Friday, September 9, 2011

9・11を目前にしておもうこと

早くも10年がたとうとしている。9・11が、西海岸移住のきっかけだと自分では思っている。2005年の移住なので、反応が遅いことは確実だが、毎日テロ予防策を考えながら通勤するのに疲れ果てたのと、キャリアをめぐるポリティックスに燃え尽きたのがちょうど時期的に重なったのだ。NYに住む人々の反応はさまざまで、記念日には家族で毎年NYを離れる友人もいれば、何事もなかったように過ごす人もいる。今週末は、友人が久しぶりにNYから遊びにくるので楽しみなのだが、一方でSoraさんなどはちょうどNYに出張で行っているようだ。 9・11関連の記事を読むと未だに胸がつまる。たまたま出張当日で自宅にいたため、TVでビルが崩壊するのをリアルタイムでみて、あわてて子供の学校に走っていって無事を確認したことや、夫が何を思ったか歯医者に行ってしばらく行方不明になっていたこと、空港まで送ってくれるためにきたリムジンの運転手さんの動揺ぶり、などなど、まるで昨日のことのように思い出す。10月にはいると、連日のように聖パトリック・カトデアルでバグパイプの演奏を背景に消防士さんの葬式を通り抜け、通勤したこと、その当時勤務していた銀行の予防訓練の誤発に驚き、ごみ箱を飛び越え、一目散に非常階段を駆け下りていった巨大なイタリア人のおじさんのことなど面白悲しく思い浮かぶ。

1 comment:

  1. フランスでは、詳細はよくわからないけれど、ルモンド誌や、ある大臣などが、9.11を日本軍の真珠湾攻撃と関連させて語ってました。真珠湾というは、多分、米本土における攻撃ということなのでしょうが、9・11の許せないことは、一般市民を攻撃したと言うことだと思うのです。その観点から言えば、広島・長崎の原爆や、ドレスデン・東京大空襲の方が関連性が高いと思うんだけど。
    私の高校時代の同級生で9・11の犠牲者になった彼、当時お腹にいた子供がもう10歳かと思うと、やりきれませんね。犠牲者のご冥福を祈るばかりです。

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