Friday, July 29, 2011

起業家

末っ子のことばかりで何かと思うが、M君はX box 360なるものが欲しくて、仕事を始めた。メンバーが100人ほどいる地元の情報交換助け合いメール・グループに、仕事があったら教えて欲しいというメールを出した。すると、地元の新聞のおばちゃんが近所のオフィスにいる人たちはお弁当の買出しをしてくれる人がいると助かるのでやればと勧めてくれたのみならず、紹介状も書いてくれるという。まさにお墨付きである。初日はおばちゃんに連れられてオフィスの人々に挨拶に行き、2日目には初仕事で5ドルもらったと喜んで帰ってきた。そして、3日目の今日は、自分でも新たな顧客を開拓し、10ドルもらったという。しかも、友人に紹介されて、時給10ドルの事務整理の仕事の面接に行き、その足で雑草取りの仕事を近所で済ませ、合計30ドル儲かったという。忙しく、スケジュールを気にする生活は張り合いがあって気持ちいいと、感想を語ってくれた。これぞ、起業家精神かなあと、感心した。

最近自分に思うこと

先週末は末っ子M君の12歳の誕生日で、念願の遊園地に友人3人を連れて出かけた。子供たちと待ち合わせ場所を決め、開放して数時間。せっかく入場料を払ったのだから、何か乗り物乗ろうと、おろかにも言い出した私。夫に連れられ、一番大きなジェットコースターへと向かう。腹筋と大腿筋に力を入れると、全然気持ち悪くならないなぞと嘘っぱちを信じ込み、死の恐怖を味わい、絶叫と涙で疲弊したからだを引きずりながら退散した。ようやく見つけた子供らに、じゃあ、帰る前にのるといっていた例のジェットコースターに行くように促す。意地悪ではなく、そろそろ帰りたいので、これを経験しないことには帰らせてもらえないと思ったからだが、彼らは口々に言い訳をしては、本当は乗りたいけど断念すると言うではないか?遅ればせながらやつらの手口がわかった私としては、自分だけが馬鹿を見るのはたまらないので、必死に勧誘する。それを横目に夫は私の魂胆を見透かし、哀れみの眼で傍観する。結局、命の縮まる思いをしたのは、私だけではないか?!

これぞ、私の人生のパターンに見えてきた。ナイーブにも人を信用し、大きなリスクをとり、疲弊し、逆襲にかかるも、相手にされず。。。。これから先は、この怖い思いを肝に銘じて注意するとしよう。

親にできること

バカンス中、義理の叔母と一緒でした。昨年もそう、一昨年もそうだったかも。
この叔母、親戚からは、いわゆるお荷物扱い。

60過ぎた今まで生涯独身、子供はいない。ちょっとヒステリー傾向、被害妄想の気あり。良家の出身ということに誇りも持ち、プライドはメチャ高いけど、そのケチなのには度が付くほど。話は長く愚痴っぽい。家事能力はびっくりするほど欠如している。

他の家族が敬遠するのもわかるでしょ?
でも、バカンス中、ずっと一人なのも気の毒だし、バカンス中、気が向くとうちの子猿達に本を読んで下さったりもするし(それも抜群の演出力あり、なので子猿達大喜び)、長い話も自分のことを中心に家族の話などよく好むのですが、時折、意外なほど洞察力を見せるので面白いときもある。「えっ、また一緒?やられたなぁ」っていうくらいの負担です、私達としては。
笑える(泣ける?)ことに、バカンス前になると叔母から「貴方たちの予定は?」という打診があり、いついつどこへ、と答えると、「あら、偶然!私もその予定なの」っていう。素直に一緒していいかしら、と言えないのでしょうね。もしくは今までにそう聞いて断られたことがあるのかもしれません。



Anyway、
彼女お得意の家族の「サガ」話。これが本だったら今10巻目くらい、話が進んできました。結構面白い。

彼女の両親から始まって、兄弟の生い立ち、教育、巣立ち、仕事、と詳細にわたって語ります。間に戦争あり、離婚あり、破産、海外逃亡あり。

この彼女の両親も、兄弟も面識ある程度ですが、どの方も、品が良くって、感じよく、社会的に合格、成功しているように見える人達です。でも叔母の話を聞いていると、うん、確かに暗い側面も持ってそうだし、そんな楽勝人生なんて存在しないですものね。

そして叔母本人については、というと、

「幸せな子供時代を過ごさせてもらった」と珍しく前向き。自分の両親は人間としては不完全だったけど、親としては素晴しかった、と。母からは素晴しい教育や人生の指針を受けたし、父からも愛情も沢山受けたっていう。

でも本当にそうかしら。
生前の彼女の両親からは、そんな印象は受けなかったけどなぁ。いつも叔母をドン臭い娘としてうざったそうにしていたと思う。
それに、人生の指針って何?叔母は何回か恋に似たことがあったそうだけど、その度に、ブランド意識強い母親が「そんな家の出の人なんて駄目です」「そんな外国人なんて駄目です」(←これ、共に私に当てはまるんですが…)とひねりつぶしたって、お陰で結婚のチャンスを逃したって、恨みがましく言っていたじゃない。両親のことを美化したいのでしょうが、そんなの、もういいよ、正直になっていいよ、と思ってしまいます。
それにしても、叔母の話は僻みも混じっているから話半分なのでしょうが、どの人も見事に不幸というか、不完全というか。皆人生の落後者、もしくは「ひでぇ奴」ですよ。叔母の語りはその人達の親、先祖の代から始まり、その人達が人生の終焉を迎えている今、で最終回を迎えます。



そんなのを聞いていて思ったことは、

親が子供にしてあげられることって、何か?

ってことです。

叔母の話聞いていてもそうですし、私の少ない見聞でも、親が子供によかれと思って、指導したり影響を与えていることが、かえって、その子供の可能性を狭めていたり、コンプレックスや洗脳となっていたり、自由に考えたり感じたりすることに足かせ掛けられていることが多いように感じられます。
じゃ、せめてお金でも残すこと目指すか?

いや、程度によるけれどお金を持っていても、それが必ずしも子供の幸せに繋がっていない。不幸の種のことの方が多いのでは。

また立派な見本、背中を見せているだろう人格者の子供が、健康に成長しているかというと、必ずしもそうでもないし。


教育熱心ねぇ。ある程度は大切かもしれないけれど、お受験的な熱心さは、プラスの量より、マイナス要因の方が多い気もします。なんというのですか、子供の幸せにつながっている感じがしない。

一方、反面教師的な親を持つことは、子供にとっては不幸なようでいて、その不幸を乗り越えたときの見返りが大きい気がする。ま、かといって、悪い親を目指すってのも変な話だし。

とウダウダ。
いや、一応結論はあるんですよ。

親が、大人が、子供にしてあげられることは、愛情を注ぐことしかない。

愛情をいっぱい注いで、「愛される自信」を身に付けさせ、あとは勇敢に自分の人生を漕いでいくのを見送るしかない。失敗しても彼の人生だから、と、ある程度切り離して見守るしかないのだと思う。
具体的には、というと、余計な口出しはせず、子供達の意思を尊重して、だまされる覚悟をもって信頼する。



さて、バカンスも終わり近づくと叔母の話も、片耳に耳栓して挑みます。
反動か、夫と二人っきりになると、妙に無口になってしまうこの頃です。

Thursday, July 28, 2011

図書館


今回のバカンスは雨続きのブルターニュです。
村の図書館に行ったときのこと。
Bibilotheque pour tous(皆の図書館)」という自治体が運営する私営の小さな図書館。車で到着し、雨合羽姿の子猿達を降ろしていたら、ボランティアのおばあちゃんが笑顔で図書館のドアを開けて「雨は大変でしょう。さあさあ中へ」と迎え入れてくれました。う~ん、こんな温かなウェルカム、パリではありえないな。
大人向けの蔵書は実に質素で探しいてた本は見事にありませんでしたが、子供向けコーナーは自然光がふんだんに取り込まれていて雨降りの日でもグリーンハウスのように明るく、絵本の数は大人向けより多いくらいです。バカンス・モードになっている母猿、普段と違って寛大です。子猿らが次から次へと持ってくる絵本を「はいはい」と適当に和訳して読んであげながら、この子達も図書館好きになって欲しいな、と思う。

私が図書館好きになったのは、もっと大きくなってからで、高校生の頃だったと思います。当時家にいるのが嫌で、でも試験勉強しなくちゃならないから地下鉄のホームで勉強している、と読書好きな友人に話したら、「それなら図書館に行ったら?」と言われて、足を踏み入れたのがきっかけかと。
学校帰り、初めて行ったのは広尾の東京都中央図書館。あの静かな空間、埃っぽい空気、なんだか自分の気持ちまで落ち着いてくるような気がして、思いっきりハマり、私の図書館通いが始まったのでした。
でも勉強はあまり捗らなかったかなぁ。図書館に来てまで勉強しようとしている自分に満足して、そこで終わってたような……。書棚をほっつき回って「読みたい本がこんなに沢山あるとは!」とほっとしたり、売店でお菓子買い食いしたりで、気づくと閉館時間、っていう。

それでも図書館を知って良かった。初めて、家や学校以外で、自分が居てもいい場所を見つけたのだ思います。ちょっとしたサンクチュアリというか。

仕事・婚活に悩める20代の、一人暮らしの頃も、よく図書館に行ってました。当時のマイホームは22㎡のワンルームで、壁に圧迫されそうな気分になるときがありましたが、隣が区立図書館という幸運なる立地条件で、鬱っぽくなると隣に行って、閲覧コーナーで新聞観たりしてました。この図書館のお陰で随分気持ちが救われたように思います。
外にでる。そして、知らない人だろうが人々が共存している場所に行く、という行為が、部屋で溜め込んだ孤独感を薄めてくれた。

さて、この日は10冊ほど絵本を借りることにしました。日本の作家のも随分仏訳されているのですね。「Chuuuuut!(シーッ、静かにしょう)」というタイトルのをさりげなく混ぜたら、子猿に「これはいらない」と却下されました。子供が好きな本と、大人が選ぶのが全く違うのは何故?雨降りが予想される今日の午後は、引き続き雨読です。明日は、晴耕となるでしょうか。ではまた!

Monday, July 25, 2011

お久しぶりです!

バカンス、サルト地方での結婚式に出席したあと、更に西に向かい、ブルターニュはメスケーに来ています。メスケーには義理の家族の海の家があり、我が家の夏の定番のデスティネーションです。


フランスの地図を思い浮かべてください。ここがブルターニュです。結構大きいでしょう?



昔は寂れた海辺の村だったそうですが、今や夏の保養地として、南のコートダジュールと二分している感ありです。



ニース、カンヌなどからなるコートダジュールは、その殆どが黒い小石からなる幅細い海辺で、コートダジュールというと「青い海と白い砂」というイメージを持っていた私は初めて訪れた時などは「なんだ黒砂利か」とがっかりしたものです。

長所は地中海の美しさ。水温も程よく、海は蒼々としてて、ほんと、青い海岸(=コート・ダ・ジュール)とはよく言ったもの。海岸線の街路樹は椰子の樹々、レストランが連なり、景観は「ザ・地中海!」って感じです。



一方、こちらブルターニュの海は大西洋。水温は真夏でも18度~23度で、湘南や伊豆の暖かな太平洋に慣れている私にはとてもとても冷たくて泳ぐ気にはなれないけど、透明度が高く、どこまでも続く水平線が壮大で美しい。浜辺は長く広く、一面、白いサラサラの砂です。朝夕には近くの乗馬クラブが何とも美しい馬達をギャロップさせていたりするし、浜辺には所々に大きな岩々があり、恰好の風よけにもなっている。ヨットやサーフィングを楽しむ人達もいるけれど、その隣の入り江には漁師もいるし、蛎やムールなども養殖していて素朴さも残り、ほんと、いい感じなのです。



けれど…。

ここメスケーの浜辺の美しさは素晴らしすぎます。

自然体の自然。

松林の中に佇む藁葺き屋根のコテージといい、大きな岩々に打ち寄せるダイナミックな波といい、すべてがしっくりしすぎるほどしっくりした景観で、ふと私は不安な気持ちになったりします。

多分それは、私がこんな美しい海の原風景を持っていないからだと思います。

海といえば人が鰯状態でひしめきあっていたし、かつては美しかっただろう海岸線はは安っぽいホテルや有線放送で台無しにされていたし、スイカの皮やポテトチップスの袋が砂にまみれていた…。それでも、そんな中ででも、青春を謳歌したのに、したつもりでいたのに、こんなにきれいな浜辺を今更みせられても、どう思っていいのかわからないのだと思います。

素直に「きれいねぇ」って言いたくない。そうすると私の思い出の海が「悔しい」とか、「惨め」とかって、ひねくれそうで。



「なにさ、なにさ」なんて、ぷんぷんしながらの海水浴の帰り道。来年も、再来年も、何回も来るであろうメスケーの村。これからも、こうして圧倒されたり、拒否しあったりしながら付き合っていくような予感がします。

Friday, July 15, 2011

16歳

未熟児で生まれて死に掛かった娘が16歳になった。堂々たる人間になり、まずはおめでたい。今日は珍しく外食でお祝いすることにしたのも、食事を作るのが面倒だからというのと、子供が二人しか家にいないと移動がとても気楽だからという理由。娘が選んだのはインド料理。インドというと、必ず頭の中で『インドの山奥で、修行をして~』というレインボーマンのテーマソングを歌ってしまう。そして、インド料理はどうやって作ったらよいのかさっぱりわからないので、外食をした甲斐がある。

そして、家に戻りふと考える。インド人はあんなにおなかの膨れるものをたべて、何故肥満にならないのかと。人気のインド料理の定食屋さんには、ノー・オイル、ノー・グルテンという看板がでていたが、そういうことなのかなあ?

ところで16歳になった娘は、将来英語の教授を大学でしたい、その前に海外協力隊に行きたいと夢を語ってくれた。面白そうな人生設計でいいなあ!と思う。

Saturday, July 9, 2011

人の振りを見てわが振り直す

Lazy さんの優雅なバカンスとは裏腹な、隣人のガレージセール。あいにく曇り空で肌寒い朝、しかも人通りの少ない袋小路で、客は来ない。商品もイマイチで善意で来てくれた友人一家も、カビ臭くてすぐに退散したそう。うちの末っ子も午前中手伝ったものの、誰も来ないので、戻ってきた。自分で蒔いた種なのでしょうが何十年もの隣人達はとても冷たい。励ますというよりは非難に偏りがちな会話で気の毒だった。それでも午後には一件商売成立したそう。良かった。家にはもう電気がないようで、我が家の車庫の横でコンピュータの充電をしている。

他人事とは思えない自分が少し怖い。実際人間は、病や失業を重ねるとあっという間に、こういう状態になり得るのだ。今週写真家の友人にお願いして会社のウェブサイト用の顔写真を撮って貰って愕然とした。目尻のしわ、頬の縦じわは、思いっきりおばちゃんを通り越しておばあちゃんである。修正をいれて貰うにも限度がある。急に焦りが入った。健康で働けるうちに少しは蓄えをしないといけないな〜と思う。四人の息子達を育てるのと、アル中のリハビリに年金を使い果たした隣人はどうやってこれから生きてゆくのだろう。

子沢山の自分とイメージが重なり、何となく恐ろしい。生来の気の小ささがこういう時には災いする。そしてこういう時には性格の強い夫がいて良かったな、とも思う。感情のバランスがとれる。

休暇一日目!

休暇第一日目は、鳥のさえずりの中に居るというか、ミツバチが頭の中を飛んでいるというか、そんな感じでした。
今日明日はネット環境があるところにいるので、隙を見つけた今、飛びつくように、タイプしているのです。
あぁ、ひと時の静寂、ご馳走なり。

今日の午後は、「人が居住している」というカテゴリーにおいては、フランス一大きいお城、Le Lude城の城主様のお嬢の結婚式にいってきます。場所は、パリから西に250キロほど行ったところ。24時間耐久レースのル・マンの近くで、この村の名前(城と一緒)は「Le Lude」。
結婚式には、総勢800人は来るらしい。そのため、Le Ludeの隣村にあるこの義理の両親のプチ・シャトーにも、Le Lude城に収容できない来客が流れてきています。
昨晩は20人ほどと一緒にビュッフェディナーをしました。義母は、一日中、もうハイというか、パニックというか。それでも、実に美味しいディナーを準備して、すばらしかったです。この写真も、いつかアップしますね。義母はハーブの使い方が上手なんですよ。そこら辺も、バカンスのあとにゆっくりルポします。
この20人の来客、皆伯爵とか、公爵とか、そういうつながりで顔見知りらしいのですが、まぁ、良くしゃべること!今朝も、朝食テーブルでもすでに社交が始まり、先ほど、やっと、みんなモーニングにカクテルドレスで、出かけていきました。ほっ。小鳥というか、なんというか。
でも、そのさえずりも、華やかで、楽しそうで、いいな、と思いました。暗さやじめっとしたものが一切ない。
また、皆さん品が良いから、失礼な突っ込みもなく、酔ってもセクハラ的なインシデントもないし、私もその品行方正さの心地よさにリラックスしていられる。
深い話はできなくても、ジョークと笑いの一時、こういう一期一会もいいものですね。生活の粉砂糖って感じです。

私達は、子供がいるということで、教会での結婚式は免除していただいて、後ほどガーデンパーティーに出席させていただきます。
社交界マダムたちの帽子達、写真撮ってきます。こういうとき、皆さん、遠慮なく張り切りますからね。楽しみです。

Thursday, July 7, 2011

休暇

・・・になるでしょうか。今のところ、休暇が単にいつもよりも家事・育児+義理家族との社交をする期間で終わったことが多かったので、ちょっと警戒しています。果たして今回は本当のバカンスとなるでしょうか。この後3時間後にゲランドの塩で有名な、ブルターニュの海の家に向かって出発です。

先日、大ばかなことに、ラップトップのキーボードにコーヒーをこぼしてしまって、毎日1文字ずつ回復しているものの、いまだに、エンターキーと、日本語では登場回数多い、OとIが使えません!(このエントリーはネットブックをつかってます)自由にタイプできないことのもどかしさったら。その上、今後3週間はネット環境が整っていないところにいきますので、ブログも私はしばしお休みです。ネット中毒、PC中毒気味の私ですが、たまにはこういうリハビリもいいかもしれません。他の方の書き込みを、バカンスから帰ってから読むのを楽しみしていますね。

では、皆様もどうぞ良いバカンスを!

Wednesday, July 6, 2011

夏になると、この一帯は霧に朝夕包まれる。すると、湾を行き交う船がfog hornを鳴らし合いながらぶつからないようにする。慣れてしまえば気にならなくなるけど、10秒おきに鳴らし合う。今夜もプー、ボーと交信をする。港町を認識する。

Tuesday, July 5, 2011

July 4th




快晴の独立記念日の昨日、その昔ルームメートや、隣のアパートに住んでいたベルギー人の友人3人がBBQに来た。みんな貫禄がついたけど、面白いので写真をたくさん撮ってみた。この写真も5年後に見ると、『あの時の僕らかっこよかったね。』なんて言っちゃうんだよと笑ってみたものの、今後の老化はすごいスピードを増すんだろうなあと思うと、少し怖い。

Sunday, July 3, 2011

連休


アメリカは明日の独立記念日を控え、お祭り気分で、ビーチに向かう道は大渋滞。昨日は、日本で昔楽しんだ梨もぎを思い出し、桃、杏、イチゴ狩りに行ってきた。家から1時間半ほど離れたブレントウッドというところを息子がググッてみつけたので、行ってみた。とても熱い日で、みんなで干上がりながら取ってきた果物はとてもおいしかった。

Saturday, July 2, 2011

残心

先日の話。
朝、子猿達を幼稚園に送り出しがてら、リサイクルごみに瓶ものを出そうと。大きなエコバッグにビール瓶、ワインの瓶などが詰まっているのを持ってエレベーターホールに向かいます。すると、何かの拍子にバッグからワインの空き瓶がコロコロ。
布バッグだからそんなに詰め込んでいないつもりだったけど、手下げを持つと、布が引っ張られて、中のバランスが崩れるのですね。勉強になりました。
とにかく、ワインの空瓶、階段の鉄格子の下を通り抜け、なんと一階まで落下しました。
そのときはもう全てがスローモーション。
息を飲んだまま下を見下ろすと、幸い誰もいない。7階から1階まで、5秒くらいかかったのでしょうか、思いっきり割れました。

びっくりして泣き出した子猿をなだめながら、大急ぎで下に行きます。管理人さんにお願いして一緒に片付けてもらい、取り急ぎ、幼稚園に送りに行きます。

誰もいなかったから良かったけれど、もし、って思うと吐き気がしました。
うっかり幼稚園児の行列に乗り込んでしまったトラックの運転手とその犠牲者の家族の昔みたTVの画像がフラッシュバックしたり、間違って人を殺してしまった人などのことを考えたり。
人生って、こうして或る日突然、真っ暗闇が訪れることもあるんだな、って。
皆罪びとってこういうことなのかしら、ってもうわけわかりません。
子供を落としたあと、幼稚園の裏の教会に立ち寄りお祈りしました。
涙が止まらなく、ごめんなさいとありがとうを繰り返す。
動揺の朝でした。

以前、沖縄が出てくる本に、人間、あまりにショックなことがあると、「たましい」が「逃げる」=「たまげる」、とありました、この朝はまさにそんな感じで放心状態でしたが、やがて、「たしかその本には、『たまげたこと』にあったときには魂をかき集めろ、ともあったな」と思い出す。沖縄のその地方の人は、「たまげた」後には手で空気をかき集めるような所作をするらしいです。
そうだ、しっかりしないと魂が逃げ切っちゃう、と思ったとき、ふと頭に浮かんだのが、先日の友人の言葉「残心という言葉でした。本来は武道などで、技を決めたあとに気を抜くなよ、ということらしいのですが、このときの私には、「おい、動揺に心を持ってかれるな、Life goes onだろ、しっかりしろ!」という、カツに聴こえたのです。

瓶落下事件の最後・・・その日の午後はチョコレートの箱を買って、割れた瓶の片付けを手伝ってくれた管理人さんにあらためてお詫びしました。犠牲者になる可能性一番高かったのは、いつも朝はエレベータの掃除をしている彼らですし。彼らは本当に感じの良い老カップルで、「気にしないで」と逆に慰められ、その優しさにまたほろり。
夜、夫とも話して、この階段の鉄格子の安全性を改善するよう、オーナー組合に提案する予定です。

Friday, July 1, 2011

禍福は糾える縄の如し

うちの隣のおばちゃんは、有名大学の法学博士で弁護士。そのくせ、アル中で運転すること数回で服役までしている。4人の男の子を持ち、元夫とは10年前に別れた。そんな彼女は運転免許を取り上げられたので、時折用事のついでに運転手を務めるのだが、なんだかかわいそうである。話をすると、頭は切れる。人生どんな苦渋をなめてアルコールにおぼれたのか知らないが、気の毒なのは、そんな母親をかばい、そして憎みながら育った息子たちである。

ついに、彼女の家は競売にかけられ昨日はした金で売りたたかれたらしい。庭掃除をする私にそう話しかけて涙をながした。いつまでに家を出てどこに行くの?ときくと、わからないという。ショック状態なのだろう。息子さんたちは引越しの手伝いをするけど、親子の関係は今ひとつのようで気の毒である。近所のおばちゃんが車が通らないと文句をいうと、ついにストレスに耐えかねたのか息子さんが言い返し、売り言葉に買い言葉。10回もリハビリに行った母親の引越しの手伝いをしているのに、当の母親が殴るける、そんな僕らに少しは同情をしてくれ、と怒りと悲しみをこめて近所のおばちゃんに訴える。本当に気の毒だ。

優しそうな息子さんだねと話すと、母親は、時々優しいけど、昨日は祖父母の写真を家から放り出し、祖父のお棺にかけた国旗もゴミ箱に捨てたひどい人だという。聞けば聞くほど、息子さんがかわいそうになる。自分の世界に浸る母親の相手は大変だろう。そんな彼女もわが末っ子にはとても優しくてスクーターをくれた。息子はスクーターを試して、図書館にいくと、ばったりそのおばちゃんにでくわしたらしい。ちゃんとヘルメットかぶっていたよ、かわいい子だね、と涙の合間に微笑む。昔はきれいで幸せな人だったのだろう、と思わせられる微笑だ。今日は人生で最悪の日というときに、そんな微笑のできる彼女に希望を与えたいが、この国は厳しい。福祉制度があまりない。健康でお金持ちに向いた国で、弱者にはとても冷たい。

子供達を放射能から守ろう

今日のカリフォルニアのばあさんブログの内容に、強く衝撃を受けました。是非、観てください。福島で、子供達を放射能から守ろう、という会を作り動いている方の声がYoutubeのリンクから聞けます。
一応、こちらにもYoutubeのリンクを張りますね。

http://www.youtube.com/watch?v=Sh1khP81QQc&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=2ir5O2dTNME&feature=player_embedded

この子達は将来、広島長崎の被爆者が差別されたり、結婚できなかったりしたような、苦しみを味わうのでしょうか。いつも放射能の影響が身体に現れるのにおびえながら過ごすのでしょうか。やりきれません。今のうちに阻止しないと。

また、ネットでできる署名です。
福島の子どもたちを守るための緊急署名リンク

全く日本政府は何やってんだろう、って思います。このままだと人間失格、国家失格だと思います。