今日、昔一緒の職場で働いていた女友達とお昼を食べた。彼女とは1年振りの再会だ。以前、よくメールのやり取りや食事をしていた頃は、彼女自身も言っているのだが、本当に鬱で苦しんでいた。毎日が辛く、周りで見ていても苦しんでいる様子がひしひしと伝わってきて、痛々しかった。そんな状態が2年ぐらいは続いていたように思う。ところが、去年の冬、引っ越しをして猫を飼い始めてから、すっかり鬱が治って、色々なことに挑戦し、生きていることを楽しんでいるとのことだった。
鬱というのは、本当に不思議だ。私の父も、もう30年近く前の話になるが、病的な鬱になり、医者から鬱病と診断された。明らかに言動がおかしくなり、極度の心配性に陥り、一日中恐怖と闘っているという感じで、当然夜も眠れず、死ぬことばかりを考え、1人で外出できず、電話の音にうろたえ、涙をぽろぽろ流していた。薬を飲んではいたが一向に回復せず、仕事を辞め、母が子供を育てるように父と四六時中一緒に過ごし、3-4年ほど過ごしたある日、父の母、私の祖母が亡くなった。祖母の告別式の翌日に、何を思ったのか、父は自分の家に戻らず祖母の家から直接、母を連れて長距離運転をして温泉に行き、初七日もすっぽかし、1週間温泉で遊んでから家に帰ってきたのだ。帰ってきた時には鬱がけろっと治っていたのである。身体に乗り移っていた悪魔が抜けていった感じである。いや、ただ抜けていったというより、鬱前と全く別人になっていたのだ。明るく、大らかで、とっつき易い人になっていたのだ。だから昔の父に戻ったのではなく、全く知らない父が現れたのである。本当にどうしてなのかわからないのだが事実である。父が鬱の時、私も沢山鬱の本を読み漁ったのだが、その中で心理学者の河合隼雄が書いた本に、鬱状態を脱すると違う人格になるという事が書いてあったのだが、彼の説明によれば、鬱は病的症状を見せるが病気ではなく、人格を変えるためのプロセスで、今迄と違う自分を作る準備を心と身体が時間をかけて取り組んでいる状態なので、人格を変えるために、あえて鬱になっているのだそうだ。 更に、鬱の素晴らしい効用は、鬱を経て新たに獲得した人格は、例外なく以前より良い人格に変わる点であると書いてあった。だから、鬱は新しい自分を孵化させる繭のようなものなのだ。人が生きながらにして、生き返るための手段として人間に備わった機能が鬱なのだ。だから、皆さん、鬱になった時は、自らを再生するプロセスに入った証拠で、後退ではなく前進だと考えていいのだ。今日友人とランチをしながら、彼女の話を聞きながら、まさにこの説は正しいのだと確信をした。
自身も30代中半から鬱気味な時期が着たり去ったりの数年をすごし、40代前半で結構長い時間鬱的な毎日を送っていました。でもある時期から少しずつ生気が沸いて来て、気が付いたら”単純な”自分に変身してたわいもないことで笑える自分がいたのを覚えてます。Soraさんのおっしゃる通りですが、苦戦している最中にその旨認識できていたら良かったのにとおもいます。
ReplyDeletesoraさんのお話上手で魅力的なお父様の生まれ変わりを、何年も支えていたお母様の愛情深さに感動します。
ReplyDeleteこういう状態は、鬱ではなくて繭と名前を変えたほうがいいですね。その方が希望をもってつきあっていけそうです。
生まれ変わりの儀式のように、温泉に行ったり、引っ越しをしたり、と行動を起こすのはおもしろいですね。
誕生のとき、繭の中では毒が出てきて中にはいられなくなり、外へでるように催促されるそうです。今の日本の状態も繭の中の毒が出されている状態であったら、これは新しい生まれ変わりのための儀式であるかもしれないですね。
私が幼い頃に近い人が躁鬱になってしまって、でも何もしてあげられませんでした。もし、この河合ハヤオの話などを知っていたら、教えてあげていたら、本人も随分楽になっただろうなぁ、と思います。多分、そういうケースの鬱と、別のタイプの鬱があるのだと思うけれど、いずれの場合も、「生まれ変わるためのプロセス」かもしれない、という希望が病気から救ってくれるのではないでしょうか。とてもよい話をありがとうございます。
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