Saturday, May 29, 2010
宇宙
今朝は子供一人の家庭で始まった。下の子二人は、以前住んでいた家のお隣に泊りがけ、高校生の男の子ははす向かいの友達の家で「リスク」というゲームを夜なべしたそう。というわけで、真ん中の娘だけが朝ごはんに出没。洗濯物OCDの私は第一陣を洗濯機を回し、朝のコーヒーを楽しむ。ごくありふれた土曜日の始まりである。後2週間で南仏に出発するのだが、何せ犬を含めて総勢7名の団体旅行なので、半日をその準備に費やす。そして夕方、最近大変身して公開になったAcademy of Scienceに連れて行ってもらった下の子二人はIMAXで観た映画の報告に来る。後50億年すると地球は爆発してNovastarになるという。どうすれば良いの?と問いかけると、"Uh, Mommy... We're going to be dead by then."と、非常に冷ややかではないか。でも、あんたたちの子供の子供の子供はどうするの?と粘る。人間は100万年ほどしか生きてきていないので50億年先には、全然違う生物になっているというではないか?そう言われると、一生懸命苦悩し、努力する私たちは本当にちっぽけな存在に思えてくる。昔のサントリーのCMで、「み~んな悩んで大きくなった!」という変なのがあったが、悩んでも大きくならずたまたま今は強い立場にいるだけなのだろう。近所で出くわす動物たち(鹿、ウサギ、スカンク、蛇、鳥、きつね、コヨーテ、ハリネズミ、モグラ、ラッコと、まるで動物園並みの面々が我が家の周りに生息する)は、きっとそんな盛者必衰を心得ていて、ふんぞり返っている人間たちを嘲り笑っているような気がする。妙に宇宙的なことを考えてみたりするのも満月のせいかもしれない。
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
子供って冷静なんですねー。50億年先のくだりなんて、おっしゃるとおりですね。と思わずうなずいておりました。
ReplyDelete今の地球の状態を考えれば、もっともっと近い未来に危機はあるでしょうし・・・。
盛者必衰。驕る人間はきっと久しからず・・・でしょうね。
井上靖の本で、末期ガン(だと思っていた)のおじいさんが、日比谷のビルで人と待ち合わせしているとき、そこのロビーが全部大理石か、何か化石的な石で作られているのをみて、太古からの時間の流れの中に、今自分が死んでいくことを思うと、なんと当たり前で、何万回と繰り返されている事象の一つだ、と気づいて、そう思ったら、死が優しいものとなった、みたいなのがありました。
ReplyDelete宇宙を考える子供たちはなんて健全なのでしょう!いいこといいこと。
最近友達から、50年前には生きていなくて50年後にも生きていないのに、平気で何も考えずに生きていられるのは不思議じゃない?と言われました。人間は他人の死は認識できても、自分が死んだ後で、「死ぬってのはこんな感じだったんだ!」なんてことは考えることができないわけだから、結局は、人にとって自分の死は体験できない、つまりは存在していないのと同じなんだなぁ、と考えたりします。こう考えると私達はまさに、生きることしかない、「生き物」だってことなのでしょうか。宇宙の不思議、生きていることの不思議、自分という存在の不思議、実は不思議だらけの中で、不思議な縁で結ばれた人達と、あーでもない、こーでもないと頭をひねっている。。あー不思議。
ReplyDelete