Monday, April 21, 2014

大学受験米国編

日本で大学を受験した私は、その後母になり、長男は東大、次男はスタンフォード、そして長女はケンブリッジと、三大陸で勉学に勤しんでいる。日本では、学校の成績と入試の成果で合格・不合格が決まる。米国は、学校の成績、SATという共通テストの結果、エッセイの内容、そして学業以外のExtracurricularの内容で合格・不合格が決まる。その心は、勉強だけでなく人間的にも面白い学生を集めたいというものだ。でも、そんなスーパーマンのような子供は滅多に自然発生しない。日本の塾通いみたいな集団学習はあまりないものの、SATの家庭教師やら、エッセイの家庭教師がたくさんいるよう。学業以外では、地域貢献、スポーツ、芸術等々で個性的で有能な姿をアピールするのだが。。。。高校生だった自分を振り返ると、「私はこれ!」というパッションや才能を持ち合わせていたように思えない。そんなことを考えることすらしなかった。と、言うことは米国版受験は、自己発見を促すという意味では悪くないような気もする。でも、年々個性発揮及びパッションのアピールはエスカレートし、何だか行き過ぎ感がある。これから受験をする次女と三男を見ていると、ちょっと気の毒になる。

1 comment:

  1. 先日母校の学長の話を聞く機会があり、曰く、様々な環境から学生を集めようとするが、基準を定めると、その基準をクリアする一定の似たような学生が集まってしまい多様性を実現するのは難かしいとのことでした。大人に合わせて発揮できる個性を身につける子供たちは少し気の毒ですね。

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