先日久しぶりに立身出世という言葉をきいた。男は子供の頃から立身出世という言葉を聴かされて育ってきたという発言であったが、私の世代の女で立身出世せよと言われて育った人はまれな気がする。やさしい、賢い女性になるようにという風潮だった気がする。
そういう世代で育った女性が世の中の公平・正義を目指して勤労に勤めていると、現実と理屈の歪みの板ばさみを余儀なくされる。最近、母校の組織行動学の教授の著書を不快感たっぷりで読みきった。世の中で力を持つ者持たざる者がなぜいるのかというテーマだが、わかっていたけど言わないでほしかったということがつらつらと、しかも文献となるデータたっぷりに書かれている
名著なのだ。http://www.harpercollins.com/books/Power-Jeffrey-Pfeffer/?isbn=9780061789083
男性は、立身出世という大義名分のもとで腹をくくり理解しているルールが私には本当にいや~な感じがするのだ。
ま、ゴマすり・自画自賛をすることにより、大半のビジネス・リーダーといわれる人間は大成しているというのが要約なのだが、思い当たることばかりで悲しく苦しい。こんなゲームだったのかと、ルールを知らされずに参加したような気になる。
昨日から読み始めた日本のフィクションに、顔に障害を持った刑事が出てきます。彼は、家族もおらず、はなっから出世なども考えておらず、唯々醜い自分のさだめへの恨みかのように、狙いを定めた犯罪の真相を掴むこと、これだけをしたいがために警察組織に属している、そういう設定のようです。
ReplyDeleteかなりフィクション、若干ファンタジーも入っている筋のようなのですが、ふとこういう風に、出世・評価を無視して仕事していくことができたら、こういう前提で仕事することができたら、自己満足だけを求めて仕事できたら、随分ストレス軽減しされていくのでは、と思いました。