Tuesday, December 7, 2010

バイリンガル狂想曲 by 中島さおりさん

パリの女は産んでいる」というエッセーで、日本エッセークラブ賞を受賞された中島さおりさんが、2008年に書かれたバイリンガル教育に関する連載がこちらのリンクで無料で観られます。フランス在住の著者がご自分のお子様達の日本語教育について書かれていて、読んでいると「そう、そうなのよ」と共感、共鳴するところが沢山。

我が子猿たちが日本語で私に話すのを聞くと、たいていのフランス人は感心します。そして日本人の方は、彼らがフランス語で話すのを聞いて、「すごーい!格好いい!」って言ってくれます。
「このレベルまで教えるのが大変だったのよ・・・。」ってため息混じりにエラぶってみたいのですが、実は、全く努力・苦労していません。
もちろん、うちの子猿が天才なわけではなく、知能レベルは全くもって普通の子猿です。子供の脳は柔軟に何でも吸収するようにできているって本当なのです。
フランス語に関しては、父親がフランス語で話すし、フランスに住んで、フランスの幼稚園に行っているのであの程度話せるようになって当たり前。日本語も、私との日常のやり取りや日本人の友達とのお遊びで、自然に会話力が付いたのです。

問題はこの先。
日本語力、読み書きができないと、ここで止まって進化できず、ゆくゆくは退化するのでしょう。
がんばって教えなくちゃ、あぁ、でも面倒くさい!このジレンマ!

教えたいのは、日本語と、ある程度日本的感覚というか、感受性というか。
多くの日本文学は日本語でないと伝わりきらない部分が多いと思うし、大好きな井上靖の「しろばんば」は日本語で読んでもらいたい、詩に至ってはあの繊細さ、力強さは天才を持っても訳できないでしょう。そして、我が愛しの桑田さんの楽曲は日本的感受性がないと、わかり方が違うと思う。
と完全にバカ母の押し付けなんですけどね。

感受性、表現力が豊かな子になってもらいたい、あぁやっぱり日本語、使えるようにになってほしい。

妊娠中は「健康であればいい」って言ってたくせに、既に欲張りばあさんになっていますね、はい反省します。

2 comments:

  1. 何気なく使う言葉ですが、これが無ければ世の中に存在するもの全てに意味を与えることが出来ず、全てはただ規律なく存在しているだけ、ということになります。言葉を身につけるという行為は、そのような意味において世の中に存在する森羅万象を意味づけてくれて、云わば混沌とした世界を論理的に整理してくれる魔法の杖ですね。こう考えると、お母さんが子供に魔法の杖を与えたいと思われるのは欲張りではなく当然のことでしょう。しかも、複数の言葉を使えるということは、多くの視点、まさに、物事を見たり考えたりする視点を多面的に持てるということですから、人生そのものが豊かになることは間違いないと思います。お母さん、頑張って!

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  2. そらさん、ありがとうございます。おっしゃるとおりですね、言霊というように、言葉となってはじめて意味あるものになるって。それを的確にあらわす言葉って、京都に行ったときに、日本の森の深さ・神掛かった雰囲気を表すのは日本語が向いていると思ったように、アフリカのサバンナにはそこの民族の言葉がフィットするのでしょうし。もちろん、他言語であらわすことでその人の受け取り方を表現することになるのでしょうから、それはそれでよしなのですが。

    いつも私レベルに引き下げてしまって申し訳ないのですが、サザンの桑田さんも、日本語で表現するよりも、適当に他言語でシャウトしたほうが感覚的に合うときはそうしたり、巻き舌で飛ばしたり、あの自由さが素晴らしいと思うのです。その一方で、日本語の歌詞も、いい加減なようでいて深い意味のあったりするし。
    あのように、言葉を自由に操れると、自己表現の幅、深さが広がって「人生そのものが豊かになる」んだとおもいます。

    まぁ、夢は子猿達をロックスターにすることですが、かなり確立低いので、せめて視野広く、自由な精神を持つ大人に育てたいです。
    ご声援ありがとうございます。

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