Sunday, November 27, 2011

異文化

言語には比較的順応性が高い私は異文化への順応性も高いのだと、今までは思ってきた。最近、これは大きな錯覚であることに気がついた。

小学校の4年生で日本に帰った私は、ある日、親友だと思っていた二人にズバズバものを言うのをやめて欲しいと言われた。それ以来気をつけているつもりではいるが、日本に行くと、やはり物事をありがままに言う人間と思われているらしいことがわかる。そして、アメリカにいると、そうでもなく、人に気を遣って対立を極力避ける人間ということになっている。

先日、古語に近い言葉を発したのを面白がって、Soraさんに、日本語の発音が日本人と変わらないのでなおさら面白いと言われたのが、印象的だった。日本語が母国語だからといって日本文化が母国文化であるとは限らないのである。これは、わかっていたけれども面白い。

私のような異文化の寵児は今の世界には掃いて捨てるほどいるのだが、実は一国の中でも異文化の寵児は掃いて捨てるほどいるのかもしれない。これが世でいう個性なのではないかと思ったりする。

2 comments:

  1. そうそう、そうなんだと思う。各言う私は、ピンクレディーで育ち、漫画・本が大好きで、日本文化が母文化だとおもっているけれど、日本人の友らからは、「ちょっと違う」と言われる。でも、それは帰国子女だからではなく、もともとずれているだけだとおもう。もしくは親の教育とか、性格の影響とか。帰国子女の友で、思いっきり日本的なものの考え方する人も何人か知っているし。

    最近は、帰国子女受け入れ制度や、日本語を話さない就学児のための学問的研究もされているらしいよ。(怠け象です)

    ReplyDelete
  2. 確かに一国の中でも異文化の寵児という感じの人は沢山いる。国の問題じゃないのかもしれない。たまたま昨日、友人とお昼を食べながら、似たような話、各人のセンシティビティの違いについて話をした。理屈ではなく、現実として個々人には物事に対する感応度の違いがあって、言葉の使い方、人との付き合いかた、物事の進め方などの点で、ある人には問題なくても、他の人にとっては、なんとも居心地が悪かったり聞いていられなかったりすることがある。私達の結論は、あまりにセンシティビティの違いがある人と付き合うのは、これが善悪の問題ではないだけに矯正してくれることを期待すべきでもない。だから結果として距離を置くことで、居心地の悪さをなくすしかない、つまり、付き合えない、、、という結論になった。

    ReplyDelete