Sunday, February 27, 2011

洗脳

先週の金曜日の夜中の12時頃に友人から電話がかかってきて、たった今取引先との飲み会から帰る車の中で、まだ若者は飲み続けているけど、自分は身体が辛いから途中で退参してきたという。電話の先の相手が喋っているのと全く同じような行動を自分も数年前までやっていたことを懐かしく思い出した。数年前までの私の生活もこんな感じで夜遅くまで飲んだり食べたりして、夜中にタクシーで帰るのが珍しくない日々だった。今思うとあれはあれで、毎日が軽ノリでお祭り騒ぎで楽しかった。今の私の生活はガラッと変わった。会社や取引先の忘年会や送別会はなくなり自分の時間が増えた。更に私には子供がいないから、自分の為に時間を使う日々であり、全てを自分で決めなければならない。このあり余る自由が恨めしく自分が何の役にも立っていない感じがして無力感とか虚しい感じで押し潰されてしまいそうな時もあったけれど、最近ようやく拘束されていない自分に罪意識のような嫌な感じが無くなってきた。こういう気持ちになるのに結構な時間がかかった。自分の頭で考えて主体的に行動していたつもりでいたけれど、実際は随分と自分の頭も行動も洗脳されていたものだと今になって思う。皆さんも結構、色んなことに洗脳されているかもしれませんよ。お気をつけて!

3 comments:

  1. キャビンアテンダントしているときに、まさにこの罪悪感があって、結局やめた一番の理由になりました。日本でのオフ日は自分の24時間で、平日など、休養しているのが人生の無駄使いしているような気になって、外地でのオフ日も同様。周りは自由な時間、またとない機会として色々見聞広げて楽しんでいるのに、何で私はできないの、とまた罪悪感。何か生産的なことしようと、勉強物に取り組んでみたりしたけど、ものにならず・・・。今思えば、期が熟していなかったのでしょう。

    そんなとき読んだ、ミハエル・エンデの「果てしない物語」で、魔女の「時間はかかるだけかかるものなの」という一言に目からうろこでした。

    ところで、人口増加率をみていると、食糧難になるのは確実らしいですね。ラオスで小作人にしてもらう日があるかもしれません。その節はよろしくお願いいたします。

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  2. そんな。。。私は、反対に責任ばかりが重なり、こんなに自分をがんじがらめに拘束したあほらしさを時折うらめしや~と呪ってみたりした。隣の芝生は青い青い。

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  3. 洗脳、すごくわかります。いつのまにか誰かの尺度で行動していること多いです。親や世間の価値観から脱却して、自分の好き嫌い、心地よい、悪い、で生きていいよ、と人からではなくて、自分で認めていけばいいのだ、と言い聞かせています。

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