Sunday, April 3, 2011

更衣室

本日は晴天なりで、本日も晴天であった。今年は雨続きだったがここ5日ほど青空が見えてとてもうれしい。そんなわけで10時前に娘と一緒にプールに出かけたものの、一緒に飛び込んだはずなのに、もどってくると隣のレーンに誰もいない。「ったく、最近の若者は。」あったかいプールに行ったんだななんて暢気に考えながら20分泳いでロッカーに戻るとどろどろと両足から血を流しながら娘がバンソコないのかと聞いている。なにやらプールに飛び込んだらどこかに足をぶつけたという。この人は生まれた時からこんな調子でいつも足を怪我する。赤ちゃんの時にはおもちゃに足を突っ込み、病院で数針縫った。数年前は体育の時間に足をひねって骨折をし、やっと治ったかと思えばまた体育でホップ・ステップ・ジャンプで着陸と同時にかかとを骨折した。まったく不運な子である。

更衣室でぶちぶち文句を言う娘を無視しながら着替えていると、「ぎゃ!この体重計は間違っている」とおばちゃんがいう。「どれほんじゃ私が。」と乗っかった知り合いは、「この体重計はやや軽めに数字が出る」といい、おばちゃんはさらに興奮。そこへでしゃばった私は「その体重計は以前は軽めだったけど、最近修理したそうで、今は正確な数字だそうだ」と茶々を入れる。おばちゃんの晴天なりの一日はこうして雨もよう変わった。

最近またおなかがぽっこり出てきた私ははなから体重計を無視し、気にせず晴れやかに更衣室を去る、血まみれの娘とともに。。。

Saturday, April 2, 2011

農業

昨日、福島の郡山在住の友人から電話がかかってきた。郡山は原発から50キロ離れた街である。原発の影響で、郡山でも農地での耕作が禁止されたとのこと。農家の人達が今出来ている作物を廃棄するだけでなく、新たに耕作をすることもできないのだ。友人の言葉を借りれば、農民が土を触ることが禁止されたとのこと。避難勧告の出た地域は他の地域に行政の力を借りて移ることができるが、それ以外の人達は、その地から逃れることなく、生計を立てる手段までが閉ざされてしまっている。私に電話をしてきた理由は、去年から私はカンボジアやラオスに行っているけれど、向こうで農業をすることはできないのだろうか?という相談であった。暖かく冬のないインドシナの地で農業を展開するというのはとてもいいアイディアだと思う。多くの人達があらゆる助けを必要としている時期なのだと再確認をした。早速リサーチを始めよう。

福島とティブロンの関係

この町にはChina Cabinという歴史的な建物がある。Chinaという船の一等船室が保存されているのだが、先日久しぶりに晴れた青空をバックに日の丸が掲げられていた、星条旗の横に。この一等船室に1869年に徳川家のメンバーが乳母や家来を連れて新しい人生を求めてカリフォルニアに来たらしい。西部で金が発見されて20年もしない頃のカウボーイとインディアンの西部にきて、お茶と絹の生産を目指したものの2年目に天災にあい、ビジネスは破綻をしたらしい。この移民を若松コロニーと呼ぶらしい。その中でも、乳母の伊藤おけいという女性は19歳という若さで亡くなり、北米ではじめて埋葬された日本人として知られているということを、学んだ。会津若松の福島とティブロンの関係はこうも不思議な因縁があるもので、このChina Cabinの会津若松展示会のオープニングに招かれて被災者募金のガラージ・セールの成果を報告した。そんな折、被災で大変な福島から丁寧なメールを頂戴した。「カリフォルニア州の多くの方々が、福島県のために祈りを捧げていただいていますことに、心から感謝しております。もとの生活を取り戻すまでにどの程度の時間がかかるかわかりませんが、私たちは、地震・津波・原発のダメージを乗り越えて、力強く復興していきたいと思いますので、今後ともお力添えをいただければ幸いです。」と言うメッセージを頂き、福島がとても好きになった。

今日のBake Sale

今日は日本への寄付の第二弾で、教会のBake Saleです。シンガポール人と結婚している白人の友人シェリルのコメントは言い得て妙で、地元のアジア人がこぞってお出ましである。とはいっても、99%白人の町なのでそんなにはいない。一個$1.50とかのクッキーやらを買ってくださる人々は全人種あつまり、$1100以上集まったようだ。すばらしい。千羽鶴を折るという名目でテーブルも設けられ、自慢の鶴の折り方教室を開設。まあ、面白い間違いを直しては、笑い話を交わすこと4時間。バンドやアカペラ、そして息子のバイオリン演奏、そしてインドの太鼓のタブラをバックグランド・ミュージックに楽しんだ。この震災の思わぬ効果は、地元の日本人の方々と知り合いになれたということ。

Friday, April 1, 2011

宇宙酒

夕方から赤坂に居たのだが、本当にスーツが全く似合わない若者が街に溢れていた。そう、今日は4月1日、日本は入社式の日である。学生独特の雰囲気がまだまだ漂う社会人1年生の集団である。この集団をかき分け、友人と夕食を食べに赤坂の土佐料理のお店に入ったら、土佐宇宙酒という日本酒を勧められた。なぜ宇宙酒という名前なのかというと、2005年10月1日の「日本酒の日」にロシアのソユーズロケットが宇宙に打ち上げられた時、そのロケットの中に、高知県産の日本酒酵母が搭載されていたらしく、この酵母は宇宙ステーションに8日間滞在した後、無事に地球へ帰還したらしい。その後、この酵母は高知県で18社の蔵元に分けられ、純米吟醸酒が仕込まれたそうだ。ということで、今日は、外国帰り、いや、宇宙帰りの日本酒を頂いた。宇宙開発のことは全く知らないが、日本も結構面白い実験をやっているようだ。

無力感

地震から丸三週間経過した。あれ以来毎日被災地の映像とニュースが流れてくるのだが、今日は特に悲しい知らせがあった。それは、何気なくアナウンサーが伝えたのだが、被災直後はみな必至で生きぬいたこと、大切な人がもしかしたらどこかで生き抜いているかも知れない、という希望で、ある意味活気づいていた避難場所が、3週間経って嘘のように静まり返っているというのだ。避難場所には沢山の人が避難しているのに、3週間たって皆極度の疲労やストレスから、黙り込んでしまい立ち上がることができなくなってしまった人も多いとのことだった。今何が欲しいか?といういつもの質問に対し、何も欲しいものはありませんと答えたおばあさんを思い出すと、ただ涙ばかりがでる。震災以来多くの友人が、すぐ近くであんなに辛く悲しい思いをしている人が沢山いるのに、何もしてあげることができなくて、無力感に苛まれているということを聞く。本当にその通りで、私も似たような思いに苛まれている。

涙そうそう

最近は涙を自制することができず困っています。
昨日は涙もろい友人と会い、ついつい、震災のことや、その他の話をしていて、空を仰ぐようにしていると、「みきさんも私に負けない涙もろさだね」と。ばれたか。

歳のせいにしてきたけど、思い起こせば、20過ぎの一人暮らしの頃から始まったのだと思う。家族でも、周りに人がいるときは、気も散るし、なるべく泣きっ面をさらさないようにしていたのが、一人暮らしだと、辺り気にせず泣けるから、それはもう朝刊読みながら泣いたりしていました。

でもこういう恥ずかしい癖があってよかったな、と思う今日この頃。だってそうでもしければどう処理していいかわからない感情の量だったりしませんか。例によって気分転換にエンタメ・ニュースを見ると、Jubiさんも大好きな杉良太郎が、トラックなど12台で現地入りして炊き出しやら、寄付やらしているとか、色々な美談が満載です。またまた涙そうそう。

悲しい涙、感動の涙、花粉症の涙、しばらくはお岩さんのような顔をさらしていることでしょう。
4月3日は、パリ、オペラ座近くでチャリティー・バザーが開かれます。お近くにいらっしゃる方、是非お立ち寄りください。
お岩さん顔で一人四谷怪談やっている人を見かけたら、それが私です。お声かけくださいね。