Saturday, April 30, 2011

人生の扉

はじめまして atlas と申します。 sora さんの紹介でこのブログに参加させていただくことになりました。ご紹介していただいてから、投稿するまで少し時間がかかってしまいました。最初が肝心と力が入ってしまい、どんなことを書こうかと、あれこれ悩んでしまいました。ただ、やはり、自分が経験してきたことや感動したこと、またそれについて考えていることを書くしかないんですよね。

という訳で、今回はキャンディーズのスーちゃんのメッセージを聴いて感じたことを書くことにしました。正直言って、ちょっと感動しました。と言うより、心の奥の方がジーンと熱くなると同時に、単純にうらやましいとも感じました。皆さんはどう感じたでしょうか?自分の死を覚悟しながら、「幸せな、幸せな人生でした」、「天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」と言えますか?

大震災以降、一日一日をもっと大切に生きなければと感じながらも、現実の毎日を見つめ直すと、まだまだ自分は人生を大切に生きていないんじゃないかと思ってしまいます。人間の価値は、その人の葬式で判断できる、などとも言います。ただ、人には様々な人生があるので、その価値を決めることなんて誰にもできないと思います。とは言っても、やはり、自分が死を覚悟した段階では、スーちゃんのような気持ちになれたなら、と考えてしまうのが本音です。

ところで、竹内まりやの『人生の扉』という曲をご存知ですか?彼女は若い頃から、『毎日がスペシャル』など、ありふれた毎日を楽しく生きることが大切だと歌っています。彼女が50を過ぎてから書いたこの曲はまた、違った味わいがあります。

春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時が過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことでも 覚えていたいと 心が言ったよ


最近、ますます、どんな小さなことでも覚えていたいと思っている atlas でした。
皆さま、これからよろしくお願いします。

では、また!





 

3 comments:

  1. Atlas殿、ようこそいらっしゃいませ。これからの書き込みも楽しみにしております。

    スーちゃんの、苦しそうな声がかわいそうでした。あれを聞くまでは、「もっと女優したかった」といってたらしいし、道半ばでの旅立ちは辛いだろうな、と思っていましたが、あの声、内容を聞くと、「これで闘病から解き放たれ安らかになれて、よかった」と、残されたものの身勝手さでよい方に解釈できるようになりました。

    スーちゃん関係だと、私はミキちゃん・ランちゃんの弔辞に思うところありました。ミキちゃんが、「残された私達は毎日を誠実に生きます」というのとか、ランちゃんが「しっかりしようと思いつつ、時間が経つにつれ悲しみが押し寄せ困惑しています」というのとか、「誠実」・・・そうまさにこう生きるべき、「困惑」・・・今までにない喪失感に困ってしまうほど悲しい、そういうことありました。

    竹内まりや、デビューの頃はまっていました。あの低い声が大好きです。

    ではでは、良い一週間を!

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  2. Atlasさん、こんにちは。つまみ食いの会にようこそ!リアルの世界とは別にウェブの世界で名前や人格を持って交流できるなんて、とても面白い時代に生きていて良かったですね!
    人生の扉の歌詞同様、私自身も小さなことを覚えておきたいという思いが強くなりました。みんな似ているのですね。皆さんが口ぐちに言う、毎日を大切に、瞬間を一生懸命というのが、本当に本当に生きる上で大切なことなのだと思います。atlasさんが思うように、私もまだ一生懸命に生きていないのでは、と迷う気持ちでいっぱいですが、同じような迷いや気持ちを、こんな形で共有できることがとても有り難く嬉しく思います。これからもどうぞ宜しく!

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  3. はじめまして、atlasさん!
    人生の扉というタイトル、この一瞬に集中すれば、人生の扉が開かれるという意味もあるのでしょうか。ブッダも言います。過去をくよくよせず、未来を心配せず、今を生きろと。今の瞬間を生きるとは、風のにおい、たけのこの春の香り、土のむす感じ、そんなことを感じていくことなのかななんて思います。今ある奇跡のような瞬間に感謝して生きていきたいですね。

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