Monday, June 14, 2010
一息
昨日は歯医者が早めに終わったので、メトロに乗って帰る前に傍の教会に立ち寄りました。
L’église Saint-Philippe-du-Roule、聖フィリップ・ドゥ・ルールという教会。次男の名前と同じフィリップなので勝手に親近感を感じ、歯医者のついでに何回か立ち寄ったことがあります。
ところで、フィリップという名前、フランスでは、50、60年代に流行った名前らしく、「今の50、60のおじさん同僚は、棒に当たればフィリップというくらい古臭い名前だ、それを息子につけるの?本当にそれでいいの?」と夫に言われましたが、私は頑として譲りませんでした。
確かに最近の子供の名前は、マクサンス、ディエゴ、マクシミリアン等は幼稚園に何人もある名前でブームのよう。ディエゴなんて、スペイン語ですが、スペインの血が一滴も入ってなくても、「音が良いから」とか、「怪傑ゾロの変身前の名前だから」などという理由で人気だとか。「ディエゴ」英語だと、Jamesのことらしいです。同じ名前も国によって違う、面白いですね。
最近の子供の名前、同じ使徒系ですと、トーマ(トーマス)、マチュー、ルカ(ルーク)等も良く聞きます。ですが、確かにフィリップは聞かないかも。
ちなみにうちの子猿のフィリップは、使徒の聖フィリップではなく、別の聖人(フィリップ・ネリ)から頂戴しました。子猿が洗礼を受け、親の私達が結婚式を挙げた教会の聖人です。音楽を愛し、若い子供達の教育に愛情を注いだ方らしい。懐が深いというだけでなく、本当に心臓が大きかったらしく、ハートがシンボルの聖人です。どうか恩恵がありますように。
さて、サン・フィリップ・ドゥ・ルールに戻って・・・
立ち寄る時間帯がずれているためか、いつも人がいません。建築は凱旋門と同じ人によるもの、とあります。
広い教会内、薄暗い中、浮かび上がる天井画のキリスト様、その語りかけるような悲しみ深い瞳が胸に突き刺さります。
聖母子像、マリア様の頬のふくらみはこれから起きることを知らないようなイノセントさを表現しているけど、その目が遠くを見ていて、やはり何かを予期しているかのよう・・・。このフクフクの赤ちゃんが磔になるのを見届けた、痛ましい運命だと思います。
忙しかったこのところ、教会の中にいると落ち着きます。「呼吸している」、そんな自分を感じることができる。
初めての教会体験は、日本の幼稚園でのカテシズムだったか、と。聖水を額につけ、その冷たさが気持ちよかったのを覚えています。
この夏は、息子達がその幼稚園に二週間通わせる予定、「短期留学」です。このところ手が付けられない二人ですが、どうぞ神様の御加護に与りますように。
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お母さんが通ったと同じ幼稚園にお子さんたちも行けるなんて素晴らしい!
ReplyDeleteシスター経営ですか? カトリックの少ない日本ですが、ミッションスクールが全国に普及していることがちょっと慰めになりますね。
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ReplyDeleteそう、同じ幼稚園なんです。こだわったわけではなく、そこしか、受け入れてくれる所を知らなかったからなのですが。
ReplyDeleteここはサレジオ派で、神父様がいらっしゃいます。聖水であそんじゃいけないとか、十字のきりかたや、ひざまずき方や、教会では静かにするとか、マリア様が誰なのかなど、ここで教わりました。
私は引越しの合間の半年間しか通わなかったのですが、このときのイタリア人の神父様に、折り紙でゴンドラの折り方を教えていただいたのを、未だに覚えていて、ゴンドラ、知っている方にまだ出会ったことがありませんし、ちょっと得意になるときです。
鶴の他に唯一覚えている日本人の「お家芸」折り紙がイタリア人仕込みというのが、Anecdoteでしょう?