Saturday, July 2, 2011

残心

先日の話。
朝、子猿達を幼稚園に送り出しがてら、リサイクルごみに瓶ものを出そうと。大きなエコバッグにビール瓶、ワインの瓶などが詰まっているのを持ってエレベーターホールに向かいます。すると、何かの拍子にバッグからワインの空き瓶がコロコロ。
布バッグだからそんなに詰め込んでいないつもりだったけど、手下げを持つと、布が引っ張られて、中のバランスが崩れるのですね。勉強になりました。
とにかく、ワインの空瓶、階段の鉄格子の下を通り抜け、なんと一階まで落下しました。
そのときはもう全てがスローモーション。
息を飲んだまま下を見下ろすと、幸い誰もいない。7階から1階まで、5秒くらいかかったのでしょうか、思いっきり割れました。

びっくりして泣き出した子猿をなだめながら、大急ぎで下に行きます。管理人さんにお願いして一緒に片付けてもらい、取り急ぎ、幼稚園に送りに行きます。

誰もいなかったから良かったけれど、もし、って思うと吐き気がしました。
うっかり幼稚園児の行列に乗り込んでしまったトラックの運転手とその犠牲者の家族の昔みたTVの画像がフラッシュバックしたり、間違って人を殺してしまった人などのことを考えたり。
人生って、こうして或る日突然、真っ暗闇が訪れることもあるんだな、って。
皆罪びとってこういうことなのかしら、ってもうわけわかりません。
子供を落としたあと、幼稚園の裏の教会に立ち寄りお祈りしました。
涙が止まらなく、ごめんなさいとありがとうを繰り返す。
動揺の朝でした。

以前、沖縄が出てくる本に、人間、あまりにショックなことがあると、「たましい」が「逃げる」=「たまげる」、とありました、この朝はまさにそんな感じで放心状態でしたが、やがて、「たしかその本には、『たまげたこと』にあったときには魂をかき集めろ、ともあったな」と思い出す。沖縄のその地方の人は、「たまげた」後には手で空気をかき集めるような所作をするらしいです。
そうだ、しっかりしないと魂が逃げ切っちゃう、と思ったとき、ふと頭に浮かんだのが、先日の友人の言葉「残心という言葉でした。本来は武道などで、技を決めたあとに気を抜くなよ、ということらしいのですが、このときの私には、「おい、動揺に心を持ってかれるな、Life goes onだろ、しっかりしろ!」という、カツに聴こえたのです。

瓶落下事件の最後・・・その日の午後はチョコレートの箱を買って、割れた瓶の片付けを手伝ってくれた管理人さんにあらためてお詫びしました。犠牲者になる可能性一番高かったのは、いつも朝はエレベータの掃除をしている彼らですし。彼らは本当に感じの良い老カップルで、「気にしないで」と逆に慰められ、その優しさにまたほろり。
夜、夫とも話して、この階段の鉄格子の安全性を改善するよう、オーナー組合に提案する予定です。

3 comments:

  1. こういう一歩間違えたらということはたくさんある。そのたびに私もぞっとする。9・11にしろ、私たちのパキスタン航空便と一緒に同じ目的地に向けてほぼ同時に同じ空港から飛び立ったTWAのNY-パリ便といい、そして自転車のブレーキのなかった朝のM君、子供の通学路をプレーキを失ったトラックが走り抜けたのとか、数えたらぞっとすることばかり。
    ああ、怖かったといつも思う。でも、無事だったのが運命なんだとも思う。

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  2. 無事であったことと、災難に巻き込まれることは本当に紙一重、まさに、言葉のとおり、紙一枚ほどの違いしかないのかもしれまんせんね。自分の経験でも、下りの狭い坂道を歩いていたら、目の前に止めてあったトラックのブレーキがはずれたのか、突然ゆっくりと坂道を走りだし、坂道の掃除をしていたお婆さんが、轢かれて亡くなってしまった時がありました。もし、30秒程先に自分が歩いていたら自分が事故にあっていただろうと思います。ラッキーにも大禍に巻き込まれず、生き続けて今日に至るわけですが、あらためてこの事実を考えると、奇跡の連続としか言いようがない気もします。lazyさんが教会でお祈りしてしまう気持ち、理解できます。。何事もなくてよかったですね・

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  3. 本当にご無事でよかったです。
    普通に生活していることが本当に奇跡的であることに感謝せずにいられません。
    そして、すぐに柵の改善をすることを申し出で、自分に起こったことをちゃんとみんなの安全にしようと行動されるところは本当にすばらしいです。これからはこれ以上のことには絶対なりませんね。

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