Tuesday, April 12, 2011

人間は拝み好き?

内田樹のブログで面白いことが書いてありました。
「人間が人間であるための神について」というエントリー。人間は拝むのが好きな特性があるから、街づくりをするときなどには、宗教的建造物を取り込むべきだ、と。それをしていない近代の街には変な新興宗教に走ったりする傾向がある、と。けっして、「神をおろそかにするから天罰が下る」という論理でいっているのではなく、タイトルにもある「人間が人間であるため」に信仰が必要なのではないか、という話と理解しました。

私は神がいる世界観というのに温かみを感じる派です。イエス様がいる世界に救いを感じるし、いてくれることが嬉しい。
がんと戦った友人は、西洋医学では説明しきれない生命の神秘を信じる、といって、まぁ結局亡くなってしまったのですが、でもその信仰にはやはり救われたのではないか。
見えないものを信じる、論理的にはありえないことを信じる、疑いながらも信じてしまう、こういうところに人間の奥行きの深さを感じるし、愛情も感じてしまう。

特に都会には、サンクチュアリー的場所が少ないから、宗教的建造物あるといいかもしれませんね。皆さんはどう思われますか?

4 comments:

  1. そこに行けば自然と目を閉じて手を合わせることができる場所があればいいと思います。祈るという行為を通して、無駄な意識を捨て去り願い事に集中し見えない誰かと対話ができます。また祈りは心の状態を瞬間にして平穏にするのにも役にたつと思います。祈りが身体にプラスの効果を与えることは私の経験の範囲内では確かのようです。

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  2. 街を作るときの祈りの場、必要ですね。それが各家の神棚だったり、仏壇だったりでも良いですね。(被災した人たちは第一にご位牌を探しているのを見ると、死後の世界が当たり前にあること信じていますね。)
    私も入院しているとき、確実に多くの人から祈られていることを感じました。実感できたのです。それ以来祈りの大切さを感じています。太陽も、地球の大地も、水も、空気もなければ私たちは一瞬たりとて生きることはできないことを感じ、感謝していると、胸が熱くなってきます。祈ることは、自分の中にある波動の高い部分とアクセスすることなのかもしれません。
    ここにいることの奇跡に気づいて、感謝して、祭りでもしていたら神様もきっと喜んでくれるに違いありません。そんな場を復興の街にも作って行って欲しいですね。

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  3. そうそう、こんなニュースを見かけました。

    「鎌倉で神道、仏教、キリスト教合同の復興祈願祭」
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110411/dst11041121170079-n1.htm

    祈ることで受け取るものは多いということがやっと分かるようになりました。

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  4. 以前は祈る事や宗教などとはあまり関係のない生活をしていましたが、最近はじーっと無心になる事を意識して実行してます。私にとってはあるいみでの祈りのようなもので、そうすることによって宇宙のなかに存在する自分を確認し、今生かされていることを認識し、すると毎日の様々な悩み問題等ともなんとか対処するエネルギーを感じます。私にとってはやはり海や木々等の自然が祈り・無心になれる一番の場所です。

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