Saturday, April 2, 2011
福島とティブロンの関係
この町にはChina Cabinという歴史的な建物がある。Chinaという船の一等船室が保存されているのだが、先日久しぶりに晴れた青空をバックに日の丸が掲げられていた、星条旗の横に。この一等船室に1869年に徳川家のメンバーが乳母や家来を連れて新しい人生を求めてカリフォルニアに来たらしい。西部で金が発見されて20年もしない頃のカウボーイとインディアンの西部にきて、お茶と絹の生産を目指したものの2年目に天災にあい、ビジネスは破綻をしたらしい。この移民を若松コロニーと呼ぶらしい。その中でも、乳母の伊藤おけいという女性は19歳という若さで亡くなり、北米ではじめて埋葬された日本人として知られているということを、学んだ。会津若松の福島とティブロンの関係はこうも不思議な因縁があるもので、このChina Cabinの会津若松展示会のオープニングに招かれて被災者募金のガラージ・セールの成果を報告した。そんな折、被災で大変な福島から丁寧なメールを頂戴した。「カリフォルニア州の多くの方々が、福島県のために祈りを捧げていただいていますことに、心から感謝しております。もとの生活を取り戻すまでにどの程度の時間がかかるかわかりませんが、私たちは、地震・津波・原発のダメージを乗り越えて、力強く復興していきたいと思いますので、今後ともお力添えをいただければ幸いです。」と言うメッセージを頂き、福島がとても好きになった。
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わだつみという、井上靖の小説が、たしか、このおけいさんをモデルにした人が出てきたような気がする。確か、この実話からインスピレーションが沸いて書かれた本でした。
ReplyDelete続き・・・
ReplyDelete日本も本当に貧しかったんだなぁ、命をかけて海を渡って来たんだなぁ、って思って読んだことを忘れていました。
確かいい話だったよ、このわだつみ。
1869年ということは明治維新の翌年ですね。徳川家の人達は新しい時代を生きる場所としてカリフォルニアを選んでいたことは全く知りませんでした。震災で日常が瞬間にして失った人達、400年の江戸時代が終わって体制が変化し生きる場が激変した人達、昔から厳しい運命に遭遇している人は大勢いるのですね。。
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