今日は私の誕生日なのだ、実は。25歳を過ぎたあたりから、お誕生日を特に意識するわけでもなく、人にはできる限り伏せてその日の通り過ぎるのを待つ。子供や夫がささやかに祝ってくれるのは嬉しい。ところが今年は、一人東京のホテルの一室で誕生日を迎えた。自分の半生をちゃんと振り返りなさいという、神様に似た存在のお達しなのかもしれない。
数日前は大学時代の友人とのディナーでプレゼントをしてもらった。昨日はお昼のランチで友人5人が祝ってくださった。前夜祭のディナーでは、シャンパン・赤ワイン・白ワインのボトル3本空けて友人たちが3人お祝いをしてくださった。当日の今日もランチで友人2人が祝ってくださった。昔、大学時代に地下鉄への近道でよく通り抜けたホテル・ニューオータニのラウンジで。いつもは、自分の誕生日を隠す私が、今回はよく自分でも宣伝してお祝いをしていただいたのは何故かと考える。心を割り、信頼できる友人たちにお祝いをしてもらってとても嬉しい。親や夫の親が覚えていてくれるのも嬉しい。色んなご縁で知り合い、友人として家族として接することになったことは、実はとてもランダムなのを実感する。この時あれをしなければ、この人とは出会わなかった、ということが何度あるか。しかも、そんなランダムな出会いがご縁で知り合った人が自分にとって、今では本当に大事な人々になっていることがなんと多いことか。
特定の神様の存在を信じることのない科学者たちが、理論的に色々追求すればするほど、理論では説明しきれない事実に遭遇し、自己よりも壮大な存在を確信するという。これを神とか宿命とかいうような気がする。
おめでとう!素敵なアラフォー時代でありますように!
ReplyDeleteお誕生日、おめでとうございます。さらにさらに楽しいことの多い一年を迎えられますように。
ReplyDelete理論では説明できないこと沢山ありますね。周りの事柄を見渡してみると、なんとも不思議な偶然が重なって、奇跡的に今の自分がここに居ることがわかります。「あの時これがなければ・・・」「あの時あっちを選択していれば・・・」。私達は偶有性の海に住んでいるのだ、と以前脳学者が言っていました。怖がらずに偶有性の海に飛び出すことが、セレンディピティに巡り合える唯一の条件だそうです・・・
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