Monday, March 16, 2009

豊かなるアメリカ人

今日、友人と話していていて、以前伺ったアメリカ人のホームパーティについて思い出した。

カタールはエクソン・モービル国と呼んでもいいくらい、アメリカの影響が大きい国だが、何故か私の周囲はイギリス人、デンマーク人、フランス人と、西ヨーロッパの人が多い。それぞれ皆ホームパーティをするのが好きで、カジュアルながら心尽くしの(酒尽くしの)おもてなしをしてくれる。
傾向としては主催者が「ハロー」とやってきてくれて「何飲む?」ってドリンクをくれて、知らない人が多いと一人二人紹介してくれて「あとは御自由に」というパターンが多い。夫の内気が移ってきた私は、あたりさわりのない話をして長居せずお暇することが多い。
パリのパーティはもっとあっさりしていて「ボンジュール」のあとは「御自由にね。」とされ、気の利かない夫は見知らぬ人と自分の世界の話(仕事、家紋等)をしており、一人でいても格好つかないから誰かと話そうとしても、皆がっちりグループになっていて割り込める雰囲気ではない。ある時はそんな私を気の毒に思ってくれたのか、単なる気紛れか、ある年配の方に声かけられ救われたわ良いが、先方の耳が遠いのと私の下手なフランス語での会話は大変だった。アフリカの話をしているのに、「ああ、あそこはバラの庭園が有名なのよね。」とか・・・。とにかく、チンプンカンプンだった。今日の友人もフランス人と結婚しているオーストラリアの人で、「そうそう、パリは冷たいよね」と盛り上がってしまった。

前置きが長くなってしまったが、そんな中、うちの前に住むアメリカ人のパーティに招待されたことがある。うちのレジデンスには三タイプの家があり、彼女の家はVillaと呼ぶのにふさわしい、個人プール付きの一番豪華なタイプである(うちは一番小さいタイプ)。御主人はオイルメージャーにお勤めである。プールの各コーナーにはミロのヴィーナスのミニ・バージョンがあり、ろうそくが焚かれ、室内もDJがいて、お客様も皆おめかししていて実に華やいでいる。夫と私には、次から次へと「飲み物、足りている?」と声を掛けてくれる人がいるし、一人、そして、また一人と誰かが現れては話掛けてくれる。「どちらに住んでいるの?」「何処からいらしたの」「私、東京大好きなのよ」という、たわいない出だしから、自分の仕事、何故ここにきたか、「離婚してね」とか「借金抱えちゃったので今、出稼ぎ中なの」とか、皆オープンに、そしてユーモア混じりにマイ・ストーリーを語ってくれる。そして長すぎず、短すぎずというタイミングで話をまとめ、自然に離れていく。

帰り道(三メートルだが)夫に「パリとは違うね。みんな心憎い気遣いしてくれるし、オープンだし、面白い人に沢山出会えたね。」というと、彼も「アメリカは素晴らしい!本当に楽しいパーティーだった。ふところ広くって素晴らしい!フランス人みたいに人にケチつけたり、妬んだりしないし。」と大絶賛。
そして、ふとその時、自分が、戦後チョコレートを沢山配るアメリカ兵を憧憬の目で見る子供のように思えたのだった。戦争に負けたとか、勝ったとか、そういうことではなくってただ単に「僕、チョコレート沢山持っているから君にもあげるよ」っていう、豊かさ、寛容さ、シンプルさに憧れるのである。

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