Monday, May 31, 2010

継承語としての日本語 (パリ便り)

外国に暮らすと、子供の日本語教育をどうするか、というのがママ友ら共通の関心高い話題である。私の子供らのように、日仏ハーフでフランスに住んでいるコにとっての日本語は「継承語」と呼ばれるらしい。彼らにとっては母国語ではないってこと。

思い起こせば、自分も子供の頃は海外で育ち、「家の中では日本語で話なさーい!」と母に怒鳴られながらも、ついつい楽な環境語、英語で話していた。あの頃、日本語は母国語ではなかったと思う。
それが日本に戻ったら、もう、コロっと英語を忘れ、高校時代も5段階評価の5まで行ったことがなかった。英語教師からは、「帰国子女が笑っちゃうよな」と厭味を言われ、「でも先生より発音はいいと思う。」とイノセントに言ってしまって、もう5をもらうことはないだろう、と確信したものだ。

こう振り返れば、母国語っていい加減なのだ。「母国・・・」ってロマンが感じられるけど、言語吸収時期にいる環境の言葉が母国語という、単純なものなのね。どれ、ウィキペディアをみてもそうある。

そう理解すると、子供達に日本語をマスターしてもらいたいという、私の場合かなりお仕着せ的であろう思い入れにセーブがかかる。

それでも、日本語・・・
・うちの子猿達、結構日本人っぽい顔しているし、将来的に日本語を知っていることがサバイバルに役に立つかはわからないけれど、知っている方が知らないよりはいいに決まっているし・・・。
・そして、桑田(佳祐)さんが、英語のような日本語やら、突然スペイン語やらで、自由に、巧みに自己表現しているように、我が子猿君たちも、フランス語、日本語、そして将来的には英語でも中国語でも操って、自分を表現できたらいいと思う。
(はい、私の夢は子猿達がロックスターになることです。)
・色んな言語の本を原文で読めたらいいとも思う。各言語、ニュアンスを翻訳するのって難しいから。

さて、拙宅向かいにリセ(といっても中高一緒らしい)がある。ここは公立ながらも第二(三?)外国語教育に力を入れているらしく、珍しく日本語も選択の一つにあるので、越境通学している日本人や日本人ハーフの生徒さんが多い。

カタールから戻ってきた当初は、買い物途中にすれ違った、完全に外国人の顔しているティーンが、もうそれはナチュラルで流暢な日本語で、
「ねぇ、宿題やった?」
「やっベー、やってねぇーよ」
なんていう会話をするのにびっくりしていたものだ。それが日常茶飯事だとわかってからは、学校前を耳を澄まして通るのが楽しみになった。皆、日本語私より上手い。

金曜の夜は年に一回の日本祭りが催されると聞いたので、家族総出で覗きに行った。構内ミニ文化祭みたいに盛り上がっている。
広々としたキャンパスで、悪くない。我が子猿達も「大人の学校、大人の学校♪」と、その広さに、新しい縄張りに印を付ける猫がごとく、ねずみがごとく走り回っていた。

地下にある学食ではお母さんらが、手製の焼きそばとか、巻き寿司などを、一所懸命配ってらしたが、行列は一向に終わりを告げない。和食はパリでも本当に愛されているよう。嬉しい。
ここにいるお母さん、お父さんらは、もう母国語ではない日本語を、それでも子供の脳裏に残そうと、一所懸命なんだろうなぁ、と思うとぐぐっと来るものがあった。
少しでも子供の将来に役立つことを身に付けさせたい、フランス、そして日本というチョイスをあげたい、等色々な思いがあるのだろう。将来生き抜くすべの一つとして、日本語を身に付けさせたい!という熱い思い。湯気と一緒にそんなものを見たような気がした(ホント?)
一方の生徒さんたちの方はもっと自由に、気楽に日本を楽しんでいるような印象。「マンガが好き、焼きそば美味しい」って。

それでいいの、それでいいの。と、今のところ部外者の私は思う。親の愛情を一杯受けて、それをむげに、当たり前として水のように浴びて、自由に生きる、勝手に生きる、それが青春時代の特権というものだ。

3 comments:

  1. 日本祭り、ずいぶん盛り上がっていたんですね!

    継承語というネーミングは知りませんでした。パリで語学の専門課程に在籍したことがあり、そこで講義を受けた言語学論の母国語の定義は「子ども時代に生活している場所の言語」であり、おっしゃるように親の母国語ではありませんでした。

    そういえば、私が子どもの頃「家では日本語!」と注意された記憶はないです。きょうだいで当然仏語で話していましたが。それもあってか、あまり将来心配してないというか、かなりアバウトに構えているところあります。

    ただ、日本語はやはり特殊言語だと思うので、大きくなって自分から学習したくなったときに一から取り組まなくてもいいよう、基本の読み書きは伝えておくのが目的です。
    あと、私は子どもたちに対しては日本語しか使わない。5年間これできているので、これからも大丈夫かな?会話が複雑になるにつれて限界が出てくるのかな?

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  2. 我が家もそれで行っているのですが、そうなると、日本語の言葉遣いは私の責任ってバレバレ。すごく乱暴な口を聞かれるときなど、結構ショックです。私も気づかない所で、こんな風に話しているのね、って。

    仰るとおり、日本語を一から取り組むの、大変でしょうね。読み書きできるの、私も目標にしています。

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  3. Lazyさんと同じ家庭に育ちながら、親に日本語を話せといわれた記憶がありません。私も、最初の3人は日本語で5年育てました(といっても長男は日本人なので当然ですし、後半二年半はあいにく日々接することがありませんでした)。ところが、小学校に上がるころから、精神面で英語の方が感情表現しやすいかと思い、英語に切り替えました。今では、なぜ日本語に固執しなかったのかと子供に責められているので、是非ともMaisnonさんとLazyさんは初志貫徹してください。

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