Monday, May 9, 2011

『具体的な行動計画』について感じたこと

先日 sora さんが投稿されたコメントを読んで感じたことを話します。 sora さんが言うように、震災の後、多くの人が無力感と不安に苛まれながら毎日を過ごしていると思います。特に、被災された方々の気持ちは、僕らがどんなに想像しても推し量ることができないものでしょう。ただ、不思議なことに、実際に被災された方々の中には、笑顔を絶やさず前向きに力強く生きている方もいらっしゃるということです。人間は運命に翻弄されてしまうと同時に、その運命を受け容れて、それを乗り越えるていける人もいるのではないかと感じています。

作家の村上龍氏が、震災後にニューヨーク・タイムズ紙に『危機的状況の中の希望』というエッセイを寄稿しました。村上龍氏独特の物事の本質をズバッと言い当てたエッセイで、読んだ後に心の中の無力感や不安が少し和らいだような感覚を持ちました。最後に彼はこう言って締めくくっています。
「だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富と心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。」

うまく言えないのですが、こんな時だからこそ、自分の人生の目標を再確認する必要があるんだと思います。村上龍氏によれば、目標というものは、「持つべきもの」とか「持ったようがいい」ものではなく、人生のあらゆる局面の「前提」(『無趣味のすすめ 拡大決定版』の中で指摘されています)だそうですが...

実は、この文章を書こうと思ったのは、 sora さんの指摘された「具体的な行動計画」という言葉がちょっと引っかかったからです。僕は典型的な三日坊主なので、あまり具体的に行動計画をたてるとなかなかうまくいかないのです。ただ、目標(大きなものでも小さなものでも)がはっきりしていれば、目標達成のためにやるべきことの優先順位が決まって、自然と正しい選択や行動をしているような気がします。

ありふれた日常生活はとても大切です。ただ、それだけでは生きていけません。達成することによって心から幸福を感じられる目標を持つこと、そして、それと同時に1日に1つ、1週間に3つとか、自分自身に小さな楽しみを見つけてあげることも大切かと思います。

う~ん?やはり sora さんの言わんとしていることと同じなのかもしれませんね。失礼しました!!
ただ、いくら「具体的な行動計画」が大切だからといって、GWに3日もテニスの予約をするのはどうかと思いますが...^^

4 comments:

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  2. 何故か、上手くコメントできなかったので再トライ。

    Atlasさん、こちらパリは夜8時半、ロゼをたぷたぷに注いだグラスで二杯呑んだ状態で書いています。パリは爽やかな夕べです。

    「目標というものは、「持つべきもの」とか「持ったようがいい」ものではなく」という引用、以前神父様が云ってたのと似ているので、ついついコメントです。別に教会に勧誘しようとかじゃないのでご心配なく。

    この神父は、「時折、なぜ信仰するのか、と訊かれる。『神を信じることで、何かご利益ありますか(Does it do you good?)』、とか、『した方がいいでしょうか、信仰?Is it better to have faith?』とか訊かれるけど、僕にとって信仰とは、神とは愛さずにはいられない、信せずにはいられないものなのです。」と云ってました。
    あれ、あんまり、村上龍の言葉と似てませんね~。要は、目標も、信仰も、持とうと思ってもてるものではない、自然発生的な部分もあるのかもしれない、ということです。

    さて、小さな喜び、楽しみかもしれませんが、私はブログを通して、自己表現するのとか、皆さんの意見、エントリーを読むのも楽しみです。自分の思うところを上手く書けた、と自己満に浸った日などは、割と達成感を感じます。

    「桑田さん、井上靖」級でなくても、人というのは、創造や、自己表現を世間、に示すことがミッションであり、喜びなのではないか、と思う今日この頃だったりします。

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  3. atlasさんの言うように、「具体的な行動計画」という言葉が、ちょっとひっかかる感じは何となくわかります。表現が大袈裟かもしれません。私が「具体的」と言ったのは理由があります。震災以降、落ち込んだり不安に駆られたせいか自分のエネルギー量が減り、やりたいことや、震災があったから・・という理由で、やるべき事をサボっている罪意識のようなものを自分に対して感じていました。自分の周りにも同じようなことを言う友人が結構いた所を見ると、こういう時の脳の反応なのかもしれません。ただ、脳の命令通りにしていると、ずっとこの状態にいるような気がして、この嫌な感じを断ち切りたかったのです。小さな事についても具体的に意識的に取りかかることで、自分にはまだ自分の世界をコントロールできる気力や熱意があることを自分に示し、自信を持ちたいと思ったのです。そういう意味では、私にとって希望や目標は人生の前提としてある、というよりは、絶えず自分で意識して作るもののように思います。

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  4. 自分の人生の目標の再確認、なんのために生きているのか?ということを考えるとき、人の役にたつようなことをするとか、何か価値のあることをするとか、考えていましたが、そこから抜け出したとき、ただ存在していること自体が生きていることであり、今生きている奇跡を感じたとき、喜びが溢れてきて、感謝で身体が熱くなる体験をしたことがあります。私は、ついつい自分を責める言葉やこうあるべき、でがんじがれめになるので、そこから自由になるため、頭を空っぽにする時間をとります。神様の唯一していることは「ジャッジしないこと」。だから、なんでもあり、こうやってsoraさんたちがなげかけてくれたことで、色々考えさせていただき、私も何か言いたくなり、まさにlazyさんのおっしゃるように表現することがミッションなのだと再確認しました。みなさんありがとう~!

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