Friday, July 30, 2010

海!

最愛の桑田佳祐さんが初期のガンに侵されているというショッキングなニュースに、熟睡を妨げられているこの頃。
というか、夢に桑田さんが登場し、それもハッピーな内容なので嬉しいのですが、起きてから、「そうだ、病気になってしまったんだ」と、憂鬱になる。
夢で会えて嬉しいやら、心配するやら。ファンは大変なのです。

桑田さんの曲で一曲選ばなくてはならないのなら、多分、「海」を選ぶと思います。
この曲を聴いて、恋を成就することなかった若き日も、十分恋をした気持ちにさせてもらったものです。ギターで練習しているのもこれです。(って3年前から言ってます?)こんな曲、書けるのは桑田さんだけだと思うし、この曲にしみじみできるのは日本人冥利だなって。(・・・日本人でなくてもいいんですが、日本の風情を知っている人でないと難しいんじゃないかな、と言う意味です)
とにかく一日も早い回復を祈っています。

さて、この夏帰省の際、江ノ島に行きました。
その近くの由比ガ浜までは、高校時代など、電車を乗り継いで行ったものですが、江ノ島付近は初めて。

第一印象は・・・ガラが悪い!第二印象は・・・海、汚い!思わずゴミ拾いのボランティアおばさんになってしまったほど。
このリンクは茅ヶ崎ライブに飛びますが、冒頭で桑田さんが言うとおり、江ノ島も茅ヶ崎と似ていて、漁師の町の名残というか、「浜」にいる人々は柄が悪いんです。Tatooと呼ぶよりは刺青というのが良く似合うチンピラ風の人か、股旅に首には手ぬぐい姿の魚屋さんなどが自転車で通り過ぎる、そんな浜辺でして、ハイソでのどかな鎌倉の隣町とは思えない。

それでも、話すと皆良識ある人々で、思い起こすともう懐かしい。
チンピラ風兄ちゃんも、朝は自分のゲーセン前の散らかった弁当箱やペットボトルを「ゴミくらい、ちゃんと捨てろよ」って文句言いながら掃除してました。
浜辺でゴミをまとめて渡すと皆感謝を込めて受け取ってくれる清掃のおじさん達。
「ちゃんと海きれいにしないと観光客減るよ」と、おばさん臭く文句言うと、「はぁ」とやる気なく応える割には、すごすごと浜辺でゴミ拾いをはじめる海の家の金髪兄ちゃんなど。
汚くっても柄悪くっても、やっぱり愛着ぬぐえない湘南界隈でした。

そんな浜辺で撮った写真をいくつか載せますね。美しい富士山はKokozoさんのお宅の近所は辻堂海岸で撮ったもの。素晴らしいでしょ。





ガンって、ショッキングな病名だけど、でも治癒の方法も色々あるようですし、何よりも、治そうという精神力が身体を治癒していく、そんな生命の神秘を、私信じているのです。

正直

Lazyさんはおしゃべり小僧とお掃除お疲れ様です。我が家は、歓迎モードに入っている。末っ子は、いまだあったことのない小猿君たちに良い第一印象を得てもらいたいといって、瞑想に入っていたりする。夫までが、小猿たちにとかいって、水鉄砲を買ったりしている。

一方、私はといえば、18歳の多感な姪っ子とさりげない会話を交わしながら人生相談を試みたり、いつもPCに向かいっきりで人生を楽しめていないという夫の意向を汲んで町に繰り出したり、雨戸のペンキ塗りをしたりと、至極日本人的な気遣いをしているつもりである。ところが、夫は予定を変える変える。正当な理由でかえるのだが、いちいちそれにあわせるのも疲れるので不機嫌になってみたりする。すると、やつは、僕は君のためにという思いで何事も進めているというではないか?私は、あんたが仕事に専念できるように、あんたの親戚の世話をし、皆が快適に過ごせるように気配りをしていると説明する。そして、やつは、そうしてもらって僕は君のために一生懸命仕事をしているという。笑える笑える。。。20年近く一緒にいて、お互いに気配りをして事態に混乱をきたしている夫婦はそれはそれで幸せな気がする。

じゃあ、気を使わず、好き勝手にすれば世の中簡単かもしれない。それで思い出した。到着当日お米の嫌いな義母のことを忘れ、義理のおばと立てた献立にはお米が入っている。あわててパスタも加えたが、台所に出没した義母は「お米を食べると吐き気がする。」とのたまう。本人は正直に気持ちを伝えているのだろうけど、これもまた困り者である。

Thursday, July 29, 2010

結婚相手は抽選で♪

日本でとある方よりプレゼントいただいた本、「結婚相手は抽選で」、読み終えました。

めちゃくちゃ面白-い!垣谷美雨という方の本です。
政府による少子化防止対策として、「抽選お見合い結婚法」が制定されるという、長編「If」小説。コミカルなのですが、これって私小説?と思わせるほど、リアルな現代日本の男女の心理描写ありで、あっという間に読み終えました。
少子化が社会問題なのか、結婚もそうなのか、そういう疑問を投げかけられます。

① 子供が欲しい、誰かと愛し合って一緒に居たい、暮らしたい、結婚(PACS)して家族を持ちたい、という思いは自然に発生するもの。多くの人は大人になってくるとそう思うのでしょう。(そうでない人も昔からいるでしょうが。)

② 一方で、結婚、恋愛は相手があってできるもの。これも自然の成せる技。「縁」があって、運命の人に出会う日をひたすら夢見る。
また、出産も同様。生命の神秘のなせる業。

この二つの自然現象がグッドタイミングで絡み合って結婚、出産。
うーん、こうやって書いていると、実に奇跡なのですね、結婚も家族を持つということも。

日本は、この奇跡の発生率が少ない。②の部分は婚活、健康管理などで促進することができますが、①の、母性愛、父性愛、男女愛などがなかなか自然発生しないというのは確かに不自然ですよね。

フランスは先進国の中では稀な非少子化国。日本とはどこが違うのか、超私的な意見を・・・。

① 恋愛が気軽にできるカルチャーがある。
まず、若い頃から練習している。(って、いまだに30年前の「ラ・ブーム」の印象を引きずっているだけ?)目の前にあるリセの学生達の放課後の恋の駆け引きの激しいこと!都立高で、窓から憧れの君を見てはきゃっきゃ言っていた自分はなんとおくてだったことか。
そして、恋愛、結婚も失敗しても社会的ペナルティーが少ないので運命の人に出会うまで何度でもトライアルできるような印象を受けます。

② 子育て、結構気軽。
子育ては国任せ(乳幼児の保育施設から始まって、学童制度など万全、公立なら非常に安価)、祖母任せ、ヌヌ(乳母)任せにしようと思えばそうできるから、「私がすべてをしょわなくちゃ」みたいな圧迫感が少ない。
また夫の子育て参加率が日本に比べると高いから、これも母親の重責度が少ないと思う 
→ 心から子育てを楽しめる。

子供自身も、色んなケア・テイカーに囲まれ、ゆるく育てられているから伸び伸びしてる?

そんな親、子供を見ているから、自分も子供が欲しいなぁ、と自然に思うようになる。

なにこれ、全然違うと思う!!!と反論がきそうですね。どうぞどうぞ、反論、ご意見、待ってま~す。

とにかく、この本お勧めです。教えていただいて、プレゼント頂いてどうもありがとうございました。

目下の試練 (パリからです)

今朝のパリは雲が多いです。ベランダの気温計はなんと18℃。日本の方々にこの肌寒さをお贈りしたい。

さて、パリについてから、洗濯機が壊れたり、家中が薄汚れているわ、冷蔵庫に液体化した人参が入っているわで、夫に留守番させるとこういうことになる、って知っていたのに甘い期待をした自分に苛立っています。でも、イライラ、それだけが理由ではありません。

今5歳の長男がおしゃべりマシーンとなっているのです。この一ヶ月、日本で蜜に過ごした影響か、それともそういうフェーズなのか、ママとおしゃべりしたくってたまらないようです。おかげで私の頭の中はガチャガチャマシーンのようになっています。「頭の中で考えることができない」と、Jublancerさんの次男君が幼き頃、おしゃべりな妹に文句を言っていたのを思い出します。

ということで、お寺さんの写真でも愛でて、静寂を疑似体験。暑かったけど、もうそれが懐かしい。
せみの大合唱の代わりに子供の声が止まらないパリです。

Wednesday, July 28, 2010

次に生まれ変わる時には母親が子供に与える精神的なインパクトの専門家になろうと思う。最近我が家を訪れる人々が、当人や家族の話をすると、必ずその母親はああだった、こうだったという話にたどり着く。そういう話を聞いて、話題の人を考えると、ほー、なるほどね、と思うことが多い。お母さんにこうされたからこういう反応をするんだな、と妙に納得する。自分をみてても、そう思う。母親を反面教師とするときと、母親を見習うとき等々、なんと影響の大きい役割なんだろうとぎくっとしたりする。

覆水盆に帰らず。。。五人の子を持つ母としては、できることはしているつもりではあるが、何が禍福となすかはよくわからない。ベストを尽くしたということで、許してほしい、成人した暁の子供らには。

相変わらずの南仏

相変わらずの南仏である。今日は一週間いたとても大好きな義理のおじおば夫婦がノルマンディーに帰っていった。引退をした二人の生活はなんとも楽しそうでうらやましい。子供たちの将来は心配だというが、自分たちの将来を心配しないでいいのがまたうらやましい。義父母も週末に寄ってくれたのは嬉しいが、複雑なテンションを理解しきれないのが多少疲れた。

そんなわけで、今日は妙に家が静かで、しかも珍しく曇り勝ちな天候で、一家一同で少し安堵と落ち込みが入り混じる。しょうがと味噌が嫌いなフランス人がいなくなり、今夜はしょうが味噌仕立ての鳥一羽とディジョン・マスタード仕立ての鳥一羽を焼いてみた。古今東西というメニューの名前まで思いついた。これに、パスタを加えてみる。

ところで最近夜中に脚がつることが多いのだが、これは安い白ワインに入っている硫黄のせいらしい。自粛しようと思うのだが、なかなか難しい。人は誰でも、ひとつ弱みがあるようだが、私のワインは夫はチーズのようだ。

Tuesday, July 27, 2010

『小さな命が呼ぶとき』 / Extraordinary Measures

昨日の飛行機で、なんと5本映画を見てしまいました。
その中でもよかったのが、この『小さな命が呼ぶとき』 / Extraordinary Measures
邦題って相変わらず飛んでますね。

不治の病と思われているポンペ病の子供を持つ両親が、子供の余命が一年と宣告されます。でも親としては「はい、そうですか」とは思えない。色々自分達で調べていく中で、とある大学で画期的な治療薬を研究している偏屈科学者がいることを知り、協力要請のアタックします。そして、遂には、この研究のための資金を集め、投資家を募り、会社を起業します。
そして結末は・・・。
そんな野暮なことはしません。
が、私はハッピーエンドしか見ない主義とだけ言っておきましょうか。

さて、何がよかったって、久々のアメリカ二ズム(って言葉があるのでしょうか)がよかった。

まず、チャレンジ精神がいいと思いました。
「これは不治の病です、あきらめてください」という概念にチャレンジする。それも素人が。そんな、既成概念に受身でないところがいい。「そういうものだから」って言われて納得いかないことってありませんか?そういうのに立ち向かう強さに憧れます。

そして、とことん明るく前向きな家族が素晴らしい。身体障害者を二人ももつ家庭なのに、ジメジメしてなくって、そんな描き方がうそっぽくないと思わせるところがアメリカなのかなって。

で、正義は勝つ、ではないですが、優しさ、正論を嫌味なく前にぐいぐい押し出すパワー、カルチャーが、爽やかだなぁって思いました。アメリカびいきな自分を忘れていた今日この頃。そうそう、こういうところが好きなのよ、と思い出させてもらえる映画でした。

そうそう、ってまだ続く。
お父さんが主人公の映画でしたが奥さんもひそかによかった。
彼女のセリフの一つに、「(大黒柱の夫が会社を辞めて、一か八かの起業するかどうか、について)まもなくくる子供達の死を受け入れることよりも、最後まで戦うのが私達の運命なのかな、って思うの」というのが心に残っています。

戦うのが運命、希望を捨てないことが運命。
私もそんな力強さを持っているでしょうか。いつか持つことができるのでしょうか。

偏屈研究者役はハリソン・フォードでした。合ってましたよ。彼はプロデュースにも関わっているようです。

DVDでもう一度観てもいいと思える映画でした。

Monday, July 26, 2010

パリ、無事に着きました

先ほど、無事パリに着きました。夜9時現在、ベランダの気温計は20度ちょっとをさしています。日本では、この時間は多分30度近かっただろうことを思うと、不思議な感じです。

今回の帰省は、5歳と3歳の息子たちに私が子供の頃に経験した、あの素朴な日本の夏を体感してもらうことと、「中国は四川・杭州にいた自分には、そんじょそこらの暑さ、湿気はノー・プロブレム!懐かしいくらいだ」と豪語していた夫に、思いっきりその暑さと湿気やらを懐かしんでもらおうじゃない、ってことがテーマでした。

そして結果は・・・。東京も、鎌倉も、京都も、緑が濃くって、「トトロがいそう」な夏そのものって感じで、目的は果たせたように自己満足しています。

ただ、京都でタクシーの運転手さんと話していて、気づいたのですが、私が子供の頃の夏って、こんなに暑くなかったですよね。京都でも、昔は30度越えは殆どなかったとか。私が小学生だった頃の東京では、33度を超えると、学級閉鎖だったかと記憶しています。
タクシーの運転手さんいわく、昨今の日本はフィリピンと似たような気温だとか。そして、昨夜会った、インドはムンバイへフライトに行ったばかりの友人は、「インドの方が涼しかったよ」って。

そういえば、今でも25度を下回らない夜は「熱帯夜」と呼ばれているのでしょうか。

そんなこんなから、ふと哲学的(?)になってしまって、自分の思い出、体験を子供にもさせたい、押し付けたい、って言うのは無理なんだなぁって。なにしろ世界は、地球はもっと大きなサイクルの中で変化しているんですものね。私の思い出の夏と彼らの今の夏は気温差5度以上だし、日本も変わっているし。大気も時代も動いている、リピートはできないんだ、と実感。

はて、そんな悟りを開くことができたのも、三十三間堂をお参りしたご利益でしょうか。

それでも、子供たちは乗り物、特に電車天国の日本がとっても気に入ったようですし、夫も暑さに関しては日本に軍配(白旗?)を上げつつ、日本の文化に感銘を受けているようですし・・。

シャルルドゴール空港からの、タクシーの中では、車窓から見える緑の色がちがうねぇ、なんて話ながら帰ってきたのです。
緑濃き日本の夏、明日以降少しずつ写真も載せていきますね。

Friday, July 23, 2010

京都にいます

摂氏37度の京都に来ています。

昨日は清水寺に行ってきました。

暑いけれど、その分、日陰が有難くって、山々の緑が濃くって、蝉時雨が強烈で、日本はこういう国だったんだなぁ、と再発見しています。そして神の国って感じがするのは、仏像や鳥居のせいだけではないような気がします。

一ヶ月あまりの日本旅行もフィナーレを迎えつつあります。今回もいろいろな方にお世話になりました。ありがとうございます。またパリに着いて落ち着いたら写真等、載せますね。

では、残暑厳しい折、御身体を大切に!

Monday, July 19, 2010

ルノワール

ルノワールが生前住んでいた家が近くのCagnes-Sur-Merにある。その庭園でバッハからビートルズまでというテーマでオペラのソプラノとバリトーンの歌手が歌ってくれるというので行ってみた。シャンパンをすすりながらだいぶ無理のあるテーマに聴き入る。庭園から眺める地中海は美しい。こういうところで好きな絵を描きながら暮らしていたルノワールおじさんがうらやましい。
ここは、ルノワールが生前暮らしていたままの家が残されているという。次回は日中に訪れてみようと思う。

ルノワールとは雲泥の差ではあるが、最近私もペンキ塗りに凝っている。さび止めのペンキを屋内外の鉄柵に塗っているので少し肩が凝っている。プールサイドの柵は長く、カルフールのお買い得商品のビキニをまとい、胡坐で塗るとたちまち熱くなる。そのたびにプールに飛び込み一往復してはペンキ塗りに戻る。書いているときっと優雅に聞こえると思うが、決して現実はそうではない。

午後には獣医に出向き、耳の炎症をおこして治療中のチャーリーの検診に子供4人と出向く。左の耳は治り、今度は右の耳が炎症ぎみというので薬をもらう。次男も耳が痛いというので、同じ薬が人間にも効くかと尋ねると、試したことがないのでやめた方がいいと諭される。次男もほっとため息をつく。

この間、夫は家を借りたいという夫婦の訪問を受ける。帰宅すると、たった今帰ったという。とても家が気に入ったという。詳しく聞くと、なんとノルウェイからきたこの夫婦は子供が9人いて、毎年違う土地に移っては生活を経験するらしい。子沢山の私も脱帽の子沢山である。お母さんはある年、大型自動車の免許をとり、バスで家族をあちこち運転しているという。自慢ではないが、我が家は大きい。ベッドルームが9つある。こういう大家族に住んでもらうと家も幸せである。

Friday, July 16, 2010

なんでもない一日(南仏便り)

今日は、出不精の子供らを引きづり、Juan-les-Pins ジュアンレパンのビーチに行ってきた。子供らは、30分置きにそろそろ帰ろうかという。楽しくないのか、こんなににぎやかで魅力的な若者がたくさんいて、しかもほぼ全裸状態で楽しんでいるのにと詰問する。すると、16歳と15歳の二人は、友達と一緒だったら一日中いても楽しいけど、家族は違うという。確かに、私がその年齢のころは、もう家族で行動することなんてお葬式くらいであった。じゃ、帰ろうということになり、明日は下の子たちだけで繰り出そうと考える。

夕方は、まだカルフールに行っていないという息子二人を連れて買出しに行く。大家族のメンバーだけあって手際よく買い物をするが、アボカドを計るのに野菜か果物かで議論し後ろのおばちゃんに「アボカドは一個xxユーロだから、計らんでもよろしい。」と、言われたといって赤面していた。家に戻ると、言いつけ通り娘たちは家の掃除を終えてくつろいでいる。

カルフールで買ったキッシュ・ロレーヌを温め、サラダを添えて夕食をとる。チーズと果物を食べ終わり、皆思い思いの活動にふける。なんだかのんびりである。

まもなく夫到着

六月の末にパリを発って半月ちょっと、一人で子猿二匹の面倒を見てきましたが、今夕いよいよ父親がパリから到着します。丁度リムジンバスに乗っている頃かな。

夫がいないと、食事などは楽でした。夫は口うるさい方でもないのに、この半月如何に手を抜いてきたことか。

でも、子供のちょっとした怪我など、些細なことなどを、この半月あまりは私が一人で決断する、責任を取る、そんな日常でしたが、それからまもなく解放されるかと思うと、ほっとします。

そう思うと、シングル・マザーのプレッシャーって、すごい重しなんだろうな、とか、夫はサービス残業だらけの日本の一般家庭などの、母親の重責って、結構なものだなって気づいたりして。

と、書いていたら帰ってきました、というか、到着しました。子供達のはしゃぎ方ったら!
Home Sweet Home,それは場所はどこであれ、箱は何であれ、愛情を持ち合う家族の集まるところなんですね。

そんなかりそめの甘~い巣から明後日、聖地(サザンの)入りします。しばらくはインターネットがない生活になります。写真ストックしておきますね。

Thursday, July 15, 2010

南仏の生活

Lazyさんは、相当感傷に浸っておられるようですが、こちら南仏リゾート地に来て一月たつ私は、リゾート気分というよりは、焦りと達観を行ったりきたりである。こんなところで、家事に明け暮れてないで、しっかりかせがにゃあという焦りと、夏なので何をしても周りも夏休み気分だから仕方がないという達観がある。昨日はフランスの革命記念日。夜は10時から近所のカンヌに出向き、駐車する場所もないほどの街中で、無理やり車を歩道にとめて花火見物をした。花火は、単純に人に希望を与えるんだなあと感じた。焦りフェーズにどっぷり浸っていた自分が何故かウキウキしていることに気がつく。

昨日は面白い発見をした。いつも冒険の我が家は、秋になったら、このだだっ広い家で子供全員(といっても長男は東京の大学に通うので対象外)南仏でしばらく学校に行くか、小さな家を借りて子供全員元のSF郊外の学校にもどるか、もしくは兄弟姉妹が仏米に別れて住むかと聞いてみた。すると、全員一致で、小さな家でもかまわないので皆SFに戻りたいというではないか?私が子供だったらなんと答えていただろう?皆一緒がいいのか、慣れ親しんだ環境がいいのか、よくわからないけど、全員一致なのが、意外で面白かった。

そして、今日は真ん中の子供である長女の15歳の誕生日である。地元のパン屋・ケーキ屋さんに特注の大きなシャーロットと呼ばれるケーキに、娘の名前とお誕生日おめでとうという飾りのはずが、中くらいのケーキが二つで、ひとつは娘の名前、もうひとつはお誕生日おめでとうと飾られていた。かなりいい加減なケーキ屋さんである。

そして今夜は、イタリア産日本米という不思議なお米をおなべで炊いて、手巻き寿司を作っている。と、言うもののお刺身ではなく、きゅうりと大根とバジルのサラダと、ひき肉とピーマンと味噌醤油煮込みを具にする。ニース空港の近くのCap3000というショッピングモールでたまたま見つけたおすし屋さんで買ってきた海苔とお米と味噌。パリで買った焼きそば以来の和食である。日ごろ雑食に慣れている私も、たまにはおいしい和のご飯が恋しくなる。これを和と呼ぶかはわからないが。

前菜はBlinisと呼ばれるパンケーキのような皮にヨーグルトやら、タラコ・スプレッドやらをのせて、当地プロバンスのロゼと一緒に楽しむ。

Wednesday, July 14, 2010

さよなら東京(もうすぐ)

今週末で東京から湘南に移動します。先月終わりから二週間半、一年半ぶりの東京でした。

日本からNYへ発ったのは1996年の夏でした。なので、もう15年近く離れてしまっていて、東京も正直もう郷愁はないな、と思った今回です。
街も随分変わり、お金さえそこそこにあれば住みやすい場所?なんて思うのは隣の芝生ってやつでしょうか。
昨夜は表参道に出かけましたが、地下鉄駅構内の変わったこと!それで恐る恐る地上に出ると、やはり!私が高校時代バイトしていたマクドナルドが消えていて、「マックもか」と、今回ぶつかった東京の変わりようの中で一番ショックだったかも。

でも、変わらなかったのは「人」でした。
今回も母、家族をはじめ、先生、叔母、従兄弟、旧友、"新"友、いろいろな方と再会、出会いがあり、これは、郷愁ある、ないどころではない騒ぎです。懐かしさ、安堵、友情、愛情、湧き出る感情の嵐って感じで。

そして、出会いがあれば別れがある。
以前なら、ナイーブに「またね」という言葉を信じることが出来たのですが、今は「またね」の一言を、覚悟を、思いを込めて言い放つ自分に気づきます。「またね」・・・たとえ嘘になってしまってもいいからそう言いたい、言おうって。
一期一会、どうやらこの言葉の意味がわかってくる歳になったようで。

メソメソせずに、「またね」と明るく爽やかに、東京を去りたいと思っていますが、さて出来るでしょうか。

Sunday, July 11, 2010

都会の森

昨日の日曜日は、過ごしやすい日でした。雨も午後まで持ってくれたし、気温も26℃くらいだったのでしょうか。

そんな中、近くにある目黒庭園美術館経由で、自然教育園なるものに行ってみました。
都心にある「自然」だから、まぁ、そこそこなのだろう、と思っていったのですが、いやいや、立派な森でした。旧白金家の御料地をそのままに保存しているとかで、中世からの木々が幹を太らせ、深緑の枝々を茂らせています。
・・・話はちょっと反れて、日本と言えば老齢化社会。骨と皮だけの老いた方々が歩行補助機を使って歩いているのが目に付く東京ですが、ここの樹木は老いて益々強靭なようで、この生気を都会の人間に分けてあげてほしい、と思ってしまいます。

ここの樹木は、凄いですよ。黒松の太々としていて、力強くうねっていること!物語の松と呼ばれているようですが、この物語はディズニーではない、妖怪系だと一人確信したり、もみじの群生に、下手なカメラを向けたり、ひょうたん池では、声に寄ってくるのか、亀が泳いで集まってきて、隣にいた可愛い女の子が色々と話しかけていたり。

トトロが出てきてもおかしくない、ちょっとおどろおどろしていて、でも緑の深さが圧倒的で、白金にこんな世界が広がっているなんて、意外。

そのあと、ブックオフに寄って、駅ビルのユニクロによって、程よく冷房の効いた部屋に戻る。何でもあります、東京。パリに居残っている夫からは、猛暑なのにアパートにはエアコンがないのでカタールに居たときより寝苦しいとメッセージが入っていて、その格差が面白い、と余裕を持って洞察できるのは涼しい部屋にいるからですね。

Saturday, July 10, 2010

今日は横浜

昨夜の豪雨とは打って変わって、今日はまとわりつくような暑さでした。

そんな中、横浜まで遠出をしました。目指すはアンパンマン・ミュージアム。トホホでしょ。メンバーは、カタール駐在時代のママ友達とその子供達。ま、親だけでアンパンマンはないか。ちょっとした同窓会でした。

アンパンマンは良く出来た小ぶりのテーマパークでした。走り回る子供達を追いながら、親達は再会を懐かしみ、近況を語りと大忙し。ゆっくりできませんでしたが、それでもまた会えた喜びをかみしめ、アンパンマンを去り、次はランドマークタワーに向かいます。

横浜といえば、関内、大桟橋、中華街くらいしか知りませんでした。その後「みなとみらい」という場所が出来たとは聞いていましたが、行ったのは今日はじめて。何となくパリのラ・デファンスに似ているように思ったりして。ビルも沢山建ち、先日行ったお台場同様、不景気でもビルは建つんだな、電車網はできるんだな、と再確認。

夜は昔の職場の元同期が来てくれて、ひとしきりおしゃべり。
先日Biscoさんに頂いた井筒ワインをあけてみました。マスカット種で作られた赤ワイン、ちょっとボジョレ風で、夏にはぴったりの飲み心地でした。どうもありがとうございます。

先日からの再会・出会い、リラックスして、次から次へと変わる話題の尽きないこと!こんな会話から元気が出て、インスピレーションが沸き、明日もがんばろう、と思える。女友達って素晴らしいと思います。(もちろん男友達もそうでしょうが、会ってないので、ごめんなさい。)

この元気を、インスピレーションをエトランゼに注ぎたい!どういう風にするのが良いのだろう、と熱く想っていますが、とりあえず今夜は寝ます。

皆さん、良い日曜日を♪

夫婦の異文化比較学

早朝友人親子を送り出し、洗濯と掃除をし、ほっとため息をつく。午後には夫の従妹と三人の息子たちが到着する予定。私の人生は家政婦兼運転手兼料理長と化している。文化の違いを考えさせられる。日本人的な気の遣い方は、中国人にはないような気がする。同じアジアなのに、違うのだ。友人であるにも関わらず、一週間も一緒にいるとストレスがたまる。お蔭様でワインをあおり、体調を崩した。

ところが、フランス人の夫の親族は不思議と気にならない。食事の支度の手伝いやら、間の取り方などがとてもしっくりする。日本人とフランス人、日本人とイタリア人の夫婦が多いのは、こういうリズムとかのりとかが合っているからなのかなあ、と考えてみたりする。

Thursday, July 8, 2010

16歳

行動派で終生子供の友人が泊まりに着ている。プロバンスが初めてという彼女はミツバチ・ハッチのように忙しく立ち回る。今日はモナコの隣のEzeという鷹巣村にいってきた。彼女は行くところ行くところで記念写真を撮れという。赤い帽子を買わせあちこちで写真を撮り、家に戻ると、子供らはプールで遊んでいる。あちこち見るよりもこっちのほうがよっぽど楽しそうで、一緒に水浴びをして、夕食の支度を済ませる。そして、地元のガラス工芸品工房に友人母娘と我が家の子供らを連れて行く。すっかり大人びた16歳の息子がかわいらしい白鳥のガラス工芸品を愛しげにながめ、お小遣いをはたいて買うのをみると、やはりまだ子供なんだと、少し感動する。夕食は、中国人もびっくりの辛い唐辛子を中国人の友人が涙をこぼしながら炒めて、ジャガイモとピーマンの炒め物に添える。これと、作りおいたミートソースのスパゲッティーを食べる。

子供らは、すっかりモノポリーのゲームに没頭して夕べを過ごす。明日は、友人の出発前日でカンヌを見ずして帰れないというので、連れて行く。ランチの準備のラタトゥユをじっくり煮込む。世の中平和である。

Monday, July 5, 2010

私も落ち着いてきました。(東京便り)

日本に来てちょうど一週間の昨夜、初めて夜中に目を覚めることなく朝まで熟睡しました。
ようやく自分のペースに戻ってきた感じです。今日は電車で文庫本など読んだりして、ローカル色も着いてきたし。

それにしても、経済停滞長い日本ですが、知らない電車は一杯あるし、ビルも新しいのが目に付くわ、有明のほうはマンハッタン対岸のニュージャージー州のような、近未来地区していて、着実に動いているじゃん、と感心感心。そしてレジのつり銭から、風呂沸かし器、何でも自動化されていて、カイゼン、カイゼンと進化していてこれまた感心。

その中わたしは、電子マネーSuicaにPasmoに、もうわけわからず、人との温もりを求めるおばあちゃんのごとく、車掌さんのいる改札で、Suicaを渡して操作してもらったりで、我ながらかなりマズイと思っています。

一方では、変わらないものも沢山。

昨日は友人と一緒に、子猿らを連れて近くにある区立の児童館に行きました。隣には昔通った区民プールもあり、その変わらないことに驚きました。昔は巨大に見えたプール、50メートルあると思っていましたが、25メートルでした。(いやいややはり50メートルあるらしいと判明しました。)

息子が通いだした幼稚園も、私が約40年前に通っていた頃と変わらないこと、びっくりするほどです。園庭も、教室も、横の教会も、見事に同じ。手入れの良さも去ることながら、昔のものは品質がよかったのでしょうね。セメントと石を混ぜて作られた滑り台や、木で作られたアスレチック・ジムなど、全くガタがきていない。
ふと、日本出発前にパリのIKEAで買った家具たちは、あと何年持つことやら、とその安っぽさを思い出したり。


そして、昨日の児童館。雨の中、近所の子供や学童保育の小学生達が館内を元気に走り回り、幼児用の遊戯室には、カタールにもあった室内遊具、おもちゃが沢山。子供の笑顔と興味は世界共通なのですね。

今朝はINSEAD時代の旧友とおしゃべり、明日の夜はコメント欄でお馴染みのBiscoさんとミニ・オフ会をします。新旧の出会い・再会が嬉しい帰省です。

パン

フランスのパンは日本の豆腐のような存在らしい。パン以外のものはすべてアメリカよりフランスが高い。でも、フランスパンと日本で言われるバゲットはどこに言っても1ユーロくらいである。パン屋さんも最近はしゃれていてパン屋といわずに、アトリエ・ド・パンとか言っているらしいが、それでもバゲットだけは安い。どこの街角もちょっと歩くとパン屋さんに当たる。日本では、御豆腐屋さんもおいしくて安いお豆腐を売ってくれる。

Home Sweet Home

南仏に来て3週間、内1週間をパリで過ごし、ようやく落ち着いた。今朝は、カリフォルニアから来た友人の中国人とアンティーブのカルフールにいく。北京のカルフールはもっと人がいるというが、アンティーブも負けちゃいない。8人分の食料を買い込むと、友人は疲弊して気分が悪いという。あわてて家に戻り、ランチを作り、昼ねをさせる。大家族はすごいと、彼女は思い知ったらしい。そうなのだ。大家族は大変なのだ。食べ物だけでなく、衣料、教育、空間、感情、愛情等々、すべてがスーパーサイズで要求されるのである。その分、楽しみも大きい。今夜は、ソーセージとメルゲーズ、野菜たっぷりのパスタと、サラダ、果物の夕食を楽しみながら、そう思う。ようやく落ち着きを取り戻した一家は思い思いにTVをみたり、PCをたたいたり、本を読んだりするのも、みんな同じ空間で楽しむ。Home Sweet Homeである。

Friday, July 2, 2010

本のない生活 (東京便り)

先週より東京に来ています。

この一週間、本のない、活字も殆どみない、加えて一昨日までインターネットもあまり見ない生活をしていました。
渇望とはこのこと?読むこと、書くことが如何に私の一部になっているのか、よーくわかりました。

まず、本を持たずに飛行機に乗ってしまうという大失態を犯してしまったのが始まり。
まぁ、子猿二匹連れでしたので、読む時間も殆どないのですが、でも、やっぱりふと手があいた5分など、本を開きた~い!と後悔しましたね。

機内誌にも目を通しましたが、昔に比べてなんとなく、質が落ちているような気がしました。

昔乗務していたエアライン、(それも、機体は私が乗務していたスーパージャンボで、15年後にこうして乗るのは変な気持ちでした)機内誌「翼の王国」は毎月手にとって読んでいたものです。オキ・シローさんのショートストーリーがお気に入りで、その他の特集の写真もよかったのですが、今回は文章も写真も情報も、ぱっとしなかったなぁ。
経費削減の影響なのか、色んな方のブログを読んでいるから私の舌が肥えてしまったのか。

乗務員の方々はしっかり、きっちりと仕事をされていて、素晴らしかったです。が、疲れているようにも見えました。お化粧も画一化されているようで、上からそういうお達しでもあるのでしょうか。
稼動がきついと元同期らから聞いていましたが、本当にそうなんでしょう。お化粧も、サービスもマニュアル通りにきちっとやっていないと査定に響く。昔はもうちょっと個性的な方がいてもそれを許容していたように思います。
機内食も随分簡素化されていたし、厳しい状況なのが伝わってきました。

この、「厳しい状況」というの、日本に着いてから、何かにつけて感じることです。
スーパーのレジの対応の完璧さなど、老いも若きも、挨拶からお釣の返し方まで、言われた通りにやらないと、折角見つけたパートなのに首になってしまう、というような切迫感を感じてしまうのは私の考えすぎでしょうか。パリのカールフールのレジのふてぶてしさを分けてあげたい、と思ってしまいます。

Anyway, 今日はブックオフに行って、本と子供用DVDと、あわよければ桑田さんのDVD、CDを買ってこようと心に決めています。日曜日もお店が通常営業しているのが日本は嬉しい。

では、また行きますね。

田舎もののパリ便り

Lazyさんの小猿君たちを含む家族とディナーを楽しみ、猛暑のパリを徘徊すること一週間。乗り放題の地下鉄の定期を購入し、子供らとあちこち行く。ベルサイユにも行き、掃除と庭の手入れが大変なのでここには住めないと勝手に結論を下す。今週からセールが始まり、子供たちも夏休みになるようで急に夏休みの雰囲気になってきている。

田舎の生活に慣れてくると、公害には慣れていない。連日くしゃみをしたり、アレルギーを感じたりする。住居にエアコンを入れる人はパリでは皆無のようで、昔懐かしい扇風機が大活躍している。

パリの人はたちが悪いと聞くが、今のところ個人的には、まったくそんな態度に遭遇しないですんでいる。きっと大人扱いされていないのだろう。地下鉄の入り口で見ず知らずのじいさんばあさんが、互いの態度について口論しているのをみてそう思った。「あんたなんか江戸っ子の端くれでもなんでもないわよ。」と、言っているような雰囲気である。