Sunday, February 28, 2010

嵐の中、いざ雪山へ!(パリ便り)

この何日かはパリはミニ台風です。パリでは初めての経験です。台風、忘れていました。落ち着かないですね。

こんな空模様の中、我が家はTGV乗り継いで6時間、さらに車でどのくらいなのでしょう、スイスの雪山に出発です。TGV、大丈夫なのでしょうか。新幹線より、ずっと荒削りな走り心地ですから、もしかしたら雨風に弱い新幹線より頑丈なのかもしれませんね。

そうそう、昨日、スキー用具を物置から探し出すのに成功。手袋の中には十二年前の苗場の一日リフト券が入っていました。もっとあるかしらと見てみると、あるある、高校生の頃に通った、新潟の岩原のリフト券が何枚も。悪友らとユーミンのブリザード♪を大声で合唱しながら乗ったものでした。懐かしいです。

子猿たちは異常気象に、旅立ちにそわそわする山ねずみ状態です。私もちょっとそんな感じ。Wifiがあったら現地レポートしますね。Hv a nice Sunday!

Saturday, February 27, 2010

脳の本

脳の本を図書館でまた借りた。一部しか読んでいないがBrain Rulesという本。人間週に2~3回、ほんの少し心拍数の上がる運動をすると、脳がいつまでも老化しないらしい。睡眠も8時かとらないといけないらしい。ほー!私の生活は間違っていなかったと喜ぶそばから、娘が「そうやって何でも信じない方がいい。」と戒める。それでも、23分のゆっくり水泳には、彼女もついてきたところをみると、少しは信じているのかもしれない。友人は風水の先生に94歳まで生きると言われたらしい。私は死ぬ年齢は知りたくないが、死ぬまでのいいことは知りたいと、頼むと、なんと出生時間がないといけないらしい。過去にもそういわれて母に聴くものの、ようやく最近朝だったと言うところまで思い出してくれた。朝でも何時かによって運勢はぜんぜん違うらしい。母子手帳は?と聞いたが処分したとあっけない。そんなにかさばらないものを処分しなくてもいいのにと思うのは私だけか?おかげさまで私の運勢はわからずじまいに終わると愚痴ると、さすがに気の毒に思ったらしい。大分の県立病院にきいてみると言ってくれた。大分の市役所は、27年間しか記録をとっておかないらしい。県立病院にすがる気持ちである。

Friday, February 26, 2010

Jubilancer

ペンネームにちなんだサイトを作ってみたwww.jubilancer.com。みんなに喜びJubilationを与えるFreelancerのつもりで作ったサイトは人に希望を与える人々の快挙を祝うサイトで是非皆さんに寄稿をお願いしたい。我が家の末っ子も大病を患った経験を寄稿しているし、ハリー・ポッターの作家がハーバード大学の卒業式に語ったとても素晴らしいスピーチも載っている。JK Rowlingもスピーチで言っているが、人生は複雑で困難だったりする。でも、失敗から学び、想像力を失わずにいれば、いい方向に物事は進むのだ。"People who romantacize about poverty are fools."というのも、貧困を身をもって経験した人の実感のこもった言葉で共感した。

その昔、家を追い出され、裸足でLazy Elephantさんの家に逃げ込んだ私は、貧困と不幸を思いっきり経験させてもらった。しかもどん底の時に、励ましのつもりでLazy Elephantさんに連れて行ってもらったカフカの映画については以前に語ったが、今では笑い話であるものの、貧困は恐怖と絶望と大の仲良しなのはその時に思いっきり知った。

我が子や若い世代にそんな思いをしても、人生はばら色なのだと言うことを伝えたくてサイトを建ててみた。一月に20ドルかかるので、せいぜい見て寄稿して利用してほしい。

冬休み

現在子猿たちは冬休み中。この前のも冬休みではなかったのか、と見ると、あれはクリスマス休暇と呼ぶらしい。そして4月にはイースター休暇があって、5月には4日程だが、祝日が重なるミニ・ゴールデン・ウィークがあり、7月初頭より二ヶ月夏休み。もちろん10月には秋休みもある。さすが、パリでしょ。

さて、以前、フランスの働くママ支援について質問を受けたことがあるが、こんなに学校の休みが多いと、親は困るのでは、と思われるだろう。多くの家庭では休みにあわせて親は休暇を取り、旅行に行ったり、おじいちゃん、おばあちゃんに預けたりしているが、それ以外にも学校が施設を開放し、Centre de loisirという児童館に変身し、養護教員も置いて、子供を一日中預けられるようになっている。普通の収入の家庭で10ユーロ前後、子沢山家庭や低所得家庭だともっと安くなる。

昨日は一日兄猿を預けてみた。ちび猿の託児所は冬休みなしの通常営業なので、午後預けに行き、所用を片付けた後、久しぶりの一人時間!ありがとう、パリ!と心の中で叫ぶ。この時間、何をするわけでもなかったが、静けさが何とも心地よい小二時間であった。

さて、明後日から恐怖のスキー旅行。なぜかというと、長くなるのでまたにする。TGV6時間、また親はボロ雑巾になるのだろう。雪山レポートをお楽しみに!

Wednesday, February 24, 2010

幸運な人生、不運な人生

ちょっと前に「勝ち犬、負け犬」という言葉が日本で流行ったことがあった。その語源となった本を読むと、言いたいことはわかるが、いくら自嘲を込めているからといって、こういう価値観がベストセラーになる世の中にぞっとした。勝ち負けで人生決められてしまうなんて、たまらない。

このところ、相変わらず松本清張に凝っている。彼の小説は大概不運な人がいて、どういう人生の転落を辿るか、という話が多い。それが主軸になったり、サイド・ストーリーだったり。多くの不運はその人の中にあって、例えば、「自分は有能なのに、女だから、貧乏だから陽の目をみることができない」と言った感じだ。現実もそうなのだろうが、視点を変えて、そんな社会を笑い飛ばせたら、もっとまともな人生を歩めただろうに。そういうのを沢山読んでいると、負から生まれたパワー(嫉妬、恨みなど)の行き先は幸福ではないんだな、と思ったり。
それにしても清張、面白い。正か負か、どんなパワーか知らないが、どんどん読者を引き込んでいく。

さて現実は小説より奇なり。私の周りには所謂不運を乗り切った、乗り切ろうとする人ばかり。皆、時間の助けを借りながら、自分で不運のコートを脱いで、すっきりと前に進んでいく。大変な勇気がいることだと思う。小説のように、腹いせにダイヤを横領したり、人を殺したりしない変わりに、自分の負の感情を殺して、と、こちらの方がもっとドラマティックだと思う。

幸運な人生とは、心の平安があることだと思う。自分でこんな立派なことを考えたわけではない。キリスト教でもおそらく仏教でも平安の尊さを説いているだろうし。私のは井上靖の詩の中で、他の人の詩を引用していたのから来ている。「僕は心の平安さえあればいい」と言ったような内容の詩であった。
常にそういう境地に立つのは、凡人の私は難しいけど、もし、そういう瞬間があったのなら、それは得てして何かの逆境、不運を乗り越えたときだったと思う。

と、いつになく真面目に書いてみましたが、このところ頭にあったことを書いてみただけで、別に何も思い詰めていませんのでご安心を!それより、この場を借りて、special thanks to my dear friends!家族もそうですが、素晴らしい友人らのおかげで元気と希望を貰っています。

Tuesday, February 23, 2010

歯の矯正

我が家の下の子二人が今日から歯の矯正を始めた。真ん中の二人も18ヶ月ほどしていた頃があるが、彼らはきれいな歯並びを最初からしていた。下の子たちは指しゃぶりがついこの前までやめられずにいたためかすきっぱと出っ歯なのである。2年の刑を宣告され、初日は特に痛いらしい。学校帰りに雨が降っているので図書館まで迎えに行くと、サンドウィッチを小さくちぎって食べたとか、フルートの練習が痛かったとか言うではないか?戻ってきた姉はハーハハハと笑いとばし、かわいそうに思う母(つまり私)には、私のときは同情しなかったという。確かに。。。矯正をしたことのない私は痛さがわからないが、二人経験した今は学んだのである。今夜はおかゆにしよう。

タイム・トリップin ロンドン

週末ロンドンに行ってきた。旅する度にタイム・トリップしているような不思議な気持ちになるのは、ノスタルジーのなせる業なのだろう。ロンドンには子供の頃に家族で、そして三十代前半に一人で住んでいた街である。沢山友達も住んでいて、今回はその誰にも会えなかったのは子連れ旅の悲しさ・・・。

ロンドン、大学の時にも、恥ずかしながら英国史専攻のうら若き乙女として二回ほど滞在したこともある。「恥ずかしながら」というのは、この大学での勉強が見事に身についていないからである。私の卒論は当時写経と笑われ、今現在は夫に私の深ーい歴史の知識をからかわれること多々である。

何故大学時代を思い出しているかというと、今回のロンドンでは、この、人生で最も無駄で貴重な時代を一緒に過ごした友人が日本から出張で来ているのに会うことができたからである。それぞれ色々なUp & downを経て再会した二人だが、何とまぁ変わっていないこと!話すこともノリも変わらず、時間軸がずれる感覚を覚えた。彼女は大学時代の私の愚行、愚考を良く覚えていて、そんな思い出話をしていると、忘れていた自分を見つけたような、再会したようなせつなさ、懐かしさで胸が一杯であった。

今回のロンドン、もう一つの目的は、Oratoryという教会の御ミサに与ることであった。Oratoryは結婚式と洗礼をしていただいた教会で、コーラスの美しさで定評 がある。この世のものとは思えない美しい御ミサで、感慨無量であった。一人暮らし時代は近くに住んでいて、この教会の鐘の音にほっとしたことなどを思い出す。
Oratoryからヴィクトリア・アルバート美術館前を通り、自然史博物館に恐竜を観に行った。この通りは歩道が広く、大胆に直線的で、ここを歩くたび、「あぁ、ロンドンに来ている!」と思う。ロンドンは男性的な街だと昔、或る友人が言っていたが、ここを歩くとき、本当にそうだな、と思う。

帰りのユーロ・スターの中で子猿らが、先の友人がいないことに気づく。「みっチャンはロンドンでお仕事して日本に帰るのよ。パリじゃないの。」と説明するが、ピンと来ていないようだった。別れとか、まだ彼らの語彙にはないようで羨ましい。

Monday, February 22, 2010

スキー・ウィーク

私の住むサンフランシスコ郊外のティブロンはマリン郡という裕福な地域だけあって、先週はスキー・ウィークと称して、裕福ながきどもをスキーに連れて行くための休暇がある。我が家は例外的に裕福ではないので、子供らはスキーにも行かずに屋外プールに行ったり昼ねをしたり、オリンピックを見たりして過ごした。東京はとても寒く、毎日話す友人はひどい風邪を引いたりしているが、ここは桜と桃と梅とアカシアが一気に満開である。とても美しい風景なのだ。今日から学校の子供たちが去ったあとの家はとてもすっきりと、少し寂しいくらいである。ああ、こうやって年取っていくんだなあなんて考えていると、同じ年の友人のFacebookは、XXX Is in a relation.というではないか?そういうエネルギーはどこからくるのか?うらやましがる前に考えるだけで疲れてしまう。日本には婚活という言葉があるらしい。友人は結婚こそしていないが、かわいい娘を抱え、次から次へとお金持ちの恋人とめぐり会う。素晴らしい引力を持っているのである。それでも、私はLazy Elephantさんではないが、今の家族に大満足なのである。これでお金さえついてくれば。。。。

Friday, February 19, 2010

カミング・アウト

最近、日本語のブログとか、インタビュー物を読み機会が多く、新しい外来語を色々ピックアップしている。
その中で、日本人、結構面白い言葉遣うなぁと思ったのが、「カミング・アウト」
Wikipediaによると・・・
カミングアウト
Coming out)とは、これまで公にしていなかった自らの出生(部落在日)や病状(特にHIV感染症)、性的指向レズビアンゲイであること)等を表明すること。カムアウトCome out)とも言う。逆に、他人の秘密を暴露することをアウティングOuting)という。もともとは「(引きこもっている)クローゼットの中から出る(カミング・アウトする)」という意味のアメリカの隠語から来ている。

とあるが、今や、もっと軽く使われているようで、「自分でも今までは気づかなかったけど」的な告白と解釈している。

さて、小生のカミング・アウト。昨日乳母車を押しながらスーパーで買い物に奮闘しているときに来た。ふと、「子猿がお腹に居た時から、現在に居るまでの約五年間は今までの人生の中で一番幸せな期間だ」と、気づいたのだ。母として、とか、そういうことは置いておいて、である。

何しろ私は一人の時間が苦手でしょうがないタイプ。鍵っ子で、一人暮らしも長かったせいか、そして、一人で海外をフラフラしたせいか、とにかく一人が寂しいのだ。友達や同僚には一人で上手に毎日を楽しんでいる人が多く、もう本当に尊敬する。もちろん、彼女らもそれなりの寂寥感はあると思うが、それに打ち勝つパワーと、音楽、スポーツや仕事等、何かにパッション、好奇心を持っていて、自由さを思う存分エンジョイしている。私も一人の時、色んな経験をする縁に恵まれたが、それでも常に寂しいという思いの方が強かったように思う。

そして、自分でも手に負えないと思うのは、一人も苦手だが、大勢の中に長く居ることもできないところだ。パーティーや、仲間と一緒だと益々元気が出る人、いるでしょ。私はあれでもない。疲れてしまう。我がままな寂しがり屋なのだ。

そんな中、子猿達といつも一緒の今日この頃は寂しくなくって、でもこうして小説やブログを書いたりする時間もあって、もう本当に、神様、有難うございます!
Jubilancerさんの言うように、まもなくすると巣立たれてしまって、Empty Nesterになるのだろうが、このひと時を忘れないようにしよう、と思う母猿なのである。

Wednesday, February 17, 2010

テレパシー

夫の祖先には、ジョセフ・ド・メストールという哲学者がいて、なにやら近年、その世界では再考されているらしく、フランス、イギリスでは関係書が続々と発刊されている。我が家への影響としては、クリスマス、誕生日の贈り物にそれらの本を頂き、夫はそのたび一所懸命喜びを演出していてちょっと可哀想なことくらい。

先日はふとしたことより、贈り手らはその難解な本を読んでいないということが判明した。そして斜め読みした夫が内容を説明する羽目になる。
彼曰く、ジョゼフは、
「今(18世紀後半~19世紀前半)科学が進歩していて、皆科学が人類全てのなぞを解明するだろうと思われる勢いだが、科学の行き着く先は神に帰ることになる」と、敬虔なカトリックらしい見解だった、と。
当時、そして近年まで、ジョゼフはフランス革命に対する反論を唱えているにしか過ぎない、と軽く見られていたらしいが、21世紀の今、科学の世界ではこれに似た提言がされているらしく、例えば、人類の進化や、ビッグ・バンなどは科学で説明しきれないことが多くて、やはり見えない大きな力が存在するのではないか、そんな論文が多く出ているらしい。

ふんふん、と聞いていると、義母は「先祖ジョセフ様々ね。「見えない力」を私レベルで納得するなら、テレパシーってあると思う。もしかして科学で証明されているのかもしれないけど、ある人のことを考えていると、その人から電話があったり、そういうのがしょっちゅうある。これは一体何?」という。私は、そういう、女の第六感的なものが全くなく、なるほど、テレパシーねぇ、なんて聞き流していた。

昨日は久々にのんびりモードの一日。頭は風邪の名残かマッシュポテト状態であった。そして、ふとカタールの仲良しのことを思い出し、久々にSMS(短いメッセージを携帯で送る)でコンタクトした。すると5分後に彼女から電話があり、「今日は一日中貴方のことを考えていたの」という。
おっ、テレパシーか、偶然か。皆さんもそういう経験ありますか?

Friday, February 12, 2010

人の顔

バスで時折乗り合わせる女性がいるのだが、その人の顔が忘れられない。
美しいのもそうだけど、そんな人は山ほどいる。私が惹かれる理由はなんとも憂いのある顔だからなのだと思う。物静かで、清潔で、愛らしいが媚びた所がなく、悲哀もあり、同時に満ち足りた幸福も感じさせる女性(ひと)なのだ。話したことはないので、ちょっと見ただけでそう思っているのだが、そんなストーリー性のある顔を持つ人は少ないだろう。

その昔、NYの銀行で働いていたとき、バックオフィスにいたベトナム人の女の子の笑顔は違う意味で好きだった。女の子、じつは二児の母でりっぱな女性なのだが、その笑顔は子供が楽しくってしょうがないときにする、あれで、まさに「破顔」とはあのこと!それを見ているだけでこちらも楽しくなるような、ベトナムの太陽そのものの笑顔であった。

日本の女優さんでは、財前直美さんという方の顔も好きである。正直いって昔は興味なかったタイプであったが、「退屈」とまで思った顔だったが、近年、お得意Youtubeで竹内まりやのCMに出ているのをみて惚れてしまった。確か小生の小説にもあの人をイメージに書いたのがあったと思う。

手前味噌ながら、我が長猿の横顔も好きである。時折見せる、遠いところをみているような、何か一点を見ているような静かな表情(おそらく何も考えていない)、まだ青みが残っている目がすーっとクールな感じで、おでこから鼻、小さなあごに繋がるカーブがイノセントで、井上靖の「シリア沙漠の少年」という詩を思い起こしたりする。

・・・と、折角自分の世界に入っていたのに、うわさの子猿が起きてきてしまった!皆さん、良い週末を!

Thursday, February 11, 2010

今日一日

パリはまた寒波です。雪も斜めになって降っています。零下です。

そんな一日、早々と夏の日本行きの航空券、滞在先探しでコンピューターに向かっていました。湘南、藤沢辺りに滞在して、子猿たちに日本の夏を体験してもらいたくって、探しましたが、難しいですね。「日本の夏」が惨めな夏にならないような、焼きそばと花火とかき氷、そして海、そんな感じの場所、ないでしょうかね~。
航空券は直行便のあまりの高さにひるんで、もっと視野を広げたのですが、そうなると、アジアの会社に惹かれている自分に気づきました。韓国のアシアナ、大韓、台湾のEVAなどです。旅路をイメージすると、エアフラ、ブリティッシュ・エアなどより、行ったこともない韓国の人のサービスのほうが温かいような気がするのです。偏見でしょうか、それとも経験測でしょうか。サービス精神はアジアの人の方が上等な気がします。

ずっとコンピュータに向かっているのもつまらないので、合間に家事もしました。最近の私は知恵がついて、子猿らの前ではいつも力仕事(床、壁掃除など)をするように心がけています。いつか、Jubilancerさんが、ボランティアなどは子供にその姿を見せるべし、と言っていたような気がします。「なるほど!」と思って、それからはアイロンがけや掃除機がけなど、邪魔くさいことはあえて土日に夫と子猿らの前でして、アピールしています。

子猿が朝っぱらからチョコレートを欲しがったので、「パパが全部食べた、お仕事しているから甘いものが必要なの」と言ったら、「僕も学校で仕事している、ママだってしている、だから皆で分けるべきだ」と憤慨していました。学校でのお絵かきもお仕事なんて、あぁ、素晴らしきや、子猿時代!

Wednesday, February 10, 2010

旧友

久しぶりに大学時代の友人が訪ねてきてくれた。ああ、うれしい。その昔、自転車に乗って四谷から門前仲町まで一緒に通学したり、お互いの昔のボーイフレンドも知っていたりと、弱みをいくつも握られている。笑い話をいくつも共有している。子供が生まれるたびにお祝いに来てくれたり、困った時にいつも助けてくれたり。。。

18歳のころの自分を覚えていてくれるのはもうすぐ20歳になる息子を持つわが身には、とても不思議な感じがする。先日日本でミニ同窓会で集まった時も思ったが、18歳のころの人それぞれの特徴は年を経るごとに漫画のように強調されるので面白い。お互い姿形は多少変わるけど、本質的なところは全く変わらない。御殿に住んでいようが掘っ立て小屋にいようが、全く関係なく友達なのだ。これはとてもありがたい。

Tuesday, February 9, 2010

徒然なる朝のつぶやき

最近見つけたお気に入りのブログは内田樹という大学教授のもの。http://blog.tatsuru.com/ ユーモアのセンス抜群で、気取っていなく、真っ直ぐで、社会問題から映画まで色々な事象についての見解が面白い。
今朝みると、そこに今日本は受験シーズンとある。悪評高き受験である。今は少子化で多くの大学が定員割れしているのに苦労しているらしい。
受験、私は中学(途中リタイア、あまりの成績の悪さに母は願書を出しに行かなかった)、高校、大学と三回やった。
高校のときは「あの学校の門で待ち合わせてデートしたい」という、それだけの夢のため、今までにないほど真面目に勉強した。体調も壊すほど。でも駄目だった。落ちたときは、こんな結末があるなんて信じられなかった。
大学のときは手を抜いた。どの大学の校門もデートの待ち合わせに相応しいように思え、勉強に身が入らなかった。それなのに記念受験的な大学に合格した。

受験で私が学んだことは人生の皮肉とでもいうか、努力は実らないこともある、そして人生の成功は運次第なところがある、ということ。(合格した大学の試験問題、得意なところばかりついたものだった。)
また、高校は行きたいところには行けなかったが、それでも青春、青春した楽しい三年間だったのだ。例え思い通りにならなくても人生OKなこともある、そんなことも受験を通して学んだと言えよう。

受験制度を承認しているわけではないが、私の時代はああいう時代だったから、その制度の中で成長する術を見つけたのだと思う。

近所で殺人事件があった。パリ16区は閑静な住宅街なので皆びっくり。話を聞くと、17歳の高校生同士が喧嘩の勢いで刃物で相手を刺してしまったらしい。これからが本番のところで死んでしまう、罪を背負ってしまう、なんとむごいことだろう。
近所にはリセ(中高)3校と専門学校があって、道には若者が沢山。皆タバコはスパスパ、頭悪そうな服装、振る舞いをしているが、乳母車でバスを降りる時に手伝ってくれるなど、礼儀正しくて優しい。Merciというと、照れた顔をして、まだまだ子供。
ナイフさえ持っていなければ・・・この少年は一生悔やみ続けるのだろう。被害者の親御さんもナイフさえなければ、と嘆き続けるのだろうか。
救いがあるよう、祈りことしかできない。

心の余裕

余裕がないとお花の世話はちゃんとできない気がする。うちの蘭は結構しなびて疲弊している。でも知らないうちに花を咲かそうと次の枝が伸びてきているものもある。今日は久しぶりに花屋さんに行き、蘭の活性化のコツをきいたり、新しい花を買って飾ったりして久しぶりに心のゆとりを取り戻した気が若干する。

私は自分では決して穏やかな人とは思っていなかったが永年西洋人に何故そこまで落ち着いているのかと聞かれているうちに、自分でも落ち着きのある人間かのように錯覚してしまった。ところが、家族には本性がばればれなようで、あんたはちっとも穏やかではない、怒るととても恐ろしいと、夕食の時に言われた。これは、軽い食事とナスやら嫌いな野菜をたっぷりだした逆恨みの感もあるので話八部で聞いておくことにしよう。

マルシェ万歳!

日々の買い物ほどつらいものはない。

スーパーに入った途端、頭の中の買い物リストが真っ白になって、「そうだ、洗剤がもうすぐ終わる」「シャンプー安いから買っておこう」「お、卵」「今夜何作るんだっけ?」と結局買おうと思ったものに辿り着く頃にはキャディが一杯で、さて私はこれをどうやってうちまで運搬するつもりなのだろう?なんてね。

そして極め付きはレジ。パリはひどい。15分くらいは並ぶ覚悟でいないといけない。そして人生の悲哀、ほとばしる感情をまざまざと見せられる。レジの人のゆっくりなこと、目は死んでいる。並んでいる人の小競り合い、ズル、愚痴、口論に至っては、その激しく醜いことといったら!

その点、マルシェは素晴らしいと思う。お店の人との交流も心温まるものだ。この夏、カタール赴任を経て、三年ぶりに買い物に来た私と子猿に握手を求め、「大きくなったねぇ」と声かけてくれていたときには感激した。「寒いですね」「また雪ですね」・・・そんな何気ない会話や、「これきれいでしょう」と自慢げにレタスをみせてくれたり、シュークルートの大鍋の湯気に誘われたり、この春先から夏、秋まで季節の野菜・果物が並んでぴかぴかなのとか、朝からポジティブなエネルギーを与えられる。

スーパーより割高かもしれないが、微々たる物。そしてスーパーでは吸い取られるエネルギー、マルシェではもらえる、と思うと、お得ってもの。

PS.そうそう、それでもマルシェでだまされるとも聞きます。得てしてイマイチのマルシェは汚れていたり暗ーいオーラが漂っていたりするので、旅行でいらっしゃるときはよく見極めてくださいね。

Sunday, February 7, 2010

15歳半

久しぶりによく寝た。日の出に目を開けたものの、快晴を確認し、また夢の世界へ。犬か子供か定かではないが大きな声で起きると8時半。ああ、幸せ。朝のコーヒーを飲みながらそう思う。

11時頃に15歳半になる息子の運転のレッスンを兼ねて、スポーツショップ、写真屋、金物屋、文房具屋へとまわる。日本と違い、アメリカでは、運転免許は15歳半から親同伴で路上で練習ができる。運転免許をだすDMVでは、親へのアドバイスという冊子があり、「落ち着いた態度を常に保つ」ことが勧められる。息子はそろそろ2ヶ月練習をしているのでだいぶましではあるが、それでも、時折金切り声や悲鳴を発さざるを得ない事態が起こる。妹弟などは、いつもピーチクパーチクなのに、しんと息をひそめ、大きな目をさらに大きく見開き緊張している。今日は初めて高速道路に乗ってみた。乗り降りを除けば高速の方が楽ではある。それでも、ハンドブレーキのない車を後悔したりする。

無事家にもどり、祝杯を上げながらランチを楽しむ。まるでここは春。梅の花が咲きほころび、タンクトップにカーデガンの世界である。貧乏をするなら天気のいいところに限る。

Saturday, February 6, 2010

乱読日記

この一、二週間に10冊程本を読んだ。いつもは気に入った作家の本ばかり読み、新しい作家には尻込みするという、好奇心すらも怠け象な小生だが、今回は知人が親切に色んな作家(芥川賞作家が多い)の本を貸してくださったのでチャレンジしてみた。

結果から言うと、最近の(といっても過去十年以上をも含める)芥川賞はよく分らない。唯々奇妙な話で、ある程度上手に文章が書ければよいのだろうか。作風も作られた感じのがよいようで、私の好みではない。パワーもないし、プロットもない。それでも、お借りして本当によかったと思う。多分、このような空虚で残虐で、雰囲気が大事というのが現代日本なのだろう。そういうことを感じることができたのはありがたい。拝借させて頂きましてありがとうございます。

島田洋八の「ガバイばあちゃん」というのも読んだ。漫才師、B&Bの太った方が島田洋八だ。そんな彼のおばあちゃんの思い出話である。芥川賞物と比較対象ではないが、こっちの方が人生の勉強になったかも。松本清張の「黒革の手帳」はページを繰る手を止めることができなかった。プロットが素晴らしい。そして筆力も凄い。彼も出だしは芥川賞らしいがこれは大いに納得。子猿用に日本語教室の図書館からは「きかんしゃやえもん」「ぐりとぐら」を借りた。前者は私の子供の頃に母に読んでもらったような気がする。後者は本当に素朴に可愛くって、子猿らも食い入るように見ていた。

好きでなかった本でも漫画でも読書は大好き。魂が牛乳をゴクゴク飲んでいるような満足感があるし、自分の世界の小ささを認識できるってものだ。
義理の母からはフランス語で書かれたスウェーデンの作家の分厚い本を頂いていて、会うたびに「読んだ?」とプレッシャーを掛けられている。どうしようかな。うーん、今夜は「のだめカンタビ-レ」かな。

ブログとSNS

先日のニュースに、若者のブログ離れ、そしてSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の人気上昇というのがあった。最近、セモア(http://cest-moi.fr/)という、フランス重心のMixiとでも呼ぼうか、地域SNSに力を入れていて、このブログもリンクさせているし、日記という形でブログの書き込み的な文章を載せていたので、ブログとSNSの使い分け方を考えたりしていたところだった。

さて、SNSの使い方、私は結構戸惑ったりしているのだが、使い慣れている人にはもう生活の一部のようだ。家族間の通信から、リアル(ネット上でない、現実社会の)の付き合い並みの濃密な交流、ビジネスの情報交換など、幅が広いこと!
欧米の友人らはFacebookを活用しているようだが、これは写真などを載せないと面白くないと思うし、実名でないとあまり意味もないと思うのだが、私はそういうのに抵抗があって辞めてしまった。そこまで自分をさらけ出すのが怖い、という臆病心と、私だって分らないから秘め事っぽくって面白いのに・・・、というのがあって、Mixi形式のペンネームを使っての交流を楽しんでいる。

メール人格というのがあると思うのだが、SNS人格もある。例え同じ事について書いていても、ブログのときと、SNSでの語り口は異なるのだ。ブログを書くときよりちょっとリラックスしているのかもしれない。

ブログ、SNS共に色々勉強させてもらっている今日この頃ですね。

Wednesday, February 3, 2010

ストレッチ

大概のパリの幼稚園は水曜日がお休みである。週四日、その代わり8時半から16時半までと長い。多くの家庭にて水曜日はお習い事の日と化していることが多い。

我が家も同様、兄子猿は午後より日本語教室に行く。よってお昼ご飯までは自由時間の名のもとに、n'import quoi・・・彼らはレゴセッション、私は、というと今日は久々にYoutubeでサザン三昧をした。

あぁ、本当に大好き!最近入手した「さくら」というCDにはまっており、その楽曲の映像をYoutubeでサーチしては聞き入るというのを繰り返した。サザン、桑田さん、原坊の歌声を聞いていると、なんだろう、恋の出だしのときめきとか、哀愁とか、ノスタルジーとか、現代社会とか、心・魂・脳みその色んな部分が伸びをしているような気がする。

子猿らも、普段は多忙で水曜日のこの時間くらいしか心ゆくまでレゴに没頭できないので、二人黙々と遊んでいる。「ごはんだよ~」で再会した彼らはやけにすっきりした顔をしていた。私もそうなのだろう。ちなみに先ほど日本語教室の予習を兼ね、ひらがなをテストしてみたが、大幅に間違えていた。

でも、まぁ気にしないことにしよう。部屋も汚れているけど、気づかない振りをしよう。それよりもいい加減、身支度しなくては。今日は楽なジーンズ気分。

そうそう、皆さんのストレッチ法、教えてください。音楽だと、誰がお好きですか?

Tuesday, February 2, 2010

Groundhog Day

というものがアメリカにはある。Groundhog Dayは2月2日、つまり今日なのだ。モグラみたいな動物が穴から出てくる時に自分の影が見えないと春が今くる。影が見える時はあと6週間は冬が続くらしい。ところが、今日は梅も、アカシアも水仙も咲いているので完璧に春なのだ。

だから西海岸は楽しい。冬が短いのである。うれしいうれしい。単細胞人間は、こんなことでうきうきできてしまう。今日は日本にいる友人に梅の話をしようと思っている矢先に、彼女から東京では梅が咲いたと伝えられた。万国共通なのである。梅は春の象徴なのか?

Monday, February 1, 2010

如月

あっという間に一月が過ぎてしまった。こうやってどんどん2010年が過ぎていくのだろうか?今日は一歩も家を出なかった。昨日は高速を4度も往復した反動かもしれない。日の出前に次男を高校に送り、ラグビーの初試合でサクラメントに行くバスに乗せる。ヨガ、買出しに行ったりきたり。午後には、脳震盪を起こしたという知らせで救急病院まで直行。幸い、たいしたことはなかったが、こどもが大きくなると心配はそれなりに増える。Little kids, little problems. Big kids, big problemsとは、まさに言い得て妙。

またまた雪です

それも大雪のパリです。気が触れたように降っています。そのくせ、太陽もちらついたりしていて、何なのでしょう。ベランダのシクラメンも寒椿もへとへとです。あぁ、月曜日。掃除でもしますかね。ではまた!