Friday, September 30, 2011
日本人らしい生き方
今日、私の父の長期にわたる仕事仲間でもあり友人でもあるお爺さんの義理の息子さんのMさんのお葬式があった。このお爺さんはUさんと言って今年90才になるのだが、今でも皆の世話役として色んな人の相談に乗っている。私も大好きなお爺さんである。数日前に我が家を訪ね、義理の息子さんが、もう長くはないと父に話にきたらしいのだが、それから2日後に本当に亡くなってしまった。まだ62才だったそうだ。今日お葬式が教会で行われ両親が参加し、両親からとても興味深い話しを聞いた。息子さんは亡くなる5日前、意識を失う直前に洗礼を受けたのだそうだ。どこが興味深いかというと、彼ら一家全員は、わが家も檀家となっている近所の禅寺の隣に住んでいて、何十年にもわたりお寺のありとあらゆる仕事、お寺のお庭の掃除から、お寺で行われる様々な年中行事の受付やらお茶出し、お坊さんの旅行のお伴、といった絶対に必要だけれど目立たない仕事を黙々と引き受けてきた人達なのだ。今日のお葬式の当日まで、家族の方以外殆どの人達が、Uさんの娘さん、つまり亡くなった義理の息子さんのお嫁さんが熱心なキリスト者であることを知らなかったのである。先にも書いたが、彼女も小さい時から、ありとあらゆるお寺の行事を影で支えてきた人なのだ。この話を聞いた私の反応は、不思議なことに、なんだか少し嬉しく感じた。自分の中で宗教の違いをとっくに乗り越え、隣のお寺の仕事を影で長年支え、皆と仲良く協力的だというのが、なんだかんだ言っても隣近所や世間を大切だと感じる典型的な良き日本人という感じがしたのかも知れない。宗教の話題を持ち出すことは一般論で言えば好ましくないかもしれない。でも、今日の話しは宗教の話しではない。多分書きたかったことは、心の中で自分が何を信じるか、どの神様を信仰するかということと同時に、自分が生きる社会の中で、現実的に良き隣人であることを選択して、その二つを同時にうまくこなしていた彼女達の有り方が、何だか実はとてもバランスがとれて、丸く収まればそれが一番、と考える日本人の生き方そのもののように思えるのだ。そしてこのような話を聞いて何となく嬉しく感じる自分は、根っから日本人だなぁ、と思うのである。
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Soraさんのように日本の典型的な環境で育たなかった私にとって、お寺や神社は、宗教というよりは生活の一部のように思います。たとえは悪いですが、区役所とか図書館と似た位置づけなのかなあと感じています。子供が生まれればお宮参りにいくところという感じなので、宗教的な矛盾を感じることなくキリスト教徒でもお寺のお手伝いをする感覚がわかります。これが、教会とユダヤ教のお寺の掛け持ちをするというと、「!」というのとは少し違うのかな。
ReplyDeleteSoraさん、お久しぶりです!本当に「宗教の違いを乗り越え」の美しく、日本らしい実例ですね。
ReplyDeleteところで、亡くなられたご本人は、何故洗礼を受けることにされたのでしょう。そこにも興味があります。
私はJubiさんより幼い時期に日本に帰国したので、どっぷり、とは思えなくても、かなり日本人だと自覚しているのですが、寺、仏教のお経など、とても異国、遠い異国文化を感じます。TVの「西遊記」も恐々観てましたが、私の仏教=寺はあぁいうイメージです。あまり関係なかったですね。