Saturday, June 26, 2010

いよいよ明日!

6月は子供関係のイベント、そしてバカンス前(もう?)ということでバタバタと過ぎてゆこうとしています。
そして明日はいよいよ、1ヶ月間の「日本の旅」に向け出発です。家族、親戚、旧友らとの再会にこの何週間か、胸が踊っぱなしです。

そのプレリュードという感じで、今日、パリにてサンフランに住む姉のJubilancerさんとその子供達、私の甥っ子、姪っ子と、なんと六年ぶりの再会を果たしました。日本を離れて暮らしていると、こういうことも仕方ないのでしょう。昨日まで毎日のように会っていた人と会えない。インターネットと電話で交信できても、やはり埋めきれないものがあります。

ともかく、六年前はちびっ子だった甥と姪は立派なティーンエイジャーに、Jubilancerさんも西海岸の、そして今は南仏の太陽を浴び、健康そのもので、感慨無量の再会でした。

飛行機は昔働いていたエアラインです。元同期が調べてくれましたが、誰も知っている方は乗務されていないよう。ほっとするような、さびしいような。もう辞めてから15年近くたちますから、当然なのですが。

落ち着いたら、日本からブログもエトランゼも書き込んで行きたいと思っています。

では、一足お先に夏休みに行ってきます。皆様もどうぞ、Safe trips + Bonnes vacances!

Friday, June 25, 2010

荷支度

明日から一週間、南仏のこの家を貸しに出す。朝から、掃除、荷支度、残飯整理に精がでる。明日はパリに行くので、久しぶりに妹一家に会える。といっても、最後に会ったのはおそらく彼女の結婚式で、すでに5歳と3歳になる息子がいるので、初めて会う甥っ子たちは超楽しみである。

さて、久しぶりに出かける都会はどんな楽しみが待ち受けていることだろう?

頑張れニッポン!

と、にわかナショナリストになってしまうワールドカップ。
デンマークに勝ったなんて素晴らしい!

話はちょっと遡って、昨年夏まで滞在したカタール。

100戸もの家が集まるレジデンスに住んでいたが、ここの住人の70パーセントはデンマーク人だった。Maeskというデンマークの石油会社が借り上げていたのだ。

このレジデンスにはプールその他のスポーツ施設があり、背が高くってブロンドの人々が長~い足で、泳いだり、走ったりしているのを間近に見ていると、同じ人間とは思えなかった。
「デ人は、キリンみたいだね」
と夫にささやくと、
「奴らは人間じゃない、そもそもあの言語はなんだ」
と、珍しくフランス人らしい、失礼極まりない発言をしていた。

そんな超人的なデンマーク人に勝ったなんて、すごいすごい!

そしてカタールでは、日本チームと岡田監督と知り合うという幸運もあった。予選でカタールチームと対戦する際の通訳を承ったのだ。そのため、サッカーのこと、監督のことなど、インターネットを使って色々予習をした。
その中に岡田監督は、今回の監督職を引き受けるにあたっては
「いいか、今回負けるようなことがあったら、しばらくは日本には住めないことになるんだ。それでもいいか」
と、ご家族に聞かれたそうだ。まるで戦国時代の侍のような決死の覚悟!
実際にお会いした監督も、真面目で厳格さと優しい配慮が一杯の本当に素敵なスポーツマンであった。
昨日の試合後の写真に珍しく満面の笑顔のが。こちらまで頬が緩む。

ベスト16、この調子でどんどん突き進んでほしい。
頑張れニッポン!岡田ジャパン!

Thursday, June 24, 2010

原型

PCをいじったおかげで、スカイプの音声は使えない、不思議な画面になっている。けど、太陽が朝からさんさんと照りつけ、ペンキ塗りに精が出る。カメラは壊れ、日々の作業で衣服も傷み、どんどん人間の原型に戻っていく。後一月もすれば、木の枝からぶら下がっているいかもしれない。

パリは梅雨明け!



















やっと梅雨明け(?)のパリ。初夏らしい気候になりました。写真は昨日のパレ・ロワイヤルの公園にて。
皆さんも良い一日を!

Wednesday, June 23, 2010

主婦パワー

今日の私は凄かった。

朝。
まずは朝の儀式、私のカフェオレを煎れ、カフェインが胃に吸収され血液に注入される音を聞きながら目を覚ます。
そのあと、子供達のシーツを取替え、第一回目の洗濯機を回わす。もちろん、子猿らの朝食、夫のココア、そんなこともこなしながら、昼ごはん、夜ご飯の仕込みもするし、冷蔵庫も整頓する。昨日のミーティングで話ししたコンテンツをまとめ、メールもした。同時にYoutubeで今週の桑田さんその他、お気に入りミュージシャンの新しいビデオ・クリップをサーチし、エトランゼの様子もチェックする。Mixiも、内田樹ブログだってチェックする。

昼。
お風呂に入り、リラクゼーション。子猿らにおもちゃを片付けさせ(結局母猿が殆どをする)、昼ごはんを食べさせ、所用(トイレ)をさせる。目標は1時半出発!今日は日本語教室の日。出掛けに洗濯物を干し、二回目を回す。そして食洗機も回し、いざ出発!というときに兄猿、トイレに行きたいと。行って行って!結局予定の10分後れで出発!

午後。
日本語教室は今日が最後。30分ほどの授業参観をさせてもらってから、図書館で借りた本を返し、あらたに、自分、夫(日本の小説の仏訳)、子供の本(絵本)を借りる。自分用には、桐野夏生氏の本を二冊選んだ。
日本語教室でママ友らたとコーヒー片手に会話を楽しみながら、どういうわけか妙にエキサイトしている3歳の次男を追い回す。「叫ぶな」と諭し、嫌がるのをトイレに連れて行き、戻ってくると5歳の長男の授業が終わっている。
帰りにパレ・ロワイヤルで途中下車し、公園に連れて行く。背中のリュック、肩からショルダーバッグと行商のおばさん風。中にはお握りとポップコーンと水筒、そしてデジカメ、何でも入っている。
公園セッションはママ友と一緒。計4人の男の子と疲れたママ二人。途中でもう一組ママ・女の子がジョインしてくれて、計五人の幼児と疲れたママ3人になる。どうでしたかって?ご想像にお任せします。

夕方6時。
疲れのため凶暴化してきた子猿二匹を連れ、バスに乗る。渋滞!ちび猿、熟睡する。こんな時間に寝てほしくないのよ~!一時間後に帰着。

夫はどうやら6時ごろ帰ってきたよう。また、鍵を忘れ、管理人さんのお世話になって家に入れた、という。
一時間以上も前に帰ってきた夫、きっとなにもしていないんだろうな。実際台所に入っても、案の定、夕食の準備の「じ」の字もない。食卓も、テーブル・セッティングの「テ」の字もない。
でも私は切れなかった。
ビールをプシュっと開け、アペリティフを楽しみながら、淡々と夕食の準備をし、食洗機を空け、洗濯物を取り込んで二回目の分を干し、子猿達を風呂に入れ、晩餐を囲み、今に至った。

もっと細部に至れば、もっと働いたことを証明できると思う。
でもこんなの、主婦にしてみれば普通の毎日。働いている人だったらもっとすさまじいことだろう。日本人夫だったら、夜帰ってきたのに、ご飯の準備ができていないことに文句言う人もいることであろう。それでも、淡々と、ひたすらに淡々とルーティーンをこなす、そんな日々の中、喜びや生きがいを見つけ、前向きに主婦は生きていく、女性はひたすら生きていく。

凄いパワーだと思いませんか。超マルチタスク型。主婦は何役でも同時にこなします。
男には男の凄さがあるけど、女のそれもBravoモノだと、自画自賛の今日この頃です。

Tuesday, June 22, 2010

ぷっぷか~

日本の友人とスカイプしながら朝のコーヒー。そしてお掃除とランチの支度。習いたての車をすっ飛ばし、Juan-les-pinsにいくはずが、なぜかAntibesに行き着く。せっかく見つけた木陰の駐車場所も財布を忘れてきたことに気がつき、子供たちを浜辺に残して急いで帰宅。財布を持って出直し、冷たい地中海に入ってみたりする。こんな時思い出すのが、ジュディー・オングのWind is blowing from the Aegean, 女は海~。結構ダサい。ダサいといえば日常の私。Mamma Miaの映画のメリル・ストリープのようなおばさんの東洋版を想像すると今日の私である。あんなに恋多き女ではないけど。

帰りがけにプールの海草を払拭する薬物と、食べものを買い込み、ぷっぷかと家に戻る。ニースにいるのでニース風サラダでも作ろうかと思うが、注文の多い家族のおかげで、得体の知れないサラダをつくり、白ワインと一緒に楽しむ晩餐。

そして、食後は、地中海を臨む窓の乾いてむけてきたペンキをはがす作業に一人いそしむ。途中、ねぎらいを兼ねて息子が、テレビが聞こえないのでそろそろやめてくれないかと頼みに来る。

こうして人生明け暮れるのも悪くない気がする。明日は、大工たちの集うお店に行き、ペンキの下地、ペンキをはけを買いにいく。朝働いて、午後は、子供らをつれて別のビーチに行こうと思う。

仕事着

今日のパリは久々の快晴でした。
青々とした空に、何故かいわし雲。日本ではいわし雲と言えば秋の気配なのが、フランス、イギリスでは年中現れます。
テュルリー公園を抜けるとき、ふと振り向くと新緑+青い空+エッフェル塔という、初夏のパリそのものの構図がありました。デジカメを忘れてしまって、残念至極。明日も来ようかな。そしたら写真を撮ってアップをしますね。

今日は仕事関連での外出でした。初めて会う方、どんな服装をしようか、と考えた結果、紺色のパンツに白いトップ、そしてコットンのジャケットとなりました。私なりのキーとしては、素足に履いた革の紐靴。これは日本では近年、石田純一がエスタビリッシュしたスタイルとも聞いていますが、この春のパリではちょっとしたブームだったと認識しています。歯医者の待合室の雑誌でそんなスナップ写真を見たときから、ちょっとやってみたいと思っていました。
ま、こんな至って普通の格好は私らしいな、と行きのバスで一人悦に入ります。そして、こんな「私らしい格好」で仕事に出られることに、感慨深いものを感じました。

思い起こせば、大学のときの就職活動に遡るのでしょうか。あのころは銀行系なら紺色、そうでないのならベージュのスーツでなくてはならない、そんな風潮の中、太い足が一段と太く見えるようなタイトスカートに履きなれないパンプス型の黒い靴。そして梅雨時なのにストッキング!似合わない、暑苦しい、辛かったこと!
そして、各社のOGを訪れて話を聞くと、
「そうね、面接では、できるだけ家族円満を匂わせることね。そして、社会事情にも興味は持っているけれど、頭でっかちに聞こえないように話すの。例えば、今なら消費税についての質問が多いようだけど、『その必要性は理解していますが、やはり、母と買い物に行ったときなど、3%(当時はそうでした)の、家計への重みを感じます』って答えると、『ああ、この子は新聞は読んでいるんだな、で、家庭的なんだな』って好感持たれるのよ」
とコツを教えて頂いたことなどが、走馬灯のように思い出されます。
あの頃は母と買い物なんて行くような環境ではありませんでしたが、「そうか、そういう家庭の暗さは隠すのね」と、「隠すこと」をモットーに面接をこなしたものです。

そして次はNYでの金融界。
朝、電車を降りると、髪は朝シャンが乾いていない、ごっつい身体にだっさいスーツ、足元はジョギングシューズ、肩からは決まってコーチのレターサイズ以上のかばんにパンパンの書類、そんなキャリア・ウーマン達がベーグルを噛み千切りながら歩く姿に、「逞しい!」と圧倒されつつ、自分も真似してみたりして。
張ったりの世界、というのを聞きかじり、肩を張ってみたけど、そんな自分が情けなかった30代の入り口でした。

ロンドンでも銀行。
ここではもうちょっとシックに、スーツを着こなしてみましたが、何か違和感あるんですよね。

そうそう、飛ばしてしまいましたが、最も似合わなかったのは新卒のスチュワーデス時代の制服です。最初の年は超ダサい、首絞めまくる旧デザインの制服でした。
「うわっ、似合わねぇー!」と同期に笑われたこと5分間。
そのあと、もうちょっと普通なテーラードジャケット風のになり、マシになったかと思えば、同じ同期に「あんたは、(非常事態の訓練時に着る)つなぎが一番似合うと思う」と。えぇ、私もそう思いました。
社風に至っては、「自分を殺す」これがキーだったように、若干被害者意識を持っていました。
ところが、退職してから、何回「やっぱり元スチュワーデスさんですか、そんな感じですよね」と言われたことか。不思議!自分のカラーを消していた、消されていたように思っていましたが、実際には重なっているところもあったってことでしょうかね。

今日は、私らしい格好で、私らしい話をして、お会いしたお二人も素敵な方で、刺激的な会話で盛り上がりました。

隠さなくてよい、気張らなくてよい、自然体でよい、こういう風に働きたい、痛切にそう思った帰りのバスでした。

Monday, June 21, 2010

いえ、違います。

今日の業績はマニュアル・シフトの車の運転を練習して村を暴走したことと、スカイプ用のマイクを購入したこと。ついでに、村の郵便局まで次男と行き、フランス人のおばあちゃんにここの人かい?って聞かれたこと。いえ、違いますといったのに、この駐車場の名前を知りたいと聞かれ、この村にはひとつしか駐車場はないから心配いらないよと答えて感謝された。

「いえ、違います」で思い出した罪なことは、SFを発つ早朝3時半に子供たちのホテルの部屋に電話をかけたつもりで電話に出たかわいい声の女性に、変だなあと思いながら、どすを聞かせて「あや?!!!」と怒鳴ったこと。あわてた相手の方は、急に日本のお母さんを思い出したのでしょう。「いえ、違います。」と返事をしてくださった。びっくり仰天である。すまない思いで胸いっぱいである。あの後、きっと一睡もせずにショックに浸ったことでしょう、彼女は。なんで、遠い国まできて、自分の名前でもないのに、一喝されてギクッとする必要があるのか、とても悩んだことだろう。ごめんなさい。

ところで、実験で夫が無精ひげを生やしている。どんな感じか見てみたいと私が言ったのがきっかけで5日ほどうにのような顔をしている。多数決でやめるように投票したので明日の朝は、元の童顔に戻っていることを期待する。

スカイプ用のマイクを試してみたいけど、みんな日本では寝ているので、Lazyさんにかけてみようっと!

Sunday, June 20, 2010

Economist誌のお悔やみページ

テレビも繋がず、新聞も購読していない我が家、せめて世界の常識をインプットしようと英国のエコノミスト誌を購読して早何年です。毎週金曜日にポストに投函される、その薄い見てくれとは裏腹に中身が多くて、読みきれないほど情報満載。内容も経済というよりは世界情勢、アカデミックな動き、書評など、何でもござれ、です。

その中でも、私が楽しみなのはOrbituary(お悔やみ)ページだったりします。

楽しみというのは間違った表現かもしれません。でも、毎週届くと最初に見るのが紙面最後のページの「今週のお悔やみ」です。

90パーセントの確率で、知らない方の死の報告です。そして、エコノミスト誌より、その方の偉業を学び、間違いを知り、感銘を受けます。

エコノミスト誌が嫌いな人(多くの場合、それは世界が忌み嫌う人です、アパルトヘイト推進者とか、旧SSとか)に対しては厳しいです。そういうところも偽善的ではなくていいと思います。それでも、「人生の悲劇」を主演させられた悲しさといった死者への優しさも忘れない。そんな文章に救われます。

エコノミスト誌が好意的な方の死だと、「英語ってこう使うんだ!」って思わされるような、実に感動的な言い回しで、且つブリティッシュ・ユーモアをまぶして、敬意を払います。
そういうところも好きな理由のひとつです。

ある一人の人間の死、悪い人でも善人でも、週の終わりにこう、「確認する」というのでしょうか、この行為は正しいことのように思われます。歴史というパズルの、時間軸の1ピースですものね。

さて、今週のお悔やみは23年に渡ってエコノミスト誌の副編集長をした方のものでした。いつもの三倍、三ページを使ったところも、エ誌の、この方へ対する敬意を感じられて、義理人情の「昭和の女」のワタクシ、気に入りました。

また、写真の人がよさそうというか、歯抜けで間抜けな笑顔の故人の顔も気に入りました。
縁の下の力持ちを演じ続け、謙虚に生きたという解説もいいです。

そして、この方、62年に日本を訪れ、世界でいち早く、「日本の経済パワーに注視せよ」と日本の力を認めた方らしいです。
そのころの日本は「戦争負けたけど、見てろよ」というネガティブ・パワーと「一から出直しだ!」という前向きパワーの相乗効果で凄かったのでしょうね。「英国の三倍の効率で稼動している」と故人が報告したそうです。
東京オリンピック前の日本、体感してみたかったです。

歴史は川の水のように流れていく。
すがすがしく「死」を受け止め、放流する、そんなお悔やみページです。お勧めですよ~。

南仏も寒い(アンティーブ近郊ビオット)

我が家の付近は大雨と洪水で死者が出るほどのようだが、幸いうちは雨漏り程度の被害で済んでいる。アメリカでは運転も慣れてきた次男は、マニュアルの車の運転を練習しに父親と出かけ、痛くプライドを傷つけて戻ってきた。いからした肩が憤慨ぶりを物語る。私はランチを作るのに、誰もおなかがすかないという。ふと、パンとチーズの在庫を見ると、激減しているではないか!つまみ食いばっかりしているから、おいしいランチに興味がわかないのである。昨夜誓った日曜日のワイン断ちを早くも撤回することにした。寒いと赤ワインとジャガイモが良いようで、ランチは、牛肉のローストとおいもと豆のマスタード・クリームグラタンにした。午後は、どこか屋内の美術館にでも行こうかと思う。マティスの絵を展示してある教会でも目指そうか。。。

Saturday, June 19, 2010

寒い!(パリより)




今日のパリは6月とは思えない冷え込み方です。夜10時半の今も毛布に包まってタイプしているほど。

土曜日の今日、予感的中で、夫の実家にてお昼でした。
もうすぐ来るな、って思っていたのです。昨日夫に、「多分このウィークエンドに御呼びがかかるから、(週末の食事用の)ジャガイモは買い足さなくていいと思う」、と言ってた矢先にご招待の電話がかかってきたので、「どうしてわかったの?」って驚かれました。そりゃわかりますよ。自分が義母だったら、そろそろ息子に会いたいと思うと思うもの。

でも、夫と義母、今は星周りが良くないんだと思う。会話が微妙にねじれがちで、気持ちが伝わらないようです。義母はストレスを溜め、夫は傷ついて後で私に愚痴を言うってパターンが続いています。ランチの席で、そんなギクシャク会話を聞きながら、私は誰も見てない隙を見つけてはワインを手酌で飲んでました。

写真は帰り道。噴水も寒そうでしょ?男子三人が立っているのは、隣の競馬場を走る馬を見ようとしているところです。この時期困るのは足もと。もうタイツを履くほどでもないし、ストッキングは好きでないし、むき足だと寒い。でも武士の高楊枝、寒くない振りをしてサンダルで闊歩しました。だから風邪引くのよね。

皆さんもこういう天候の時期ですから、ご自愛くださいね~。

フランスに来て思うこと

今日のランチは見事に爆発した。フランスに来るとフランス人のDNAは調子に乗るようで、すべてが正しいと確信するらしい。控え目な日本人は何を言っても、「あなたは間違っている。」ようだ。カルフールで購入した白ワインのシャブリを多少楽しんだ良妻賢母は、しばらく我慢したが、さすがに堪忍袋の緒が切れて、「ああ、そうさ。この家で間違っているのは私だけさ。」とちゃぶ台をひっくり返さんばかりの勢いでたんかをきると、妙に神妙になるではないか???こうなっては、勢いで乗り切るに越したことはない。おかげさまで、午後は大変お行儀のよい一家に恵まれることができた。郷に入れば郷に従えとはこういうことを言うようだ。

Tuesday, June 15, 2010

サンフランシスコからコート・ダズール民族大移動

民族大移動を果たしたが、航空会社の手違いで犬のチャーリーがSFで置いてきぼりを喰らい、大変だった。といっても、大変だったのは、早朝電話でたたき起こされ、大きな犬を急に渡された友人のスコットとあけみさんである。そして、その偉大な尽力と寛大な心のおかげでチャーリーは、今頃ニューヨークに到着し、そこからニース行きの飛行機に乗り移る頃である。明日、空港に迎えに行くのが楽しみである。

さて、アメリカとフランスは同じ西洋文化でありながら、こんなに食文化が違うのかとびっくりする。子供たちは、出発前から南仏の地元のパン屋さんのクロワッサンを夢見てよだれをたらしていたが、到着翌日から早速夢にまでみたクロワッサンの買出しに行ってきた。「やっぱりパンはフランスだね。」と珍しく意気投合。その後、近所のカルフールという巨大なスーパーに買出しに行く。ここはあまりに大きくて店員さんがローラーブレードで移動する。

初日は、メルゲーズmerguezという羊肉のソーセージをランチに食べる。これににんじんのサラダ http://www.750g.com/recettes_carottes_rapees.htmを添える。

昨日はマスタードとクレーム・フレッシュのソースのパンタードpintadeを作る。この鳥http://www.la-pintade.com/は、日本でいう雉なのではないかと勝手に思うが、お肉が柔らかくてとてもおいしい。アメリカでは、よっぽどのグルメ・デリにでも行かないと、手に入らないものばかりだが、フランスはさすが食に対する情熱が感じられる。

食の違いとともに実感するのは資本主義と社会主義のもたらす店員さんの態度の違いである。サービスでは、日本にかなう国はないと思うが、アメリカにも「お客様は神様である」という思想は一応ある。フランスでは、こういう発想は皆無である。とは言っても、みんながみんな悪態をついているわけではなく、とても優しくニコニコ振舞う人もいる。でも、それは職業柄というよりは本人の天性の問題のようだ。

Monday, June 14, 2010

一息



昨日は歯医者が早めに終わったので、メトロに乗って帰る前に傍の教会に立ち寄りました。

L’église Saint-Philippe-du-Roule、聖フィリップ・ドゥ・ルールという教会。次男の名前と同じフィリップなので勝手に親近感を感じ、歯医者のついでに何回か立ち寄ったことがあります。

ところで、フィリップという名前、フランスでは、50、60年代に流行った名前らしく、「今の50、60のおじさん同僚は、棒に当たればフィリップというくらい古臭い名前だ、それを息子につけるの?本当にそれでいいの?」と夫に言われましたが、私は頑として譲りませんでした。

確かに最近の子供の名前は、マクサンス、ディエゴ、マクシミリアン等は幼稚園に何人もある名前でブームのよう。ディエゴなんて、スペイン語ですが、スペインの血が一滴も入ってなくても、「音が良いから」とか、「怪傑ゾロの変身前の名前だから」などという理由で人気だとか。「ディエゴ」英語だと、Jamesのことらしいです。同じ名前も国によって違う、面白いですね。
最近の子供の名前、同じ使徒系ですと、トーマ(トーマス)、マチュー、ルカ(ルーク)等も良く聞きます。ですが、確かにフィリップは聞かないかも。

ちなみにうちの子猿のフィリップは、使徒の聖フィリップではなく、別の聖人(フィリップ・ネリ)から頂戴しました。子猿が洗礼を受け、親の私達が結婚式を挙げた教会の聖人です。音楽を愛し、若い子供達の教育に愛情を注いだ方らしい。懐が深いというだけでなく、本当に心臓が大きかったらしく、ハートがシンボルの聖人です。どうか恩恵がありますように。

さて、サン・フィリップ・ドゥ・ルールに戻って・・・
立ち寄る時間帯がずれているためか、いつも人がいません。建築は凱旋門と同じ人によるもの、とあります。

広い教会内、薄暗い中、浮かび上がる天井画のキリスト様、その語りかけるような悲しみ深い瞳が胸に突き刺さります。

聖母子像、マリア様の頬のふくらみはこれから起きることを知らないようなイノセントさを表現しているけど、その目が遠くを見ていて、やはり何かを予期しているかのよう・・・。このフクフクの赤ちゃんが磔になるのを見届けた、痛ましい運命だと思います。

忙しかったこのところ、教会の中にいると落ち着きます。「呼吸している」、そんな自分を感じることができる。

初めての教会体験は、日本の幼稚園でのカテシズムだったか、と。聖水を額につけ、その冷たさが気持ちよかったのを覚えています。

この夏は、息子達がその幼稚園に二週間通わせる予定、「短期留学」です。このところ手が付けられない二人ですが、どうぞ神様の御加護に与りますように。

Saturday, June 12, 2010

怒涛のパーティー・ウィーク!

先ほど、不覚にもビール一缶飲み終えることもなく、昼寝、それも深ーい眠りをむさぼってしまいました。でも寝足りません。肩が固まっています。
そう、終わりました、恐怖の一週間。子猿に振り回され、翻弄され、おだてられてもいないのに木に登る彼を引きずりおろし、命だけでも守ろうと、そしてそれすらもギリギリの時もあった一週間。なんのことって?

単に長兄の5歳の誕生日だったのです。でも、それを餌に色々釣っていたので(今起きないとプレゼントあげないよ、とか、今すぐ片付けないとパーティーしないよ、とか。いけませんね、知っているんです)、彼の中でもテンションが上がっていたようで。

月曜日辺りから始まりました。弟猿を連れて、パーティーのための買い物をしたり、友人らからカードを頂いたりして、まず弟猿が盛り上がり始めました。一生懸命「ハッピーバースデー・トゥ・ユー♪」と練習を始める姿に、こいつ、自分はプレゼントもらえないの、気づいていないな、という予感はありました。

火曜日、明日は誕生日ということで、少しハイに(=凶暴)なってきた兄猿。母猿はここら辺でもうクタクタ。そう、この夜に週末の幼稚園際のミーティングに出たのもよくなかった。お陰でカモ釣りスタンド担当になったし。

水曜日、誕生日当日。前夜、陣痛に苦しむという、恐ろしい悪夢にうなされ、母猿は寝た気がしません。
そして唯でさえ、辛い水曜日。なぜならパリは幼稚園がお休みなので、母親の負担が多いのです。
シャトレの日本語学校まで連れて行かなくてはならないのですが、なぜか遠出をする日に限って天気が悪い。雨の中、行きます。兄猿を日本語先生に託します。そして大急ぎで帰ります。

そして誕生日パーティーの準備。この日は、兄猿のGod motherのマリアンが日本語学校から猿をピックアップしうちに連れて帰ってきてくれました。メトロに乗せてもらえて、それだけで大喜びのわが子猿。これからが本番よ~。
そのままアペロ(食前酒)・パーティーになります。大人のシャンパン開けて、子供シャンパンも開けて、ディナーより軽くてスナック的に食べられるもの-手毬寿司や、キッシュ風のものなどを用意しました。手毬寿司、簡単だけど、時間が掛かるぅ!でも間に合いました。そして、ケーキも!兄弟猿、おおはしゃぎで、ろうそくを消します。はいはい、おめでとう!

木曜日、また買出し。今度は翌日の、園児10人呼んでのパーティー。Give awayバッグも作らなくちゃ。ケーキも焼いておこう。掃除は・・・いいや、どうせ明日汚れるんでしょう。

金曜日!怖かったです!計6人のチビッコたちを幼稚園から引き取って、うちまでの一キロ弱。女の子は良い子でした。問題は男の子達。今までは愛情も込めて、猿猿読んでいましたが、昨日のわが息子は本当の猿でした。ほら、動物園で見る、サル山の猿。落ち着きゼロの、「あんたが私の祖先だなんて信じないっ!」って感じの、あれそのものでした。走る走る、四方八方。言う事聞きません。あの時、ママ友のヘルプがなかったら、あの男の子達が皆無事だったか、自信がありません。命だけは守ろう、と思っていたけど、それが如何に難しいことか悟りました。

そして11人の子供達が我が家に集合。ストラテジーとして、ケーキ以外、糖分は出さない。よって親御さんらが迎えにいらっしゃるギリギリまでケーキも出さない。シュガー・ハイ、怖いですからね。でも関係ありませんでした。怒涛、嵐、台風、なんと呼べば良いのか。弟猿は自分へのプレゼントが圧倒的に少ないことを知り、泣き喚きます。それでも7時過ぎに宴は終わり、片付けは10時過ぎまで掛かりました。ふぅ。

土曜日、そう、まだあったのです。Kermesseと呼ばれる園祭。
まずはスペクタクルの名の下、子供達のお遊戯発表会。可愛いです皆!オバサンは涙が滲んでしまいました。皆一所懸命です。協調性ゼロの息子、またステージで棒立ちするかな、と観てましたが、踊っています!先生殿、どうもありがとう!

そのあとが大変でした。カモ釣り、大きなタライに水張って、プラスチックのカモを浮かべ、釣竿で釣る、そして景品をあげる、こんな簡単なことでしたが、すごかったです。
フランス人、列を作りません。押し合いへし合い。カタールの役所における無秩序さを思い出します。
対象は小さな子供ばかりなのに、釣糸の先には鋭いフックが付いていて怖いです。夢中になる子供の釣竿が腹にあたります。昨日のトラウマが戻ってきて、「命、怪我、守れ子供達!」と、頑張りました。そして何とか終わりました。えぇ燃え尽きました・・・。

長くなってすみません。教訓、「園児(男子に限る)は三人寄れば唯の猿。」
今度写真もアップしますね~。良い日曜日を!

Tuesday, June 8, 2010

何だか忙しい (パリ)

このところ、「引越しなんだってね」「忙しそうね」とメールを頂くことが多い。やはりこのブログが共有ブログだというのが明記されていないのが原因なのだろう。最近は、この多重人格と勘違いされるのも面白い、と思ったりする。読み手が頭を捻りながら、「この人、よくわかんないのよね」なんて、想像すると、エイプリル・フールを成功したような。
えー、引越しするのはJubilancerさんで、もうすぐロング・バケーションでコート・ダジュールに発つんですよね。お会いできるのが楽しみです。Bon voyage!



私はというと、こちらも何故か忙しいような気がする。7月の日本帰省が近づいているので気がせいているだけかも。

Alors,昨日はrue de l'Etoile(星の道)という名が皮肉としか思えない、陰気で変な臭いのする道で待つこと1時間半。隣には「Euroーasia ユーラシア?」という、セピア色の看板が掛かっているの中華カフェがあって、沢木耕太郎している。
好きで行ったのではない。フランス滞在ビザの関係で、そこにある警察署の外国人デスクに行かなくてはならなかったのだ。20人くらいの行列、ありとあらゆる人種、貧しそうな人が殆どであった。
その中に一人、「あんた、役者になったらいい!」と思うほど、悪人顔の男性がいた。チンピラ風で、すねて、貧相で、凶暴・・・役作りしなくてもこんなにネガティブな要素を網羅している人、そうそういない。
そいつ、子供が4人一緒にいて、黒装束のアバヤを着ている奥さんを怒鳴ってばかり。奥さんはそれにニタニタ笑って返す。そして、子供がちょっとバカなことをすると、思いっきり御尻を叩いたり、そのうち、小突き回したりする。
前夜、子供に暴力を振るって死なせたという刑事者シリーズ(Silent Witness、知ってますか?面白いです)を見たばかりだったので、もう、子供らが可哀想で。May lord be with you、と神頼みし、チンピラ男に睨みを利かせることしか出来なかった。

夜は、週末にある幼稚園のお祭りのためのPTAの会合。初めて、PTAものに参加したが、出席者がこんなに少ないとは。私が良く話すのは日本人ママらで、彼女達は嫌々ながらも出席しているから、そういうものだと思ったけど、フランス人の親御さんたちは皆ぶっちしているようだ。それにしても司会進行役の人の段取りの悪さ。チャーミングな笑顔でジョークをまじえ和やかに進むんだけど、だらだら、だらだらと詳細ばかり決まっていく。コレがフランス式?ねぇ、何人来るの?何時開催なの?雨天決行なの?チケット渡されたけど、何枚もらうの?・・・「自由に決めていいよ」という。そういうものなのでしょうか。
そして私の担当はCanapeche(?カモ釣り?)スタンドです。とほほ。

そして、もうちょっと前に遡ると、週末はオペラ座にある三越に出かけた。こちら、なんともうすぐ閉店するとのこと。旅行慣れした人が増え、もう敢えて三越で買い物する観光客も少ないのであろう。時代の波を感じた。

そんなところだろうか。今日は長男の誕生日。昨夜寝る前に、「5年前の今頃陣痛が始まったんだよなぁ」なんて思っていたらお腹が痛いという夢をみた。夢でよかった。

Jubilancerさんのように、私も今夜のシャンパンをゴールに今日を乗り切るぞ。

極端

英語のフレーズでFeast or famineというのがある。仏教で言う中庸の正反対で、物がふんだんにありすぎるか飢餓状態か極端であるということをさす。極端といえば、我が家のような気がする。私は夫のなす業と決め付けているが、おそらく予期せぬ化学反応のようなもので、私も期せずして媒体になっているのではないかとふと考える。あさっては引越し。しあさっては飛行機。一家6人プラス犬一匹の珍道中がまた始まる。大学2年生の長男も加われば、とんでもなく楽しく劇的な夏になると期待している。とりあえずは目先のゴールを目指す。明日空港近くのホテルで飲むワイン!!

Monday, June 7, 2010

時間

当然のことながら(書いていてなぜ当然なのかふと疑問を感じる)一日には24時間しかない。これをどう生きるかという問題提起をSoraさんから頂いた。24時間のうちの8時間は睡眠に充てる、私は。なぜかというと、寝るのが本当に趣味と言う位寝るのが好きなのだ。残りをどう生きるかはアメリカでいうプロジェクト・マネジメントもしくはタイム・マネジメントのような気がする。女性、特に貧乏子沢山母親は、常に30くらいのプロジェクトを抱えて日々すごす。いかに手を抜いて効率よく作業をこなすのかは、生死の分れ目と言えよう。昔、母に「この子は要領がいい。」と、欠点かのように言われたのが今でも印象的だが、要領がよくて悪かったねと今では開き直る。そうでもないと、用事やら作業が埃のように山積する。昔、中学の数学の先生が、「今日できることは明日に伸ばさず、今日やりなさい。」と、おっしゃっていたのを今でもよく思い出す。これは人徳云々の問題ではなく、記憶力の問題で、今やらないと忘れてしまうと言う危機感から来る。

Saturday, June 5, 2010

引越し準備

来週、家族の大移動をする。豪邸を一年貸し出すことにした。学年末の行事、引越しの荷作り、旅の支度、ビジネスの集い等々、忙殺とはこれ然りという感じである。引越し慣れしたわが一家は、あっという間に箱に身の回りのものを積め、もう7割がた準備が終わってしまった。お米がたくさん残っているので連日おにぎりやら、和食で責めている。珍しく昨日パスタを作ったら、子供たちが涙流さんばかりに喜んでいた。今日もパンがないと、パニック状態であるが、クレープとかパンケーキ作ればと提案すると急に元気を取り戻していた。

それにしてもうちは本が多い。学生生活の長かった夫は、教科書を全部もって引越しをする。隠居したら読むと言うが、絶対あり得ないと私は思う。引っ越すたびに問い詰めるが「ほっといてくれ。」というではないか。ま、本人の意思を尊重しようと思うが、気がつくと半分残っていた私のポルトのビンがなんと空っぽではないか?保存できないので捨てたという。「あんた、あたしの大事なポルト!」と怒ると、「それは君のためではなく、客のために買ったのだ。」と夫がのたまう。「あんたは、いつも一言多い。」と、いやみを言って憂さを晴らす。

今日は、犬を連れて健康診断と予防接種に獣医に行く。アメリカとフランスの間には、検疫がないので、チャーリーは健康を証明する紙ひとつで行き来できるのだ。犬年齢は体重と歳月に左右されるらしい。6歳になるチャーリーは人間でいうと45歳らしい。中年真っ盛りで、中年太りしてきたという。一年で3キロも体重が増え、節食してくださいといわれた。中年は人間も犬も大変である。

沢木耕太郎 深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン


どこかで、誰かが「沢木耕太郎が好き」というのを見かけて以来、誰だっけ?どんな作家だっけ?と頭に引っかかっていました。
未だに思い出せないのですが、とりあえず、手にとって見たのがこの「深夜特急」の最終巻。面白かったら一巻から読もう、と思って後ろから始めました。

そうなんです、私、推理小説でも、そうでないのでも、すぐズルして、最章を覗き見して、「よし、そういう結末なら読もう」とか、「ハッピーエンドなら読む」とか、ケチ臭いんです。

さて、この深夜特急、よかったです。爽やかだし、旅情が伝わってきて、「私もこんな気ままな旅にでてみたいな」と思わせるような筆運びです。

ご存じない方に簡単にご説明すると、
【内容(「BOOK」データベースより)
インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く―。ある日そう思い立った26歳の〈私〉は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは、「大小」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや…。1年以上にわたるユーラシア放浪が、今始まった。いざ、遠路2万キロ彼方のロンドンへ。】

1994年に出版され、バックバック旅行人気を煽った本との事。わかります、読む人を旅人にしてしまう。旅行苦手な私でさえ、歳とってまた一人になったら、こういう気ままな旅行してもいいなぁ、と思ったくらい。

・・・でも本当は、そう思ったのは5分だけでした。

実際に一人で、本の「僕」見たいに、イベリア半島の端の岬に立っている自分を想像したのです。何十年か先、夫に先立たれ、一人になっている自分が岬に立っている。何を思うか、やはり、夫のことや、巣立っていった息子達のことを想うのでしょう。一緒に来たかったって想うのでしょう。岬に立つ老いた自分の、皺だらけの目から涙が滲む、フラッシュバックのようにそんな映像がまぶたに浮かびました。居た堪れない想いでした。

一人旅って、楽しめる人と楽しめない人がいるって、本にもありましたが、私は残念ながら後者であることを確認しました。

20歳の時の一人旅もただただ寂しくって、その分誰かと合流する時はいい気なっちゃって、「旅」を認識することなく終わりました。

そして今は家族がいる。一回家族を持ったあとに、独りになるのは、若いときに一人だったときより、もっと悲しいことのようにしか思えません。こんなこと情けないこと言っていて老後どうするのでしょう。とりあえず、夫に長生きしてもらわないと。

とにかく、こんな私は、「僕」のような気ままでワクワクする一人旅を経験すること、今までもなかったし、この先も、もうできないんだ、ということを知ったのでした。

若い方、フリーの方、是非今のうちに一人旅を楽しんでください!この本をお供にすること、お勧めしますよ。

Thursday, June 3, 2010

浪合キャンプ



三月頃のエントリーで、日本版サマーキャンプをオーガナイズしたらいいのに、と他力本願なことを書いたら、コメントを良く下さっているメノンさんより、浪合キャンプというのがあるらしい、と教えていただいた。そのときは何故か、このリンクが見つけられなかったが、今日、無事見つかったので、ここにご紹介。
昨日は実際にこの浪合キャンプにご子息を送っていらっしゃる方にお会いし、その方も満足されている様子だった。NYの国連国際学校で日本語を継承語として教えてらっしゃる方がオーガナイズされているとのこと。プログラム見ても、非常に興味深い。Jubilancerさん、どうでしょ。

その他、この浪合村は、村おこしの一つとして、都会の子供に田舎体験をさせてあげる、というメニューもあるらしい。グッド・アイデア!

ちょっと前に、友人より宮崎はやおのアニメ、「トトロ」をお借りした。
ワタクシ、マンガは好きだけど、アニメはそんなに興味がなく、宮崎氏、そしてそのグループ、ジブリ社の作品はしっかりと観たことがなかった。
「トトロねぇ、うちの子供達にはながすぎるんじゃないかなぁ」なんて思っていたら、とんでもない。もう、はまるはまる。それも、長いの苦手な3歳児の方が気に入って、「トットロ、トトロ♪」と鼻歌まで歌っちゃって。
観ていない方にざっくりと説明すると、田舎に引っ越してきたお父さんと姉妹がいて、姉妹は4歳くらいと7歳くらい。お母さんは病気で入院中。二人は田舎の自然に大喜び。そんなある日、トトロという大タヌキ風のお友達ができて・・・といったところ。日本の美しき田舎風景、夏前の風情がアニメで巧く再現されている。

仏人の夫はこれをみて、「この夏の日本はこんな感じで過ごせるの?」
私「・・・・」
できればこんな体験させてあげたいんだけど、私は田舎がないし、なんて諦めていた。浪合はトトロっぽいのだろうか。そうであって欲しい。そして、うちの子猿らが対象年齢になるころまで、続けていて欲しい。

東京の人混みや喧騒のみが彼らの「日本」として刻み込まれるんでは、旅費と苦労が水の泡ってもの。日本の良さはそういう一面と、そうでない、ZENなところとのバランスなはず。

そして、都会育ちには都会育ちならではの感受性や良さがあると思うけれど、やっぱり、自然を原風景として持つ方が人間として正しいような気がするのは、都会育ちのコンプレックス?

PS
冒頭の写真は「都会の自然」として、昨日初めて行ったパリはど真ん中、パレ・ロワイヤルにあった公園で撮った写真を載せました。緑の回廊が綺麗でしょ?端にはカフェが並び、ご馳走いただいたケーキ類のおいしかったこと!誘っていただいた友人らのお陰で母子共にパリらしい午後を過ごすことが出来ました。

Wednesday, June 2, 2010

娘 

最近、長女がメールで半世記を書けば?と書いてきた。同じ家に住むのになぜメールで交信する必要があるのかわからないが、察するにスカイプでぺちゃくちゃはなしていたか、ワインを飲みすぎたのか、おそらく責任は母なる私にあるような気がする。Anyway, 彼女曰く「あんたはかなり極端な人生を歩んできている。前のだんなとのことやら、今の生活にしろ、きわめて"living on the edge"である。その割には変なユーモアもあるので、あんたの書くものは面白いかもしれない。どうせ夏は、南仏でのんびりするんだから、何か書けば?」という。"If only..." "I wish.."である。

正直者

最近ことわざの異文化比較学に芽生えた。これで博士号でも取れないものかと思案する。先日地元名門大学のハイテク部門の博士が科学ではなく言語学、しかも日本語の「さて」という言葉の歴史的変遷というテーマで博士号を取ったときいて気がついた。世の中はイメージが先行する。何はともあれ博士なのである。
正直者は馬鹿を見るのである。「いや~、私は科学は門外漢でして。。。」などとは言わない。人が勝手に勘違いするのならさせればいい。英語には"Fake it till you make it"というフレーズがある。自分にはなかなかしづらいところがあるが、親しい友人やら知人が大風呂敷を広げ営業活動をしているのをみると、馬鹿正直にやるのも損な気がする。ところが、昔の上司がよく言っていた言葉も耳に残る。"You can't bullshit a bullshitter." お下品ではあるが、大風呂敷を広げるのが専門な人間には大風呂敷を広げても所詮だめさって調子。自分では、かなり正直なつもりだが、人の大風呂敷がものすごくよくわかるところをみると、かなりペテンが入っているのだろう。反省したりする。

Tuesday, June 1, 2010

どんくさ放浪記

昨日はビジネスの話のはずが、なぜか木こりの歌の話題に及び、私は頭の中で、「僕らは木を切る、君たちも。。。」と童謡を思い描き話してみたが、気を利かせた同僚は「与作ですか?」と助け舟をだす。へいへいほーである。こういうとんちんかんな会話が最近よくある。日本を離れて18年。時はフリーズされているのに、世の中は前進しているのでとんでもなく面白い誤解が生じる。半年前に東京でミーティングをした折も、別れ際に相手の方が、「今日はディズニーランドに嵐がくる。」というので、あわててそんなことは天気予報で言っていなかったと反論したところ、なんと嵐というのは最近人気のグループという。今日も、アリスとメールに書いてあったのを、いい加減に読み、「僕は稲妻のように。。。」のアリスと勘違いをし、失笑を買った。どんくさい。