Sunday, November 27, 2011

異文化

言語には比較的順応性が高い私は異文化への順応性も高いのだと、今までは思ってきた。最近、これは大きな錯覚であることに気がついた。

小学校の4年生で日本に帰った私は、ある日、親友だと思っていた二人にズバズバものを言うのをやめて欲しいと言われた。それ以来気をつけているつもりではいるが、日本に行くと、やはり物事をありがままに言う人間と思われているらしいことがわかる。そして、アメリカにいると、そうでもなく、人に気を遣って対立を極力避ける人間ということになっている。

先日、古語に近い言葉を発したのを面白がって、Soraさんに、日本語の発音が日本人と変わらないのでなおさら面白いと言われたのが、印象的だった。日本語が母国語だからといって日本文化が母国文化であるとは限らないのである。これは、わかっていたけれども面白い。

私のような異文化の寵児は今の世界には掃いて捨てるほどいるのだが、実は一国の中でも異文化の寵児は掃いて捨てるほどいるのかもしれない。これが世でいう個性なのではないかと思ったりする。

Saturday, November 26, 2011

散歩と犬

今週は、Thanksgivingが木曜日ということがあり、子供たちは水曜日から5連休。ちょっとペースが崩れがちだが、久しぶりにご近所の友人たちと散歩をした、3回も。犬のチャーリーも2回同伴した。水曜日には、はじめて犬をセダンに乗せた。近所の犬は助手席にちょこんと座り、顔を窓から出して、いかにもドライブを楽しんでいるという雰囲気を見せているので期待をしたが、我が家の犬は、お尻を椅子に乗せ、しばらくああでもないこうでもないと体勢を変えて、最期にたどり着いたのは、前足を床に置き、お尻は椅子にのせ、顔をダッシュボードからぬぼ~とみせるという格好の悪い姿で、笑わせてくれた。そして、びっくりなのは昨日。1時間半あるいてたどり着いたカフェでゆっくりくつろぎ、そろそろ解散しようと友人らと挨拶を交わし、家路に着くや否や、ぴとっと座り込み動こうとしない。大型犬だけあり、動かそうにも動かない。仕方がないので息子に車で迎えに来てもらった。すると、「おお、来たか?」という感じで急に立ち上がり、後部座席に乗り込むではないか!なんという態度。。。あきれて言葉もでない。

Monday, November 21, 2011

ティーンの死生観

昨夜の夕ご飯での会話。

13歳でフランスに留学中の姪っ子に、本について意見交換、というか、夫と私が好きな本を斡旋してるこの頃。その中で、どうしてそういうトピックになったのか(多分ハリポタ)、「子供は死ぬのが怖くない」、本当か。姪っ子は、初めて死を恐れたのが8歳のときだったから、「本当じゃない」といいます。

私「どんなときにそんなこと思ったの?」
姪「忘れたけど、死んだら悲しい!って思ったの」
私「そうだよね、私も死んだらもう逢えない、と思うと悲しい」
姪「それは思わない。絶対また逢えるから」
私「(あれ?無宗教だと思っていたけれど、キリスト教のように天国でまた逢えるってこと?それともリインカネーネーション?)死んでから逢うの?」
姪「え?ううん、カリフォルニアの友達とか、みんな小さな村だからまた会える。え?死んだらだって?あぁ、先の話ね、っていうか、まだ現実感ないからさ」

若さってすごいパワーです。前進し続けるパワーというか。ピチピチ、スイスイ、すがすがしい、みずみずしい。
毎日、エネルギーを頂いています。

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一方で、昨日パーティーであった知人。電話で外してかえってきたら、少し動揺しています。
「今、知らされたんだけど、従兄弟の18歳の息子が自殺したって。理由がね、『幸せすぎる、この先生きていく価値がない』って。不幸だから死ぬのならまだ分るけれど、幸せすぎるからって命断つってどういうこと??」
最近、フランスかベルギーでも似たケースの若い自殺があったそう。

ちなみにパーティーは生後二ヶ月の新生児の洗礼式のため。
お母さんの腕に抱かれて眠っていたべべの神聖な清潔さ、美しさ。
夫も一瞬涙目になるほどむき身状態の「生命」。

命を大切にしてほしい。守ってあげたいけれど、ある時点からは自分でやってもらうしかないですから。

Tuesday, November 15, 2011

サポートグループ

シンガポールに来てかれこれ8年目になる。年数を数えてみて時間の経過の早さに愕然!信じられない速さで人生が駆け抜けていく。実は私の長男は自閉症スペクトラムで、もう13歳になるが、つい最近までは目を離せない問題児だったのに、彼なりにも成長しているのが信じられない。あたりまえの事だが自分より背が高くなり、声が変わり、自分と対等に意見するなど、予想していたよりも大人になっている彼をみると、色々悩んでいた頃が(悩みはいまだに尽きないけれど)ほんとに懐かしくなる。こちらにも子供の成長・障害に悩みをもつ親が少なくなく、最近日本人の母を対象としたサポートグループの代表をさせてもらい、私にも手にとる様に解る悩身・苦しみをいかに軽減して、”楽しい”毎日を送れるか皆で模索している。私自身は自分が一番サポートが必要なときに、外に援助を求められなかった経歴があるので、グループにくる彼女たちは私よりもかなりヘッドスタートをきっており、会を重ねるたびに少しずつ明るくなるような感じも見受けられる。若いときのような人生や人にたいする様々な憶測・期待が減り、独りよがりでイゴイスティックな部分が削られよりシンプルなライフスタイルや考え方を歳とともに得ると、やはり人にとって人がいかに救われているのかというのを身にしみて感じる。

Sunday, November 13, 2011

女友達

明日は仕事仲間でもあり友人でもある女友達のギタリストの彼のコンサートが原宿のクロコダイル(懐かしいでしょ?)であり、それを見に行く予定だ。彼女は金融機関で勤めているから朝早くから夕方までみっちり働いて、彼はギタリストでバーのオーナーだから夜から朝までが演奏したり、バーを切り盛りしたりするのが仕事である。彼女のデートは、早朝に、仕事明けでこれからちょっと飲みに行きたい彼と、これから仕事が始まる彼女が、ファミリーレストランとかで朝ごはんを一緒に食べ、彼女は夕方仕事が終わってから、彼のやってるバーに飲みに行くというのが、彼女のデートのスタイルだ。彼女は彼を見習って一生懸命ギターの練習に励んでいるし、コンサートのチケットを売ったり、バーのウェブサイトを作ったり、とてもひたむきである。いろんなデートの形、愛情の形があるのだということが、彼女を見ているとよくわかる。因みに彼女はジェフベックが大好きで、ロックが大好きなのだ。ロックと、このひたむきな愛の形が相いれないようにも思うのだが、実はそうではない。自分の思ったことに突き進む感じは、ロックなのかもしれない。大人になると何となく、一生懸命追っかけたり、ひたむきであったりすることが無くなってしまうけれど、相変わらず、大好きな人を、”生活”という制約に目もくれず追っかけている彼女は、どこか潔く清潔感があり魅力的である。

Wednesday, November 9, 2011

Home Sweet Home

10日間の日本ステイを終え、昨夜家にたどり着いた。一番喜びを全身で喜びを表してくれたのはチャーリー。しばらくは白い毛皮の台風の目状態を経験し、man's best friendを実感。そして、時差ぼけもなく、起きた今朝。陽が東岸のバークレー方面から真っ赤に昇り、こういう日の出を都会の東京では一度も見なかったことに、改めて気づいた。子供や夫の出かけた後の今、たまったほこりをみながら、掃除機もしばらくかけていなかったことに気がついた。単身行く東京は、優雅な大人の顔をしていられる都会であったのだ。自宅に戻り、ふかふかのスリッパを履き、足元に横たわる(東京では見かけなかった)巨大な犬と同じ空気を吸いながら、コンピューターに向かう私が、本当の私のような気がする。今晩のおかずを何にしようかな、などと起きぬけからチラッと考えたり、どこの時間帯にヨガを目指そうかなと企んだり、いくつかある仕事の用事をどのように組み合わせ、いかに効率的に買い物を済ませられるかと脳みそが回転している、勝手に。日本にいるときは、日本語で考えていたのに、アメリカに戻ってきたらこれまた勝手に脳みそが英語に切り替わった。わが愛車じゃが丸が修理に出ているので、朝方夫をミニバンで会社に送りとどけ、おいしいアーモンド・クロワッサンを買い(こういうものを買うので太ると自覚しながら)、ラジオをつけるとLady GagaがThe Edgeを絶唱している。あ~、There's no place like homeである。