今週末で東京から湘南に移動します。先月終わりから二週間半、一年半ぶりの東京でした。
日本からNYへ発ったのは1996年の夏でした。なので、もう15年近く離れてしまっていて、東京も正直もう郷愁はないな、と思った今回です。
街も随分変わり、お金さえそこそこにあれば住みやすい場所?なんて思うのは隣の芝生ってやつでしょうか。
昨夜は表参道に出かけましたが、地下鉄駅構内の変わったこと!それで恐る恐る地上に出ると、やはり!私が高校時代バイトしていたマクドナルドが消えていて、「マックもか」と、今回ぶつかった東京の変わりようの中で一番ショックだったかも。
でも、変わらなかったのは「人」でした。
今回も母、家族をはじめ、先生、叔母、従兄弟、旧友、"新"友、いろいろな方と再会、出会いがあり、これは、郷愁ある、ないどころではない騒ぎです。懐かしさ、安堵、友情、愛情、湧き出る感情の嵐って感じで。
そして、出会いがあれば別れがある。
以前なら、ナイーブに「またね」という言葉を信じることが出来たのですが、今は「またね」の一言を、覚悟を、思いを込めて言い放つ自分に気づきます。「またね」・・・たとえ嘘になってしまってもいいからそう言いたい、言おうって。
一期一会、どうやらこの言葉の意味がわかってくる歳になったようで。
メソメソせずに、「またね」と明るく爽やかに、東京を去りたいと思っていますが、さて出来るでしょうか。
母国の外観があまりに変わると、自分の居場所がなくなっていくように感じるものですが、嬉しいことに、人の感情は何時までも同じですね。感激を思い切り味わってきて下さい。
ReplyDelete「またね」を疑うにはまだまだ若い、「またね」が’又’実現すると信じてね。
そうそう、おばあちゃんのような発言をするには40年早いと思います。
ReplyDeleteそうですね。実際、「あぁ、さよなら。元気でね~!」なんて言って別れた友人が、「傘忘れた」といって翌日にまた現れ、そして翌週も時間があるってまた会ったりして、「なんだ、やたら会えるね」と笑ったりしています。
ReplyDeleteそれにしても、今回は良く食べ、よく飲んでいて、ハラのたるみが気になってきました。
郷愁はなくなってしまった私も、和食をどんだけ食べても飽きないところに自分のルーツを感じたりしています。
せっかく東京に来られていたのにお会いできず残念でした。久しぶりの日本に色々な思いを馳せられたようですね。。いつの日か、ブログ同窓会でもやりましょう!きっと楽しいひと時になると思います!
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