ちょっと前に「勝ち犬、負け犬」という言葉が日本で流行ったことがあった。その語源となった本を読むと、言いたいことはわかるが、いくら自嘲を込めているからといって、こういう価値観がベストセラーになる世の中にぞっとした。勝ち負けで人生決められてしまうなんて、たまらない。
このところ、相変わらず松本清張に凝っている。彼の小説は大概不運な人がいて、どういう人生の転落を辿るか、という話が多い。それが主軸になったり、サイド・ストーリーだったり。多くの不運はその人の中にあって、例えば、「自分は有能なのに、女だから、貧乏だから陽の目をみることができない」と言った感じだ。現実もそうなのだろうが、視点を変えて、そんな社会を笑い飛ばせたら、もっとまともな人生を歩めただろうに。そういうのを沢山読んでいると、負から生まれたパワー(嫉妬、恨みなど)の行き先は幸福ではないんだな、と思ったり。
それにしても清張、面白い。正か負か、どんなパワーか知らないが、どんどん読者を引き込んでいく。
さて現実は小説より奇なり。私の周りには所謂不運を乗り切った、乗り切ろうとする人ばかり。皆、時間の助けを借りながら、自分で不運のコートを脱いで、すっきりと前に進んでいく。大変な勇気がいることだと思う。小説のように、腹いせにダイヤを横領したり、人を殺したりしない変わりに、自分の負の感情を殺して、と、こちらの方がもっとドラマティックだと思う。
幸運な人生とは、心の平安があることだと思う。自分でこんな立派なことを考えたわけではない。キリスト教でもおそらく仏教でも平安の尊さを説いているだろうし。私のは井上靖の詩の中で、他の人の詩を引用していたのから来ている。「僕は心の平安さえあればいい」と言ったような内容の詩であった。
常にそういう境地に立つのは、凡人の私は難しいけど、もし、そういう瞬間があったのなら、それは得てして何かの逆境、不運を乗り越えたときだったと思う。
と、いつになく真面目に書いてみましたが、このところ頭にあったことを書いてみただけで、別に何も思い詰めていませんのでご安心を!それより、この場を借りて、special thanks to my dear friends!家族もそうですが、素晴らしい友人らのおかげで元気と希望を貰っています。
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