ここ数日風が強い。Winnie the Poohの”Happy Windsday"を思い出す。いろんなものがあちらこちらに飛び散っている。ちょっと風変わりなおばちゃんの隣人との垣根の柵も倒れたりしている。風は強いのに暖かいので過ごしやすい。犬の散歩も5分もすれば汗ばんだりする。と、思っていたらのどがイガイガし、今朝起きたら風邪を引いていた。ま、一回は軽くひいておいたほうが重病にならないような気がするので、だらだらフライデーの今日でよかったなあ、などと考えている。
昨日は母校に入学を希望する候補の面接をしたあと、20年来の旧友たちと格安あしもみマッサージとランチに行ってきた。夕方は皇后陛下のお誕生日祝いとやらで、領事邸に行ってきた、隣人で友人のメキシコ総領事夫人と。そして、そのあとは、サンフランシスコ湾を眺めながら二人で楽しくディナーまでしてすっかり大人気分。通常は子供らの用事で車ですれ違いざまに手を振りながら、ゆっくりとお話しすることもなく、珍しく一緒に会食しても、家族ぐるみだとじっくりとお話しをすることもないので、とても貴重な二人の時間を共有させてもらった。夫に付き添い各国を転々としながら、二人の子供を育て、しかも総領事夫人としてのお役目を果たす彼女は、一見優雅な感じだが、現実は家族優先で自分時間のなかなかない生活。しかも友人といえど、各国を代表する立場上、距離感を持たざるを得ない。気の置けない関係というわけには行かない。そんなわけで、息抜きディナーという運びになったのだ。そして今日。やはり髪を振り乱し、車で用事に奔走する彼女と、同じく髪を振り乱し車で用事を済ませる私は手を振り合って村のメイン外リートですれ違うのであった。お母さんたちは、お互い大変なのだ。
私はお母さんという立場を経験したことがないので、お母さんは大変だ、という話に、「そうだよねぇ、本当に大変だよね」という相槌を打つことはできないのだけれど、想像はできる。私は自分のことだけでも忙しい、もっと時間があればいいのに、もっと自分のために時間が使えたらいいのに、、と思うのである。昔、中世のヨーロッパの教会の神父の日記みたいなものを読んだことがある。殆ど忘れてしまったが一つだけ覚えているところは、自分は神に使えるためにこの仕事を選んだのに、いつも雑事に追われて神様のために仕える時間がないと嘆いているところである。多分、いつの時代も、どんな立場の人も、あー、忙しい、忙しい、もっと自分のために時間が使えたら、、、と思っているのかもしれない。
ReplyDeletem
ReplyDelete私も昨日子供がらみで知り合いになった、かなり気があう”お母さん”のフェアウェル・パーティーに行ってきました。いつも子供と一緒、家族と一緒、あるいは学校行事ですれ違う程度のつきあいでしたが機会があれば結構充実した会話を楽しませてもらってました。そして最後のパーティーでもその他大勢の子供やお母さんに囲まれて一対一で話せたのは数分程度。じっくり話すことはついに出来ませんでした。
ReplyDeleteちょっと脱線しますが、私が初めて「あぁ忙しい」と実感したのは高校生の頃です。放課後に渋谷・青山をフラフラして家に帰って何か食べ、お風呂に入ると夜9時過ぎで、「あぁ、このあと誰々と長電話したら、もう寝なきゃ、毎日なんて忙しいのだろう」って思ったのですよね。生産的なことは何一つせず、自分のためだけに生きていたのに忙しかったってどういうことなのでしょう。でもあのとき「忙しい、あぁ、でも幸せ!」って思ったんです。忙しいことが幸せ、って不思議なんですけど、やっぱり今もそう思ったりします。怠け象
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