はもっと濃いグレーだったと思う、とか。
そうそう、波の音は同じでした。