Friday, May 21, 2010

家族観について (パリ便り)

毎度、私のお気に入りブログ、内田樹さんの書き込みを引きます。
今日の御題は家族でした。彼は転用を許可しているので、ここに抜粋コピペさせて頂きます。

(前略)・・・「父親」の仕事はもっと簡単。
「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。
この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。
だから、「よい父親」というのがいわゆる「よい父親」ではないことが導かれる。
「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。
「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。
「頭のよい父親」はさらに悪い。
子どもと論争したときに、理路整然博引旁証で子どもを論破してしまうような父親はいない方がよほどましである。
それよりはやはり「あんなバカな父親のところにいたら、自分までバカになってしまう」というようなすっきりした気分にして子どもで家から出してやりたい(それについて文句を言ってはいけない。自分だって、そう言って親の家から出たのである。父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)。
言い遅れたが、人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。
これが「制度設計」の根幹部分である。
それができれば親としての仕事は完了。
なまじ親のものわかりがよく、愛情深く、理解も行き届いているせいで、子どもがいつまでも家から出たがらない状態はむしろ人類学的には「機能不全」なのである。
当今の家族論は、家族の存立のそもそもの目的を見誤っているのではないか。
「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。

この前の部分にはもっと広義の家族について書いてあったのですが、ちょっと難しくって斜め読みしてしまいました。

皆さんはどう思われますか?

私は同感派。フランスでは、20過ぎても家に居ついて親のすねをかじる若者が多くて近年映画になったほどでした。周りの、多分中流階級に属する知人達も、自分がそうであったし、子供達もそうであろうことを前提に家選びをしているのが多いです。それを聞くたびに、Oh la laと思うのですが、まぁ、どうぞご自由に、ってものですから。

私は、将来、狭苦しい家にムサイ息子達がうろうろして、御飯を食べつくすなんて、想像しただけでも嫌です!それでも一応母心はあるので、料理、掃除、洗濯は早めに仕込んで、上手に一人暮らしをエンジョイできるように、そして、お袋の味を武器にするようなオンナなどに引っかからないように、しよう、と。やはりバカ母ですね。

4 comments:

  1. あー。これは面白かったですね。自分も20〜30年後に気をつけないとなとおもいました。

    「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。


    これ。内田教授を乗り越える子どもは大変だな、と思ったり。内田教授の元にいて先がないと思えるのか....

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  2. 確かに立派な親を持つと大変なことあるでしょうね。親は反面教師であるくらいが、子供にはBlessing in disguise (と書いて、本当の意味に自信が・・・http://d.hatena.ne.jp/tiki-tiki/20080512 を見てください) なのかもしれません。

    立派な方は、努力して、子供が居づらい雰囲気というのを作るしかない。例えば、飲んだくれてばかりいて、「ビールを買って来い!」とか、いつもこどもを使って、子供に「もうやだ、この家」、と思わせるとか、ってそういうことじゃないか、内田式は。

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  3. 日本語で読む、内田氏のように人間性に精通した人の意見は説得力がありますね。
    我が家の場合は、父親は息子にとって、性格が合わない反面教師でした。
    おかげで父親が自慢するような大人に成長しましたが、そうなるまで、母親の立場としてはとてもつらかったですよ。
    落ち着いてからよく見ると、親子の間で似た要素をたくさん持っていることに気がついて面白いものです。

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  4. ここんさん、DNAって怖いですね。逃れないのでしょうか。

    そうそう、私が飛ばした部分に、内田氏的、「母の役目」というのがありました。ちょっとどうかなぁ、と思ったので割愛しましたが。
    「母親のかなしみ」、大きいのでしょうね、喜びの分も。「かなしみと喜びは振り子のようで、その振りが大きさが人生の醍醐味」とどなたかのインタビューで聞いたことがあります。そう思える強さが欲しいです。

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